1-12学園攻防

 眼下では一五〇人のアウレリウス軍が整列していた。たった一五〇人ではあるが、学生であるレスティヌたちに比べ、歴戦の兵である。その迫力はこれが初陣であるレスティヌたちを緊張させるのに十分であった。ましてや大将はアウレリウスである。辛うじて皆が平静を保てているのは、こちらの大将であるデキウス・ロメストの存在が大きい。

 既にアウレリウス軍の準備は整っている。

 後はアウレリウスの号令があれば、戦は開始される。戦場はしんと静まり返り、上級生たちの生唾を飲み込む音すら聞こえてきそうだった。

 アウレリウスが馬を進め、前に出る。にわかに城壁が騒めく。

「開戦前の挨拶と行こう!」

 アウレリウスはそう言い、手を眼前に構える。その掌の向かう先は正門だ。

 レスティヌは慌ててデキウスを見る。

「力よ、在れ!」

 既にデキウスは詠唱を始めていた。

 レスティヌはすぐにアウレリウスに目を向ける。アウレリウスは何の詠唱もなく、その手の先に光の玉を生み出していた。

「これが挨拶代わりだ」

 そう言うと、光の玉が放たれる。

 放たれた玉はすぐに何倍にも膨れ上がり、人の身長ほどの大きさになる。

「門の前に出でて、厚き障壁となれ!」

 デキウスが呪文を唱え終わり、門の前に半透明の壁が出現する。

 僅かコンマ数秒ではあるが、光の玉と障壁が鬩ぎ合い、障壁にヒビが入る。

「むぅ……」

 デキウスが苦悶の表情を見せる。

 障壁が砕け散る。が、それと同時に光の玉も力を失い、消え失せる。

「ご、互角……?」

 先輩の誰かがそう呟いた。

 傍目に見ればそうかもしれないが、実際は違う。攻撃と防御が等しい魔力同士でぶつかれば基本的には防御側が有利である。魔力は距離が離れるごとに霧散し、威力が弱まっていくからである。それにも関わらず、先に砕け散ったのはデキウスの障壁である。

 ましてや今回は、アウレリウスが無詠唱であるのに対して、デキウスははっきりと詠唱している。

「挨拶代わりか……」

 デキウスの額に汗が流れている。今の攻防で個人としての力の差を感じ取ったのだろう。

「覚えておくといい」

 デキウスはレスティヌの方を見ることもなく語る。

「魔術は自分のイメージを的確に言葉にすることで威力が増し、魔力の消費量を抑えることができる。逆にイメージと異なることを言葉にすれば、威力が下がるばかりか極端に魔力を消費する。つまり……」

「あの威力は本当に挨拶代わりだった……ということですか?」

 コクリとデキウスは頷く。

「私はアウレリウスから一切目を離すことはできないようだ。私が城門守備隊の動くタイミングを推し測ろう。君がそれを即座に守備隊に伝えるのだ」

「はい」

 城門守備隊は門前に配備した五〇人、五部隊のことである。

 一人の指揮官を中心に複数人の魔力を束ねることにより通常よりも強力な魔術が使用できる。だが、その魔術は難しく、授業に組み込まれるのは六回生以降、十分に指揮するに足るのは一〇回生でも半分にも満たない。

 五〇名からなる防御魔法であればアウレリウスの攻撃であれど元々の門の堅さと相まって十分に防げる公算だった。

 問題は力を集約し、魔術行使までに時間が掛かることと、肝心の守備隊にはアウレリウスの動きが見えないことであった。

 そのための五部隊編成である。先頭と二部隊目までが予め魔力を溜めておき、城壁からの合図と共に魔術を発動し、一度防いだら後ろに回り、ローテーションしていく。魔力を溜めておくだけで部隊は魔力を消費していくが、発動するときに比べたら僅かなものである。反応が遅れれば門が壊されるため、必要経費と割り切るしかなかった。

 それだけにこの城門守備にはタイミングが肝心になる。早すぎればアウレリウスが攻撃を中断し、無駄に魔力を減らすことになり、遅すぎれば防げなくなる。

 無詠唱であの威力を出せるアウレリウスに対してタイミング良く合図を出すのは至難の業だった。


 挨拶が済み、アウレリウスがゆっくりと下がる。一見隙だらけにに見えるが、その背中に攻撃する者はいなかった。先ほどの一撃を見て、城壁上の者は全て萎縮してしまっている。

