20 ふたり

 気が付くと俺は病室に居た。窓に月は見えないが月明りが薄く病室を映す。どうやら元居た病室の様だ。元々入院していたのだから、当たり前といえば当たり前だが、肩には包帯が巻かれ、軽く固定されていた。

 あの施設で気を失ってからどれくらいの時間が経過したのか。確認したかったが枕元のデジタル時計には日付の表示は無く、現時刻が深夜2時過ぎであるという事だけが判った。

 不意に病室のドアが開く。其処には十川先生が立っていた。先生はゆっくりと歩き、ベッドの横の椅子に腰を掛ける。

 「君の意識が戻ったようだったのでね」

 暗くて表情は良く見えない。穏やかな口調だが、少し涙ぐんでいるように聞こえた。

 「意識が戻ったかどうかなんて、どうして判るんです」

 敢えて核心からはズレた質問をする。

 「意識レベルをモニタするくらい容易い事だよ」

 事も無げに先生は言うが、この時間に目覚めた患者の元へ数分で到着できるという事は、近くでずっとモニタを見ながら待機していてくれたという事だ。

 「すみません、ご心配をお掛けしました」

 「君が謝る事は無いよ。それより、肩の傷は元より体調はどうだ。気分が悪いとか、意識が遠いとか、そういった事はないか」

 大分いつもの先生の口調に戻って、俺も安心する。

 「大丈夫です。肩はまだ少し違和感がありますが、出血量の割に痛みはかなり少ないように思います」

 事実、意識を失う程出血していたのに、肩の痛みはほぼ無い。傷が回復してしまう程、俺は長時間眠っていたのだろうか。

 「いや、君が眠っていたのは二日程だよ。本来ならそんな超人的なペースで回復する訳はないのだが、その辺りはカガミ・・・というかハジメか?に礼を言ってやると良い」

 どうやら傷の回復にはカガミ達が一役買ってくれている様だ。

 「あの後、どういう状況だったのでしょう」

 先生はあの場に居なかったのだから、この質問を先生にするのは如何かとも思ったが、今の俺にそれ以上気になる話題も無かった。

 「私も伝聞なので詳細はカガミ達に聞いて欲しいが、端的に言うと、君の予想通り対消滅は起きなかったよ。いや、部分的には起きたというべきか・・・その辺りはまだ不明な点が多くてな。道源先生も答えが出せない様だ」

 そうだ、道源先生はどうなったのだろう。

「安心して良い。命に別状はないよ。ハジメも根は悪人では無かったらしい」

 先生は苦笑しながら言った。どういう意味だろう。

 「ハジメの腕が道源先生の腹部を貫通したのは君も見ていたな。普通なら失血死は避けられない深手の傷だが、先生の出血は傷から考えられないくらい少量だったのだ。それどころか、臓器の損傷も軽度だった。ハジメの恢復力の御蔭だな」

 俺の傷の治りが早かった事とも関係があるのだろうか。

「ハジメは人間離れした身体能力を発揮していただろう?あれは人間が脳のリミッターを解除した様な状態の為に成し得た事なのだが、その際に彼女の血液やら細胞やらは非常に高い活性状態にあって、傷の恢復力も常人のそれとは比べ物にならない程高くなっていたのだ。そしてどうやら、その活性化した血液等々を、道源先生の傷に充てたらしいのだ。其れがハジメの意志だったかは定かで無いが、要はハジメが道源先生の傷の治りを早くした訳だな」

 そんな事が出来る原理はさっぱり解らないが、ハジメの優しさ、なのだろうか。

「俺の傷もその力で?」

「あぁ、そうだ。君の場合はハジメというよりカガミの意志だと思うが、原理は同じだ」

 そうかカガミの御蔭か、と納得しかけたが、ひとつおかしな点がある。確かにハジメの超人的な振る舞いは俺も目撃したが、カガミはあの時、車椅子での移動を強いられる程弱っていた筈だ。カガミにそんな高い細胞の活性だか何だかが在ったとは思えない。

