第2話 でかける
「おお、きらきら。」
今日もまかては空を仰いで微笑んだ。
人間世界の裏側に存在する町、さくら町。
中心に学校舎を据え、放射状に広がる煉瓦の町。
その町を、広葉樹の森がぐるっと取り囲んでいる。
森は繁るが、しかし奥行きに限りがあり、上空からは緑の外壁に見えるだろう。
その先には、何もない。
外界から隔絶された、とある半球型の世界。
ぽつんと浮かぶ島のように、その町はある。
校舎は東西南北に四つの門を持ち、それぞれの正面に一本ずつ、桜並木の街道が伸びる。
街道は森の中まで続いている。
道の果てには、特別な生き物の住みかがある。
藤原まかては、東の道の果てで生まれ育った。
茂る森を突き抜けるほど高くそびえ立つ、極彩色のステンドグラスで彩られた巨大な塔。
そこで育った、箱入りの女の子だ。
塔の内部は中心がどかんと吹き抜けている。
ドーナツ型の廊下にはそれぞれ意趣を凝らした扉や窓が並び、各階は螺旋階段でつながっている。
一階は玄関ホールであり、青と白のタイル張りだが、その並びにはよく見ると法則性があるようだ。
扉のある部屋はなく、所々くり抜かれた壁の先に厨房や食堂がある。
口を開けた厨房から、やたらスパイシーな香りが溢れ出している。
「今日のおかずは、ラタトゥイユなの。」
台所には、鼻唄を歌う人影。
二階には図書室、その隣にまかての妹・美神の部屋がある。
美神はほとんど図書室に住み込んでいて、さらに頓着なしなので、部屋は散らかっているらしい。
図書室から、しばしば独り言が漏れ出ている。
「う~ん、この組成では効率が悪い。」
三階は亜久理の部屋で、ここはワンフロアぶち抜き。
亜久理はこの塔の管理人である。
あまり丁寧な管理とは言えないが、自分の扉は定期的に磨いている痕跡があり、愛着は感じられる。
「やっぱり鍛練、いつでも鍛練。」
亜久理には双子の妹がいる。
その妹・流久理は、現在台所で家族の食事をこしらえている最中だ。
流久理は食事の際以外を地下室で過ごし、地上に部屋を持たない。
地下室への行き方は流久理しか知らない。
藤原まかては四階、塔の最上階で暮らしている。
部屋には木製の質素なベッドと、その脇にドロワーチェスト。
ワンフロアぶち抜きにせずとも、それぞれの部屋は十分に広く、二つ限りの家具では土地の余りが目立つ。
出窓にかかったカーテンや布団などは全て白の木綿で統一され、ほこりもなく、掃除も行き届いている。
ゆえに、潔癖を感じさせる部屋だ。
チェストの上には写真立てがあるが、そこだけ掃除していないのか、写真の表面がぼやけている。
「行ってきます、母さん。」
まかては階段を滑るように駆け下りていく。
まかては制服を着ていた。
紺色襟のセーラーに、焦げ茶の薄い学生鞄を提げ、ドタドタと足を踏み鳴らしてゆくまかてに、
「いってら~、まかて!」
亜久理は窓から身を乗り出して手を振る。
図書室から扉を蹴破らんばかりに美神が飛び出し、
「階段は静かに下りて!」
と叫ぶ。
一階にたどり着いたまかてを待つのは、焼きたてクッキーを両手いっぱいに抱えた流久理。
まかてはそれを鞄いっぱいに詰め込む。
「ほら、大好きなクッキー。これを食べても元気がでなくなったら、迷わずうちに帰ること。いつでも待ってるからね。」
今日、まかては初めてに登校する。
家族の懸念によって止められていたが、本人たっての希望と努力により、ついに認められた。
「おい、待て!」
意気揚々と扉を開け、さあ行くぞと突っ走ろうとしたまかての袖を、誰かが掴む。
高く結ったツインテールの、透明に近い白髪がきらめき、こめかみから一筋紅色が伸びている。
春先だというのにノースリーブのセーラー服、その上で真白のキッドの手袋を嵌めた、奇妙な格好。
卯月野いおり、まかての唯一の友達、幼なじみだ。
住んでいる場所はとても遠いが、まかてとは非常に親密で、気の置けない間柄。
新入生として入るまかてとは違い、いおりは既に学校へ通う在学生である。
まかての初登校をサポートしてもらうべく、姉達が先に連絡を入れたのである。
「さ、行こう。遅刻する。」
いおりはまかての手をしっかと握ると、桜の舞い散る街道へ駆け出す。
この町では大きな道が東西南北に四本伸びている。
東の果てにある塔の目の前にはそのうちの一本があり、まっすぐ行けば必ず校舎へたどり着く。
単純な道のりだが、まかてにとっては全てが初めてだった。
いおりは非常に足が速く、まかてを連れても十分に速かったが、まかては道行く全てに興味津々だった。
少しでも目を離せば道を逸れ、他の果てまで行きそうになる。
まかてははじめ引きずられるままにしていた。が、何を思ったかいきなり立ち止まった。
「おい、突然止まるなよ。」
つられて転けかけたいおりを受け止め、ひょいと抱えてしまう。
お姫様抱っこだ。
位置について~と小さく呟きながら、姿勢を落としていくと、足元にチラチラと光の欠片が舞い始める。
「ちょ!ストップ、スト。」
そして地面すれすれまで屈んだかと思うと、
「よ~い、どん!」
と叫んだ。
踏ん張って気合い十分、ぎりっと音を立てて地面の煉瓦が弾ける。
そしてまかては力一杯に、空中へと飛び出した。
びゅうびゅうと風を切りながら二人の体は空へ登っていく。
縮んでいく町を見下ろし、いおりはため息をつく。
「あんた、何がしたいんだ。」
突如、まかての頭がゴン!と音を立てた。
否、頭ではなく、まかてに衝突された《空のてっぺん》が、音を立てたのだ。
この世界は半球型に覆われ、道の果てには何もない。
「世界を一度、見てみたかった。」
学校の敷地に向かってひゅるひゅる墜落していく二人。
まかては大きなたんこぶを作りながらも、満面の笑みでそう答えた。
まかては、この世界にいる、運動神経のいい女の子である。
まかては今日初めて、学校に行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます