再生

ユキノリ兄ちゃん


 ご無沙汰しています。

 母からいろいろ聞いて、手紙を書いています(手紙の方がいいのではないかと母が言っていたので)


 ハヤトお兄さんの具合はいかがですか。

 おばあちゃんから母への電話で、ハヤトお兄さんがいろいろあって、今、そちらにいるという話は聞いています。

 たぶんですが、ある程度、詳しい話も母から聞きました。

 ハヤトお兄さんは、季節がわからなくなったそうですね。

 実は昨日、学校の友達と、それと似たような症状が出る病気の話を少しだけしました(もちろんハヤトお兄さんの話はしていません)。

 今がいつか理解はできても認識ができなくなる病気というのが、今、はやっているようです。

 親戚に看護師がいる友達によると、ウイルスとか細菌とか、そういうのが原因でかかる病気ではなく、精神的なものではないかということでした。

 どんな人たちの間ではやっているのかというのは、話に出てこなかったのでわかりません。

 でも、友達と話をして、ハヤトお兄さんのことを思い出した時、ひょっとしたら「時間」になにかしら思い入れのある人がかかるのではないかと思いました。

 というのも、友達の一人が「今がいつかわからないというのは、本質ではない」と。そして、「なにかきっかけでもない限り、今がいつかなんて思い出すことはないし、それで衝撃を受けるようなこともない」というようなことを言っていて、それは確かにそうかもしれないと、そう思ったのです。

 私は今年、高校へ進学したのもあって、去年の中頃からずっと勉強とテストに追われて、家と学校を往復するだけの毎日でした。たまに寄り道してコンビニでお菓子を見たり、制服の衣替えだったりで、今がいつなのか思い出す程度で、時間の流れの速さに驚かされることはあっても、それでどうこうというのはありませんでした。

 今、ようやくほっと一息つけたような気がしつつ、かといって暇ができたわけでもなく、そうこうするうちにもうすぐゴールデンウィークという慌ただしさですから、気づいたら夏になっている予感がします。

 そして、それで私は、気づかないうちに流れ去ってしまった時間を惜しんだり、愕然としたりするかというと、そんなことはきっとないのだろうと、そう思うのです。

 でも、ハヤトお兄さんは、たぶん、私とは違います。

 ハヤトお兄さんは、私がちっちゃいころ、植物についてたくさん話してくれた覚えがあります。

 ヤマツヅシ、フヨウ、ケイトウ、サザンカ、ヤブツバキ、ヤマザクラ、オニユリ、クチナシ、あと、ソメイヨシノとか。

 名前は覚えました。ハヤトお兄さんのすごくたのしそうな声も。

 今となってはどれがいつ咲くものなのか、サクラ以外はほとんどわかりません。なので、それらがいっしょに咲いていても私自身は全然気にならない気がします。

 けれども、ハヤトお兄さんは、それが耐えられなかったのではないでしょうか。

 季節のなかで咲く花が、あれだけ好きなハヤトお兄さんだったのですから。――


*** *** *** *** ***


 折り目通りに手紙を折りたたんで、自分の机の、目立たないところに置く。

 今は、これでいい。

 そうして机に背を向けて、自嘲する――


 病気というのは「自覚しないと成立しない」と聞いたことがある。

 もちろん、自覚がなくても病気は進行するが、当人が病気に付随する症状なりなんなりを他人に伝えない、あるいはそういうのが伝わらない限り限り、病気が明らかになることはない。

 精神的な病気はそれがより顕著らしい。

 当人に自覚がなく、たとえ自覚があったとしても、当人含め誰にも害がなければ、ともすればそれは病気ですらない。

 自分がここにいて、何を見て、聞いて、感じているのか。それは余人の与り知るところではないのだ。

 だから、視界のなかであらゆる季節の花が一度に咲き乱れていたとしても、当人がそれをありえないことだと理解しながらも受け入れてしまって、日常に戻ってしまえたとしたら、それは病気とはいえなくなる。

 季節を見失い、今がいつかわからなくなってしまった兄は、それを自覚してから二日ほど死んでしまったかのように眠り込んだあと、平然と目を覚ました。

 そうして縁側に立ち、やはり今がいつかはわからない、こうして表を見れば相変わらず季節を無視した花の競演があり、さらには気温を体感しにくくなっていると、そんなことを言ったあと、淡々とこう続けた。

「でも、死ぬほどのことではない」

 時計とカレンダーがあれば仕事はできる。十二分に生きていける。大したことなくてよかった、と。

 ――病んでいるのは俺の方だったのだろう。

 縁側にいた兄を床に引きずり戻し、掛け布団の上から強く兄の両肩を押さえ、怒鳴った。

 死ぬほどのことではない? 今、この世界に兄貴のような人間がいると思うか? ヒトと見えているものが違うんだ、頭がおかしくなる一歩手前だと思わないのか? そう思うのが普通だし、そう思わない時点で、兄貴は狂い始めているんだ。よりによって“花”だ、兄貴がなによりも好きだった季節の花がわからなくなった。そうでなくても異常だろう? その異常を今受け入れようとしていること自体がさらに異常だ。異常を異常とわからないままで放置したら、そのうち全部おかしくなる。そんなこともわからないのか? 頭のおかしい人間を外に出せるものか、こっちの知らないところで勝手におかしくなったくせに、完全におかしくなってから引き取れっていうのか。ふざけるな――

 俺は、花が好きな兄が好きだった。普段は少しも笑いなどしないのに、季節の花のことを語る時だけはにこにこしていた兄がとても好きだった。

 そんな兄が、あれほど好きだった花の季節がわからなくなったのに、それを切り捨てて生きていくようなことを言ったのが、許せなかった。

 けれども、本当は、兄自身許せなかったのかもしれない――そうだな、ああ、そうだ。私は壊れてしまったのだろう。でも、それならば私はこの先、どうやって生きていけばいい。息もできている。たちまち心臓が止まりそうな気配もない。むしろ今、頗る体調はいい。到底死ねそうもないのに、このまま壊れていくのか? もう二度と正しい季節に咲く花を見られないのか。

 布団の上から兄を抱きしめて泣いた。

 兄は天井をしばらく眺めたまま、やがて、もうしばらく寝るとするよ、と目を閉じた。


 それから兄は家にいる。最低限生きるための営みと、あとは日中本を読むくらいで、挨拶以上の言葉もない。

 いつの間にか花より大切になっていた仕事は辞めてしまったのか、それとも長い休暇を取ったのか。スマホはもう何日も枕元に放置されている。

 家の人間は兄を遠巻きに見て、不安そうにしているだけ。

 俺はというと、不思議なくらい落ち着いている。

 不安がないといったら嘘になる。けれども、あの兄が家にいるというだけで、どこか安堵していた。

 あの兄が、季節がわからなくなってしまったというのは、とてつもなくさみしいけれども、傍にいる。それだけで俺はよかった。

 ――ユキノリ! 見て! ネモフィラがきれいだ! がんばって育てたかいがあったね!

 もうあんな笑顔は見られないにしても、俺は兄の傍で花を植えよう。


 いつか手紙の返事が書けるように。


【了】

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崩れる季節 岡野めぐみ @megumi_okano

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