 「それはわたしから説明するよ」

 不意に入口の方から声が聞こえた。顔は見えないが、声で誰なのかは直ぐに判った。

 「カガミ、来てくれたのか」

 うん、と返事をしながらカガミが歩いて来る。同時に先生は椅子から立ち上がった。

 「席を変わろう。私は一ノ瀬君の食事、といっても流動食だが、少しでも経口摂取出来る物を用意してくるよ」

 と言って病室を出た。カガミが入れ替わりで椅子に座る。

 「先ずは、わたしじゃない方が良いかな」

 カガミはそう言うと、一瞬フッと間を空けて、カガミの様子が変わった。見た目には何も変化はないのだが、纏っている空気感というか、雰囲気というか、そういった物がカガミの柔らかい物から少し硬質な物へ変わった気がした。

 「お前は・・・ハジメか」

 そう、此れはハジメの持っている空気だ。

 「驚かないのですね」

 矢張りそうか。驚いていない訳ではないが、記憶を失ってからは色々と在り過ぎて耐性が付いて仕舞った様だ。

 「お前らが俺を驚かせ過ぎたせいで慣れちゃったよ」

 俺は笑いながら言う。

 「怒りもしないのですか。貴方は何処までもお人好しなのですね。あ、いえ、そんな事を言いたい訳ではなくてですね。その・・」

 歯切れ悪く、ハジメが何かを言いかける。

 「あ、あの。すみませんでした」

 ハジメが発したのは謝罪の言葉だった。暴走したハジメしか見ていない俺にとっては、素直すぎる言葉に意表を突かれたが、その口調はカガミと似ていた。其れが何だか微笑ましかった。

 「な、何故笑うのです!私が謝ると可笑しいですか」

 少し照れたようにハジメが言う。意外と表情が豊かな奴だ。

 「いや、可笑しくなんてないさ。そもそも、今回の騒動は俺がお前を目覚めさせた事が切っ掛けだ。その事に後悔は無いし、今もお前の人格が消えなくて良かったと思ってるが、騒ぎについて謝罪するなら俺の方だ」

 ハジメを目覚めさせた時点では其の後自分が記憶を失うなんて思っていなかったし、こんな騒動になるなんて思ってもいなかったが。

 「その口振り・・・記憶が戻ったのですか」

 そう、俺はさっき此の病室で目覚めた時点で、記憶を取り戻していた。とんだショック療法である。

 「まぁな。勿論、記憶喪失中の出来事も覚えてるから、一応俺の中では今回何が起きてたのかは一通り繋がったよ」

 不明な点も多々残っているが、其れは記憶の欠損のせいではなく、単に情報量が足りないのだろう。

 「そうですか。実は其れについても謝ろうと思っていました。貴方が記憶を失ったのは、私のせいなのでしょう」

 ハジメの覚醒が絡んでいるのは間違いないだろう。記憶が戻ったとはいえ、俺は例の施設でハジメの覚醒を試みた後から、病室で目覚めるまでの間の記憶が無い。此れは思い出せないのではなく、恐らく本当に無いのだ。その辺りは斎藤に聞けば裏が取れるだろう。奴が俺を刺した罪で逮捕されていなければ、だが。

 「私とあの娘―カガミの魂が分化する際に発せられたエネルギーに当てられたのではないかとの説明を聞きました。聞いたところで、私には全然解らないのですが」

 自分の事であっても理解は出来ないらしい。まぁ、考えてみれば、俺だって何が如何なって自分の心臓が動いてるのかなんて説明出来ない。

 「もう記憶は戻ったからな。何も問題ないさ」

 申し訳なさそうに俯いているハジメの頭をポンポンと軽く叩く。

 「!・・で、では、もう謝りましたので私はこれでっ」

 言うなり、またフッと雰囲気がカガミの物へ戻る。

 「照れてたな」

 「照れてたね」

 カガミと二人で笑い合う。

 「でも、本当に驚かないんだね。わたしとハジメが同じ身体の中に居るの、不思議じゃない?」

 不思議かと言われれば、人体の神秘を感じずには居られないほど不思議なのだが、まぁそれも俺が無知なだけであって、原理を知れば不思議な事では無いのだろう。本当に不思議な事と不思議に感じる事は別物であり、世間にある不思議は往々にして前者である。

