第2話 東雲宗二郎

 神望町という街には二つの顔がある。

 一つは、何処にでもある、県の片隅にある小さな市区としての町。

 昨今の例にもれず、神望町も少子化の煽りを受けて子供の数が減ってしまっている。

 外を出歩いていても、かつてのように元気に遊び回る子供たちの姿を見ることは珍しくなった。まだまだ開発途中で、良くいえば自然の多い、悪く言えば田舎。そんな特筆すべき点のない場所だった。

 しかし、それは「普通の人にとっては」、と注釈が付く。


 もう一つ、在りえないものが住んでいる町。

 この町にはある噂が、まことしやかに囁かれている。

 曰く、神望町には神がいる。


 神を望む町。そう名付けられ、かくあれかしと望まれたこの街には、真実、存在を忘れられたモノ達が今でもいる。

 つまり、神望町に住んでいる限り、あり得ない存在に出会うことはおかしな事ではない。

 それが理解できる人間にとって、その町は普通ではなかった。


                    ◇


 時刻は朝方、ちょうど東の空から太陽が顔を見せ始める頃である。

 かこん、と鹿威しの音が、道場に響いた。

 その道場は、畳六十枚ほどあり、奥の壁には刀が二振りと、大きな鏡がかけられている。


 そこで、少年、東雲宗二郎は一人黙々と竹刀を振っていた。

 宗二郎は、藍染された紺色の胴着に、同色の袴を身に付けている。いわゆる、武道着である。

 ヒュッ、と竹刀が空気を切る音が響く。


「宗」


 宗二郎に呼びかける、少女の声が一つ。

 だが、宗二郎に聞こえた様子がない。


「……宗二郎」

 再び呼びかけられたが、宗二郎は一心不乱に素振りを続ける。


「えい」

 と言う、掛け声とともに少女の手が宗二郎に振り下ろされた。


「うわっ」

 竹刀を振ることに集中していた宗二郎も、その衝撃で流石に手を止めた。


「どうしたの、琴里?」


 宗二郎は首を傾げて下手人の少女、東雲琴里を見つめる。

 彼女は、宗二郎の双子の妹だった。


 肩口まで伸びた黒髪が揺れて、幼さの残る丸くあどけない顔つきだった。

 宗二郎に似ており、兄妹であることを窺わせる。

 人懐こそうな柔らかな表情で、黒い双眸は母親譲りで面影が有る。

 何時もボンヤリとして、口数の多い方ではないのは誰に似たのか。

 もう一人、大学生の兄がいるが、父親と母親がいなくなってからは、宗二郎達は家族三人で助け合って暮らしていた。


「集中してたからって気が付かないなんて、未熟千万」

「違うよ。気がついてて無視したんだから」

「てい」


 先ほどよりも恨みのこもった衝撃が、宗二郎を襲う。


「ひどいな」

「ひどいのはどっちだ」


 琴里は仕方ないな、と言うふうに首を振った。


「お早う、宗」

「お早う、琴里」


 琴里の言葉に、彼も挨拶を返す。


「……朝の準備が整ってるから、手、洗ってから来てね」

「わかった」

 それだけ告げて、出口へ消えてった琴理に続いて、宗二郎も道場を後にする。


 外へと出ると太陽が東の方に見えて、街を薄っすらと照らし始めていた。

 道場の扉を閉めて、既に姿が見えない妹を追って砂利道を歩く。


 彼の住む生家は、塀に囲まれた純和風な作りになっていた。

 しばらく小道を歩くと、目的の母家が見えてくる。

 二階建て木造建築、家族三人だけの暮らしではいささか広すぎるくらいである。


 古風な作りになっているが、一度建て替えられており、実際に建築されたのは最近だ。

 宗二郎は引き戸の扉を開けて家の中へと入る。

 それから、一度自室に戻って衣服を制服へと着替えた。おろしたてで、皺ひとつ無いパリッとした学生服である。


 洗面台に向かい蛇口を回す。

 冷えた水で顔と手を洗うと、幾分、熱を持った身体が冷まされる。

 流れる水をとめて、タオルで顔を拭きながら宗二郎は鏡を覗く。

 鏡には、黒髪の平均身長より背高な少年の姿が写りこんでいた。やや茶色掛かった黒髪からは水が滴り、パッと見では何処にでもいそうな普通の男子高校生の風貌である。


 宗二郎は東雲家の跡取りである。

 それは彼が普通の人間でないことを意味する。


 東雲家は魔を断つことを生業としてきた鬼切りの家系である。

 魔とは人ならざるもの。

 それは電柱に釣り下がる奇妙に爛れた人間だったり、独りでに動く異形の影だったり、地面を飛び跳ねる魚だったり。或いは神様と呼称される彼ら、或いは妖怪と呼ばれるそれら。