「私の言葉を皆に伝えなさい」

 そう言って、デキウスはレスティヌに言葉を伝える。その言葉を一言一句間違うことなく、レスティヌは声を張り上げる。

「気圧されるな! アウレリウスはこのデキウス・ロメストと城門守備隊が全て引き受ける! 諸君らは一五〇人の有象無象を相手にすることに集中せよ!」

 有象無象と言われて、アウレリウス軍の異民族たちの顔が引きつる。

「突撃しろ」

 アウレリウスから号令が下り、異民族たちが吠え、城壁に殺到する。

「全軍、叫べ!」

 レスティヌが声を張り上げると、全学生が一丸になって声を上げる。人数も多く、若い面々だ。迫力では一歩劣るものの、その大きさはマスニア本国にも届くほどだった。



 開戦から三〇分、雄叫びから始まった防衛戦は思いの他膠着状態だった。

 アウレリウス軍一五〇は、長梯子の数である六つに分かれ、それぞれ攻城する。

 三、四人が盾と槍を持ち、梯子を登り、残りが矢や槍を持って援護する。矢はともかく、通常投槍で城壁上に有効打を与えられるとは思えなかったが、彼らの投槍は質が違った。

 石造りの城壁に深々と刺さっている槍がいい証拠である。槍だけでなく質量の軽い矢までもが城壁に刺さっている。

 これは異民族が得意とする魔術の一つで、武器に魔力を込めてその威力を増す魔術の力だ。単純に魔力を放出するよりも難しいが、一つのことに集中すればいい分教育しやすく、発動までの時間も短く済む。マスニアの指揮官学校でも四回生から学ぶ技法である。

 梯子を登る兵たちの盾もおそらく魔力が付与されているのだろう。登りくる兵たちに魔術や弓矢、投げ槍が投じられるが、梯子から落とされる者たちは少ない。しかし、その圧力は凄まじく、未だ城壁上に辿り着く兵もいなかった。

 デキウスは城門の真上、一番前に乗り出しながら微動だにしない。

 時折矢がデキウスの傍を掠めるが、一切アウレリウスから目を離すことがなかった。

 対するアウレリウスも最初の号令を発して以来、何も動きがない。ただじっとデキウスの方を見ているだけだ。

 僅かな怪我人を出しつつも、死者のないまま戦は続く。そのとき、アウレリウスに動きがあった。アウレリウスが手を門に向ける。

 デキウスが右手を水平に振るう。

 ――合図だ。

 レスティヌは首から下げた角笛を素早く咥え、力の限り吹く。甲高い音は怒号の響く戦場でも遠くまで響く。

『力よ、在れ!』

 呪文の合唱が城壁まで届く。

 アウレリウス自身は何の声も発さず、その掌から光の玉を出現させる。

 先ほどの挨拶よりも僅かに大きな光球が放たれ、城門に向かう。

 しかし、門に届く寸前で障壁に阻まれ、コンマ数秒障壁と光の球は鬩ぎ合い、そのどちらもが砕け散る。

 レスティヌは拳を握る。五〇人からなる障壁はアウレリウスの一撃を防ぎ得る。

「力よ、在れ。細く、速く、敵を穿て」

 そう喜んでいたのも束の間、デキウスが呪文を唱えていた。

 アウレリウスの攻撃した直後を狙っての攻撃。

 デキウスはそれを狙って、常にアウレリウスを見張りつつ、動かずにいたのだ。

 矢よりも早く、鋭い一閃がアウレリウスに向かう。

 アウレリウスは向かい来る魔法に対して手をかざし、魔術の盾を展開する。

 デキウスと違い、詠唱などする暇はない。

 それを見越して、魔術の防御を貫通しやすい形でデキウスは魔術を行使していた。

 しかし、それでもなおデキウスの魔術はアウレリウスの眼前で勢いを止め、バチバチと火花のような光を弾かせながら消滅した。

 アウレリウスがこちらを見てニヤリと笑った。

「あれでも、防がれるのか……」

 レスティヌは力の差に愕然とする。

 しかし、デキウスを見ると、その表情には一点の曇りもなかった。

「そんなことはわかっていたことだ」

「え? どういうことですか?」

 わかっていて、撃ったのか。その真意がわからず、レスティヌは聞き返す。

「城門守備隊は五部隊配置してあるが、配置の入れ替えの都合上連続しての使用にタイムラグが生じる。あくまでそれを防ぐための一撃だ。勿論仕留められれば何よりではあったがな」

「なるほど……。理解しました。ここまでお互いに動きがなかったのは、高度な牽制をし合っていたのですね。城門の援護をしなかったのも計算の内ということですか……」

 表情を崩さなかったデキウスが笑った気がした。続けなさい、とデキウスが言う。

「無詠唱の一撃ならば城門守備隊で防げる。しかし、アウレリウスが全力の一撃を放ったのなら、おそらく城門守備隊では防ぐことはできない。アウレリウスが全力を出すのなら、ある程度の溜めが必要になる。その動きを見て、アウレリウスの呪文を妨害するか、城門を援護する。無詠唱で隙なく攻撃するならば、防御は守備隊に任せてアウレリウスの隙を突く。アウレリウスもそれがわかっているから、お互いに動くことができなかったというわけですね」

「正解だ」

 デキウスはレスティヌを見ずにそう言った。ずっと視線はアウレリウスに向けたままだ。今この状況でもお互いの牽制は続いているということなのだろう。

「しかし、アウレリウスが本気になれば、この程度の膠着状況など意味はない」

 レスティヌはデキウスの言葉にコクリと頷く。デキウスは更に続ける。

「アウレリウスが本気で城門を攻撃すれば、防ぎきることは難しいだろう。更に、周囲の一五〇人を分散させすぎだ。人数が少ないのなら一点に集中させ、短期決戦にしたほうが効率がいいだろう」

「アウレリウスが手を抜いていると?」

「そうだろうな。あまりこの学校を落とす気はないようだ」

 レスティヌはしまったと思う。アウレリウスはあまり積極的に攻撃をする気はないようだ。もしかしたらアウレリウスが大きな攻撃を仕掛けるのは、先ほどが最後かもしれない。アウレリウスが攻撃をして、デキウスがその隙を突き、それをアウレリウスが防ぐ。その瞬間こそがアウレリウスが最も油断する隙であったはずだが、咄嗟のことでレスティヌが反応できなかった。もう一度先ほどの攻防をしてくれれば次はタイミングを見計らって、アクションを起こそうと思っていたのだが……。

 気を取り直してレスティヌはアウレリウスを見る。機会があればもう躊躇うことのないよう覚悟を決める。

「砂塵だ」

 デキウスは相変わらず視線を全く動かしていないにも関わらず、そう言った。

 吊られて顔を上げると、遠くに砂塵が見える。

「おそらくはマッケイだろう」

 援軍が来た。

 その可能性にレスティヌの顔が綻ぶ。それにしても視線を全く背けもせずに一番に砂塵に気付くとは、驚くばかりだ。

「なんとか時間が稼げましたね」

「さて、時間稼ぎに成功したのは我々か、それともアウレリウスか……」

 レスティヌの言葉にデキウスはそう返した。

「なんにせよ、これは士気の向上になる。全軍に伝えてやれ」

「しかし、あれは本当にマスニアの軍なのですか? アウレリウス軍の残りだという可能性は?」

 砂塵が見えるが、まだその全貌は見えていない。来る方向と時間を考えればマッケイの軍と考えて問題ないだろうが、もしあれが敵軍であれば姿が見えた瞬間に大いに士気を下げることになる。

「問題ない。マッケイの演習場との距離と彼の性格を考えれば妥当な時間だ。それにあの砂塵の量ならば敵とわかった時点で敗北は確定なのだ。一時的なものでも盛り上げなさい」

「はい」

 レスティヌは返事をすると、息を大きく吸い込む。

「援軍が来たぞ! ここを乗り越えればマッケイと我々で挟み撃ちにできる! もう少しの辛抱だ!」

 城壁上で歓声が上がる。

「なんだったら俺たちだけで奴らを倒してやろうぜ!」

「執政官様に俺たちの力を見せつけるいい機会じゃあねえか!」

 それに合わせて敵攻城隊への攻撃も激しくなる。

 敵の被害は死者、重傷者合わせて一〇名ほどだろうか。かれこれ一時間近い戦闘としては少ない方だろう。

 見ればアウレリウスの元に各梯子を指揮していたと思われる者たちが集まっていた。

 当然、こちらの声は向こうにも聞こえていて、援軍が来たことは知れたことだろう。

 学生たちの勢いが急に強まり、逆にアウレリウス軍の士気が下がる。

 遠くを見ると、南から来た軍の先頭の騎馬が平原の中で僅かに高くなった丘に到達し、旗を立てていた。中々の強行軍だったためか、騎馬と歩兵の間隔が少し空いている。

 だが、続々と軍は旗の元に集まり、整列していく。陣の構築の早さはマスニア軍の特徴の一つだ。民族として身体は大きくなく、騎馬の産地も多くはもっていない。それでも、行軍の早さ、陣の構築、野営設置の早さ、土木建築に関してはどの国にも負けない。

 毎年総指揮官を変えつつも連綿と続く歴史の中、戦い続けてきたマニュアルあってこその能力であった。それは、就任して二ヶ月の新米執政官であっても変わらない。

「あの旗にあの動き、間違いなくマスニア軍ですね」

 レスティヌが言うと、デキウスが頷く。

「全軍はいないようだな。相手はアウレリウスがいるとはいえ、一五〇。残りの軍に備えることを考えれば当然のことか」

 デキウスが分析する。相変わらず視線が全く動いていないが、その視界の端ではしっかりと戦場全体を捉えているのだろう。

 レスティヌも言われて気付く。これまでレスティヌは数万に及ぶ全軍を見た経験はない。ぱっと見でその人数を割り出すことはできないし、その全てを数えることはできない。しかし、小規模の人数とその占有している面積から大体割り出すことはできる。

「一万……くらいでしょうか?」

「アウレリウス率いる一五〇に対して執政官が率いる一万。ほぼ三万まるまる残っている軍に対して四万を残すということか。割合的には妥当なところか」

「やはりマッケイ自ら率いているのでしょうか?」

「執政官が伝統的に使用する赤い外套が見える。間違いないだろう」

 言われて目を凝らすと、確かに丘の中央、ひと際目立つ騎馬に乗っている人物が赤い外套を着ているように見えた。

「全軍、時間切れだ!」

 アウレリウスが突如大きな声を上げる。それに呼応してアウレリウス軍が攻撃の手を止める。

「総員、迎撃用意!」

 今まさに梯子を登り、城壁を攻撃しようとしていた兵も舌打ちをし、梯子を飛び降りる。

 アウレリウス軍の兵たちは撤退が不本意なのか、唾を吐き捨て、こちらを睨みつけながら引き上げる。

「て、敵が退くぞ! オォオオオオオオッ!」

 誰かが叫ぶと、それに呼応して城壁上の皆が声を重ねて叫ぶ。

「これは、勝ちでいいんですか?」

 喧噪の中、レスティヌはデキウスに聞く。どうにも攻めは手緩かったし、こちらを本気で攻めるのなら撤退は早すぎるし、ただ撤退するのなら遅すぎる。

「我々は助かった。後はお手並み拝見といったところだな」

 デキウスはどうやらこれこそがアウレリウスの作戦だと思っているようだ。

 次々と森の中に消えていくアウレリウス軍の中、アウレリウスだけが残っている。大将自らが殿ということだろうか。

 最後の一人が通過すると、アウレリウスはこちらを見て笑い、森の中に消える。

「たった一五〇で一万を相手にするのが作戦ですか?」

 森の外に築いた柵は、つまりそういうことなのだろう。それはわかるが、もしそれができるのなら最早アウレリウスが軍を率いている意味がなくなるレベルである。

「当然、アウレリウス個人で全てをこなすわけではないだろう。何かしら罠があるはずだ」

 それが何かはわからないが、と言いながらデキウスは続ける。

「アウレリウスがマッケイを待っていることはわかっていた。私が想定していたのは、電撃的に少数精鋭でこの学園を制圧。マッケイをおびき出し、マッケイの攻撃をこの学園の城壁とアウレリウスの力量で防ぐ。時間を稼いだのちにアウレリウス本隊がファビオを撒き、学園にて合流、アウレリウスと本隊で挟み撃ちにしてマッケイを撃破。……だと思っていたのだがね」

「十分な作戦に聞こえます。ロメスト先生がいたから、学園を諦めたということでしょうか?」

「ファビオを撒くと言っても、どのくらい時間が稼げる? マッケイを仕留めるのに時間が掛かれば逆に挟み撃ちに合うのは、アウレリウスのいないアウレリウス本隊だ」

 なるほど、とレスティヌは納得する。

「さて、私の考えが外れていたのは残念だが、そこからどう超えてくるのか……」

 どこか楽しそうにデキウスは言った。

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平々凡々な異常者レスティヌ @keifun29

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