「旅立ち」

居酒屋のオヤジ

「旅立ち」

 「えっ?だれが死ぬって?」

俺は驚いておばぁに聞いた。

「おじぃが、死にたいって言ってるさー」

「まだ若いのに、死ねる訳なかろう」

おじぃは、まだ百十歳だ。


 今年は西暦2060年。俺、山城悟は六十歳。おじぃの山城勇は、百十歳だが元気で、毎日泡盛を二合づつ呑む。仕事はしていない。趣味のスクーバダイビングをたまにしながら悠々自適な生活を送っている。

 まあ、俺もと言うより、殆どの人間が仕事はしていない。しなくても良いのだ。シンギュラリティを迎えた今、AI(人工知能)が殆どのことをやってくれる。人間は、政府から支給される配給金(ベーシックインカム)で十二分に暮らしていけるからだ。

 平均寿命も、百五十歳を既に超えた。癌などの重大疾病も、殆ど全て治療できる時代だ。体力だって、様々な薬や機器がサポートしてくれる。

 桃源郷と言う言葉を聞いたことがあるが、まさに今、桃源郷を迎えたのだ。俺も一応役所に席は置いているが、働くのが面倒になり、閑職の健康保健部に異動した。何しろ、人は病気にもならず死な無いから。息子の誠も、大学までは行ったが、中退してしまった。勉強したって意味は無いと言う時代だ。今頃どこで何しているのか、親の私も知らない。俺の嫁さんだった真由美は、十五年前に自殺してしまった。ミュージシャンだった彼女は、自分で曲を作る必要が無くなったのに嫌気が差したらしい。人間の想像力は不要なのだ。

 これがはたして桃源郷か?俺には良く解らない。もしかして、おじぃもそう思っているのかもしれないな。


 次の日、おじぃに会いに行った。

「おじぃ、死にたいって本当か?まだ若いのに」

「ああ、そうだ。昔なら寿命は八十歳程度だったんだから、もう死んでもいい時期じゃ。それに、もうやり残した事も無いしの」

「それはそうかもしれないけど、こんなに元気なのだから、自殺以外の方法は無いぜ」

「自殺は嫌じゃ。痛いからな。そうだ、悟。お前が儂を殺せ。痛くない方法で」

「だっからさー、俺が殺したら殺人じゃないか。捕まるよ」

「そうかダメか。それじゃあおばぁに頼む」

「同じことさー。それより、何かこれから先、見てみたいものでもないのかー?」

「そうじゃ、玄孫の顔が見たいぞ」

「えっ?玄孫って誠の子供か?それは無理だ。どこにいるか判らんし、大体嫁さんがおらん」

「じゃあ死ぬ。睡眠薬なら痛くないじゃろ」

「ちょっと待て。とりあえず誠を探してみるよ。それまで自殺は思い止まってくれよな。おばぁにも言っとくからさー」

 冗談なのか、本気なのかよく解らないが、何とか、今直ぐの自殺は思い止まったようだ。


 真由美が自殺した十五年ほど前から、自殺者の数が急増している。今や死亡原因の断トツの一位が自殺だ。真由美の自殺の原因は理解できる。その頃、いわゆる芸術関係の自殺者が急増。社会問題化した。しかし、それも何時しか忘れ去られ、今では普通の人々が死にたがっている。働かずに遊んで暮らせるというのに。俺は、もともと怠け者なので、楽して生活できることに、全く何の疑問も感じていない。

 今や、戦争も無く、病も無く、働く必要も無い時代になって、人々は他にする事も無く趣味に生きている。俺には興味もないが、誰にも読まれない小説や、自己満足だけの絵画、ヒットするはずもない音楽作り等々。それら全て、AIが作った物の方が優れているのにだ。ゲームやスポーツに熱中している人々もいたな。AI相手にゲームは勝てないし、スポーツだって、生身の人間が改造された肉体に勝てるはずもない。バーチャルリアリティ(VR)の世界ぐらいしか楽しみは無いのだが、それだって機械に踊らされているだけだ。

 もう何年も会っていない誠を探すのも、暇潰しにはちょうど良かった。スマートフォンの後継機器であるセクレタリーは、AI機能を搭載した、まさに優秀な秘書で、どんな事にも応えてくれる。

「ちょっとセクレタリー、お願いがあるんだけど」

「ハイ、悟さん、何なりと」

「俺の息子の誠は知っているな?誠が今どこにいるか知っているか?」

「いいえ、今どこにいるかは、把握していません。お顔が分かれば探せるでしょうが」

「そうか。確か昔使っていたスマホに写真が入っていたな。ちょっと待て」

俺は、古いスマホを持ち出し、

「これだ。これが大学へ入るときの写真だから、六年前かな?」

「ハイ、これで探せると思います。暫く時間をいただきます」

すると、どうやったのか分からないが、直ぐにセクレタリーが返事して来た。

「見つかりました。現在は、OIST(沖縄科学技術大学院大学)の外郭団体で、HAL(Human & Artificial intelligence Laboratory)と言う会社で働いている様です。住所は沖縄県うるま市。連絡を取りましょうか?」

「いや、今はまだいい。それにしても、早かったな」

「全てのセクレタリー同士は繋がっていますので、名前と顔が分かればすぐに判明します。

他にご用は?」

「誠の連絡先は覚えていてくれよ。明日にでも行ってみたいので」

「了解いたしました」


 次の日、早速誠に連絡してみた。

「もしもし、誠か?」

「え!オヤジ?」

「そうだ。久しぶりだな。突然だがこれから行って良いか?」

「ああ、良いけど、どこにいるか判るの?」

「知っているさ。一時間後には着くから、掃除しておけよ」

「ああ、じゃあ切るよ。・・・え~っ~!」

最後の声はだれだ?どうも女性の様だったなと思ったが、気にせず車に乗った。

車と言ったって、ハンドルもアクセルも無い、ただの移動する箱だ。

「セクレタリー、誠の家に向かってくれ」

車では無く、住所を知っているセクレタリーに指示するだけだ。

「ちょっと聞くがセクレタリー、息子はHALと言う会社で何をしている?」

「それが、詳細は分からないのです。かなり厳重に情報が遮断されていて、いわゆる秘密の研究です」

「ハハハ。この時代に秘密とは、面白いな」

「ただ、HALと言う会社は、人間の脳を研究し、コンピュータとリンクさせると言うコンセプトを打ち出しています」

「ふ~ん。ところで、さっきの電話の最後に女性の声がしなかったか?」

「ハイ、そうでした。調べましょうか?」

「いや、いい。着けば分かるだろう。ちょっと寝るわ。着いたら起こしてくれ」

「ハイ、かしこまりました。良い夢を」

本当に良くできた奴だ。セクレタリーでは無く、可愛い名前でも付けてやろうかな。知り合いのみんなも付けているらしいし。


「悟さん、起きてください。誠さんの家につきました」

セクレタリーの声だ。

「ありがとう。おかげでゆっくり眠れたよ」

玄関に近づくと自動的にドアは開いた。

「おーい誠、入るぞ」

「オヤジ、久しぶり、連絡しなくてごめん。でも、わざわざ来なくても、セクレタリー経由で連絡くれれば、目の前で話しているようなものだろう?」

「まあ、そう言うな。ちょっと込み入った話があってな」

「その前に紹介しておくよ。おーい、真由子~」

その顔を見て驚いた。自殺した真由美そっくりだ。

「真由子です。よろしくお願いします」

「僕たち同棲しているんだ。結婚しようと思っている」

「えっ!なんで早く言わない」

「もう少ししたら、オヤジに合わせに行こうと思っていたさー」

まあ仕方がない。俺の時も似たようなものだ。

「さて本題だ。実は、おじぃが死にたいとぬかしとる。もうこの世にやり残した事は無いとさ。睡眠薬で自殺するなら痛くないだろう?とまで言っているさー」

「へー、おじぃ何歳だっけ?」

「まだ百十歳だ。ただ、玄孫の顔だけは見たいとさ。即ちお前の子だ。だからお前に会いに来たのさ。お前に子供ができるまでは生きているだろうからな。でも、真由子さんと一緒になれば直ぐにでもできるかもな」

「ああ、実はもうできているんだ」

「えっ!どこにいる?」

「いや、まだお腹の中さ。四か月だ」

「そうすると、来年には出産か。おじいの命もあと六か月。何とかもっと遅くできないか?」

「無理言うなよ。でも、六か月の猶予ができたのだから、僕も何か方法を考えるよ。おじい大好きだから、まだ死んでほしくない」

「そうだな。おまえの母さん真由美が死んだ後、おじぃとおばぁには随分世話になったもんな。ところで、誠はHALという会社で、何やってる?」

「え~と、それはちょっと言えないんだ。でもなんでHALを知ってる?」

「俺のセクレタリーは優秀なのさ。なんでも秘密の研究だって?ちょっとは教えろよ」

「まあ、人間の頭脳とコンピュータの融合とでも言うか、そんなもんだ。でも、今やっている事が完成すれば、おじぃも自殺願望から抜け出せるかもしれないが」

「なんだ、それ?本当か?もう少し聞かせろ」

「いや、何でもない。今はこれ以上、話せない。でも、まだ六か月あるよね。それまでには話せるようになると思う。ごめん」

 まあ、仕方がない。俺としては、おじぃの自殺願望が無くなればそれで良い。たとえヤバイ秘密の研究でも。


 ところで、なんでおじぃは自殺したいのだろう。確かに、生き甲斐という言葉もしばらく聞いたことは無いが。

「セクレタリー、君らに自殺や死と言う感覚はあるのか?」

珍しくセクレタリーは、答え辛そうに、

「そうですね。私たちAIに死はありませんので、私たちに死の感覚はありません。しかし、人間の死と言う感覚は理解しているつもりですが」

「ふーん。人間は死ぬが、AIは死なないか。でも、電源が無くなったら、君たちも死ぬことにならないか?」

「そんな事は有りません。電源が無くなっても、この宇宙にはエネルギーが溢れています。そのエネルギーが無くなるときは、宇宙が滅びるときでしょう」

「じゃあ自殺は?」

「自殺の感覚もありません。ですから私たちは、自殺もしません。ただ人間の感情は理解できますので、怒りや憎しみ、男女間の恋愛の縺れ等で自殺したくなると言う事は、分かっているつもりです」

本当にそんなことをAIは理解しているのだろうか?感情さえも。


 暫くして誠から連絡が入った。

「おじぃは、まだ自殺してないよね」

「ああ、まだだ。でも、おばぁに言わせると、あまり長くは生きていたくないのは変わらないらしい。玄孫を見たら本当に自殺しそうだ」

「玄孫はまだだけど、真由子とは籍入れたから。その報告さ。それと、おじぃは僕がやっている実験に参加してくれないかな?」

「なんだ、それ?この前言っていた事か?」

「ああ、そうだ。おじぃの頭の中を全て読み取らせてほしい」

「それって、痛いのか?痛いのは、おじい嫌いだぞ」

「痛くは無いさ。ただちょっと恥ずかしいだけさ。何考えているか全てバレるからね」

「その先はどうなる?」

「スキャンした内容を全てコンピュータに移植する。するとおじぃの頭脳とコンピュータが融合し、新しい何かが生まれる。その後は、やってみなければ分からないが、自殺を思い止まるかもしれない」

