1-11レスティヌとアウレリウス どきどき初対面
眼下に広がる狭い森。そこから遠くに広がる平原と麦畑。さらに奥には雲が掛かった山が見える。逆側に目を向けると校舎越しに湖が見える。
レスティヌは城壁から見えるこの景色が好きだった。
しかし、今はそんな場合ではない。森と平原の境目、そこに一〇〇人を超える集団が集まっている。旗は二本。さすがに遠目には図柄が細かく見えなかったが、色合いは藍染に真っ赤な糸で刺しゅうされており、話に聞いたものと一致していた。
アウレリウス軍より遠くに目を向けると、風の少ない空に真っ直ぐと白い煙が立ち昇っている。背後でも同じような煙を焚いている。これは敵が来たことを知らせる狼煙だ。既に敵が来たことはマスニアに知れたこととなり、援軍が送られることとなるだろう。
再びアウレリウス軍に目を向けると、すぐに攻めてくる気はないのか、森の外側で柵を設置している。
何故森の外側で、しかも攻め側が柵を設置しているのか疑問だったが、ここで考えても仕方がない。レスティヌは城壁から身を乗り出してそれを眺める上級生に話し掛ける。
「本当にアウレリウスなんですか?」
「おいおい、なんで下級生がここに?」
「まあまあ、下にいても暇なもんで」
「おいおいおい、勝手な行動をしていたら統制が取れないだろう」
「まあまあまあ、先輩方もその指示がなくて、どうすればいいか困っているところでしょう? 情報の伝達係でもやって指示をいただきますよ」
「おいおいおいお――」
「その流れはもういいから」
くだらないやり取りをしていると、別の上級生が歯止めを掛ける。グダグダと引き延ばされそうな会話が途切れたところで再度レスティヌは尋ねる。
「それで、アウレリウス本人が攻めてきたのですか?」
「残念ながら遠すぎて顔が見えないし、顔が見えても本人かどうかはわからない。旗は間違いなくアウレリウス軍のものではあるけど……」
自分にははっきりとは見えない旗だったが、先輩には判別できているらしい。目を細め、アウレリウス軍の様子を観察しながらレスティヌは聞く。
「数は……少ないですね?」
「それなんだよな。伏兵が潜むような場所もないし、少人数で奇襲を掛ける様子もない。着々と準備を進めているようだけど、あれは本当に攻城の準備なのかね?」
「アウレリウスから何か話は?」
「まだだ。森の向こうで作業しているだけだ」
「こちらの準備は?」
「弓矢は各班に配備してあるけど、それだけだな」
そう答える先輩の表情は固い。目の前のアウレリウス軍に対して最前線にいるのだ。更に、本来いるはずべきの教師の姿がどこにもない。訓練どおり先輩たちは配置についているのに、それを指導する教師がマニュアルに反して何の指示も出していないのだ。その不安は計り知れない。突然現れた下級生に対して親切に説明してくれるのも、そうした不安の表れだろう。
「とりあえず校庭の先生に指示を仰ぎますか?」
「ああ、そうしてもらえると……いや、待て。動きがあったぞ」
先輩に促され、森の先を見ると、全ての兵に作業を継続させつつ騎乗した男性が一人門に向かってきた。
城壁上の緊張感がにわかに増す。目の前の先輩も弓に矢を番い、いつでも発射できるように構える。
男性はゆっくりとした足取りで門の前に立つと、馬を降り口を開いた。
「私の名はクワドゥリ・アウレリウス! 諸君らも知っているかとは思うが、マスニアの大敵だ!」
城壁に緊張が走る。学生たちがざわつくが、応答をしようとする者はいない。
「少年らよ、まずは話がしたい! 責任者は誰だ?」
その言葉はレスティヌにとって意外なものだった。奥で長梯子を用意している兵を見る限り攻城を仕掛けるつもりであるのは明白だ。もしここが同盟国のどこかであったのなら交渉から入るのは正当だ。しかし、ここはマスニア本国のしかも学校だ。マスニア本国に対してなんの権限を持つわけでもなく、同盟国と違い降伏もあり得ない。いったい何を話そうというのか?
「返事がないということであれば、直ちに攻め落とすが宜しいか?」
アウレリウスが催促するが、答えられる者はいなかった。実際教師が誰もいないのだ。アウレリウスの声は凛としていて、異国の人間にも関わらず聞き取りやすかったが、さすがに城壁の向こうには聞こえていないだろう。或いは聞こえていても登ってくる気がないのか。
とにかく、今攻められるのはまずい。指揮官不在の状態では、人数で勝っていても敗北は必至だ。下級生という立場上控えていたが、誰も声を上げないのならば自分が話を聞いて少しでも時間を稼ごう。
「私はレスティヌ・マグナ! この学校の学生だ! 責任者をご所望だが、責任者は元老院そのもの! 今この場で全ての決定権を握る者がいないことはご容赦いただきたい! その上で私があなたの話を聞き、その内容をあますことなくお伝えしよう!」
「見たところまだ子供のようだが、君にその大役が務まるか?」
「侮らないでいただきたい! ここにいるのは学生とはいえ、全てが高等な勉学と軍事訓練を受けている! たとえあなたがマスニアの言葉を介さなくとも報告程度ならば問題ないことをお約束しよう!」
「この私を前に実に堂々たる受け答えだ! マスニアの若人たちの実力の高さが窺える! しかし、この重要な局面で数多の年上の面々を差し置いて、君のような少年が率先して受け答えをしている時点で『全て』というのは虚言だな!」
レスティヌは一瞬ながら言葉に詰まる。それこそ教師や上級生が受け答えをすれば良かったのだろうが、教師はこの場にいないし、上級生に目を配れば目を逸らされる始末。すっかりアウレリウスに気圧されている。
「私は上級生に比べ、戦力に劣る! 貴君を警戒するに当たって、少しでも実力のある者が身構え、戦力にならない者が言葉を交わしているに過ぎない!」
「なるほど、物は言いようだな!」
アウレリウスに笑顔が見える。完全に見透かされている。
「ならば言伝を頼もう! 降伏しろ! 返答は一時間待つ! ここを明け渡せば子供たちの命は保証しよう! さもなくば……殺す」
「あい、わかった! 委細漏らさず伝えよう!」
実に簡単な内容だった。しかし、この内容を誰に伝える? 一時間は返答するのに十分だが、この場を取り仕切ることのできる人物がいなければ意見が一致せず、迎え撃つ準備ができないまま攻め込まれる。降伏するにしろ、一戦交えるにしろ、即断でき、結論に文句を言われない人物がいい。
できればデキウスに頼みたかったが、デキウスの立場は奴隷である。下手に指揮を取ればそれこそ教師内で反発が起きる可能性がある。おそらくは主にヒルズが猛反対することだろう。だとすれば、まずヒルズに話を振り、無能ぶりを指摘して、有無を言わせずデキウスに指揮権を与えて……それだけのことをやる時間があるだろうか?
思案する時間も惜しい。とりあえずは下に集まっている先生方のところへと向かわなければいけない。振り返ろうとすると、ポンと肩を叩かれた。
振り返るとデキウス・ロメストが立っていた。
「アウレリウス相手によく話せたものだ」
「ロメスト先生……」
救世主が現れた気分だった。デキウスの顔を見た途端に身体の力が抜けるのを感じた。掌を見ると、じっとりと汗ばんでおり、プルプルと震えが止まらないでいた。周りを見渡すと、先輩方の緊張も少し和らいでいるように見えた。
「フラテス殿から全権を託された。下にいる者たちに指示を与えていたら少し遅くなってしまったが、ここからは私に任せなさい」
フラテスと言えば、元老院所属で学校経営の責任者の一人だ。レスティヌは今日この学校を訪れていたことすら知らなかった。しかし、既に自分の力で指揮権を勝ち取っていたとは、おそらくアウレリウスの接近で誰よりも早く動いていたのだろう。レスティヌはデキウスに対して舌を巻くばかりであった。
「だが、まあ折角だ。もう一仕事頼まれてくれるか?」
「は、はい!」
デキウスの言葉にレスティヌは威勢良く答えた。
☆
デキウスが来ると、城壁の雰囲気は一変した。
中央正門前にデキウス、両翼に教師を一人ずつ配置して指揮を取らせる。教師も皆、デキウスの指示に従った。アウレリウスと対峙できるのはデキウスしかいないというのは共通見解で、しかしマスニア市民でもない人間に任せていいのかという気持ちもあったのだろう。フラテスから全権を受け取ったという話を聞いてからは、実力と大義名分の両方が揃ったのだから逆らう理由は何もなかった。
元の配置では上級生は全て城壁上に配置されていたが、各学年毎に五名ずつ城壁から降ろし、正門前に配置しなおした。城壁下では、七、八回生から各二〇人ずつと九、一〇回生一名、教師一名、更に下級生の中で優秀な者を数人選別し、計五〇名からなる編隊が五つ組まれ、正門前に並べていた。
六回生以下の学生は、弓や槍が得意な男子を中心に城壁上や万が一城門が破られたときの為に門前に配置される。戦力にならない者は予備軍として待機、もしくは投石や矢の補給係として動く。
レスティヌは指示を全体に行き渡らせるための伝令係を担っていた。
アウレリウスに貰った一時間を無駄にしないため、全力を尽くす。同年代では誰にも負けない体力と普段から練習している活舌の良さから伝令係という役割はレスティヌにピッタリと嵌っていた。
「全校生徒、配置につきました!」
城壁上を縦横に走り回っても息を切らすことなく、レスティヌは報告する。
「ご苦労。君は次の仕事があるから、私の傍にいなさい」
