暗黒☆天国
嬢
第1話 あがる
その生き物は、海の底からやってきた。
雫ひとつ垂らさず水面に浮き上がり、照らす月を睨み付けるその生き物は、ダイアモンドの髪に大理石の肌をもち、鳥のような翼を背に生やしていた。
雄とも雌ともつかない、中性的な顔立ちだ。
どこかの学校の制服に見える、真っ赤なオーバーオールスカートを身にまとっているが、何故か濡れてはいない。
五本指の細身の手には、同じく真っ赤なリボンを握っている。表面すれすれまで浮かぶと、生き物は周囲の波を微動だにさせず飛び立つ。
その視線の先には、生き物が過去、共に過ごした仲間達の姿。
その昔、生き物は、とある森に集まった有象無象の仲間たちと、悠久の時を過ごすはずだった。
幸せな時がずっと続けばいいのにと思っていた。それを生き物は、自らの手で壊してしまった。
今や生き物ははるか上空を翔んでいる。
生き物が翼で風を切るたび、羽根がほろほろと散ってゆく。けれど生き物は気にしない。
行き先はひとつなのだ。そこまでたどり着けたならば、翼なんか失ってもいい。たどり着けないならば、そんな翼はいらない。
やがて海を越えると、緑に包まれた地上が見えてくる。ふと、何かを見つけたように、生き物は急降下を始める。そして手をまっすぐ前に差し出す。指先から桃色の電光が弾ける。生き物がその光を無理やり抉り取るように、全力で手を払う。
途端、世界が一変した。
「……。」
緑がたくさんあったはずの地上から、生き物の眼下に広がる、あるちいさな町とそれを囲う森を除いて、全てが荒廃した焼け跡へ変わった。それが、先ほどまで緑のかたまりであったはずの場所の、もうひとつのほんとうのすがただった。
生き物は一直線に飛んだ。生き物の翼は既にほとんど羽根が抜け落ちてしまっていた。生き物の胴体にも、空間がゆらいでいるかのように歪みが生じるが、しかし生き物にとっては、目的を達成できたならば、それでよかった。
地上近くまでやって来ると、生き物は見覚えのない白亜の建物が立ち並ぶ間に降り立った。ふとぼうっとした後、辺りを見回すと、敷地のほんの端に、古びたあずまやがあった。それが、生き物の目的地であり、約束の場所だった。
生き物は地上に降り立ち、あずまやへと歩いて行く。最後のひと羽ばたきで、翼は完全に失われてしまった。見慣れたボロボロの木造は、あの日仲間達が必死で守り抜いたそのままの姿で残っている。
昔、生き物や仲間の有象無象は全員で協力して大きな丸太のテーブルをこしらえた。それを部屋の中心に据え、みんなで囲って、今日は何をしようか、と作戦会議をし、実行して遊び倒し、たくさんのことを身をもって学んだ。それが生き物にとっての日常で、永遠を願った生活だった。
オレンジ色の夜明けが空を照らし始める。戸口に立ったまま、生き物の身体が宙にとけてゆく。
ほとんど消えかかった身体をものともしない生き物はふと黒板を見た。
このあずまやは元々、生き物含め、集まった有象無象のための学校として建てられたものだった。
書かれた文字を見て、生き物は微笑み、ほんの少し残っていたチョークの欠片でひとつ書き加えをした。
そして、床に積もったほこりを足で一撫でし、涙をつるりと溢した。
それがこの、仲間たちに虹音と呼ばれ愛されたその日々を自ら壊し、海に身を沈めた清らかな生き物の、最期だった。
夜が明ける。
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