道徳的な殺戮 ~或いはいかにしてパン屋の娘は英雄になったのか~
演者は立ち止まることを許さず。
最後まで踊り続けよ。
狂うことなく正常に。
それが唯一の、道徳ゆえに──
§§
「おいしいパンを焼きましょう、素敵で大切なあなたのために」
シータは〝パン屋の娘〟だった。
機械人形である彼女は、造物主たちの特性のうち、〝パン屋〟と〝看板娘〟という二つのプロキシーを備えていた。
人形たちにとって、すでに滅びた造物主たちのふるまいを繰り返すことは義務である。
だから、シータは来る日も来る日もパンを焼き、来る日も来る日も笑顔を振りまいた。
無論、機械人形はパンを食べはしないのだが。
三軒隣の、骨董品のような自動人形が開店と同時にパンを買いに来れば、笑顔で与えた。
街はずれに常駐する、保安官のプロキシーを持つ自動人形には、ドーナツを笑いながら差し入れした。
はす向かいに住む幼馴染みというプロキシーを持つ精悍な自動人形、大柄なラーマがやってくれば、はにかみながらもパンを手渡した。
父親役の機械人形と、母親役の機械人形とともに、ただパンを焼き続ける日々が、穏やかな日々が長く続いた。
そんなシータに、とあるプロキシーが再配布されたのは、造物主が亡びて二世紀以上過ぎた頃のことだった。
「……〝竜殺し〟?」
首をかしげるよりも早く、シータは光学器官であるアイカメラのピントを絞った。
それでなにが変わるわけでもなく、自らの上に添付された新たなプロキシー〝竜殺し〟のタグは消えなかった。
それでも、〝パン屋〟と〝看板娘〟というタグもまた存在したため、シータは普段と変わらぬ振る舞いをつづけた。
変貌したのはシータではなく、周囲のほうだったと気が付くまで、わずかな時間が必要だった。
普段なら、三軒隣の骨董品のような機械人形が訪ねてくるはずの時間。
代わりにシータの
店から一歩外に出た時、シータは小さな警報が鳴り響くのを聞いた。
壊れていた。
砕けていた。
燃えていた。
引き裂かれていた。
カメラに写るすべてが、噛み千切られて終わっていた。
街並みのほとんどが、そこに住む機械人形たちが。
あるいは、これまで再現されていたプロキシーのすべてが台無しになっていたのだ。
吠えたてているのは、骨董品のオートマタだ。
その頭上には〝暴竜〟という、どこか異常なプロキシーが添付されている。
一体だけではない。
シータが知る限りすべての機械人形が、街を破壊し、お互いを破壊しあっていた。
シータの父親が、パン屋の窯を破壊している。
シータの母親が、かまどから取り出した火を食らい、店を燃やしている。
保安官は銃を乱射し、目につくものすべてを、その鋭利に尖ったマニピュレーターで引き裂いていく。
シータは一時的にフリーズした。
状況の理解に処理能力が追い付かず、行動不能になった。
そんなシータを、炎の中から飛び出してきた大柄なナニかが押し倒す。
「ラーマ」
シータはその名を呼んだが、ラーマは応えなかった。
ただ、いまにも崩壊しそうな表情で、その両のアイカメラから潤滑液を滂沱とこぼし。
変貌したアギトを開いて、シータの首筋へと突き立てる。
ぐしゃりと、たやすくシータの
「このまま破壊されることは、正しいことなの?」
無機質な彼女の問いに、プロキシーだけが反応する。
〝パン屋〟は〝暴竜〟に対して、無力であることが正しかった。
〝看板娘〟は〝暴竜〟に対して、無力であることが正しかった。
シータは目を閉じた。
「だったら、私はここで行動を停止することが、きっと正しいのです」
そっと、シータのマニピュレーターが、自らを貪り食らうラーマの頭部に添えられた。
ゆっくりと、ワイヤーの髪をなでつける手はどこまでも優しく。
〝看板娘〟は〝幼馴染み〟にとって、〝恋する乙女〟というプロキシーに変化していた。
だから、このままでいいと。
機能停止しても構わないと、シータは眼を閉じ──
「──え?」
戸惑いに、呻いた。
自らのマニピュレーターが、勝手に動き始めた。
それは、常時の力を超え、シータに食らいついていたラーマの頭部をジリジリと押し返す。
「違う、そんな、これは正しくない──」
いやいやと首を振る彼女の意思とは無関係に。
次の瞬間、
──ラーマの首は、ねじ切られていた。
「────」
シータの思考回路はフリーズした。
だが、その身体は躍動する。
頭部のなくなったラーマの身体を投げ捨て、保安官へと躍りかかる。
即座に放たれた抜き手が、リアクターをえぐり、破壊する。
保安官が機能を停止する。
跳ぶ。
母親役の機械人形を。
父親役の機械人形を。
シータは次々に、破壊した。
骨董品の機械人形が、おびえて逃げようとしたときも、シータの判断とは別に、その身体は動き。
的確に、リアクターを破壊していた。
明確な意識を取り戻したとき、シータは炎の中にいた。
町はすべて破壊され。
そこにいた〝暴竜〟というプロキシーを持つ機械人形はみな、シータの手で破壊されていた。
「──ああ、あああ、あああああ」
〝竜殺し〟。
そのプロキシーの意味を悟り、シータが両肩を抱いて震えていると。
「シータ」
その名を呼ぶものがあった。
シータの足元に、ラーマの首が転がっていた。
ラーマの首は、火花を切断面から散らしながら、そのゆがんだ精悍な顔にかすかな笑みをたたえ、とぎれとぎれに、こう言った。
「おれ──俺たちのプロキ、シーをただ──正しく終了させてく、くれてててて──あ、あああ」
最後の一言だけは、
「──ありがとう」
おそろしいほど、はっきりと。
「ああ──ラーマ──」
シータの身体が、自動的に動く。
その足がゆっくりと上がり。
ラーマの頭部を、踏みつぶす。
§§
機械人形の造物主に、〝暴竜〟という特性は、本来存在しない。
しかし、〝竜殺し〟という特性は、確かにあった。
それは大規模なバグだった。
発生した〝暴竜〟というバグを鎮静化するために、〝竜殺し〟というプロキシーが、急遽添付されたのである。
シータはそれを、最後までやり遂げた。
シータがあらゆる〝暴竜〟を破壊したとき。
そのプロキシーは〝英雄〟に変貌していた。
バグは、あくまでもバク。
血管であり、過ちであり、正すべきそのそれであった。
ただ、シータは最後まで。
「おいしいパンを焼きましょう、素敵で大切なあなたのために」
パン屋の看板娘というプロキシーを、剥奪されることはなかった。
正しく、正しく。
最後まで、狂うことすらできず、正しく。
シータはプロキシーを、まっとうしたのだ。
不道徳で道徳的な、恋愛と殺戮 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます