デッドライン

牛田濤馬

 

…あと一歩、踏み出してみれば変わるのに。


…後悔したくないとはいうけれど、変わってしまうのが怖くて。


…これで最期だったから、踏み出す勇気が持てたのかな。



 変わるきっかけはそう、月曜日のことだった。大学で1限目の始まる前、早く来すぎた私はひとり携帯をじっと見ていただけのいつもと同じ朝だった。


「お早う御座います。おひとりですか?」


頭の上から声がした。見上げてみると真っ赤なノートを手に持った 同い年くらいの女の子が目の前にいた。こんな子いただろうかと思いつつも、そうですけど何か用ですかと簡単に返事をした。その子は


「あの、突然なんですけど、私こういうノートをお配りしてて」


と手に持った真っ赤なノートを差し出した。


「そのノートにお願いを書くと六日目に願いが叶うんですよ。」


 そうその子はとびっきりの笑顔で言う。

 ああ、宗教の勧誘か何かだろうか、胡散臭いな。関わらずに無視してようか。そう思っていたら、いつの間にか来ていたらしい友人の青山くんが

「おはよう、赤井さん。この人知り合い?」と声をかけてきてくれた。私が返事をする前に目の前のその女の子が


「私願いが叶うノートをお配りしてるんですよ。」


と同じ説明を繰り返す。青山くんはなぜか興味津々で、「そのノートっておまじない的なの? それとも呪いか何か?」と。だんだん面倒になって来たのでそのノートを貰うことにした。二人して。


「青山くんが話に乗るから断りにくくなったじゃん。」


そう耳打ちして抗議する私に、タダなんだからいいだろう。と言わんばかりの顔である。


「お願いを叶えるのは先着一名様ですよ。」


そう声がしたと思ったら、その子は消えていた。「あれあの子は?」そう青山くんに聞いてもさあ、また別の人に配りに行ったんじゃない?と言う感じである。節操ない子だなあ。そのときはそう思っただけだった。しばらく青山くんと他愛ない話をして、授業が始まったのでぼんやり授業を聞いていた。ちなみに講義科目は「文化人類学」、呪いの掛け方の話であった。


「うーん。疲れたあ。ていうか呪いっぽいノートをもらった日に呪いの授業とか。」休み時間中そんな話を青山くんに振る。


「そういやこのノート、ノートと言いながら14ページしかないな。薄っ。しかも裏面が黒く塗ってあるから裏使えないし。」


ノートをペラペラさせながら青山くんが言う。これじゃあノートに使うにも中途半端だ。


「どうせならお願いとか書いてみる?」


と冗談ぽく言ってみた。が青山くんは


「ええぇ。気味悪いよ。」


一体どの口が言う。ちょっとむすっとした私は


「先着一名様なんでしょ。じゃあ私書くぅ。」


青山くんは何か言いたそうだったが、「あ、講義始まるよ。」と流してしまった。次の講義は「私たちと法」眠くなるやつだ。ふらっと隣を見たら開始10分と経たないうちに青山くんは夢の国への招待状を持って出かけたようだ。


(今の内にノートに書いちゃおうかな。お願い。どうせインチキだろうし。見られたら恥ずかしいし。)


と、別に人に見せるわけでも今朝の女の子の言葉を信じてるわけでもないのに「お願い」を一行綴った。お願いというか、決心をつけたかったと言うか。


(今日こそは)


と思いはするけども隣の健やかな寝顔を見つめてると


(やっぱりまだいいかな。)


となってしまう。ひどく乙女チックだな。


 そうこうしてる間に2限が終わった。当然講義の話は頭に入っていない。今日は2限までしかないのでそれで帰ることにした。帰り道、青山くんが


「そういえばお願い書いたの?」


と聞いて来た。


「教えなーい」そう教えられないのだ。教えられるならお願いじゃないんだから。





---異変が起きたのはその夜だった。


 夜中ふと目が覚めた。時計をみると2時ちょうどだ。草木も眠る丑満時と言ったところか。いつもはこんな中途半端な時間に目が醒めることなんてないんだけどなあと思っていたら


            ごーーーーーーーーーーん


 びっくりして起き上がろうとしても起き上がれない。これがいわゆる金縛りっていうやつ? 霊感のない自分の身に起きたオカルト現象に多少感動を覚えていると、なんだろう、和楽器か何かの音とともに宙に浮いた何かが部屋に入って来た。動けない体勢で、目を凝らして見てみると骸骨の牛に引かれた牛車に髑髏頭の従者が二人。それらは私の足元まで来た。牛車が停まると、ゆっくりとその簾があがって。牛車から降りて来たのは綺麗な着物を着た、髪の長い、………骸骨だった。その人?は私の胸のあたりに来て、


「あと五日」


と呟き、私の胸に手をかざした。その刹那、私の胸からプラズマのようなものがぽうっと浮き出て来て、何個かに別れた。そのうちひとつを着物の骸骨が


「あと五日よ。赤井依子。頂いていくわね」


と私に囁いて来た。骸骨なのに、にやあっとしたその顔がすごく気味が悪かった。


気づくと朝だった。昨日は気味の悪い夢を見た。変なノートをもらったせいだろうか。呪いの授業のせいだろうか。そう思いつつふと机の上を見てみると昨日の赤いノートが広げてあった。そこには


「あと五日」


真っ赤な血で書いたような字で。お願いを書いたページは破り取られていた。


私は一人暮らしだ。戸締りはしてあるし、他に誰かが忍び込んだ形跡もない。夢遊病? とも思ったけどそんなことになったことは一度もない。心底気味が悪くなった。やっぱり呪いのノート? お祓いとか行ったほうがいい?


