子犬のようにかわいらしい彼女であった
巡ルコト一平
第1話
高橋はいつも暇であった。この世のどこかで誰かが良い行いをしていたり、悪い事をしていたり、だが、それが自分と関係しているようには思えなかった。
世界は暇で退屈でつまらない。アリがバラバラと隊列を組んで目的を持って、でも、自分とは全く関係のない方向へ、歩いているようにしか見えなかった。
「おい、後輩くん、僕カフェオレ飲みたいなあ」
エアライフル部の部室のパイプイスに腰掛けて、高橋はライフルを撃つ前の日課の爪を切りながら、後輩へ声を掛けた。
後輩は少し戸惑った顔をすると、
「カフェオレっすか、コンビニまで行かせなくても部室出たとこの自販機にジュースならいくらでも売ってるのに……」
高橋は机の引き出しからエアガンを取り出して後輩に無言で突きつけた。丸い円筒が無言でじっと後輩の顔を覗く。
「……先輩行ってきやーす!」
後輩は媚びた声で勢いよく部室を飛びだしていった。部室を出る間際に、小声で「クソが」と聞こえたので、扉の角に一発威嚇の意味をこめて撃った。自転車の車輪が勢いよく回る音が聞こえる。
「ふうー、よし、後輩が買ってくるまでに練習するかー、いや、その前に……」
高橋はイスから立ち上がり、整備したてのライフルをかついで、なぜか練習場とは全然関係ない虚空へ向かって銃を構えた。望遠レンズを通してはるか遠くには金網に付いてる鳩がいた。
無言で高橋は鳩に向けて銃口で狙いを定めた。
彼が世界を肯定できる瞬間であった。
エアライフルで獲物を狙っている時だけは、高橋は静かな心持ちでスコープを覗くことができた。丸いレンズを覗いて見える世界には、獲物の鳩とそれを覗く自分しかいない。狙うものと狙われるもの。無抵抗の相手を一方的に冷静に狙うのは楽しい。鳩はこれから、自分に起こる一切をしらずに平和ぼけしたように止まっている。
また、同時に引き金に指を絡めた瞬間、彼は心の奥底の脆い部分を直に感じることができた。
現状のまま、でいたいという弱み。失敗したらどうしようか。引き金を弾いた瞬間、彼は撃った結果を手に入れる。それはつまり、彼は現状、引き金を弾く前の自分という安定した状態を手放す事でもあった。
標準と指の感覚が一致した時に、彼は引き金を弾いた。
鳩は撃たれて、地面に叩きつけられた。二三度、阿呆のように翼をはためかせたかと思うと、ダルマのように横に倒れた。
鳩は平和の象徴であったか。高橋は笑みがでずにはいられなかった。
高橋は部室に戻り、休憩をした。汗が出ている。
「あいつ、遅いなあ、つうか、カフェオレより冷たいコーラが飲みたくなってきたなあ、いいや、自分で買ってこよう」
高橋は部室から出て、部室近くの自販機でコーラを買おうとした。しかし、高橋の前に
自動販売機の前で一人立ちすくんだまま、息を吸ったり、吐いたりして呼吸を整えている少女がいることに高橋は気がついた。名前は分からない。可愛い女子は生徒名簿のリストにチェックをしているため、恐らく、チェック外の女子だろう。
「自販機が壊れているの?」
高橋は、他の女子にそうするようにいつものように優しい声音で話かけた。困っている人を助けることは、その後の関係性を自分にとって都合の良い関係を維持するために必要である。
「ち、違います、話かけないでください! 集中力が乱れます!」
制服のリボンの色から高校一年生で後輩であることが分かった。彼女は、手で待ってのポーズを取ると、また、一呼吸置いて、じっと自動販売機を見ている。横顔で彼女を見ると、鼻の低い上に化粧気のない太い眉が覗き、お世辞にも美少女とは言えない。だが、声を掛けた手前、このまま立ち去るのも少し面白くない。高橋はもう一度声を掛けた。
「飲まないの?」
「今、私は自分と闘っているのです、黙っていて下さい」
そういう、彼女は汗もしたたり落ちていて、息も少し乱れている。確かに何かと闘っていると言われればそう見えなくもない。ダイエットか。しかし、飲み物を我慢する道理もない。高橋は眉をつり上げたが、笑みをして。
