『考えること』を、考えるということ

デカルト曰く、『我考える、故に我あり』
しかし、科学が脳内の神秘を解き明かそうという現代においてさえ
「私が今思考している」という内的体験については、
唯物論的にシナプスが神経伝達物質ないし電気信号を受け渡す、と
考えるべきか、それとも魂だとか精神だとかが存在していて
自己の個としての唯一性を保証しているのか…と、
考えても答えのない問いが続いている。

この小説の形をした思考実験は、
こういった答えのない問いかけに対しての、与太話である。
夢見るアリスは、揺蕩うように眠りながら、
帽子屋やウサギやネムリネズミといった面々と話しながら
果てのない問いを続けていく。

狂ったお茶会は、結論を中々出さない。
当然、明示的に答えが出てくる「問い」ではないので
話が脱線したり、横道に逸れたり、
途中で現実では起きないようなイベントが起きたりもする。

これは、アリスの夢の中の出来事。
夢に意味があるかと問われれば、
では、「意味がある」とはどういうことだろう、と。
それを読みながら考えていくのが、この作品なのだろうと思います。