配偶者は躁鬱病を受け入れることが出来るか?

@Marie28

第1話

躁鬱病を患う人の周りに居れば、そんなに珍しくない離婚の話。


私の夫は、言っていることがコロコロ変わり、一貫性がなく、更に思い込みも激しい。今となればこのような発言や行動は病気が引き起こしたもの、つまり躁鬱病が原因なのだろうとわかってきたが、私の身の周りでは鬱病などで辛い時期があった人は居ても、躁鬱病や統合失調症などの血筋が全くなかったので、病気の大変さをわかっていなかった。どうして夫はこんなに酷いことを平気でするのか、理解に苦しんだ。私は、今置かれている現状を、夫の行動を、とても怒っていた。自分自身の怒りのエネルギーが鬱病となって、動けなくなるほどに。言葉で躁鬱病と言われたとて、到底受け入れることなど出来なかった。


現在、私達は離婚調停中である。婚姻費用取り決めの調停を私が起こして、夫が離婚調停を起こしてきた。婚費の主張書面を読んだ時には、事実と違うことばかりの反論にとても怒っていたけれど、離婚申し立て書面を見た時には、もはや怒る気にはなれなかった。男が病気であることを初めて自分が受け入れられたのがわかったのだ。


夫はもういい歳の大人であるが、たとえば些細なことですら自分がしてしまったことの責務を抱え込むことが出来ない人間で、自分以外の誰かに責任を代わってもらいたい一心で、無関係の人を巻き込む。悪いと思っていると夫は口にはするが、悪いと思っているから・・・の続きの行動は一切なく、直そうともしない。何というか、自分の気持ちは理解してもらいたいが、相手の気持ちを理解することは出来ない人で、自分さえ良ければそれで良く、あれだけ周囲のことが見えない人間はなかなかお目にかかれないと思う。原因は、彼の家庭環境、育ち、母親にあると思う。


例をあげると、夫の職業は医師なのだが、研修医の頃、彼は仕事が本当に辛くて、結婚すればこの苦しみから逃れられるのではないかと思い込んでいたそうだ。お相手の女性は、大学1年生の頃にお付き合いしていた医学部の先輩で、彼によると、大学卒業後に再び連絡がきて、彼女は医局に入ったが辛くて辛くて専業主婦になりたいと言っていたそうだ。その、お付き合いしていたと彼自身が思っていた女性は、数打ちゃ当たると工作したのか、彼と身体の関係にありながら同時期に他の医師ともお付き合いをしており、出来ちゃった結婚で専業主婦となったそうだ。一方的な彼フィルターを通して聞いた話なので、偏りが酷いと思うが。更に、彼の思いとして、僕は洗脳されていた、結婚すれば研修医の苦しみから逃がれられると思っていた、やられたと思った、僕は酷いことをされたんだと言っていた。10年ほど経ち、共通の友人の結婚式で彼女と再会した時に、僕のことをまだ好きみたいだ、僕と結婚したかったと言っていたんだ、と、彼から聴かされた時、私は、夫は自分が振られたことをいつまでも受け入れず、彼女は自分をいつまでも愛しているんだと思い込みたいように感じた。彼は、大学1年の時にその彼女と付き合い始め、1年弱で彼女から振られ、その後の大学生活は彼女を取り戻すんだと周りに宣言して、ずっと彼女のお尻を追い続けていたと言っていた。そんな話をあれこれ聴いていると、彼自身が彼女を好きだったようには思えず、捨てられたことを受け入れたくないとか、信じたくないとか、彼女が去った事実を何かと重ねているようにしか、私には思えなかった。そんな彼とお付き合いを始めて、毎日がとても疲れていた私は、彼のことを精神科医に相談していた。医師から、君の話を聴いていると、彼は典型的なボーダーライン(境界型人格障害)だねと言われた。ボーダーラインについて記した本を読んで、私も、彼は明らかに人格障害者だろうと見ていた。よって、一時的なもので、いずれは治る、と、勘違いをしていた。


彼は助教になるため、所属している大学(医局)から研究日を与えられ、提携している大学で研究をするはずだったのだが、その研究日はほとんどバイトに費やしていた。先輩からの受け売りだったと主張していたが、度が過ぎて、研究協力先の教授から、所属している医局の教授へとクレームが入った。私が予測しているのは、そのクレームが引き金となって、彼の躁鬱病エピソードを引き起こしたのではないだろうか。


この同時期に、悩みがあるからウチに来てくれないか、と、彼から連絡が入り、彼の自宅へ行くと、上記内容によって、学位取得が出来ないかもしれない不安を打ち明けられた。言葉にすると軽いのだが、その時を表すと、打ち明けられたなんてものではなく、パニックを起こした彼をひたすらなだめたと言った方が正しい。一緒に居てくれと言われたかと思うと、実家に行くから帰って良いと言われ、またすぐ呼び出されて、その時もまた、結婚しよう、母に話したんだ、会ってくれないか、などと言ってプロポーズされたり、何やら考えがまとまらないようだった。もちろん、彼と結婚する気など無かった私は、上手にお断りした。


私にとって、彼の恐ろしいところは、こちらが一切結婚する意思がないのに、私が彼と結婚したがっていると常に思い込むところだった。その根拠として、私は彼に自分の家族のことはほとんど打ち明けなかったし、長い交際期間であったにも関わらず、自分の自宅には一切、来させなかった。妊娠したかもしれないと打ち明けた時すら、たとえ出産しても、入籍の選択肢はないと、彼を拒んだほどだ。それでも、彼には一切伝わらない。自分と結婚したくない女性など居ないとでも思っているのか、私が彼を受け入れていないなどと、彼は露ほども考えずに、いつも自分側にしか、結婚の選択権はないと思っているようだった。それについて、私は、結婚してから、彼の母親がニコニコしながら、ウチの娘達は、結婚する相手が決められないのよ、とのエピソードを聞いた時に確信した。ご本人達にとっては、私はとてもモテるのよと言いたかったのだろうが、私には恐ろしい話にしか聞こえなかった。この男の彼の姉2人とも、他者がない。彼と同じ考えでおり、同内容にて、母親に本気で相談していると聴かされた時、この家族は、他者が存在していると思っていないんだ、と考えさせられて、怖かった。結婚とは、双方の意思があって成り立ち、そのように自分の気持ちのみで成り立つものではないと思うのだが、私は、彼と、彼の家族が恐ろしい。まだまだエピソードはあるが、彼らは高い教育水準にあると、自らを誇りに思っていて、小学生ですら分かっているような世間一般的なモラルさえ知らない。教えてくれる人が居なかったのか、学ぶ機会がなかったのか、聞き入れようともしないのか、とにかく彼らは、どんなことをしても許されると思い込んでいるように見えるし、彼の行動を全て肯定してしまう母親が怖い。彼自身、叱られたことがないと言っていたし、大学に入って先輩から指摘されるまで、箸すら持てなかったと言っていた彼は、どれだけ周りから奇異な存在として見られていたのだろうかと、哀れに思う。彼らは、人としての品格も人格も高潔さも何も持ち合わせず、医師として生きている。


その後、11億以上の大きな責務を抱えた彼。濡れ手に粟のつもりで契約をし、結局は何1つ対処出来なかったようで、どんなに医師として高額バイトに明け暮れても返せない借金に気が付き、私に打ち明けてきた。そして、私との結婚を急がせ、結婚して少しの期間、君を愛してる、愛してると事あるごとに伝えてきたが、今となれば、私に伝える彼の「愛してる」は、そう思い込む事で、夫が自分の気持ちを救うための手段に過ぎなかったとしか思えない。結婚と言う責任の重さを、妻を愛していると思い込むことで軽くしていたのではないか。


ではなぜ、そのような彼とお付き合いをして、私は自分の人生を犠牲にしてさえも逃げなかったのか。私自身のこころを問いたい。自分の人生の責任は、人のせいでも何でもなく、全て自分に帰属する。そんな自分自身と決着をつけたい。自分自身がこの不幸を選んでいること、自分自身が、自分を惨めにしてしまった現実を受け入れねば、私は今後も同様の失敗を繰り返すことになるのだから、失った時間を、せめて経験に変えたい。


私は、離婚のことについて、私の幸せのみを考えるのならば、現状は苦しくとも長い目で見れば良いことだと思うが、夫の躁状態も、鬱状態も、みてきた。僕は、幸せになって良いのかな、幸せになろうね、死ななくて良いのかな、どうしてこんなことになってしまったのかと、私に、何度も何度も不安そうに聞く夫の声が、頭から離れない。


話を戻すが、おそらく、学位取得のことを引き金に躁鬱病を悪化させ、多額な債務を抱えてしまった。彼は、不動産を管理していく能力など持ち合わせていないし、原因を理解しようともせず、責務から必死で逃れようとする。そして、過度のストレスに晒されていた。私は本件ののち、躁鬱病に関する本を何冊も読み、夫の行動を思い出したが、夫は明らかに病気だと思った。夫の父親も、躁鬱病によって既遂(自殺)しているため、遺伝的な負因も、夫は人より持ち合わせている。


その状態で、嫁が気に食わなくなった夫の母親から離婚まで先導され、夫は理由にならない理由を突き付けて、調停を申し立ててきた。妻を悪者にしなければ、悪者と思い込まねば、決断することが出来なかったのではないか。それは、私への愛などではなく、優柔不断で自分のことをマトモに決められない夫の、母親の犠牲となって発達出来ない心を、指摘するものである。不安障害の苦しみを、躁鬱病を悪化させ、苦しめる夫の母を許せない。その考えに至る根拠もあるが、本文では割愛する。しかし、夫の父親を、自身の配偶者を、死に至らしめるほどに追い込んだ女性が、夫の母親だと、改めて思う。