「もしかして、お金がないの? 僕、丁度飲み物を買うところだったから、一緒に買ってあげるよ、何がいい?」
「施しは要りません! それにお金は持っています!」
困ったものだ。そこまで言われては、何もできることがない。高橋は興味が無くなったオモチャを前にしたような瞳で、
「あ、そう、じゃあ、悪いけど、先に僕飲み物買っていいかな、喉が渇いてて」
「これは失礼しました! どうぞ」
ぴょこんと自販機から退くと、お先にどうぞと手を差し出した。
高橋は、いまいちペースを乱される思いに頭を掻きながら一礼して自販機の前に踏み出すとコーラのボタンを押した。がごんと音を立てて出てきたコーラ缶を手にとって、プルタブを開けて、一口飲む。炭酸のスカッとした刺激と甘くて香料の効いたジュースの味が高橋の舌と体中を満たした。
「ぷはー上手いねえ、やっぱコーラは最高だなあ」
「コーラ……」
高橋が声のする方を横目で見ると、先ほどの少女は喉を鳴らして、高橋が持っているコーラ缶を食い入るようにじっと見ている。高橋は、右に左に、上に下に、斜めに様々に缶を動かすと、それに従って、彼女の黒い瞳もつられて動く。化粧気もない無垢な少女と思っていた高橋は、大きな吸い込まれそうな瞳に美点を見いだした。
「……飲む?」
「はい……いいえ! めっそうもない!」
手を顔の前で大げさに交差して、断る彼女。白く細い手が彼女の顔の前を逡巡するのがやけに可笑しく、見えて、彼は黙って、コーラをもう一本買った。彼が人に打算なしで物を奢ったのは初めてのことである。
「……」
高橋は、無言でそれを差し出してみた。
「ごくん」
唾を飲み込む音が聞こえた。
少女は恐る恐る缶に手を伸ばした。手に持った缶の冷たさに感動したように目を輝かせている。そこで、彼女はハッとして、目をつぶった。何かに耐えるように……しかし、10秒と持たなかった。
「ぷしゅ」
プルタブを開けて。
「ごくごく」
コーラを飲んでいる。
「ごくごくごくごくごく」
まだ飲んでいる。
「ごくごくごくごくごく」
まだ飲んでいる。
「ごくごくごくごくごく ぴちょん」
最後の一滴が彼女の舌に消えていった。
「あ、もうない……」
至福と哀しみの入り交じった表情でまだ、両手で缶を握りしめている。高橋の視線に気づくと、ハッと息をのみ、居住まいを正した。高橋は、かつて家で飼っていた犬の太郎を思い出した。雑種だがそんなこと関係ないくらい可愛いやつだった。親に内緒でせんべいを太郎に投げてやったら喜んで、ジャンプして口にくわえて、また足りないと尻尾をふりふりしたものだ。
「失礼しました、初めてのコーラ……精神を乱すと思うので弓を射る者として、飲んではいけないと今まで断っていたのですが……すっきりしたくて……なんて弱いのかしら私って」
「美味しかった?」
「え?」
「初めてのコーラの味はどうだった?」
高橋はリップサービスのつもりで言った。
彼女は考えるような仕草を取った。コーラの味を思い出しているのであろう。次第に、縦一文字で刻まれていた幸薄そうなシワは消えて、満面の笑みで、
「はい、とても美味しかったです! 爽やかな飲み応えで、今でも舌に残るかすかな甘みと酸味、頭の中でモヤモヤとした霧も晴れて、私また頑張れそうです」
「それは良かった」
高橋は本心でそう言った。
「是非、お礼をさせて下さい! 私、一年生で弓道部員の須佐見 舞(すさみ まい)と申します! 以後お見知りおきを!」
丁寧に弓道部ばりの腰から折った綺麗な礼であった。高橋はあまりに真面目な須佐見が可笑しくて笑ってしまった。
「ハハ、礼は良いよ、それじゃあ、今からデートでもしない?」
「デートって、私まだ、部活の途中ですよ、私は正しい射形で正しい道を歩んでいかなくてはいけないのです、デートなどと世間の不埒な出来事に構っている暇は無いのです」
「それじゃあ、僕へのお礼は諦める?」
高橋はわざと意地悪な言い方をした。こう言えば、彼女はきっと困ると思ったからだ。
「う~ん」
