1-8消えたアウレリウス軍
「霧が濃いな。ろくに見えないぞ」
丘の上に立ち、アウレリウス軍が駐屯する村を見渡す。
ファビオの命令により、毎日斥候がアウレリウスを見張っていた。もしアウレリウスが動けばすぐにそれを追うためだ。
「もう少し近づくか?」
「いやぁ、近づいて捕まっちまったら元も子もないだろう」
常に二人一組で見張り、動きがあれば一人が追い、一人が報告という役目だった。見張っている二人の会話には緊張感はほとんどなかった。
既に三ヶ月以上も動きがないのである。毎日見張りをしているものの、まさか今日動くはずがないという気持ちが働いてしまっていた。
戦争状態は既に二年以上続いているが、去年もアウレリウスは冬季休戦時期には動かなかったため、気持ちが緩むのも無理はない。二人はそのまま霧が晴れるのを待った。
「それにしても静か過ぎないか? なんていうか、人の気配がないっていうか……」
「雨上がりの早朝だろう? 火もろくに起こせないし、皆寝てんだろ?」
「いや、薄っすらと見えてきたけど……テントとかもないぞ……。見張りの姿も見えないし……」
「……確かに」
二人は顔を見合わせ、アウレリウスの拠点に近づく決心をした。しかし、それは後の祭りであった。
「諸君、足場の悪い中夜通しの行軍と、僅かばかりの休憩で誠に申し訳なく思う」
屋根もなく、湿った地面の上で毛布に包まった兵たちにアウレリウスは声を掛ける。
「食事に関しては、持ち込んだ分は全て食べて構わない。これからの作戦のため英気を養ってくれ」
夜も更けた後に三〇〇名程度と陣を離れ、夜通し歩いた後に三時間程の休息。昨日の昼間に十分休息は与えたが、それでも疲れはあるだろう。
兵たちの動きは鈍い。その分食事は少し豪華なものを用意しておいた。
既にサラドたちもこちらに向かっているだろう。ファビオたちもサラドの動きに気付いた頃か。
日も昇り、視界が開けてきた。
気の抜けた学生でもさすがにこちらの動きに気付くだろう。
「さあ、食事を摂ったら出発だ! 学生の中には珍しく女性もいるとのことだ。貴族の若い女性だ。君たちだけに許された特権だ。これで奮い立たなければ男ではない!」
眠そうにしていた兵たちの目が一気に覚める。そして、携帯していた干し肉とパンを火で軽く炙り、ガツガツと食べ始めた。
「いいのですか、すぐにばれるような嘘を吐いて?」
初老の老人がこっそりと耳打ちする。
彼の名はガニメウス。アウレリウスの父に片腕として仕えていた人物である。父親の死後も息子であるクワドゥリ・アウレリウスに忠義を尽くし、今回の遠征にも付いてきた。サラドと共に今回の遠征に欠かすことのできない中心人物である。
「問題ない。それよりも体調は大丈夫か?」
「老人に深夜の行軍は少々堪えますな。馬に揺られているだけとはいえ、腰が痛い」
白い髭を揺らしながらハハハと笑う。言葉の割には元気そうで安心する。
父の代から仕えだけあって、既にガニメウスの年齢はこのマスニアの地で六〇を超えてしまった。ひたすら敵地で移動し続ける生活は過酷なものであるにも関わらず、彼は元気そのものだった。
「まだまだあなたには頑張ってもらわなければな。頼りにしているよ」
「まあ、今しばらく老骨に鞭打つとしますか」
再びからからと笑う。本国からの援助も受けられず、異民族に囲まれ、異国の地での長い戦争の中、信じられる仲間との会話は実に安心させられた。
「飯を食べたら出発だ! 旗はきちんと掲げろ! アウレリウスが本丸に堂々到着したと知らしめるように!」
☆
――マスニア軍、ファビオ陣営。
アウレリウス陣営を見張っていた斥候が戻り、報告をすると、ファビオの眉間に深い皺が寄る。
「気付いた時には既にいなかったと……? 何故発見が遅れた?」
「霧のせいで視界が悪く……」
「三万の大軍が動いたのだぞ。物音等には気付かなかったのか?」