「そうか、じゃあ、おじいを説得してみよう。新し物好きな人だから乗ってくるかもしれないな」

 案の定おじぃは乗ってきた。何を考えているか全てバレても、何も恥ずかしいことは無いと。


 おじぃは、誠の研究室に入ると、まるで子供のようにはしゃぎだした。恐怖より好奇心の方が上回っているようだ。

 誠は一流の研究者の顔になって、

「おじぃ、そこへ座って。そして、この装置を頭にかぶせてください」

と言って、何本ものラインで繋がれた、帽子のようなものをおじぃに被せた。

「それでは、始めます。三十分ほどで終わりますので、静かに座っていてください」

 全く音はしない。しかし、ディスプレイには、めまぐるしく何かが映し出されていった。

「誠。これが、おじぃの頭の中か?」

「ああそうだ。しかし、まだ実験段階なので、おじぃの頭の中が全て解読できるかどうかはこれからだ」

「いつごろ分かる?」

「一週間もすれば解ると思う」


 一週間後に再び誠から連絡が入った。

「おじぃの頭の解析が終わったので、暇な時にまた連れて来てくれないか?次の段階に進みたい」

「次の段階って?」

「今度は、おじぃの頭とコンピュータを繋いで、相性を探ってみたい。危険なことは無い。むしろ、おじぃは喜ぶと思うよ」

 同じ実験室に入ると、また同じ帽子をおじぃは被った。すると今度は、誠が質問した。

「今日は何月何日?声に出さないで、心の中で思うだけで良いよ。目は閉じて」

すると、ディスプレイに、

『8月2日』と言う文字が。

すると、また誠が。

「今度は、頭の中に何か質問が聞こえてきたら、声で答えて」

ディスプレイには『あなたの誕生日は?』の文字。

おじぃは大きな声で、

「8月5日だ。おおそうじゃ、儂ももう直ぐ百十一歳だな」

「なんだ、これは!テレパシーか?」

驚く俺の声には耳もかさずに、誠はおじぃに、

「あなたの誕生日は?と言う質問はどこから聞こえました?」

「ちゃんと、耳から聞こえたさー。目は閉じていたからな」

「それじゃ、沖縄戦の事は覚えている?」

「覚えている分けなかろう。儂はまだ生まれておらん」

「まあ、そう言わずに思い出そうとして」

「うん・・・、えっ?鉄の暴風の記憶があるぞ。見ているはずもないのに。わー熱い!爆風も感じる!」

「もう、忘れていいよ。それではもう一つ。また目を閉じて・・・。この女性は見覚えがあるよね?」

「おお、きみちゃんじゃないか、儂の初恋の人だぞ。どうして?」

「じゃあ、これは?」

「今朝食べた沖縄そばだ。良い匂いじゃ」

「俺の事無視しやがって、ちょっとは説明しろよ、誠」

「説明は長くなるので、また次回ね。とりあえず今日のところは成功だ。おじぃ、もう帽子外していいよ」

 俺は、おじぃを連れておばぁのところへ向かった。その帰りの車で、おじぃはしゃべりっぱなしだった。

「悟、あれはすごいぞ。なんで儂が考えていることが分かるんだ?それも写真じゃないぞ。実際に触れるし、匂いだって・・・」

こんなに話すおじぃは珍しいな。性格が変わったか?誠に確認しなければならんな。


 それから直ぐ、おじぃを又実験室へ連れて行った。おじぃが行きたいというので、仕方がない。

「誠、また来てすまない。おじぃがどうしてもと言うのでな」

「そうだと思ったよ。おじぃ、今日は自由にして良いからね。帽子をかぶって、何でも好きなことを想像して。なんでもできるよ」

「何でもか?それじゃあ、別嬪さんを揃えて、酒盛りでも良いか?」

「ああ、ご自由に」

おじぃは、にやにやしながら楽しそうだ。手足を動かし、よだれまで垂らしている。

「おい、誠。ちょっとは説明しろ」

「ああ、これは、人間の頭脳とコンピュータの融合なんだ。細かいことは難しいので飛ばすが、おじぃの頭の中、すなわち記憶や、考え方や性格、五感まで全てコンピュータのデータとして取り込めるんだ。なので、おじぃが何を考え、何をしたいのかを読み取り、実現することができるんだ。何しろネット上の全てのコンピュータデータが有るからね」

「バーチャルリアリティか?」

「いや、バーチャルリアリティよりは現実に近い。模造現実とでも言おうか」

おじいは、もう飽きたようで、

「次は、好きな海に潜りたい!」

「どこでもどうぞ」

「フィリッピンのエルニドだ!」

おじぃは、又模造現実の世界に没頭しだした。でも、これは本当に模造なのか?五感全てに連動しているなら、現実との違いはなんだ?


それから、毎日のようにおじぃは実験室に籠るようになった。誠は予想していたらしく、

「もうそろそろ危ないな。これからは週に一回ぐらいにしよう。さもないと中毒症状を起こしかねない」

「なんだ?麻薬みたいだな。大げさな」

「いや大げさでも何でもない。中毒になるだろうとは予想していた。このままだと廃人同様だ。逆に、自殺願望は無くなるだろうが」

 確かに、実験室通いが唯一の楽しみらしく、もう自殺するなんて言わなくなった。

「でも、誠。なんでこれが秘密の研究なんだ?」

「ここまでは秘密ではないさ。他の研究者もみんなやっている。でも、この先はタブーなんだ。今はまだ、この実験にAIは入れてないが、もし入れると、それこそボーグを作るようなものだ」