思った通り、彼女はチョコンと出ている鼻の頭に人差し指を置いて、迷っているようであった。小声で「部活が……でもお礼もしないと……」と呟いている。しかし、暫く迷った後で、彼女は腹をくくった。ように、「よし!」とかけ声をかけた。
彼女は、高橋に向き直ると、真正面から高橋の目を見据えて
「デートします! 私、高橋さんとデートします!!」
高橋は心臓が飛びだしそうになった。あまりに大きな声に、二三度周りをキョロキョロと誰かに聞かれてはいまいかと伺ってしまったのであった。
○
「私は一人なんです、どうしようもなく、孤独で一人、私が目指す頂きには私一人で登らなくてはいけない、私以外の人は連れていけないんです、それがどうしようもなく寂しい」
初めは喫茶店に入ろうと提案した高橋だが、高校生が喫茶店に入ってはいけないと、部活をサボったにも関わらず、煮詰まらない彼女の言葉で仕方なく、公園のベンチで新しく買ったコーラ缶を片手に二人で会話というなんともひなびたものになった。
「私、かいが緩むんです」
「貝? ホタテとか好きなの?」
半分まさかとは思ったが、高橋は聞いてみた。
彼女は一瞬顔をほころばせた。が、すぐに真顔になってベンチから立ち上がって、実際に弓を引く動作をしながら説明をはじめた。
「……ええと射法に則ると胴作りをして弓を構えます」
ここで彼女は実際に胴作りをはじめた。足を肩はばまで拡げてつま先は外側に向く。
「弓を真上に上げて-」
高い位置まで手を持って行く。横顔から覗く彼女の真剣な面持ちは、先ほどまでの子犬とは違う、洗練された女性のような居住まいに、その変わりようにまた驚いた。
「丁度弓を引いて手から矢が離れるまでの間、これを会というんです」
「ほお、へえ」」
「……真面目に聞いてくれていますか?」
むっとした顔を高橋へ向ける。
「悪い、あまりに綺麗だったからって、いや、悪いなんでもない-」
高橋は本音が出てしまい、耳が熱くなるのを感じた。
「本当ですか!? そう言って頂けると嬉しいです! ただ、どうしても悩みがあって、これだと的に当たらないんです」
どうやら、彼女は自分の顔のことではなく、射形の話だと思ったらしい。
「とにかく、」
彼女はもう一度弓を引く構えを取った。
「できるだけ、この姿勢を整えて、集中したとき、弓から手は離れるんです、私はこのときに力なくこの形が揺れるんです」
「どうしてなの?」
「どうして……ですかね……心が弱いからでしょうか」
力なく彼女は笑った。
自虐的な笑いに掛けるべき言葉も見つからず、高橋は自分の手元を見ていた。彼にとって、的は狙うものであり、当たるべくして、当たるという心境にいまいち共感することができなかった。
彼女は独り言のようにぼそりぼそりと続けた。
「矢勢もないままに弓は明後日のほうに飛んでいきます、私は一人です、どうしようもなく、弓道部での私の地位は低いです、射法に五月蝿い私の姿勢は部の人達からは疎ましく思われています、一人、先輩だけは私の味方になってくれていますが、でも、先輩の射形も、左で狙いを定めるために、不自然に手元を下げていて、綺麗じゃ無くて、だからこそ私が手本にならなくてはいけません、私の正しい弓で弓道部を変えなくてはいけません、ですが、そう思うと力みが出てきて……」
彼女の手元はワナワナと震えている。
「私が的にめがけて弓を構えていると、他の部員達の顔がちらつくんです、そうしてくると手が震えてきて、なんとか、意識を集中するんですけど……もう、無理なんです、私の射法は歪んでしまった」
身体をがっくりと俯かせて、缶を押しつぶした、悔しそうに顔を歪めて、歯ぎしりをしながら素作身は言った。
そこには先ほどまでの素作身はいなかった。醜く折れ曲がった、執念だけがあった。
潰されて、こちらに顔を向けた缶の口が高橋に見えた。ポッカリと暗い穴がどこまでも底に続いている様を連想させた。
「あの、俺にできることならなんでも-」
「探したぞ! 須佐見! お前、稽古をサボって何処に行っていたんだ!」