 「現に二重人格とか多重人格って人は居るからな。一人の身体に複数の人格が宿るのは、珍しい事ではあると思うけど、あり得ない事はないんだろうな。入れ替わりが自由に出来てるのは凄いと思うけど」

 多重人格を自在に操れる人が居るのかは知らないが、俺の知る限り、そういう人たちの人格は本人の意図しない場面で急に変化している印象がある。

 「それはね、人格同士が干渉してるんだよ。わたし達はカゲリがハジメを起こした時から完全に別の人格が生まれて、其の後で身体が一つになったんだけど、普通の多重人格の人は、元々一つの人格がストレスなんかで分離して行って、別の人格が出てきちゃうの。だから、その分離が完全じゃないと、人格同士で干渉しちゃうんだね。ルームシェアの相手がゴミ出し当番をサボったら喧嘩になっちゃう、みたいな」

 解るような解らんような例えだ。

 「わたしたちは、その辺りのルール、バッチリだから。月水木土のゴミ出しはわたし、火水金はハジメ、みたいな」

 カガミの負荷が一日多い気がするが、それは今は置いておこう。

 「要は、不必要な干渉をしないように人格間で連携が取れてるって事だな」

 同じコンピュータというハード上で音楽プレーヤーと表計算ソフトという全く別のソフトが機能するように、同じ身体の上に複数の人格は成立するのだろう。ただし、競合するソフトをインストールして仕舞うと、お互いが干渉しエラーが出る、と。

 「わたしの例えより解りやすい・・・」

 カガミが少し悔しそうな表情をする。ゴミ当番の例えが自信作だったのだろう。

 「わたしは・・・」

 カガミの声が真剣なトーンへ変わる。

 「わたしは、わたしかハジメ、どちらかが消えるか二人とも消えるか、その二つの未来しか見えてなかった」

 病院の屋上の一件や、例の施設での「わたしを消して」という発言は、自分が消えることで対消滅を防ぎ、ハジメを生存させるという考えから来た行動であり、そうしなければ対消滅が起きて二人とも消えて仕舞う。カガミの中ではその二通りの未来のいずれかを選ぶ必要が在った。俺も途中まではそうだと思っていた。そして、カガミはハジメに消えて欲しくないと願った。消去法で考えるなら、それは自分が消えるという意味だ。

 「俺が記憶を無くしていなければ、もっと早く対消滅が起きない事を伝えられたんだけどな。すまなかった」

 俺がハジメの覚醒を企てたのは、魂を分ければ対消滅を回避出来ると思ったからだ。だから、記憶を失わなければ魂の分化が成功したことをカガミ、あるいは十川先生や道元先生に伝えれば、今回のような大騒ぎにならなかった。俺の記憶喪失は大きな誤算だった。

 「今思えば、ハジメの覚醒を俺が独断先行したのも悪かったな。カガミや先生達に話しておくべきだった。しかも、当事者のカガミに一度も会わずに勝手に動いちゃったからな。ほんと、申し訳ない」

 何故そんな勝手な行動に出たかというと、正直なところ衝動的に動いて仕舞ったと言わざるを得ない。ひょんな事からハジメとカガミの存在を知り、一人で暴走してしまったのだ。先生達に話を切り出すより先に、施設のメンテナンスの日取りを知ってしまった俺は、数日後に迫る其のメンテナンスのチャンスを逃すまいと強行策に走ったのである。

 「それこそ、カゲリが謝る事なんてないよ。わたし達を思ってくれた気持ち、わたしは嬉しかった。それに、記憶を失ってわたしと会った時も、カゲリはわたしを救ってくれた。ハジメを救ってくれた。わたしには描けなかった未来へ連れてきてくれた。だから」

 そこで一旦言葉が途切れる。


「ありがとう」


 その言葉を聞いて、俺は二人を守れたのだと思った。

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空っぽ未満の少女 シン @shin1987

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