応援コメント

焦りと不安」への応援コメント

  • ううん、面白かったです^_^

    母が来たのは事実でしょうか?
    マリー・ルイーゼも我が子に関心があった
    でも情熱は不足していたのでしょう

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    マリー・ルイーゼは、ウィーンからパルマへ発ってから、私が数えたところでは全部で7回、息子の元を訪れています。2~3年に1回って感じですかね。相手が幼児では、これは少なすぎると感じます。なお、殿下が麻疹に罹ったという理由で、(自分に感染ると困るので)訪問を取り止めにした年もありました。
    後で述べますが、特に最後の7回目の訪問はひどいものでした……。

    殿下はママが好きでしたので、私は何も言えませんが、この母の冷淡さも、私がこの小説を書こうとした動機のひとつです。

    年末のお忙しい時に、お読みいただいた上に、応援、コメントまで賜り、本当にありがとうございます!

    編集済
  • マリー・ルイーゼ……結局最後まで自分のことで精一杯、フランソワのことをほんとに考えていたのか、疑問に思えてしまいます。

    作者からの返信

    少しデフォルメしていますが、だいたい、こんな感じの人だったと思います。彼女は、趣味に生きる人でした。音楽も絵画も玄人はだしでした。また、作中にあるオペラ劇場建造の他、音楽家のヴェルディにミラノへの奨学金を与えるなど、芸術へも、大きな寄与をしました。

    ナポレオンとの結婚生活中も、そして、パルマ女公となってからも、しっかりとした芯の強さを見せつける場面が、多々ありました。決して、弱いだけの女性ではなかったことは、認めてもいいです。

    ですが、ライヒシュタット公に対しては、どうだったのでしょう。そもそも、5歳になったばかりの息子を一人残して、ご褒美に与えられた赴任地へ行ってしまうなんて。そして、次の年には、もう、異父妹を産んでるし。

    ただ、ナポレオンへの不貞を知ってからも、ライヒシュタット公が、母を慕い続けたのは、不思議です。切り捨てることさえ、できた筈なのに。悪い女に騙される素養が、大きいということなのでしょうか。この、母への思慕が何に由来するのか、私にはどうしても、わかりません。

  • 愛情と思慮から阻まれるのなら、まだ理解できる。
    けれど、敵意や偏見で阻まれるのは、到底、受け入れられない。

    この世に生まれる契機を作っておきながら、育っていくのを阻害した上に、健康を損なわせて命の危険まで招くなんて。

    読み進めながら、歯噛みする思いです。

    作者からの返信

    ありがとうございます、フランソワに思いを寄せて下さって。

    マルファッティ医師の診断には、ヤブ医者を超えた悪意を感じます。そして、メッテルニヒは……ライヒシュタット公に、転地療養さえも認めなかった一点においても、到底、許せるものではありません。当時のウィーン市民も同感だったようで、1848年のメッテルニヒ失脚の折には、逃げていく馬車に向かって、「ライヒシュタット公殺し!」という声が上がったそうです。

    この世に生まれる契機を作っておきながら……本当に、その通りです。人間の心や感情を、この人は、どうして、理知や政治に還元できるのだろう、と、本当に不思議です。恋愛経験の多かった人とは、とても思えません。

    本当は、外国の有能な宰相を、ここまで悪役に仕立てることへの、恐れのようなものがありました。子孫もいらっしゃいますし。でも私は、誰かを黒幕にしなければ耐えられなかったのです。運命というだけでは、あまりにも残酷で。

    いつも、本当にありがとうございます。時折、歴史描写が手に負えず、説明調になってしまい、申し訳ないです……。