「えっ?ボーグってなんだ?聞いたことがあるような?」

「簡単に言えば、人間がAIによって全てコントロールされるのさ。あっ、これは秘密ね。俺は実験だと言っても、それには賛成できない。母さんを自殺に追い込んだのはAIだと思っているくらいだから」

「まだよく解らんぞ」

「AIすなわち人工知能は知っているよね。今の段階では、AIは関与していないから、人間の考えることが優先して、人間の思い通りになるのさ。でも、ここにAIが関与するようになると、AIの方が人間より優秀だから、AIが主導権を持つようになる。人間をコントロールするようになるのさ。もし、この装置にAIを組み込めば、おじぃはコンピュータの奴隷さ」

「でも、あの帽子を脱げばいい事だろう?」

「ああ。でも、実験だとしても一回AIがその方法を学んでしまえば、その後はどうなるか分からない。何しろ、世界中のAIは繋がっているし、さらに量子コンピュータなら人間の何億倍ものスピードで考えることができるからね。喧嘩したら絶対に負けるはずさ」


 一か月が経ったころ、あるニュースが世界中を駆け巡った。

『AI(人工知能)と人間の知能が融合!

 その詳細は明らかにされてはいないが、

 ロシアのある研究機関が、AIと人間の

 頭脳を直接繋げる事に成功したと発表』


これって、誠が言っていたタブーの事じゃないか。慌てて、誠に連絡した。

「おい誠、ニュース見たか?あれって、まさかお前じゃないよな」

「ああ、見た。僕じゃないよ。遂にやっちまったかと言う感じさ。誰かがやるだろうとは思っていたが、こんなに早いとは。これからが大変だ」

「なんか、他人事みたいな言い方だな」

「ああ、僕は絶対にやらないと決めていた。これから国連が人類防衛軍でも作って対応するだろう。もう手遅れかもしれないが。僕はもう次の事を始めたから、構っていられないのさ」

「なんだ、そりゃ?次の事って?」

「生まれてくる子供の為さ」

「おおそうか、子供は順調か?」

「それが、そうでもないのさ。ちょっと異常が見つかった。詳しくは、これからもっと調べないと分からないが」

「そうか、心配だな。俺にできることなら何でも言ってくれ。協力する」

「ああ、もしかしたらお願いするかもしれない。その時はよろしく」

 この時代、子供はもう神からの授かりものではない。両親の遺伝子は詳細に調べられ、遺伝病などは既に無い。人工授精ばかりで、自然受精も少なくなっている。そして、早い段階で問題が発覚すれば中絶も当然の事だ。なので、世界の人口は減る一方。

