応援コメント

この、バカ息子!」への応援コメント

  • よくこれを調べ上げましたね😊

    作者からの返信

    お褒め頂き、ありがとうございます!

    大変心苦しいのですが、ここのお話、史実は最後の3行の内容だけです。あとは全部私の想像、というか妄想です。

    当時の貴族は子どもを自分の手で育てる習慣がなかったので、エステルハージ夫人がどこまで「バカ息子」の心配をしていたか不明です。また、現代は、母性を普遍的な感性として描くと怒られる世の中ですし。

    あるいは、父の伯爵と共に、栄転であると喜んでいた可能性も否定できません……。


    いつも応援、コメント、本当にありがとうございます! とても励みになっております。

  • いよいよフランソワの周囲から、徹底的に人が去っていきますね……

    作者からの返信

    本当に、不思議なくらい、親しかった人が去っていきます。モーリツで終わりじゃないんです。私はそれを、つい最近知って、愕然としました。

    なんでしょうね。彼から生きる気力を奪い取りたかったのでしょうか。もしそうなら、あまりにむごいことです。

    やはり思うのは、彼は、恋人を作っておくべきだった、ということです。恋人なら、いざという時、なにはさておいても、周囲が会わせたのではないでしょうか。世論も、それを後押ししたと思います。もっとも、恋人のその後までは、保証もできませんが。ライヒシュタット公に愛された以上、生涯独身は覚悟すべきでしょう。
    (少し逸脱してしまいました。すみません。今日は本当に暑いでした……)

  • まったく、なりふり構わず追いつめようとしてきますね、あの卑劣な臆病者。
    地獄に堕ちればいいのに。

    ナポリですか。
    まだ、スペイン語でしょうかね......。
    文化的にはモーリツくんに合ってる気もしますけど。

    ……ああ、もう、ほんとに刺してやりたい。刺してから、グリグリしてやりたい。

    作者からの返信

    モーリツは、その後もあまり出世をしなかったとみえて、若い頃のことは、よくわからなくて(やっぱり、放蕩息子?)。1831年5月にウィーンを去って、その後、ナポリからプロケシュに手紙を寄越しているので、ナポリに行ったのだ、としか、わかりませんでした(ドイツ語やフランス語の資料も読めたら、もっとわかるんでしょうね……)。ただ、ライヒシュタット公の周りから、次々と、親しい人がいなくなるんです。評伝の著者は奇妙な偶然と言っていますが、私にはとても、偶然とは思えません。

    そうか! スペイン語! イタリア・ブルボン家は、スペイン・ブルボン家の派生ですものね! 恥ずかしながら、スペイン語までは思い至りませんでした。この時代は、外来王の時代なので、民衆は、土着方言をしゃべっていたようですが、ある程度、身分のある人は、スペイン語を使っていたでしょうね!
    教えてくださって、ありがとうございました! 視野が広がりました。そして、いよいよ、モーリツが心配になってきました。


    いつも本当に、ありがとうございます。
    もうすぐ梅雨も終わります。そしたら、暑い……ですけど、どうか、御身お大事になさって下さい。
    私も、7月22日が過ぎたら、19世紀のウィーンから、体を置き去りにしてきた現代日本に帰ってきたいと思います。留守の間、体が好き勝手に、飲み食い放題していないか、心配です (^_^;)