第3話 こける

 「早々から遅刻かおい。藤原、卯月野!」

いおりの肩が、ぴっと跳ねる。

 そう怒鳴るのは中等部の担任、白沢皐月しらさわさつき先生だ。


 各階に三つずつの教室、その一室。

十五個の机が規則正しく並べられ、その上に、菜の花のちいさな束と、席に座る者の名前を書いた紙がそっと置かれている。


この学校は保育所から一貫教育の女子校である。

ひとつの校舎に小中高の全てが収まり、一階からワンフロアずつ使われ、一室に一学年が在籍する。

年功序列で階が上がるこの校舎で、まかては中学生として入学した。


 入学式前のオリエンテーションのため、新入生は一旦教室へ集まることが指定されていたが、まかて達は墜落後の身を整えるため、遅刻を喫してしまったのだったのだった。

おのおの既に指定の席に着いているなか、遅刻して飛び込んだ、見慣れないの顔のまかては目を引いた。

叱られているのにもかかわらず、当のまかては初登校に浮かれて上の空、先生のこめかみに青筋が走る。

そこで鐘が鳴り、全生徒が大講堂へ移動する時が来たので、運がよかったといえる。


 大講堂は教室のある本校舎からすこし離れた場所にあり、屋根付きの外廊を通って行く。

小中高等部の新入生達がざわめきつつ歩いて行くなか、まかては桜舞う校庭の奥に、何やらぼろの建物を見つけたが、後ろに押されて見切れてしまった。

そして大講堂に入ると、在校生や先生からの盛大な拍手に包まれて、まかては入学式を迎えた。


 「ごきげんよう。私が白桜女学院院長を務める凍堂四季巳とうどうしきみです。よろしく。」

新入生達が全員着席するや否や、緞帳が音を立てて開く。

真っ赤につやめくハイヒールを高鳴らせ、一人の女性が壇上に現れる。

まっすぐ伸びた黒髪に、肌は陶器のように透き通る。

見た目の威圧感の割に、声音はやわらかめだ。

院長先生はごく普通の祝辞を滔々と述べたのち、締め括りにこんなことを言った。

 「この学院内では、その日一日初めて顔を会わせた相手に、『ごきげんよう』と挨拶します。これは規則として定められています。相手よりいかに早く言えるかが、生徒評価の鍵になりますので、励むように。」


これを聞いたまかては、挨拶!挨拶!と息巻いたが、いおりは気だるげに聞き流していた。

しばらくして入学式は終わり、生徒たちはぞろぞろと再度教室に戻って行く。

問題はそれからであった。


 席に着いたのち、まかては黙り込んでいた。

 「、藤原まかて。」

 元々まかて以外は幼少期から持ち上がりのメンバー、友達同士であった。

入学式が無事終わって箍が外れたか、みな楽しく話し始めたのは良かったが、ふと誰かがまかてを見て、こう呟いてしまった。

 「親殺しのバケモノ。」

その言葉を皮切りに、クラス中の会話が一気にまかての噂や陰口へと変わる。

 まかては黙って俯いていたが、式後の話し合いが長引き放置された教室で会話はエスカレートし、あることないことが飛び交った。


 そしてついにあるとき、クラスメイトの一人が、窓際最後尾にあるまかての席まで歩み寄ったかと思うと、いきなり机を蹴り上げた。

まかてが仰天して散った荷物を拾うのを尻目に見つつ、彼女は仲間のもとに戻り、クスクス笑った。


 ほどなく何度か同じようなことが繰り返され、ついにまかての隣席に座ったいおりが切れる。

ガタンと椅子を蹴って立ち上がり、真顔で当事者に殴りかかろうとしたその時だった。

まかてと反対側、廊下側の最後尾で同じく黙っていた一人の生徒が、口を開いた。


 「本人を直接蹴る勇気もないほどの腰抜けは、いっぺん死んだらどう?」


 烈火のように赤い髪を黄色のリボンできりりと結い上げた白皙の額に、肉色の鋭く大きな角がにょきり。

細い身柄の割に、風格のある存在だ。

彼女はそれまで目をまっすぐ黒板に向け、背をしゃんと伸ばして座っていたが、言いながら彼女は姿勢を崩して深く椅子にもたれ込んだ。

ぽっくりを履いた足を振り上げ、ドゴン、と重い音と共に机上に投げやる。

 

