ある意味、リスク管理の天才の埒外を征った男だったわけですね、ナポレオンは……
作者からの返信
リスク管理に汲々とする日本社会は、メッテルニヒのヨーロッパと似ているのかな、と思うことが、時折あります。ナポレオン戦争に倦み疲れたヨーロッパは、平和を喜びましたが、それでも、ウィーン体制が続いたのは、30年と少し。(実質的な戦争に巻き込まれていくのはまだ先ですが)ついには、オーストリアからヒットラーを生み出したのだと思うと……今の日本が、本当に心配です。
対してナポレオンは、場当たり的で出たとこ勝負な面はありますが、そして、目論見を外すと犠牲もバカでかいのですが、彼のもとでは、フランスは、もっと自由で、お気楽だったのかな、と想像したりします。
だから、ナポレオン再び、という声が、何度も上がるのでしょうね。彼の息子にとっては、本当に迷惑な話(本人はそうでもない?)ですが。
そういえば、メッテルニヒ再び、というのは、聞いたがことがないです……。
いつも本当に、ありがとうございます。なかなか1830年から出られないけど、これは、出たくないからという面も多分にあります……。
古くから、王族は神の末裔であったり、列聖されるような奇跡(所謂、王の治癒の手など)を持っていたりと、人民から尊崇される理由があったものですが、その結果の権力を横から手を伸ばす賤しさが腐らせることもあるのですよね。
王権を自らのマントのように使おうとする人間は、世界中の歴史に登場しますが、厭なものです。唯一絶対の王による独裁よりは、ましですけど。
作者からの返信
平民も平民の末裔である私は、長い間、王族というものを忌避してきました。本や映画なども、なんとなくこうしたものを避け、結果、ファンタジーとは距離をおいてきました。
神の末裔……このお話を書き始めてから、すとんと腑に落ちたというか。権利ではなく、義務を受け継ぐ誇りが、その苦しみと共に、尊いものに思われてきました。特に、市民革命以後は、いっそのこと、平民(ブルジョワ)の方が、楽なのではと思えてなりません。そして、彼らを守るための人柱が、まさにライヒシュタット公だという認識に至りました。
メッテルニヒは、ライン地方の生まれで、ウィーンの出身ではありません。いつのまにか、お言葉にあったような王権のマントを羽織り、しかもそれが、ヨーロッパ全土に広がってしまった辺りが、もう、なぜそれを許した、という感じです。
とはいえ、近年の、特に外交史で、メッテルニヒの評価は上がる一方なので、私も気をつけてお話を作っているつもりです。ですが、妄想パートに入ると、歯止めが効かなくなって困ります。
いつもお付き合い頂いて、ありがとうございます。本来書くつもりのなかった、革命や外交などにも手を染めることができたのも、お読み頂き、応援頂けているからこそです。
本当にありがとうございます!!
人間メッテルニヒに焦点を当てましたね^ ^
良いシーンです^ ^
作者からの返信
ありがとうございます。
皇帝と墓参りに行ったことはあったそうです。突然のことだったので警護も間に合わず、二人きりだったとか。皇帝とメッテルニヒは信頼しあった主従であったと思います。
いつも応援、コメント、本当にありがとうございます。