1-9嵐の前の平和

 ――マスニア国立指揮官学校、大食堂。

 早朝ランニングが終了した学生たちが一斉に集まり、パンとスープを受け取り、貪り食う。

「おばちゃん、もっと盛ってよ」

「人数が多いんだから、我慢しな!」

「くっそ」

 食べ盛りのエネアスを始め、多くの学生が不平不満を言うが、受け付けられることは少ない。

「お姉さん、今朝もお美しいですね」

「お、レスティヌ。あんたはまたお世辞から入って!」

 次はレスティヌが給仕を受ける番だった。盛り付ける女性はお世辞だと言いながらも嬉しそうな表情を見せる。

「しかし、この寒いのにまたあんたは汗だくだねぇ」

「あなたに見初められるよう、逞しくなるためですよ」

「バカ言ってんじゃあないよ! まあ、しっかり食べな」

 そう言って、エネアスのときと違い、皿から溢れんばかりにスープを注がれる。それを悔しそうにエネアスは眺めていた。

 給仕をする係はいつも三人ほどいるが、レスティヌが並ぶ列はいつも決まっていた。事前に情報を得て、毎日同じおばちゃんの列に並び、顔を覚えて貰う。そして、毎日お世辞を交えつつ世間話をする。それを三年間ひたすら繰り返しての現在である。運動量の割に量の少ない朝食への対策だった。

「てめぇ、いつも上手くやりやがって……。取り替えろ」

「断る。羨ましければご婦人に気に入られるよう努力し給え」

「あんなババアに歯の浮くようなセリフが言えるかよ!」

「多分、聞こえているぞ……?」

 レスティヌが後ろを指差すので振り向くと、件のおばちゃんがにっこりと微笑みながらこちらを見ていた。

「エネアス、昼飯は覚悟しときな」

 ただでさえ朝食が足りていないのに、気の毒なことだ、レスティヌは思った。

「ぐっ、マジで取り替えろ、レスティヌ! おまえ身体が小さいんだからそんなにいらねえだろ!」

「何を言う。私は君の倍以上走っているのだ。二倍食べるのは当然の権利だ」

「あんたたち、また朝から喧嘩して」

 二人が睨み合っていると、やや呆れながらラティーナがトレーを持って話し掛ける。

「さっさと食べないと授業に遅れるわよ」

「あ、ああ。そうだな」

 ラティーナに言われ、三人はテーブルに着く。

「今回だけだ」

 席に着く際に、パンを一つエネアスの皿の上に載せる。

「おぉ! ありがてえ!」

「まあ、多めに盛ってもらっておいてなんだが、もっと量が食べたいのは確かだ」

 スープを口に運びながらレスティヌもぼやく。去年や一昨年も少なかったが、今よりはマシだった。それもこれもアウレリウスが攻めてきたからに他ならない。全体的に食料供給量が減っており、価格が高騰しているのだ。

「全くだね。エリート校だというのに、みすぼらしい食事を食べるなんて耐えられないね」

 そう言いながら隣に座ってきたのはネルロ・サリウィスだ。

 席の後ろには、短髪で同年代の少年が手提げの籠にパンを大量に持って控えていた。

「どうぞ、ネルロ様」

 少年がパンに干し肉とチーズを挟み、ネルロに差し出す。ネルロはそれを礼も言わずに受け取ると頬張った。

 少年はミーシャという名で、ネルロ付きの奴隷である。

 この国立指揮官学校では、入学金に追加の寄付をすることで、学生は一人まで奴隷を同行することが可能だ。奴隷は授業に参加することはなく、学生が授業に参加している間、学校の掃除や食事の準備、学内にある菜園の管理に当てられる。

 余計な出費ばかり嵩むため、比較的経済的な余裕のない者や次男坊であるレスティヌのような人物を始めとして、奴隷を連れている学生は多くはない。しかし、貴族の子供の中には同年代の奴隷を常に一緒に育てる家庭が多い。幼い子供は奴隷としての価格が安いこと、幼い頃から主人と一緒に育てることで信頼に厚く、従順な下僕を作ることができること等が理由にある。そのため、学校内にも専属の奴隷を連れてきたいという要望が主に有力貴族から多く挙がったのだ。

 

