1-10指揮官不在の警戒態勢

 ――校庭、正門前にほぼ全学年の生徒が整列する。各学年約一〇〇名。一〇回生、九回生は校庭に並ばず、城壁に配置されている。

 鐘が鳴ってからの行動は定期的に訓練している為、生徒たちは動揺こそすれ、迅速に行動できていた。既に隊列は整っていたのだが、学生たちの雑談は止まない。本来であればこれから教師が状況の説明をし、各生徒を城壁なり、門前なりに配置するのだろうが、指導する教師が一番動揺していた。常在する教師はあくまで各項目を指導するだけで軍事指揮経験のある者は少なく、各身分もそこまで差があるわけではない。相手がただの野盗やごろつきであれば我先にと指揮を執るのであろうが、相手がアウレリウスということであれば、誰も陣頭に立ちたくないのだ。ここで学生の私語を止めようものならば、なし崩し的に全てを押し付けられてしまうだろう。

 結果として、ただ見た目として綺麗に並んでいるだけの混沌とした状況ができあがってしまっている。

「アウレリウスの位置がどこかはわからないが、今攻め込まれたら全員死ぬな……」

 半ば呆れた様子でレスティヌが言った。

「ちょっ、縁起でもない」

 隣に立つラティーナが不安そうな顔でこちらを見る。

「大丈夫だとは思うよ。建物が一つだけの小さな城とはいえ、城壁は大したものだ。攻城戦となれば門の前に着いたところですぐには攻めることはできない。破城槌なり梯子なり準備をしなければ、流石に歩兵の弓、槍だけで突破できるものではないだろう」

「そうよね」

 彼女の表情が少し明るくなる。

「とはいえ、それはアウレリウスが軍で攻めてきた場合だ。彼は神か魔物のように強いと聞く。軍団を率いずに、こちらの体勢が整う前に門を単独で破壊、侵入してしまえば攻城兵器を準備する必要もない」

 またも彼女が不安そうな顔をする。

「しかし、一人でこの学校を制圧するような真似をすれば、流石に彼の魔力も枯渇するだろう。或いは途中で力尽きるかもしれない。そんな危険を冒してまでここを制圧する価値があるとは思えないな」

 彼女の表情が明るくなる。

「だが……」

「って、あんた、私をからかっているでしょう?」

「ばれたか」

 こちらの言うことを真に受けて、ころころ表情を変える彼女が面白く、レスティヌは悪びれもせずに笑った。

「正直な話、どうなるのかなんてわからない。でも、死なずに済む方法はある。この学校は湖畔に位置して、訓練用の船もある。しかもマスニア本国が近く、幸い今年執政官に就任したマッケイがマスニア近くで練兵中だ。学校を死守して時間稼ぎをするだけで挟み撃ちができる。学校に籠って挟み撃ちにするか、いっそ学校を捨てて、アウレリウスをこの学校に閉じ込めるか、指揮する先生の判断次第だが、不安がる必要はない」

 レスティヌの弁舌にラティーナが感心したような目を向ける。

「ありがとう。少し不安が和らいだわ。でも、それだけ不利な条件なら何故アウレリウスはここに攻めてきたのかしら?」

「アウレリウスの狙いまではわからないな」

 レスティヌはそう前置きをしてから、続きを答える。

「ただ、この学校はマスニアに近く、マスニアを攻めるうえでは理想的な拠点になり得る。陸路でも大部隊をすぐさま送り込めるし、湖を使用して水路も使える。学校を占領した後、マスニアを攻め込む算段があるのか、学生を人質に取ってマスニア本国と交渉をするのか、或いは同盟瓦解の為の交渉道具か……」

 マスニア国立学校では、マスニア市民権を持った者以外に同盟国から留学している者も多数いる。それも同盟国の主要指導者の跡取りが大半だ。それは、戦に勝利し、同盟を確固たるものとする為の人質としての意味があり、マスニア式の教育を施すことで、将来その留学生が自分の故郷に戻ったときにマスニアとの同盟をより強固にしてくれることを狙ってのことだ。

「もしかしたら、いくつかの同盟国から『息子を解放してくれたら協力する』とか約束を取り付けているのかもしれないな」

 言葉に出してみて、それは十分にありそうだと思った。

「とりあえず今考えても仕方のないことだ。どちらにせよこちらは学校に籠るしかないのだ。アウレリウスが到着してから話を聞いて判断するしかないだろう」

 話を聞けるかが問題だが、小さく呟き、不安げな同輩たちを眺める。

 ――ガンガンガンガンッ!

 再度鐘がけたたましく鳴る。鐘の三連打は、敵の視認である。距離は関係なく、監視が不審な集団を見つければすぐに鳴らす。最終的に学校に向かっているかどうかは関係ない。これが第一段階の警戒態勢だ。

 先ほどの四連打は、警戒態勢の第二段階といったところだ。

 学校の敷地の周囲には幅五メートルほどの平地が広がり、その外側三〇メートルほどの森が広がる。更にその先にはマスニア市外へと繋がる街道を含めた平原が広がっている。森の木々は背も低く、そこまで広くもないため、かなりの広範囲に敵影を見ることができた。

 明確に基準が定められているわけではないが、第一段階から敵の正体が判別され、目的がこの学校であることが分かった時に使用される。

「アウレリウスが来たぞぉおおおおおっ!」

 城壁で上級生が叫ぶ。

 校庭で並ぶ生徒たちが一斉に不安げに話し出す。混乱はどんどん広がっていくが、それを止める教師はいなかった。それどころか、城壁に上り、アウレリウスの姿を確認しようともしない。おそらく今最も緊張しているのは、城壁の上にいる最上級生たちだろう。指揮官もいないのに、敵の――よりにもよってアウレリウスの矢面に立たされているのだ。彼らが城壁から逃げ出さないのは、まだアウレリウスとの距離があるからだろうか。本来は敵の動きを注視していなければいけないはずだが、上級生の七割は校庭の教師や下級生の動向のほうが気になっているようだった。

「このままでは埒が明かないな」

 皆が好き勝手周りの人たちと話すため、見た目上は綺麗に並んでいたはずの学生の列はバラバラになっていた。

「どうするの?」

 先ほど少しは落ち着いたように見えたラティーナであったが、周りの不安に煽られて一層顔が蒼褪めている。

「ちょっと見てくる」

「は? 見てくるって……?」

「折角ならアウレリウスを見たいじゃあないか!」

 両手をバッと広げ、背中で語るとレスティヌはそのまま城壁へと向かっていった。教師の一部もそれに気づいたが、止めようとする者はいなかった。ラティーナも呼び止めようと一歩踏み出すが、それが限界だった。

「そ、そのポーズはなんなのよ……?」

 伸ばし掛けた手を宙を仰ぎ、精いっぱい出した言葉はこれが限界だった。



「敵襲の報告は聞いていますか?」

 デキウス・ロメストは学内奥にある個室に入るなり、椅子に腰かけた男性に話し掛ける。

 男性の名前はフラテスといい、彼の祖父は学校創設者の一人で、彼自身も現在の学校の顧問をしている。デキウスと同程度の年齢で、禿げ上がった頭頂部を前面に向け、深く俯いている。

