カプテイ
大学の講義は、相変わらずなんの役にも立ちそうになかった。超ひも理論とか、ファンデルワールス力なんて理解できたところで普段の生活には何にも生かされたりはしない。
チャイムの音と同時に講堂を出て、下宿へ帰る。
目覚ましの音と同時に下宿を出て、学校へ行く。
毎日この繰り返しだ。この無駄な往復をあと3年繰り返して、学んだことを活かすことなどきっと無い所へ就職して、子供を授かり、歳をとる。
安定した、普通の人生。アベレージをなぞって生きる私のアベレージな人生設計。普通の人が送る、普通の人生。
私の人生に、すごいことなんてない。ただ当たり前のことしか起こらないのだ。
普通の1日を終えて帰ろうとしたある日、飯山くんが話しかけて来た。先日人数合わせで参加した合コンで、少し話したことのある人だ。
「ハルコちゃん今帰り?ちょうどよかった。一緒にお茶でも飲みに行かない?いいお店見つけたんだ」
紅茶が美味しいお店なんだけど。前に紅茶好きって言ってたし、どうかな。
「まあ、いいですけど」
獣医学部の彼とは、学部が違うこともあってほとんど話したことは無かったが、私を誘うほど暇な人はどんな喫茶店に行くのか興味があった。
飯山くんはどんなお茶を飲むのか。飯山くんが思う「イイ店」とは何か。時間は余るほどある。多少無駄にしたとしても問題ないだろう。
飯山くんの隣をぼんやりと歩く。街の端っこにある巨大な工場は、今日も定刻通りに煙を吐き出す。何を作っているか誰も知らない。誰が働いているかもわからない。その工場は街のシンボルであり、最大の謎である。
「あの工場って何作ってるんだろうね」
何度口にしたかわからない言葉を吐く。共通の話題が無い相手に振るにはちょうどいい話題だ。
「さあね、誰もあそこに入った事ないし、何もあそこから出てこないもんな。神のみぞ知るって感じだ」
「だよね」
街を両断する川に架かる橋を渡って、だんだん人の少ない方へ歩いて行く。神社がある方だ。
「この辺なんだけどなあ」
飯山くんは、川沿いの道をうろうろしながら歩く。
「ごめんね。この辺りに来てると思ったんだけど、やっぱ今日は来てないみたいだ」
「来てないって何が?」
あっ。と声を上げて飯山くんが指をさす。
示された先には、ラーメンの屋台があった。
「よかった。ここまで連れてきて、ありませんでしたなんて、悪いもんな」
私達は紅茶を飲みにきたはずだが。
「私、麺類苦手なんです」
「まあまあ、行けばわかるよ」
飯山くんに引っ張られて屋台まで来てしまった。
ここまで来たのだ。紅茶だろうがラーメンの汁だろうが飲んでやろうじゃないか。腹をくくると、屋台の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
屋台の主人は、思ったよりも若い男。翡翠色の瞳に、3月にしては少し薄着過ぎる服装。
「ご注文は」
「紅茶2杯で」
はいよ。と電気ケトルから湯飲みに注がれて、無造作に提供されるお茶。
「この屋台さ、こんな人通りの少ない所で開いてるし、ラーメンもまずいけど、このお茶だけはすごく美味しかったんだよね」
「お客さん、まずいとか言わないでよ。これでも必死に作ってんだからさ」
「ああ、すみません。でもラーメンに生クリームは流石に……」
「そっかあ……合うと思ったんだけどな……」
店主と飯山くんの会話をよそに、湯飲みに手をつける。削りたての檜のような香りに、ローズヒップのような酸味。こんなお茶今まで飲んだことがない。
「あの!このお茶はなんていう種類のものですか?こんなお茶初めて飲みました」
「甘い香りと酸っぱい味が不思議だよね」
店主は、私たちの声など全く聞こえていない様子で私の湯飲みを凝視している。
つられて自分の湯飲みの中を覗くと、お茶の色が変わっていた。
赤みがかった紅茶色から、酸化銅の水溶液のような鮮やかな水色へと。
「見つけた。俺の目的のために、君には協力してもらうぞ」
私のアベレージな生活が終わる予感がする。
翡翠の瞳は、私を捉えて離さない。
気まぐれ金魚の玉手箱 ゆずりは わかば @rglaylove
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