 人外に相対するには、彼らもまた人を超えた力を身につけなければならない。

 だから、東雲宗二郎もまた普通ではなかった。


                    ◇


 あんまり時間をかけても悪いので、彼は妹の待つ居間へと足を運ぶ。

 居間は十畳の空間で背の低いテーブルが一つあり、椅子は無く、そのため畳に直接座ることになる。

 琴里の対面には、兄の秋久の姿もあった。サラリとした髪質の黒髪に涼しげな目元、宗二郎によく似た、彼が育ってあと十年もすればこうなるだろうと予想させる顔立ちの男だった。


「おはようございます、宗君」

「おはようございます、兄上」


 宗二郎は二人に挟まれる面の側に座る。


「済みません、遅くなって」

「気にすることは無いよ。謝るよりも、食事を作ってくれた琴にお礼を言った方がいいんじゃないかな」

「ええ、それもそうですね。ありがとう、琴里」

「べつに、いい」

「そうですね、全員揃ったことですし食事にしましょうか」


 秋久が頷き、兎にも角にもそれぞれ箸を手に取り食事を始めた。


「宗君、ちょっといいかな」

 ややあって朝食が終わり、秋久が宗次郎に声をかける。


 琴里は、兄達の前に緑茶の入った湯呑を置いて自分は食器を片づけるために下がった。

「ありがとう琴ちゃん。君は、きっと良いお嫁さんになりますよ」

「そうかな?」

「勿論です。私が保証します」

「ありがとう……?」


 妹は秋久の言葉に首を傾げて、ささっと流し台の方に行ってしまった。


「はい、兄上。なんでしょうか」

 食器を下げ終わり流し台から戻ってきた宗二郎は再び座りなおして相槌を打つ。


「宗二郎、君ももう今年で十五です。時が経つのは早いものですね、あんなに小さかった宗君がこんなに大きくなって、私は感無量です。父上と母上が生きていたらさぞ喜ばれたことでしょうね」

 と、秋久は前置きをしてから本題に入る。


「さて宗君。四月になって君も今日から高校に入学です。君は良い子に育ちましたが、いささかばかり不安があると言うか。兎に角、お兄ちゃんは心配ですよ」

 兄は、首を振ってからため息を吐き出す。

「兄上は心配性ですね。心配は無用です」

「そうでしょうか?」


 何処か含みのある言葉を漏らして、秋久心配そうな眼差しを宗二郎に向けてくる。


「はい、東京のお菓子。お土産」

 食後の茶菓子を持ってきた琴里が羊羹の切り分けられた皿をそれぞれの前に置きながら口を挟んだ。ちなみに彼女も今日、高校入学だ。だが宗二郎とは違う学校である。


「宗は昔からどこか抜けてるじゃないか、当然の反応だね」

 妹から散々な言われようで、宗二郎は釈然としない面持ちでお茶を啜る。

 そうか、そんな風に思われていたのか……。


「いいですか。宗君ももう高校生なのです。立派な青年です。しかし敢えて苦言を呈するのならば、君はまだまだ子供だという事です。何事も自分一人の力ではどうしようもない事があると、理解しないといけません」

「それは、……もちろん十二分に理解しております」


 朝から説教を聞かされる宗二郎に琴里は気の毒そうな視線を向けてくる。


「宗、あんまりゆっくりしていて大丈夫?」

 と、思い出したように彼女が壁の時計に目をやってから助け船を出すような注意を促す。


「確かに。もう行かなければ」


 宗二郎はその言葉に従い、立ち上がりざま羊羹を口に放ってよく噛まないで飲み込んだ。


「あ……、高い品なのに。もっと味わって」

「美味しかった。流石琴が選んだだけはある。それじゃ、行ってきます」


「待って、宗。いつごろ戻るの?」

「今日は午前で終わるから、たぶん二時には家に戻ってこられると思う」

「じゃあ、そのころにお昼を作って待ってるから。寄り道しないで帰って来てね」


「子供じゃないんだから」

「そうだね、行ってらっしゃい、宗」


 琴里の言葉に軽く頷いて見せる。


「ええ。すみません、兄上。行ってきます」

「仕方ないですね。はい、行ってらっしゃい、宗二郎」


 宗二郎は鞄を持ち、家を出る。

 すっかり昇った日差しは、新しい門出を祝っているかのようにカラリと晴れ晴れしていた。

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