「はい!」
今回のレスティヌの役目は戦闘ではない。そのことに不満はあるが、低学年でも平均値程度でしかない魔力量のレスティヌでは、おそらく防衛戦の戦力としてはあまり役に立たない。城壁上から魔法を撃つにしても距離がありすぎて十分な威力を出せないことと、弓、槍を扱うにしても腕力が上級生に比べて圧倒的に劣るからだ。戦力としては、エネアスのほうが圧倒的に頼りになるだろう。
しかし、竹馬の友が皆、城壁内で待機している状況を考えると、このポジションは素直に嬉しかった。なにせデキウス直々の指揮を隣で見て、アウレリウスと一番近いところで対峙できるのだ。
命の危険があるかもしれないが、アウレリウス相手ではどこにいても一緒のことである。ともすればデキウスの近くが城壁の上では一番安全かもしれない。
城壁が慌ただしく動くことで、アウレリウスは既に降伏はないと思っているだろう。しかし、だからと言って答えを急くことはなかった。
「ロメスト先生、その前に城壁上に呼びたい人が一人いるのですが、よろしいでしょうか?」
まだもう少し時間がある。レスティヌは不意に思いつき、デキウスに聞く。
「誰でしょう?」
「同学年に一人、城壁上に配置しても通用しそうな人がいるのです。私の学年は、ほとんど予備軍として城壁下に配置してあります。上級生に混ぜて使うには使いにくいですが、遊ばせておくにも勿体ないと思いまして」
「……好きにしなさい。誰をどう使うのか、楽しみにしているぞ」
デキウスは少し思案した後、そう答えた。その表情には少し笑顔が窺えた。
「はい!」
レスティヌはそう答えると、城壁の下へ走り出した。
再び、デキウスの元に戻ってきた後、レスティヌは城壁からアウレリウス軍を眺める。
アウレリウス軍もまた柵を築き、戦いの準備を進めていた。しかし、柵の向きがどう見ても攻撃の外に置かれており、自らの退路を塞いでいるようにしか見えない。レスティヌは、自身の経験不足だからわからないのだろうかと思い、デキウスに聞く。
「アウレリウスの柵はどうしてあんな位置に?」
「わからん」
デキウスは短く答えた。デキウスでもわからないとなると、経験とか知識とかの問題ではないらしい。
「わからんが、少人数にも関わらず強襲もせず、こちらに返答までの時間を与えているところを見ると、何かしらの時間稼ぎの目的だろうな」
デキウスの回答に、レスティヌは疑問の表情を隠さない。
「時間稼ぎ……? でも、時間を稼ぎたいのはこちらのほうです。マスニアから近い位置にある以上、時間を稼げば都市から援軍が望めます。こちらはそれを待てばアウレリウスを挟み撃ちにできるのです」
「もしかしたらその援軍を待っているのかもしれんな……」
「待っているって……? マスニアにはマッケイの大軍が控えているのですよ? まさかあの一五〇人程度の軍で五万を討つというのですか?」
マスニア軍では、執政官一人に対し、五万の軍が編成される。まず、盟主であるマスニア本国から三万、同盟国から二万が招へいされる。
仮にアウレリウスが一五〇人で五万を討てるというのであれば、この学校など一溜まりもないだろう。
「それほどまでにアウレリウスは強いのか、何か策があるのか……。今は情報が少なすぎる。君は直接防衛には参加しない分、アウレリウスの動向をよく観察し、その意図を考えよ」
「はい!」
この防衛戦でレスティヌにできることは少ない。であれば、デキウスの指揮を、アウレリウスの指揮と作戦と戦力をできる限り吸収することがレスティヌの役目だ。
死ぬ可能性は勿論あるが、今この役目にいる幸運は何物にも代え難いとレスティヌは感じていた。
「時間だ」
デキウスが言い、レスティヌはアウレリウスを見る。アウレリウスが動き出し、その後ろを長梯子や盾、槍を持った歩兵がついてくる。
一五〇人の整列も整わない状況で、単騎アウレリウスが門の前に歩み出る。
「返答は如何に!」
アウレリウスの問いに、レスティヌは前に出る。
「その前に紹介しておこう! これにいるはデキウス・ロメスト! 我らが総指揮官である!」
アウレリウスがほう、と驚きを見せる。
「ロメスト氏は高齢であられるため、ひと際声の大きい私、レスティヌ・マグナが代わりに話をさせていただく! ご無礼を承知いただきたい!」
「承知した! こちらとしても高名なロメスト氏と会えるとは光栄である!」
他国の人間にまで知られているとは、デキウスの偉大さを褒めるべきか、アウレリウスの勤勉さを褒めるべきか。
「回答を求めたものの、そちらの軍容を見れば答えは歴然! デキウス・ロメストと戦い、そして討ち果たせるならば、この学校を手に入れる以上に大きな戦果となるだろう!」
アウレリウスが言う。
デキウスのことは十分に調べているのだろう。しかし、それでなお勝つとアウレリウスは言っている。果たしてアウレリウスは、単体の力としてデキウスよりも強いのだろうか?
「その通りだ! 私たちは貴殿に対して対抗する道を選んだ!」
レスティヌが声高らかに宣言すると、城壁にいる上級生たちの口元が一気に引き締まる。
アウレリウスは微かに笑った気がした。
「全軍! 攻城準備急げ!」
アウレリウスが配下の軍に檄を飛ばす。
「全軍! 防衛準備!」
負けじとレスティヌも声を張り上げる。
眼下ではアウレリウス軍が着々と整列し、攻城の準備を進めていた。
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