「相変わらずミーシャの焼くパンは旨いな!」

「おい! ボクのだぞ! 勝手に食べるな!」

 レスティヌは勝手に籠のパンを手に取り、それを頬張る。ネルロが文句を言うが、お構いなしだ。

「学校のやつより柔らかくて旨いな」

「うちの小麦を使っているからね。って! だからボクのだぞ!」

 エネアスも負けじとパンを頬張る。

「そうだぞ、エネアス。君には私のパンをあげただろう! それでは食べすぎだ!」

「身体がでかいから腹が減るんだよ! あ、干し肉もくれ」

「勝手に食うな! ミーシャも渡すな!」

 ネルロが必死に止めるが、次々と食事はレスティヌとエネアスの胃の中に消えていく。これは朝の様式美でもあった。

 この大量のパンもレスティヌの策略の一部であった。奴隷であるミーシャは授業を受ける権利はなく、幼い頃に奴隷として売買された為、奴隷になる前も魔法を覚える機会はなかった。一般教養はネルロに仕える者として、就学前にネルロと共に学習していたが、そこまでだった。そのミーシャにレスティヌがネルロには内緒で魔法や勉学を教えていた。奴隷に下手に魔法を教えると反乱を起こす可能性があるため、忌避する主人も多く、コソコソと限られた時間で教えていた。

 その見返りがこの大量のパンというわけだった。

 別にパンを分け与えろという命令を出したわけではない。パンを作っているのはミーシャでもその材料費はネルロの父親の物で、焼き上がったパンはあくまでネルロの物だ。それをミーシャが他の者に分け与えてはミーシャの首が飛ぶ。

 あくまで頼んだのはミーシャがネルロの為に少し多めにパンを焼くことだけだ。そして、ネルロに頼み込んで、一人で食べ切れないパンを分けて貰うという構図だったのだが、いつの間にか強制徴収となり、漁夫の利のようにエネアスまで参加するようになった。

 こうして成長期に欠かせない潤沢な食事を得ているのだが、体格でエネアスに全然追いつけないことが、余計に才能の差を感じてしまう。

「大体、レスティヌはお金だけなら僕の父さんと同じくらい持っているだろう? 自分で用意したらどうなんだい?」

 レスティヌの父親は他国の出身で、マスニアを拠点に各地で商売をしている大商人だ。マスニアの市民権すら持っていない為、家柄としてはネルロに劣るが、動かせる財力はマスニア内でもトップクラスである。

 尤もな発言に、咀嚼するパンを飲み下し、レスティヌは答えた。

「悪いがそれは無理なのだよ。私は長男の君と違い、次男坊だ。父の土地や財産のほとんどは兄の物になることが決まっている。兄は幼い頃から優秀な家庭教師がつき、また父親直々に商売や農場経営に関する指導が行われている。兄に対して巨額の出費をしている為、商売人としてこれ以上不要な出費はしたくないのさ」

 突然のカミングアウトに、一同はどう反応していいのか眉をひそめた。

「ああ、気を遣わないでくれ。確かに父親には放置され気味だが、この学校に入学させてくれたことには感謝している」

「そうよね。この学校に入学させるということは、お父さんもレスティヌに期待しているということよね」

 レスティヌの言葉にラティーナが同調する。

「それは少し違う。入学した経緯は、元老院に多額の寄付をする時に入学金という形をとっただけだ。要は賄賂だな。入学時に父から聞いた言葉は、『期待はしていないが、政治家になって家に有利な法案を通すか、戦争で農地の一つでも奪ってこい』だったかな。まあ、兄に比べればぞんざいに扱われていることは間違いないだろう」

「大した親ね。どうせなら兄弟で協力し合って商売させた方が上手くいきそうなのに」

「それに関しては、相続で揉めることを懸念しているとも考えられる。兄弟で別の道に進ませれば異なった視点で支え合うことは可能だろう」

「そういうものかしら? 扱いを考えると、そこまで考えているようには思えないけど……。やっぱりお兄さんに嫉妬したりはするの?」

「そういう感情がないと言えばウソになる。しかし、嫉妬していると言えば、兄もまた私を羨ましく思っているのではないだろうか?」

「どういうこと?」

「親の期待に応えるというのは、それはそれで重圧なのだろう。兄が学んでいることは全て親が用意し、将来も決められている。それに比べ、親元を離れて何のしがらみもなく暮らしている私を妬んでいる節がある。兄が叱られた後は、よく私に当たっていたものだ。私は父に褒められたことも少ないが、叱られることもないからな」

 語っていて、周囲の神妙な表情に気が付いた。少々コメントに困る内容だったのか、全員が口を閉じてこちらの話を聞いている。黙っている相手に一方的に話すのは得意だが、この重い空気は好きではない。

「しかし、学校に放り出されたのはなにも私が嫌われているからとは決めつけられない。なぜなら、来年度は私の妹も入学する予定だからな」

「へえ、そうなんだ。それは楽しみね」

 新しい話題にラティーナが食いついてくる。彼女の笑顔にレスティヌは胸を撫で下ろす。

「ああ、楽しみだ。妹とは仲が良くてね、彼女も入学を楽しみにしているようだ」

「それは何よりね。今度紹介してよ」

「勿論だとも。妹も今、家に居場所がなく肩身の狭い思いをしているらしいからな。新しい友人ができれば妹も喜ぶだろう」

 ラティーナの明るい声に調子に乗り、レスティヌは余計なことを口走る。

「え? 肩身が狭いって……?」

 あまり話題にはしたくないのだろう、控えめながらもラティーナが質問する。

 対するレスティヌは、一度明るい話題に戻せたものだから自分の失言にも気付かず、そのまま質問に答えてしまう。

「妹は父が地方に出張した際にできた、いわゆる妾の子なんだ。腹違いの妹ということだな。そして、父は頻繁に家を留守にし、兄も家庭教師との勉強で忙しいから時間の大部分を血の繋がらない母親と共に過ごすことになる。母も妹のことを良く思っていないから、居心地が悪いのは仕方がないというものだ」

 ベラベラとしゃべった挙句に、またも場の空気が神妙になっていることに気付く。しまった、と思いレスティヌはなんとか明るい口調のまま話を続ける。

「ま、まあ妾の子供なんて珍しいものではないからな。養子を跡取りに据えるなんてこともよくあることだし、エネアスだってそうだろう?」

「お、おう。俺は本家の甥で、借金が返しきれないのを本家に肩代わりしてもらった代わりに養子に引き取られたんだ。その後で本家に子供が生まれたんで、家を継ぐことにはならないだろうな。肩身の狭さでは負けねえよ?」

 レスティヌの期待通りではあるが、何故か誇らしげにエネアスが答えてくれる。名家が集う学校でも必ずしも幸せな家庭ばかりではない。各家庭の教育方針にも寄るが、本当に恵まれた家庭は独自に優秀な家庭教師を雇うところが多いからだ。

ラティーナがほぼ苦笑いとはいえ、笑顔で応えてくれたため幾分か暗い雰囲気が和らぎ、レスティヌが畳みかける。

「かくいう私も実は父親が違うのではないかという噂があってね。父が私を毛嫌いしている理由もそこにあるのではないかと考えているのだよ」

 またも空気が冷え切ったものになる。ラティーナに至っては、頭を抱えている。

「レスティヌ、あんた……頭良いけどバカだわ」

 ラティーナの辛辣な言葉にエネアスとネルロは大きく頷いた。

「ば、バカとは失敬な!」

「バカでなかったら何なのよ。爽やかな朝食に散々コメントに困る暗い話題や家の汚点をベラベラと並びたてて……」

 ラティーナの言葉にさすがのレスティヌも黙ってしまう。

「ま、まあ、我が家の汚点であっても私の汚点ではないし……そもそもやましいことを隠しているから非難されるのであって、堂々としていれば何も問題ない……はずだ」

「いつもの覇気がないわよ」

 ラティーナは溜息を吐き、続けた。

「あんたって口が達者な割に嘘が吐けそうにないわね」

「そんなことはない。自慢ではないが、私は嘘八百を並べることに長けている。真偽定かではない情報をさも事実のように延々と垂れ流すことが可能だ!」

「それで余計なことを話してボロが出るのが目に浮かぶわ」

 心当たりがありすぎてレスティヌはまたも口を紡ぐ。ラティーナはここぞとばかりに畳みかける。

「自分に秘密を持たないことは悪いことではないけど、他人の情報は話さないことね。あまり口が滑るようだと、あなたに秘密を打ち明ける人はいなくなるわ。特に政治家を目指すのなら、これは重大な欠点だと思うの」

「か、返す言葉もない……」

「めずらしくレスティヌが完全に言い負かされているぞ」

「というより自爆しているだけな気がするけど……」

 二人のやり取りを眺めながら、エネアスとネルロがこそこそと話す。

 普段なら何を言われても屁理屈で返し、自分の非を有耶無耶にするレスティヌだったが、今回の指摘は余程的を射ているらしい。珍しいものを見たとばかりに三人は静観を決め込んでいる。


 ガンッガンッガンッ!


 更にラティーナの説教が続くかと思われた時、大きな鐘の音が平和な日常を打ち砕いた。

「鐘が鳴っている?」

 城壁に設置されている物見櫓、その最上部に設置されている鐘の音だ。普段は朝食時間終了と昼休み、放課後の三回鳴らすのだが、朝食終了には少し早い気がする。

「鐘が三回……敵襲か?」

 ガンッガンッガンッ!

 少し間を置いて、再度鐘が鳴る。

 朝食終了の合図ならば鐘は二回鳴るだけのはずだった。

 食堂が一気にざわつく。敵襲により鐘を鳴らすことは取り決められていることだが、学校が創立されて五〇年間初めての出来事だった。

「敵襲って……どこのどいつが?」

 慌てふためくネルロにレスティヌが言った。

「アウレリウス以外にないだろう。……とにかく正門前に集合だ」

 混沌渦巻く食堂の中、レスティヌは密かに笑っていた。

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