「遠目から見張っていたもので。おそらくは昨晩の雨で音がかき消されるのも利用されたかと……」
ファビオはひじ掛けを強く握りしめながらも平静を保ちつつ、問う。
「それで、どちらの方向に移動したのか?」
「は?」
その答えを持っていないように呆気に取られ、斥候は答える。
「き、気付いたときにはもぬけの殻だったため、方向等は……」
「バカ者! 昨夜の雨にぬかるんだ地面だぞ! 村に入れば痕跡くらいあるだろう!」
怒声を浴び、斥候がたじろぎ、傍に控えた補佐官がファビオを宥める。
「まあまあ、あまり怒鳴っても解決しませんぞ。我々は我慢の戦をしておるのですから」
「むぅ」
怒りは収まらないが、補佐官の言うことも尤もだ。
「わ、私は発見が遅れた代わりに一刻も早く報告をと……」
たどたどしくも言い訳をする斥候に、ファビオは一度深呼吸をすると、軽く頭を下げた。
「狡猾なアウレリウスのことだ。村に僅かに兵を残していたかもしれん。迂闊に村に足を踏み入れては、逆に発見が遅れることになったかもしれんな。正しい判断だったかもしれん」
斥候はほっと胸を撫で下ろした。
「ただちに出立の準備をするよう全軍に通達。また、二〇名を馬に乗せ、村での痕跡を探るようすぐに手配しろ」
補佐官は返事をすると慌ただしく部屋から出て行った。
ダンッ!
部下が部屋からいなくなったのを見計らって、声を上げずにひじ掛けを強く叩く。
この作戦を開始したときから後手に回ることはわかっていた。しかし、こうもしてやられると頭に血が昇る。
ギリギリと歯噛みしたが、思考が「どうしてこうなった?」と「どうすればいい?」の二つだけしか浮かばずに前に進まない。歯を食いしばり、呼吸することも忘れていたファビオは、口を開け、息を大きく吸い込み、吐き出した。
幾分か落ち着きを取り戻し、再考する。
一時姿を見失ったとはいえ、三万の大軍である。通る道は限られているし、痕跡も残る。追跡することは容易いはずだ。どこに移動するにしても完全にこちらを撒くことが難しいことくらい彼らもわかっているだろう。
ならば夜逃げするようにこそこそと陣を引き払った理由は? 当然時間稼ぎであろう。
夜の内に出立して、こちらが気付き、追いかけるまでに掛かる時間は五時間くらいか? だとしたら、その稼いだ時間で何をする? 考えられることは、マスニア同盟から離反が出た可能性だ。仮にいずれかの都市国家がアウレリウスを受け入れたのなら、その都市を囲んで、逆に籠の中に封じ込めるだけだ。
同盟離反はアウレリウスの当初の予定だったはずだから、それが一番高い可能性だが、アウレリウスはそれにすぐに飛びつく男だろうか?
「罠か……」
これまでアウレリウスが連戦連勝してきたのは、アウレリウスの個人的な力でも蛮族の能力でもない。アウレリウスの戦術が狡猾なのだ。アウレリウスの力があれば、真っ向からぶつかっても勝つことはできたであろうが、周りの兵士はそうはいかない。彼の兵力は少なく見積もっても半減していたのは確実だろう。陣形、地形、天候等あらゆる手を使ってこちらをせん滅してきた。時にはマスニア側からの会戦を避けつつ、自分の良いように戦ってきたのだ。
ならば、今回も追いかける道中に罠を張っていると考えるのが自然だろう。
霧に紛れて姿を消し、慌てて追いかけ、戦列が間延びしたところで伏兵か。
伏兵がどこに配置されるかまではわからないが、その考えは正しい気がした。対策としては、斥候の数を増やし、隊列を守らせることだろう。
速度は遅くなるがやむを得ない。重要なことはアウレリウスの策に付き合わないことだ。
結論が出れば先ほどまでの焦りは彼方へと消え去っていた。ファビオは椅子から立ち上がり、自ら隊列の指揮を執るべく部屋を出た。
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