第17話二十九歳ー3

 一週間後、不動産屋お抱えの保証会社より、審査通過の知らせが届いた。これで、正美は新しい住まいに移ることができる。

 これから降りかかる多くの面倒な手続きなどを頭の隅に置き、正美は両手拳で天を貫いた。

 ネズミが訪れた痕跡のある空間から離れることができるのだ。

 この土地で陰湿な空気を吸わなくて済む。

 この部屋の連帯保証人であるネズミと完全に縁を切ることができる。今後の職場の同僚に支えながらも、自分の力で生きることができる。今の正美が望んでいたことだ。


 多くの現代人が望む生き方、言い換えると本来の生き方を、正美はすべてを知らない。これから知るかもしれないが、生涯すべてを知ることもあり得る。

 正美が激動の二十代前半で得た教訓は、偉人が遺した名言に並ぶとも限らない。

 それでも正美はこれからどのように生きるべきか、また望む生き方を確固たるものにしている。

 三十歳の誕生日を三ヶ月後の厳冬に控えた晩秋。生を全うした木の葉が木の枝から離れるたびに、正美が新天地へ向かう日が近付く。

 正美が真の自由を手にする日が。

 思い出の品ではなく、これから住まいをともにする大小の相棒を一つずつそっと段ボールに収める。

 これから起きることすべてが、正美にとって良い思い出となり、正しい生き方の結果となる。

 若年の正美が謳う正しい人生とは、美しくあること。

 物、人、思いに囚われず依存しない。また人に怯えることなく自ら行動できること、物ごとを楽しむことを指す。

 正美。正しく美しい人生を。

 両親から授かった名前が活きる日を、今かと待ちわびている。

 蕾が花開くように。


 がんじがらめのネズミだったころの記憶が遠退いていくように、と。

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正美~ネズミだった私~ 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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