…気付いたら


ネットで「赤いノート 呪い」と調べまくっていた。当然ヒントはなかった。


 それ以外には何の異変もない。落ち着きを取り戻した私は…気にしないことにした。


(そういうオカルト話ってよくあるし、非科学的なやつとかでしょ。誰かに相談しても何にもならないだろうし)


 心にそう言い訳して、いつも通り大学へ。本当は同じノートを持ってるはずの青山くんに聞くべきなんだろうけど何と無く聞く気になれなかった。だって。


 大学では青山くんはいつも通りだった。何だか不思議な気持ち。


(気にしない。気にしない。)


気になってても行動を起こさないのは私の悪い癖だ。だからこそ、胡散臭いノートにあんなことを書いてしまうのだ。


 



 …火曜の深夜、同じく丑満時、午前2時、昨日と同じ顔ぶれのご来客である。着物の骸骨、勝手に骨姫と呼ぶことにした、は同じように私の胸に手をかざしプラズマ的なものを引き出した。今夜は数を数えた。五つだった。そのうち一つを骨姫は


「あと四日よ。依子」


と今度は心配そうな顔をして私の顔を覗き込んだ。骸骨なのに不思議と表情がわかるものだ。



 翌朝、同じようにノートには


「あと四日」


 ここで私はノートのルールを考えることにした。オカルト的な話は好物だったのでこういう考察はお手の物だ。


(ありがちなのは願いが叶うと同時に願いを書いた人が死ぬっていう悪魔的なものよね。ということはあのプラズマ的なのは私の魂魄?)


 ああ。ここで私は悟った。この願いは私が自分で叶えるやつだ。死ぬ前に。


(もう後がないってわかったら後のことなんて気にしてられないよね。最期だから後先考えずに言っちゃえってことなのかな。)


 そう言いながら隣の青山くんをじいっと見つめる。


(私が言えなかったのは、この関係が変わっちゃうかもっていう、そういうこわさだ。死ぬんだったらそんなの関係ないってことだ。)


(でも後四日あるよね。もう少し考えても)



 そう言い訳をして、水曜日が過ぎて行った。その夜も骨姫は来た。魂(すでにそうだと思ってる)の数は四つから三つになった。心なしか、骨姫の顔は少し呆れて見えた。


「あの人、骨なのに表情豊かよねえ」


 木曜日、金曜日も同じように過ぎて行った。金曜日の夕方、大変なことを思い出した。


「明日土曜じゃん。」


うっかりだ。明日は青山くんに会わない。どうしよう。


 この数日何もしなかったわけではない。パソコンの履歴は消したし、遺書は書いたし、死後すぐ発見されるように月曜に親に来てって色々言い訳を考えて言ったし。妄想ノートとか処分したし、買おうかどうしようか迷ってた漫画全巻揃えたし。でも、肝心なことはしていない。怪しげなノートに書くほどの願いは、自分の心次第で、いつでもできたのに。


 でも。死ぬ前にあのお願いを叶えてしまったら、青山くんはどう思うだろう。

そう考えるとそれで良かったのかもしれない。このまま、いっときの悲しい思い出として、青山くんが私のことを思ってくれればそれでいいっか。どうせ死んでしまうのだし。


 ぐだぐだ言い訳を考えながら、全巻揃えた漫画を読みながら、私は人生最後の日を迎えた。今日の深夜、私の命はあの骨姫に奪われてしまうのだ。


 そんな言い訳を考えてる割に、私は常に携帯を手にしていた。いつでも電話する準備はできてる。そう、ちょっと手が滑ればすぐにでも。


  ブーーーーーーーーーーーーブーーーーーーーーーーーー


 びっくりして携帯を放り投げてしまった。誰から? 


「もしもし。青山だけど。赤井さん?」


「どうしたの?」


「ちょっと授業のノート借りたくて、大学前の公園まで来てくれないかな。」


 神様。最後のチャンスだ。でも、いつまでも私の心はグルグル回っていた。言葉は決められてない。嬉しい気持ちと悲しい気持ちでいっぱいになって、吐きそうになりながら、公園へ。青山くんはベンチにいた。いつもの青山くんだ。


「青山くん。はいノート。でも珍しいね。私にノート借りたいなんて」


ふと、青山くんの顔を見ると、ちょっと緊張してる。


「ありがとう。今日じゃないとダメなんだ」


と青山くんは心を決めたように、息を吸うと


「赤井さん。僕は君のことが」







なんてことだろう。最期の日は最高の日だったのだ。

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