離婚が成立すれば、これらは他人事であっても、子どもを苦しめる親の未熟さを、身勝手さを、私の心は認めることが出来ない。子どもへの虐待は、大人が120%悪い。一切、子どもに罪はない。30歳を超えて尚、苦しみを背負い、母親を庇い、母親を崇め奉る、夫の異常性が、私は怖い。思い出してみても、あの家族とは今後一切関わりたくない。しかし、その子どものような彼から目を背け、一切を無かったことにして、私は幸せになどなれるのだろうか。かつて、私自身、「常に被害者」だと吹聴する母親を信じてきた。気付くキッカケが無ければ、今でも私は母親の犠牲であったかもしれない。今、許すでも、憎むでもなく、母親と言う「他人」と関わりを無くした私は、彼女に苦しめられることもなく、生きている。人を変えることは困難だが、自分を変えることは、自身の信念や意思によって、すべきことである。


私は、こうなってしまった夫との関係について、夫の人生に影響を与える必要などなく、自らを考える事が、正常な人の行いだろう。弁護士とも話し合い、方向性を決めつつも、それが正義か、生き方か、今の私には解らない。現在、児童虐待を知らぬふりすれば、その者も罪に問われる。しかし、彼の身体や年齢は、子どもではない。本来であれば、自らの意思で決められる大人として、見なされている。


私は、この家族と関わり、甚大なダメージを受けた。こちらも割愛するが、法によって裁かれるべきことも巧妙に隠し続け、野放しとされている。だが、この犯罪者一家、モンスター達に、私がたった1人で彼らに立ち向かう必要などあるのだろうか。いずれ、彼らは私が何かせずとも、破滅するであろうことは想像に難くない。


しかし、これらが躁鬱病と言う苦しみがもたらすものならば、なぜ、誰も夫を救い、すぐ治療をさせないのか。夫に直ちに必要なのは、弁護士ではなく、医師のはずではないのか。夫の弁護にあたる担当の代理人も、それをわかっていながら、夫が同席しない調停では訴えていながら、ただただ弁護士費用として契約させるのは、酷いと思わないか。いい金ヅルを掴んだとお思いか。債務の件、家事事件の件、無意味な離婚調停。躁鬱病患者であると知りつつ、その仕組みを整え、お金が入ることには、弁護士として、ためらいなど無いのか。複数回の面談等でその人物を知っているだけに、疑問を持ってしまう。依頼を引き受けただけに過ぎなくとも、これらの弁護士費用は取り過ぎだろう。相場よりはるかに高額であり、夫は、正常な判断など出来ないのだから。


今後、私は当然のこととして、夫の申し立てに反論し無実を証明し続けていくが、無実が証明され夫が責めたてられれば、その責めによって、自殺する可能性も高いとみている。私は証拠と共に身の潔白を証明し続けなければ、夫の妄想が真実として扱われてしまう。非なく、酷い女と責められ続けることに、無実を、自分の人格を証明するだけなのだが、夫は「なぜ、こんなことを言ってしまったのか」と言う自責の念にかられ、羞恥心にまみれ、責務に耐えられるのか。私のすべき事を思えど、夫は病気であるがゆえであり、そのような者を叩きのめす私に罪がないと言えるのか。このような立場に置かれ、尚、相手を思い身を引けば、それが真実として残るだけで、やり切れない。己を守れるのは己のみ。でも、せめて、夫の寛解期に戦えないのか。


例えば、今、あの母親が死ねば、どうなるか。彼にとって、受け入れられないことかもしれない。しかし、本当は、彼が気が付きたくないだけで、彼をがんじがらめにした障害が無くなる瞬間かもしれない。そして、私の元に戻ってきてしまったらと考えると、恐ろしい。母親の代わりとなることなど出来ないし、なりたくはない。そう思うと、今の私は夫を救い、支えたいなどと考えていないことがわかる。全く、自分の身だけを案じ、夫のために犠牲となる博愛精神など持ち合わせていない。結婚を決めた私は、ただ浅はかで、物事を軽く考えていた。このような甘い考えが、いつも自らを危険に貶めていたのだ。縁ある男性は、素敵な人ばかりだったのに、何故か、「この人には他にも素敵な女性が現れるだろう」と手放してしまう。そんな中から選び出すのは、決まって、「私が見放せば、誰からも相手にされないだろう」男となる。調教師でもあるまいし、自分は人を育てられるなどと、思い上がっていたのではないか。いつも、普通の人、正常な人、穏やかな人を、パートナーにしたいと願っているが、いざ、交際となると、私のような気性の女と、地味で優しい男性が、一緒になったら可哀想なのではないかとも思ってしまったり、怖気づいてしまう。私はどこか、自分に自信がないのだ。


夫は哀れだ。でも今となっては夫の仕打ちを、恐ろしさを、悪いことしか思い出せず、夫に会うことなど出来ない。私の頭に残る夫は、ただの獣なのだ。自身をコントロール出来ない、本能と理性が制御出来ない、躁鬱病とは脳の病気と言うが、治療しない彼は、人と思えない。怖い、ただ、怖い。


躁鬱病を抱える人は、私の心を憎むのだろうが、夫1人がもしも、救いを求め、治療にあたるならば、きっと受け入れていただろう。しかし、夫と、その母親と、姉は、皆、私にとってはモンスターなのだ。むしろ、夫を救える手立てが何かあるならば、どうか教えて欲しい。私が他人となっても、誰かが救ってくれないか。そう願ってやまない。私には出来ることが無いのだから。



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