江戸会談②
「どげん意味じゃろうか?坂本どん」
西郷吉之助はギロリと俺を睨みつける。その眼光があまりにも鋭く、思わず叫び声を上げてしまいそうなところをぐっとこらえた。
そして一つ呼吸を整えた後、言葉を選びながら答えた。
「そもそも松平容保公は幕府の命に従って公務を忠実にこなされていただけのこと。確かに人心離れ、藩士は声高に『薩長憎し』と吼えておる。だが、それも明治政府の会津に対する態度が強硬だからではないだろうか」
「ほう……。坂本どんはおいたちに非があっち言おごたっとか?」
「そこまでは言ってない! 相手の言い分や立場も考えず、己の主義主張だけで一方的に物事を決めるというのは、強引すぎるのではないか、と言っているだけだ!」
「はははっ! 坂本どんはちょっと見らんうちに、じぶんと人が変わったね」
西郷吉之助が大声で笑い飛ばす。
彼の調子に合わせるように、俺はかすかに口角を上げて問いかけた。
「ほう。西郷さんは俺のどこが変わったとお思いなのでしょう?」
「はははっ! 坂本どんは以前こうゆちょったぞ。『慎重は下僚の美徳。大胆は大将の美徳なり』とな。今の坂本どんは下僚かね!?」
この言葉を聞いて、俺の中で何かが弾け飛んだ。途端に胸の中が燃え盛ってきた。
――そうか……。やっぱりそうだったのだ。俺の思った通りの男だ。『坂本龍馬』という男は……。
そう強い確信を得た俺は、西郷吉之助に負けないくらいに大きな声で笑った。
「あははははっ! こいつは愉快だ! あはははっ!」
「なにがそげんおかしかど?」
眉をひそめる西郷吉之助に、俺は膝を進めて顔を近付けた。
口元がへの字に変わる彼の前で、俺はなおも大きな口を開けて続けたのだった。
「慎重過ぎるは臆病。臆病者はすぐに武力で物を言わそうとするっちゅうことだ! ならば臆病なのは、どこのどいつかね!? 西郷さん!」
「なんじゃと!?」
さっと顔色が変わったのは西郷吉之助だけではない。
隣の大村益次郎、書記役の小姓、さらには松平容保までもが血の気の失せた顔を俺に向けている。
俺は彼らの様子など気にもとめずに続けた。
「俺に言わせれば、新政府も会津も、仙台も米沢も、みんな臆病者の集まりじゃ! 肝が小さいから拳に物言わすしかないのだろ!? 違うか!?」
「おのれ! 無礼者!!」
書記役の小姓が腰の刀に手をあてて部屋の隅から踊り出る。
だがそれを西郷吉之助が一喝した。
「やめぇぇい!! いたらん騒ぎを起こすでなか!!」
ずんと腹に響く衝撃波のような声に、大村益次郎でさえも床に手をついている。
だが、大声を上げたのは、西郷吉之助の気持ちが、追い詰められた獅子のように揺れている証だ。
俺は彼の威圧に負けじとさらに顔を彼に近付けた。
「西郷さんは『今は新しい世となりました』と言った。ならば争いの収め方も『新しい』ものにしないといかんのではありませんか?」
「争いの収め方も新しいものに……?」
「ええ、その通り! もっと大胆に! 勇気を持って進めにゃあかんぜよ!!」
目を丸くして出すべき言葉を失っている西郷吉之助に代わって、大村益次郎が問いかけてくる。
「そこまで言うなら、坂本さんには何かお考えがおありなんでしょうな?」
ちらりと大村益次郎に視線を向けた後、姿勢を正した。
西郷吉之助、大村益次郎、松平容保の三人が等しく視界に入る場所へと腰を移す。
未来にいた頃には、手の届くはずもない英雄たちばかりであり、緊張で胸がはちきれそうだ。
ただ、勝海舟との初対面の際、宙に浮くほど舞い上がってしまったのを思えば、ずいぶんと落ち着いているのも確かだ。今の俺は「箱館を守る」という強い使命に燃えているからだろうか。
一度目をつむって深呼吸をする。
――どうせ一度しかねえ人生なんだ。もっと大胆に生きてみやがれってんだ。
勝海舟にかけられた言葉が頭に浮かぶと、ひとりでに顔がほころんだ。
そして静かに目を開けたところで、俺は高らかに告げたのだった――
「すべて『銭』で解決する! 新しい世は『銃』ではなく『銭』で戦うぜよ!!」
と――
………
……
――明治政府の不安は『今の会津藩の体制』、藩士の不安は『将来の食いぶち』、百姓の不安は『今の食いぶち』だ。ならばそれら全てを『銭』で解決すればよいのではないか?