声のする方を二人が振り向くと、背の大きな女性がこちらを見下ろしていた。
体躯はスレンダーであったが、体躯の強さ、軸の強さが彼女の立ち姿から分かった。
草履を履いており、袴姿で、足は見えないが、腕の裾には風紀委員の紋章の入った腕巻きが付けられている。眼光が鋭く、鋭利な刃物を連想させた。鼻筋の通って、髪の長い典型的な美人でありながら、その眼光の鋭さが鋭利な刃物、瞳の奥にガスバーナーのようにメラメラと燃える赤い瞳のせいで鬼を連想させた。そして、手元には、金棒ではなく、刀のようなものが握られていた。
「和泉先輩だ」
須佐見は一気に顔が硬直して、血の気が引いて青い顔になった。手元からコーラ缶がボタリと落ちて、黒い液体が地面を汚した。まるで、この後の惨劇を物語っているかのように高橋は感じた。
和泉を高橋は知っていた。彼女が袴姿で部室の前を通り過ぎた際に、端正な横顔に惚れ込み、声を掛けたのだ。しかし、少しのやりとりの後に、鬼のような形相で睨まれ、あの刀に手を掛けたところで、たまらず逃げ出したのだ。
このままではやばい、須佐見はあの女によって殺される。いや、抑えめに言っても、無事に済むとは思わない。彼女の落ち込んだ顔を想像して、高橋は覚悟を決めた。
ズボンのホルスターにいつも入れている。エアガンを取り出して、和泉に向けた。
和泉 清子(いずみ きよこ)は刀を取り出した。
「ほう、私とやるというのか、言い覚悟だ」
和泉は余裕の笑みを浮かべている。どころか、すでに、和泉はジリジリと高橋に刀の届く射程距離まで音もなく近づいていた。右手は刀の鞘に据えられている。
「いつの間に近づいてたんだ? さっきまで随分と距離があったように思えたけど」
「これは先輩の技です、無心の歩みです、重心移動を極限まで無駄なく行えるもののみに許された技ですね、たぶん」
「たぶんってどゆこと」
「先輩が自分で言っていたことなので」
言葉を濁らせて、須佐見は言った。
エアガンを向けられても、和泉は余裕の笑みを浮かべている。それどころか、鞘に手がかかり、今にも切りつけんばかりの気概を見せている。
一方的に狙っている立場が多い高橋にとって、自分も反撃されるという現状に、冷や汗を垂らした。
横目で須佐見を見た。彼女は戸惑っているようで、おろおろと自分たちを見回すばかりで、考えがまとまっていない。
が、須佐見の逡巡していた眼球が一点で止まった。
「さて、舞、こいつが片付いたら覚悟しておけよ」
不敵な笑いをして、後輩に言う先輩。後輩であるところの須佐見は顔を真っ青に変色させて、ワナワナと震えている。
このままでは、二人の命が危ない。高橋は思った。彼は、考えた。考えのままに、拳銃を須佐見のこめかみに突きつけた。一方的に狙う側になること、彼の心情である。
空気の割れるような音が響いた。暫くして、それが和泉から出ていることを高橋は知った。
「貴様、私の可愛い後輩に何をする、この外道が!」
くってかからんばかりにさらに熱量を上げて、吠える和泉の声を無視して、
「天下の風紀委員が刀なんか取り出して良いのかい? 拳一つで来てみろよ」
自分を省みない安い挑発だが、和泉は歯ぎしりをして悔しそうに顔を歪めている。
「ほざくな、風紀委員なんて肩書きの前に私は、舞の頼れる先輩だ」
「頼れるなんて自分で言うかい、でも、あんたより俺のほうが好きだって言ってたよー」
「問答無用だ、練習の最中に舞を連れ出すなんて許されると思ってるのか、げす野郎が!」「肩に力入ってたから、気分展開に外に出ただけだろうが、頭の固い、いかれポンチが!」
「なんだと、ポンチなど、ポンチなどは私にはないっ!!」
袴姿の女子が、腰に手を当てて、堂々と宣言する様は高橋にも、奇っ怪に見えた。
「お、お前は何を言っているんだ!」
高橋はたじろいだ。
「……一刀両断」
一瞬の隙ができた。言葉と同時に高橋は崩れ去った。端で見ていた舞にも目で捉えることが叶わなかった。
