2 例外のフェーズ

ある夜。

『お知らせ』とだけ書かれたサムネイルが真っ黒の動画を開くと、文章が表示された。

そこにはこう書いてあった。誤字もあるが、原文ママである。

『バーチャルYouTuber トワノ ハルの動画のお楽しみいただいていた皆様に大事なお知らせがあります。この度、諸般の事情により当チャンネルの継続が難しくなり、閉鎖することとなりますした。これまで動画を楽しんでいただいた皆様には突然の報告になってしまい申し訳あいません。今まで一緒に歩んでこられて幸せでした。本当にありがとうございまsあ』


こうして登録者数40万人という大人気チャンネルだった『ハルチャンネル』は終わりを告げた。

当然、SNS上では、悲しむ声、疑問の声が渦巻いた。悲しみを通り越して、不義理とも思える終焉に怒りを露わにする者も少なくなかった。あまりの脈絡のなさに、ただのイタズラ・ドッキリじゃないかという声もあった。

ネットニュースにも記事が上がり、そのコメント欄も荒れに荒れた。

まさに阿鼻叫喚といった様相で夜は更けていった。


翌朝、ニュースでは一つの痛ましい殺人事件が伝えられた。

「速報です。今日未明、アニメ系専門学校の声優科に通っていた遠野小春さん19歳が、何者かによって殺されているのがマンションの隣人によって発見されました。警察は現在、小春さんの身に何が起こったの捜査をおこなっています。新たな情報が入り次第、またお伝えします」



少し時を遡る。

ユウキにとっての生活の癒しは、バーチャルYouTuberだった。

『YouTuber』とは、動画投稿サイト『YouTube』に自身の作成したオリジナルの動画を投稿する者のことだ。通常であれば、生身の人間がカメラの前でしゃべったり、独自の企画をおこなったりして視聴者を楽しませるものだが、『バーチャルYouTuber』はそれの二次元バージョンだ。3Dモデルを動かして、それに声を当てておしゃべりを展開する。

それは、かつて『gdgd妖精’s』を見た時と同じ類の衝撃をユウキにもたらした。

すぐにのめり込み、今ではほぼ毎日更新される『トワノ ハル』の動画が生きがいと言ってもいいほどだった。

村山ユウキは夜、寝る前に『バーチャルYouTuber』の動画を視聴することを日課としていた。


プロ野球選手のイチローは、毎日必ずカレーを食べるという。同じ準備運動をこなし、同じストレッチをして、同じ練習メニューを消化してから、試合に臨むのだ。

毎日、同じルーティンで試合に入ることにより、どんな時も安定したパフォーマンスを発揮することができるのだ。人間の脳は「習慣」を必要としているらしい。以前読んだビジネス書にもそんなことが書いてあった。

イチローだけでなく、様々なスポーツ選手や、ビジネスピープルやクリエイターなど、多くの分野の成功者はこのようなルーティンを持っていることが多い。

「朝、必ず同じ時間に起きる」だとか。

「やらなければいけないことは生活に組み込み、習慣としてこなす」とか。そうすることで、『何をしなければならないか』を考える時間を節約できるという。

これには大いに賛同したい。まさにその通りだと思う。

だが、こんなことを言うと、必ずこんな反論がどこかから聞こえてくる。

「それは『変化』に弱いということでは?」

「どうしてもルーティンをこなせない場合は、本来のパフォーマンスを出せないという弱みがあるだろう」

なるほどなるほど。言いたいことはわかる。しかし、ちょっと待ってほしい。そんな反論にこそ、大いに異を唱えたい。大間違いだと糾弾してあげたい。

なぜなら、その反論には、2つの致命的な欠点があるからだ。

ひとつは「例外を重視しすぎている」という点だ。毎日のルーティンを決めたとして、それが例外的に崩れる状況などほとんどない。「日常」は続く。どこまでも平坦に続いていくのだ。そりゃあ「身辺の異変」「天変地異」はあっけなく日常を壊すが、その時には誰もが「日常のパフォーマンス」を追求できる状態にない。そんな例外は、考えるだけ無駄というものだ。異常への備えは必要だが、その備えが日常を侵食してはならない。

これと関連するが、もう一つの欠点は「パフォーマンスの総体を軽んじている」という点だ。滅多にない例外を心配するあまり、日常的なパフォーマンスを高めようとしないのは、はっきり言って怠慢である。

例えば、電車や車などはそうだろう。それらにとっての「日常的なパフォーマンス」とは、当然、「今いる場所から目的地へ人間を運ぶ」ことだ。そして、「例外」とは「事故」のことだ。時に死者を出す痛ましい事故にもなるが、だからといって電車や車を廃止しましょうとはならない。理由は単純で、「日常のパフォーマンス(人間の移動)」の恩恵が「例外(事故)」の損失を上回っているからだ。「事故で失われる命を軽視している」との声が聞こえてきそうだが、そっちがそう出るのなら、「そちらは人間の移動の価値を軽視している」と訴えたい。これは本当に重要なことなのだ。もちろん人死にが出ないに超したことはない。が、移動手段も大事なのだ。比較しようがない。どっちも大事なのだ。


前置きが長くなったが、村山ユウキにもルーティンがあり、それは彼にとってほとんど生存意義に等しいほどの苛烈な重要性を有している。

それがたとえ、たった数分の『バーチャルYouTuber』の動画を観るという行為であっても。

その行為によって、ユウキは仕事を頑張れるのだから。

世界の不条理に耐えてみようという心持ちになれるのだから。

自分の不遇を嘆くのを先送りにできるのだから。

だから今日も、真っ暗な部屋でベッドに腰掛け、ユウキはタブレット端末をタップしてYouTubeを開く。

そして登録済みの動画チャンネル「ハルチャンネル」から動画を再生する。

真っ白な空間に、一人の少女がポツンと立っている。まるでユウキの方が画面の中にいるかのような覗き込む眼差しで、ピンクゴールドの丸みを帯びた束髪を揺らして微笑み、可愛らしい声を上げる。


「どもどもっ! おはようございますの方も〜! こんにちはのキミも〜! こんばんはのアナタもっ! バーチャルYouTuberのトワノ ハルですー!」


俺は『おやすみのキミ』だけどな、とひとりごちるユウキの顔は緩みきっていた。安堵と発情の中間といった表情だ。


「今日の企画はー、こちら! じゃじゃーん」


と、企画を紹介し、実行した。ハルは一人なのにどこか姦しい調子で、時に笑い、時にむくれて見せ、時に悲しむフリをしたりした。

ユウキもまた、時に笑い、時に惚けて、時に憐れみながら動画を視聴した。

社会を生きるなかで磨耗した心が急速に癒されていくのを実感した。「俺はもうトワノ ハルなしでは生きていけない身体になってしまったよ」と冗談交じりにSNSに書き込むほどには、ユウキはハルに入れ込んでいた。


しかし、突然の『ハルチャンネル』の閉鎖によって、そんな蜜月の日々は終わりを告げたのだ。

例外的な『事故』によって、ユウキの日常は『例外』のフェーズへと突入した——。


あの姦しい声が、もう、二度と、届くことはない。

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バーチャルYouTuber殺人事件 吉永動機 @447ga

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