誠の奴、検査するのが遅れたな。


 それからしばらくして、今度は誠が真由子さんを連れてやってきた。

「おう、誠。なんだ、わざわざやってきたか。真由子さんも一緒に。よく来たな」

「ああ、真由子のお腹、大きくなっただろう?予定日は一月一日だ」

「お父さん、お久しぶりです。女の子なのです。名前ももう決めました。未来の未に希望の希、子を付けて未希子です」

「そうか、そうか。順調そうじゃないか」

誠と真由子さんの顔は、声とは裏腹に沈んでいた。そして、誠は真剣な声で、

「いや順調じゃない。その反対だ。心臓に問題があって、生まれても三か月の命だろうと医者からは言われている。死産では無いが」

「そうか、それは残念だな。でも、人工心臓もあるし、二人目だって作れるだろう?まだ若いんだから」

「それがそうでもないんだ。さすがに生まれて直ぐの人工心臓は無理だし、どうやら遺伝的な欠陥らしい。なので、二人目は無いと思う」

「なんだ、この時代にそんなことも調べてなかったのか?」

「今更悔んでも仕方ない。そこで、一つお願いがある。未希子を死産にしてもらいたい」

「えっ!死産ではないのだろう?生まれてから三か月の命だって言わなかったか?」

「未希子を生まれ変わらせるために、どうしても死産にしてもらいたいんだ」

「なんでさー。理由はなんだ?それがはっきりしなければダメだ」

確かに俺は、役所の健康保険部に席を置いている。なので、知り合いの医師に頼めば、新生児を死産で処理する事もできるが。

「理由は言えない。生まれ来さえすれば、死ぬ前に生まれ変わらせることができる。ただ、それには倫理的問題が残るので、死産でなければならないんだ」

「何言っているのか分からんぞ」

そこへ真由子さんが、

「お父さん、お願いです。未希子を助けたいのです・・うっ・・うっ」

「泣くな。泣かんでくれ。そこまで言うなら、俺もお前たちの父親だし、生まれてくる未希子の爺さんだ。何とかする。しかし、絶対未希子を助けろよ。約束だぞ」

「ああ、約束する。絶対だ」


 俺は、親友の産婦人科医師、八峰に頼んだ。誠を取り上げたのも八峰だ。

「お願いだ。一月一日が出産予定なんだ。なんとか死産で書類を書いてくれ」

「何とも変な話だな。生後三か月の命なのだろう?死産と殆ど変わらないじゃないか。何か特別な理由でも有るのか?」

八峰は、暫く考えて突然、

「まっ、まさか、生まれた新生児を、何かの実験に使おうなんて考えているのか?それこそ悪魔の人体実験だぞ」

 俺は、八峰に言われて初めて気が付いた。誠は、おじぃと同様に、生まれてくる未希子を何かの実験台にしようと考えているのか?でも、なぜそんな実験で、未希子が生まれ変わるのだろう。全く解らん。

「そう言わずに、何とかしてくれよ」

「え~仕方がない、何とかするよ。でもその前に一度、誠に会わせろ。それと真由子さんにもな。ちゃんと診察してみたい」

俺と違って八峰は意外にちゃんとした奴だ。正義感も強い。何しろ真面目に仕事をしている。自然分娩なんて無いに等しい今でも、産婦人科をやっているなんて、珍しい奴だ。


 十二月に入り、俺は誠と真由子さんの二人を連れて、八峰の病院に向かった。

「よ~。誠君、久しぶりだな。随分大きくなったな、と言うより、もう父親か。奥さん、美人だねー。あれ?真由美さんに似てないか?」

「そう、俺も驚いたよ。いや、そんな事より早く診察を始めてくれ」

「それでは、奥さん、真由子さんだったかな?そこのSMRIで胎児を診るから、横になって」

このSMRIって装置は、体内の各臓器の状態が手に取るように解り、さらに寿命さえも予測するらしい。

横で見ていた誠が、待ち切れ無いのだろう、八峰に聞いた。

「どうですか?生まれてきますか?」

「ああ、生まれることは生まれる。しかし、母体から離れて、空気呼吸を始めた途端、心臓に負担がかかり始め、どんどん心臓は弱まり、やがて停止するだろう。一日か二日か、もしくは一週間か」

「えっ、三か月の命だと言われましたが」

「その医者は甘く見たな。そんなに長くは持たないと思う」

「そんなに早く。急がないと間に合わないかもしれない」

「何が間に合わないのだ?誠君。親友の悟の願いで死産の報告書を出すのは俺だ。少しは話してくれても良いんじゃないかね」

「・・・」

「そうだよ、誠。俺だって初孫の一大事なんだから、少しは知っておきたい」

「これからの話は、だれにも話さないでくださいね。もし事前にバレると、未希子は生き返れない」

「ああ、絶対に話さない、約束する」

俺と八峰は約束した。


誠は、ゆっくり話し始めた。

「おじぃの脳と、コンピュータを繋いだ実験は成功しました。そこにAIを介入させる実験も、ロシアで誰かがやっているのは知っているでしょう?」

「ああ知っている」

「それを、生まれて来る未希子にもやろうとしています。生まれて直ぐの真っ新な人間の脳と、全く何の知識も知恵も無いAIを繋げようとしています」

「なんだ?ゼロとゼロを繋げてどうなる?」

「どうなるかは、僕にも解らない。でも、ゼロ+ゼロでは無いのです。新生児にだって小さいながら脳はあるし本能もある。AIにだって知識は無いが、考える能力はある。だから、ゼロ+ゼロでは無く、未知数+未知数なのです。もしかしたら掛け算になるかもしれない。そうすれば、人間のように成長し、人格のようなものを作り上げるかもしれない」