 答えなく俯く男性を見て、デキウスは続ける。

「まだ距離はありましたが、旗印からアウレリウスの軍であることは間違いないようですな」

 フラテスは震えた手でコップを持とうとするが、中身を飲むことなく、倒してしまう。零れた水を拭うこともせず、フラテスは尋ねる。

「な、何故アウレリウスがこんなところに……?」

「それは本人に聞かないとわかりませんな」

 再び黙るフラテスに、デキウスはため息を吐き、続ける。

「現在学内にいる元老院所属はあなただけです。あなたが交渉をしなければいけません」

「そんなことはわかっている!」

 ダンッと力強く机を叩く。

「交渉だと……? 一方的にマスニア市民を虐殺してきた相手に何を交渉しろというのだ。どうせマスニアの中核で攻めやすいところを落としにきたに決まっている……」

「行軍速度はゆっくりとしたものです。一方的な虐殺が望みであれば、奇襲でもするところでしょう」

「奇襲だろうとそうでなかろうと、こちらが一方的にやられるに決まっている。こっちは実戦経験のない学生ばかりがたったの一〇〇〇人で、城壁だけで堀もない学校だぞ!」

「そうでもありませんよ。遠目ながら確認しましたが、アウレリウスの軍勢は一五〇が精々です」

「なっ! 本当か?」

 フラテスの表情がにわかに明るくなる。

「それならば……しかし……」

 いまいち考えがまとまらないのか、表情の浮き沈みも激しく、フラテスはまたも黙り込む。

「まあ、この人数で攻め込んでくるということは間違いなくアウレリウス本人が率いているのは間違いないでしょうな」

「そ、そのとおりだ。アウレリウスという男はそれ一人で化け物のような実力を持つという。いくらこちらの数が多くともどうにもならんではないか!」

「それに関しては今考えてもどうにもならないことです。一人ではできないことがあるからこそ一五〇という軍勢を連れているのでしょうし、三万の全軍を囮にしてファビオを撒いているのだとしたら、ここにいるのは明確な目的と必勝の策があるのだとも考えられます」

「だから、その明確な目的とは何だと聞いているのだ!」

「それをアウレリウスに聞くのがあなたの役目です」

「んぐっ……」

 正論を言われてフラテスはまたも黙るしかなかった。頭を抱えてしばし唸ると、フラテスは言った。

「君がやり給え」

「私は奴隷ですよ。この学校の何を決めろというのですか?」

 さして驚いた様子もなく、デキウスは切り返す。

「こんなときのために高い金を払って君を買ったのだ! こんなときに活躍しなくてどうする?」

「私はサルウィス家の所有物であって、あなたやマスニアの所有物ではありません。それに、間違いなく私が買われたのはこんなときのためではありません」

「ま、まあそうだが……。この学内で君が最も優秀だし、経験も豊富だ……。私ではアウレリウスの前に出たところで自分の身を守ることもできん……そ、そうだ! 君の主人の息子、ネルロ・サルウィスがこの学校にいただろう! 主人の息子を守るのは奴隷として当然のことだろう!」

 思いついたような言い訳にデキウスはため息を吐き、答える。

「わかりました。学校を守る方向で私が指揮を執りましょう」

「おお! 本当か! やってくれるか!」

 今度ははっきりとした笑顔になり、顔を上げる。

「守れるとは思いますが、難しい問題には判断を仰ぎますので学内にはいてください」

「わかった。交渉の段階には使いを出してくれ。防衛の全権は君に委ねる」

 さすがに責任者に逃げられると全軍の士気に関わるため、部屋にいるように釘を刺しておき、デキウスは部屋を後にする。

 フラテスも元老院になるほどの男だ。従軍経験も戦の指揮経験も十分にある。とはいえ、ここ数十年の戦では平原での会戦や都市を攻めることはあっても防衛戦は極端に少ない。ましてやマスニアが直接攻められることなど歴史を紐解いてもそうあることではない。相手がアウレリウスともなれば尻込みするのも当然なのかもしれない。

 さすがに奴隷身分に指揮を任せるのはどうかと思うので、形の上だけでも前線に出てほしかったのだが、無駄に口出しされるよりはマシだった。これが正規軍なら問題だったろうが、学生相手に教師が指揮を執るのは自然なことだろう。

 姿が見えた時点で指揮を執っても良かったが、後で文句を言われては、奴隷という身分上守った後で処刑されることも考えられた。許可を得ておく必要があった。

 今現在誰が現場を仕切っているのかはわからないが、タイムロスが心配だ。

 デキウスは急ぎ城壁に向かい歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る