こう切り出した俺は、三つの案を続けて打ち出した。
――一つ。松平容保は東北列藩を混乱に陥れた罪を問い、全財産没収のうえ、江戸にて謹慎とする。ただし謹慎中の生活費は新政府が支給する。これで新政府の不安は、取り除ける。
――一つ。会津藩士は全ての武装を解くこと。城内の宝物品、武器、弾薬は全て新政府が適正な価格で買い取り、松平容保公の財産と合わせて、生じた銭は藩士たちに分け与える。それを支度金とし、会津の地で役人として新政府のもとで働くか、新天地に生活の場を求めるかは自由とする。これで藩士の不安は、取り除ける。
――最後に。百姓たちには『救民債(きゅうみんさい)』なる無担保、無利子の貸付および物資の配布を行う。このまま戦争を続けていれば、いずれは消費せねばならん銭だ。それに単にばらまくのではなく、貸付とすることで、他国の百姓に不満を抱かせぬようにする。また、余計な娯楽に使わせぬように、一部は物資や食糧に変えて配布する。これで百姓の不安は、取り除ける。
後に『会津仕置き三策』と呼ばれる俺の建策に、松平容保だけは若干不満げだが、残りの二人は何度も首を縦に振って感心した面持ちを浮かべていた。
「ばらまき」と揶揄されてもおかしくない政策だが、差し迫った戦争の危機を回避する上では、これしかないと俺は考えていた。
なぜなら「ばらまき政策」で民衆の支持を得るやり方は、未来では政権交代が可能なくらいに即効性のあるものであることを俺は知っているからだ。
けっきょくのところ、みな衣食住の確保ができるか……すなわち家族が安心して生きていけるか、が何よりも重要なのだ。
そこに幕府への忠義や、当主への恩義という極めて抽象的な情熱など存在しない。
もしそれがあるとすれば、この先体制がどうなろうとも生き抜いていけると信じ込んでいるよほどな自信家か大富豪のどちらかだろう。
つまり『今と近未来に対する安心と安全の確約』は、不満を抱える者たちにとっては、乾いた大地を潤す水となる。
その水があるからこそ、新たな芽が生まれ、それが木々となって痩せた大地へ還元するものというものだ。
ただし、単に与えただけでは民は堕落していくのも、未来の政治を見れば一目瞭然なのだが、今はそれを口にすまい。
「排除するのではなく、むしろ与える……。これが坂本龍馬のやり方っちゅうもんだ!!」
立ち上がって大きな声で宣言すると、ぽかんと口を開けていた西郷吉之助がようやく口を開いた。
「こんたたまがった。さすがは坂本どんだ」
だがそこに今一つ納得のいかない様子の大村益次郎が口を挟んだ。
「財源はいかがお考えなのでしょう? まるで会津一国をまるまる買い取ってしまいかねないほどの銭など、明治政府は持ち合わせておりませぬ」
――きたぁぁぁぁぁ!!
俺は心の中で狂喜乱舞した。
なぜならこの言葉こそ、俺の待ち望んでいたものだからだ。
俺はニタリと口角を上げると、低い声で言った。
「銭のことなら、密林商会にお任せあれ! さあ、ビジネスの話を始めるぜよ!」
と――
………
……
数刻後――
『江戸会談』は、『松平容保が江戸で謹慎するのと引き換えに、新政府は会津を直接統治し、藩士および民への生活支援に乗り出す』という結論を得て終結した。
その際に必要な銭は概算で五十万両。それらは全て太政官札(だじょうかんさつ)、つまり明治政府の発行した紙幣で密林商会が金品や物資と交換するとしたのだ。
明治政府はこれより五日前の五月一五日から『太政官札』という紙幣を発行し始めている。
紙幣に慣れていない日本経済において、その価値は額面よりもかなり低く、百両で四十両分であったとされている。
そこで俺は『百両の太政官札を五十両で買い取る』とした上で、五十万両を密林商会から拠出、つまり百万両分の太政官札を手に入れることにした。
それをもって次に各藩の借金……すなわち藩札を入手する手はずを、既に岩崎弥太郎に準備させている。
この『藩札』は戊辰戦争中、暴落しているのは言うまでもない。
なぜなら江戸幕府存続ありきで、藩主から発行された借金なのだから……。
密林商会は藩札を一千万両入手することを目標に掲げている。
だがそれはもしかしたら百万両ほどの太政官札と交換できてしまうかもしれない。
無論そこで終わりではない。俺は、さらにその先の未来を知っている。
つまり新政府の金融政策によって、『藩札1両あたり、1円として新貨幣に交換』できるようになるのだ。
『一千万両』の藩札は、『一千万円』に変えられる。
一両あたりの価値が、俺のいた未来では十万円程度とされているので、一千万円はおよそ一兆円となる計算だ。もちろん一度に全ての藩札を換金できる訳ではない。さらに言えば、その後、円は大暴落し、最終的には一円は未来で二万円程度まで落ち込む。
だがそれでも潤沢な資金を利用して通販事業に本腰を入れれば……。
――日本の密林商会は、世界の密林商会になるのも夢ではない!
つまり『江戸会談』は、会津と新政府にとっては戦争終結に向けた取り決めであったが、密林商会にしてみれば、企業として世界に飛躍するきっかけとなりえるものだった。
転生龍馬の生存戦争 ~暗殺を回避した坂本龍馬は、『巨大通販会社』を設立して、新政府に立ち向かうことにした~ 友理 潤 @jichiro16
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