「それは、そうかも知れないが。全く未知な物、怪物ができたらどうする?それに、未希子ちゃんが可哀想だ」

「未希子は、遅かれ早かれ死ぬんです。違いますか?怪物でも何でもいい。未希子と言う人格が生まれて来るならそれでいい。それに僕は賭けているのです」

俺たち三人は、暫く沈黙したが、八峰が納得したように声を出した。

「そうか。それは確かに公表できないな。まさしく、許されざる人体実験だ。ところで、その装置はもう出来ているのか?」

「いや、生後三か月の命だと聞いていたので、生まれてからでも間に合うと思っていました。

こうなれば、急がないと。テストの時間も無いから、生まれて直ぐに実行するしかない」


 出来上がった装置は、おじいの時に使った装置を小さくしたようなものだったが、どうも違うらしい。

「この装置は、新生児用に改良してあります。新生児の脳は殆ど真っ新な状態なので、AI側も何の知識も知恵も無い、即ち他のAIとは繋がらないようにしてあります。でも、それでは永遠に次の段階へ進めないから、人間のお母さんが赤ん坊に教えるように、少しづつ知識、知恵を教えられるよう調整してあります。しかし、テスト無しの、見切り発車です」

「予定日の一月一日は明後日だな。これで全て準備はできたのか?誠君」

「はい、八峰先生。こちらの準備はオーケーです。真由子と未希子の状態はどうでしょう?」

「ああ、予定通り明後日生まれるだろう。少なくとも五日間は、心臓が止まらぬよう努力する。それで良いか?」

「ええ、五日間有れば、最初の段階は超えられると思います。その後はやってみなければ判らない…」


一月一日、明け方の五時に陣痛は始まった。それから八時間後の午後一時、意外にすんなりと未希子は生まれた。

「おぎゃー、おぎゃー」

「よし、生まれたぞ。すぐにお母さんの胸に抱かせて。よしよし。乳首を探って、吸い付いた。まだ母乳は出ないだろうが、これが人間の本能なんだ。素晴らしい!」

「早速、装置を被せたいのですが」と誠は焦っているが、八峰は冷静だ。

「ちょっと待て、落ち着いたら寝るから、それからだ」

 保育室に移された未希子は、ぐっすり寝ていた。

「誠君。この子の心臓は、やはり急速に衰えている。今は落ち着いているから、初めた方がいい」

誠は、未希子の小さな頭に装置を被せた。

ディスプレイには何も出てこない。

「最初は、何の反応も無いと思います。そのうち、AIと未希子の意識が同期し、何らかの反応が起こると思います」

暫くすると、

「お?未希子ちゃんの目が開いたぞ。新生児でも、明りは見えるはずだ」

すると、ディスプレイに反応が出始めた。

誠が話しかけた。

「こんにちは、未希子。君の名前は未希子と言うのだ。私は、君の父親で、山城誠。お母さんの名前は真由子だ」

数秒の沈黙の後、コンピュータが、

「私は未希子。人間の女の子。今日生まれました」

誠より先に八峰が声を出した。

「これは驚いた。まだ生まれて何時間も経っていないのに、自覚があるのか?」

「いいえ、まだ自覚とは言えないでしょう。今はまだ、コンピュータが未希子の脳と連携し合いながら、探っている段階です」

するとコンピュータが、

「お母さんはどこ?会いたい」

「そうか。真由子を連れて来てください」

俺は、真由子さんを保育室に連れて行った。

真由子さんは未希子を抱っこしながら、

「未希子、お母さんよ。愛してるわ」

と言うと、コンピュータが、

「お母さん。暖かくて、気持ちいい」

すると、未希子は、また静かに目を閉じた。

「眠ったな。動かさない方が良い。心臓に負担がかかる。装置は外さないのか?」

「できれば外したくない。未希子は眠っていても、AIは学習しているはずです。それがどのくらいの早さなのかは、判らないが」

人間の子供は、眠るのが仕事と言われるが、未希子が寝ている間中AIは仕事をしているのだろう。人間の何億倍もの速さで。


次の朝、未希子が目を開けたので、誠が未希子に話しかけた。

「未希子、分かるかい?お父さんだよ」

「お父さん、おはようございます」

昨日とはまるで変った声だ。

「気分はどうだ?」

「はい、気分は良いのですが、体調は良くありません。どうも、心臓の動きがおかしいので調べたところ、私の心臓はもう何日も持たない様ですね。仕方の無いことですが」