 「この学校、なんやと思っとるん。」

誰かが反論する間もなく、彼女は言葉を継いでいく。

 「初等部のハナ垂れチビッ子から天下の院長先生まで、みぃんな揃ってバケモンやろうもん。」

 「だからって、誰でもみぃんな良識は持ち合わせてるわよ。」

初めに蹴り上げた生徒がニヤニヤと笑みを浮かべて口を挟んだが、彼女は目を細め、笑みを返しながら語り続けた。


 「誰もが、そこで一緒に笑いよるお前らの友達をも、みぃんな手が滑って殺しかねんのやって。」

いおりは怒りに肩を震わせながら、彼女の言葉を聞いていた。

 「ここはバケモンのための学校。お前も弱かろうがバケモン。自分がバケモンって自覚がないような阿呆は、この学校におる資格ないんやないの?」


 そう言ってアッハッハと笑う彼女に、まかては興味を持ったらしく、横を向いて話しかけた。

 「あんた、誰?」

慌てていおりがまかての袖を引く。

 「まかて、その子はね。」

説明しようとしたところを、彼女は遮る。

 「卯月野!自分の自己紹介くらい自分で出来るよ。あたしは熊崎桜花だよ。南端に住んでる。」

彼女が組み上げた足を下ろすと、壁際に寄っていたクラスメイトがさっと散って道ができた。

まかての席へゆっくりと歩み寄り、白魚のような手を差し出す。

まかてはその手を勢い良く取ると、高らかに宣言した。


 「あんたと友達になる!」


 桜花はまたもやアッハッハと大声で笑った。

か細い体が上下し、髪に結わえ付けられた小さな鈴が、チリンチリンと軽やかに鳴る。

いおりは桜花の後ろからオロオロと様子を見守っていたが、二人の握った手が離れたその時、ちょうど先生が教室に戻ってきた。


 「おいおい何だよ、妙な空気だな。」

いおり以外に初めての友達ができてニッコニコのまかて、それを心配そうに見つめるいおり、未だアッハッハと笑っている桜花。

それを遠巻きに囲み、黙って俯いているそれ以外のクラスメイト。

初めての、クラスメイト。


 「そんな縁談断る。」

 桜花は薬くさい部屋のふすまを吹き飛ばすように開いた。

重い気持ちと身体を抱えて長蛇の廻廊を歩く。

その先には、四方に血色のお札が貼られた、座敷牢のような自室。

部屋の隅から丸座を引きずり、長年換えられずにすっかり黄金色になった畳の上に寝転がる。

 「酒天の君、懲りないね。」

格子窓の隙間から影が覗く。

黒子衣装を身に付けており、頭の被りの両端が不自然に盛り上がっている。

 「あたしの生まれしか気にしていない、頭のスッカラカンな奴ら。酒天の奴、親父、そして五代目、どいつもこいつも。あたしで儲けることしか頭にない。」

桜花がため息をつき、黙った。

 

 影は桜花をしばらく静かに見つめていたが、ふと思い出したように背負い籠をあさると、格子の隙間から白い腕を差し入れた。

 「今日の花はくちなし。」

と言いながら、畳の上にそっと置く。

まろやかな白い花から漂う甘い香りは、桜花の意識を穏やかにぼやけさせていく。

 「いつもありがと。」

言ったきり桜花は目を閉じた。

黒子の影は格子を掴み、一瞬桜花に向けてその手を伸ばしたが、すぐに引っ込め、その場を去った。

 「お大事に。」

 

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暗黒☆天国 @yubisaki0713

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