食らった高橋は間近で目撃した。和泉は前進の最初の一歩の前に大きく前に倒れ込むぐらいに脱力した。あわや倒れ込むかというところまで来たところで、前方に足は出され、2,3メートルの距離を低い姿勢で風を切るように進み、高橋の前に来たところで上空に上がる鷹のごとく上体が上がり、刀が抜かれ、十文字に刀が交差する残像が見えたところで、高橋は倒れ込んだのだ。
「安心しろ、峰打ちだ」
後ろを振り返らずに、和泉は言った。夕日に照らし出された陰がシルエットとなってアスファルトに映し出される。
「でも、さっき先輩、一刀両断って……」
問い掛けに先輩はギクリと身をよじりそうになるも、すぐに居住まいを正し、
「……言って見たかっただけだ、風紀委員でお前の先輩は未来ある若者にケガをおわせたりしない、もう一度言うぞ! 峰打ちだ」
実際は刀に見える模倣刀なので、当たっても切れることはない。せいぜい、打撲くらいだろう。
「良かった」
高橋の身体と鎖骨、折れやすい部分を確認為たが、目立った外傷は見られなかった。
「清子、私の身体を見ろ!」
そう言って、和泉は自分の袴をはだけて、舞に上半身を見せた。さらしで胸まで覆ってはいるが、先輩のきめが細かく、柔らかそうな肌はいけないスイッチが入ってしまいそうなほどに魅惑的であった。
「破廉恥です、先輩!」
顔を赤らめて見てはいけないと両手を顔の前で交差させる舞に静かにもう一度、和泉は語調を強めて言った。
「いいから、私の鎖骨を見てみろ、何か気づかないか?」
「鎖骨ですか? なんだろう」
目を見開いて、和泉先輩の肩口に視線を向けて、気がついた。右の綺麗な鎖骨のラインと違って、左の鎖骨だけボッコリと骨がたんこぶのように腫れている。
「痛そう」
須佐見は和泉先輩の鎖骨に手の平を優しく沿わせた。先輩は一瞬顔を引きつらせてうめくと、
「偶に痛むが、たいしたことはない、お前に詳しくは語らないが死闘でついた傷だ、お前は私の射形を左右にまっすぐに伸びずに、弓の狙いを定める左手だけ下にむりやり下げて、的を狙っていて、汚らしいと思っているだろう」
須佐見は正直に応えようか迷ったが、先輩のまっすぐ見据えた目を見て、
「……はい弓は本来大地から根ざした足元から肩口に向かい、両腕は左右にまっすぐ伸びる、その姿勢から放たれた矢は狙うまでもなく自然と的に当たる、私はその理想の射形を目指しています、その点で、先輩の射形は、伸びきった状態からむりやり、上から押さえつけていて、歪に見えます」
正直に答えた。先輩の様子を伺うが彼女の顔色は別段変わった様子がない。先輩は口を開いた。
「そうだ、しかし、不自然に歪められた私の身体は、もうまっすぐに左右に腕を伸ばしていては弓は的には決して当たらないのだよ、狙い定めなくとも、自然に当たる弓ではなく、意識的に狙いを定め、当たるべくように構え、狙いをつける今の弓に私は変わったのだ」
「だから、先輩は左肩を下に下げて射っているんですか!?」
「理想と現実との折り合い、そう見るとこの男から教わることもあるのかもしれんな」
そう言うと先輩は口元を少し緩めた。そうして、須佐見の頭を撫でた。
「お前はまだまだこれからだろう」
そうして、微笑んだ先輩の顔はとても素敵だった。なでつけられた部位から全身に力がみなぎるのが分かった。
高橋は、地面に叩きつけられて、気絶していたが、意識を取り戻した。しかし、二人の師弟関係をに起き上がって邪魔することもできずに、気絶したふりを続けていた。首が結構痛かった。
○ 「-高橋先輩昨日はどこ行ってたんですか? カフェオレ、冷蔵庫で冷やしてあります」
「ああ、ありがとう、ほらコーラだ」
「? ……はあ、おいくらですか」
「奢ってやるよ」
「!?」
後輩は、気味悪がって、決して、コーラ缶には手を伸ばそうとしなかったのであった。
紙製の的にバツンと音を立てて、矢が当たり、弓道部員の「よし!」という声が雲一つ無い青空に響いていた。
子犬のようにかわいらしい彼女であった 巡ルコト一平 @husumasyouzi
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