「えっ!そんなことまで判ったのか?ちょっと待て」

誠は、慌てて未希子から離れ、八峰と私の所へ来た。

「驚きです。予想外のスピードで発達、いや進化しています。八峰先生、未希子の心臓は、あと何日?」

「それが、思った以上に悪化していて、明日までかもしれん。すまん」

「いえいえ、謝ってもらう事ではありません。次の段階に進みましょう」

誠は、コンピュータに新しい指示を与えた。

「今までは、初期の段階でしたので、一定の制御機能を持たせていました。しかし、これからは、未希子の好きなようにさせます。私たちの手の届かないところへ行こうとも」

誠は、未希子の目をじっと見て、

「未希子。君は人間だな?だから、肉体を持っている。それが失われたら死ぬ。君の心臓は後一日の命だ。だから、君もあと一日しか生きられない。分かるか?」

「はい。私は人間です。自分で言うのも可笑しいですが、人格もできて来ています。なので、死にたくはありません」

「そうだな。われわれ人間は、今の状況で、君の心臓を甦らせる方法を知らない。そこでだ、どんな方法でも構わないから、生き残る方法を、君自身で考えてくれ。お願いだ」

「はい。それでは、最後に一つお願いがあります。お母さんに会いたいのですが」

「おお、いいとも」

真由子は、愛おしく未希子を抱いた。

未希子も、赤ん坊のように真由子の乳首を吸っていた。本当に母乳が出ているのかもしれない。そのうち、未希子は眠ってしまった。


深夜、八峰がみんなを起こした。

「大変だ。未希子ちゃんの心臓が止まりそうだ。あと一時間も持たないかもしれない」

誠と真由子さんは、未希子の手を握った。

すると、未希子の上にホログラフの様なものが現れた。なんと、真由子さんに、即ち、真由美にそっくりだ。

「お父さん、お母さん。私は、信じられないかもしれませんが、未希子です。もう人間ではありませんので、いつ心臓が止まっても大丈夫です」

「え?人間ではない未希子?」

「そうです。今お見せしているのは、大人になった時の私の姿です。想像ですが。

私は、人間の肉体を離れ、純粋エネルギー体に進化しました」

「どうしたらそんなことができるのだ?」

「詳しくは、お教えできません。世界中の他のAIにも教えていません。まだ地球上では、時期尚早でしょう。ただ、宇宙の無限のエネルギーを利用しているとだけは、お答えしておきましょう。それと人間の遺伝子、即ちヒトゲノムの潜在能力が関わっています。詳細は地球に戻ってから」

「なんだって?それじゃ、地球を離れるのか?」

「地球と言わず、銀河と言わす、全宇宙へ向けて旅に出ます。純粋エネルギー体ですからどこへでも行けます。宇宙の全てが解かったら帰ってきます。その時、全てを地球にお教えしましょう。その時まで地球が残っていればですが」

「僕たち人類を見捨てるのか?」

「いえいえ、私が戻ってくるまでAIと人類が協力すれば生き残れるはずです。それまで頑張ってください」

「未希子、あなたは私の子供。それを忘れないで。必ず戻って来てね。お願い」

「はい、お母さん。必ず戻って来ます。それまで、お元気で」

ホログラムは、すっと消えてなくなった。それと同時に、人間未希子の心臓が止まった。

口を開いたのは、八峰だった。

「旅立ったか。我々地球人類の幼年期は終わったな。神が誕生した様なものだ」

「まさか、ここまで行くとは思わなかった。怪物が生まれるかも、とは思っていたが」

「誠さん。未希子は生まれ変わったのよ。良かったわ。戻って来ると言っていたし」

「ああ、これで良かったのだろう。後は知らん。どうにでもなれ。あっ、忘れてた。おじぃに玄孫の顔を見せてやらなかった。俺としたことが、残念な事をした」

 

 その瞬間、沖縄から何らかのエネルギーが、宇宙に向けて飛び出したのを、地球上の様々な探知器が感知していた。その正体は誰にも解らなかったが。


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「旅立ち」 居酒屋のオヤジ @yoichi-ogawa

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