終幕
あれから二年後。
クロは庚家の仏間に居た。今までの歴代の当主たちの顔が所狭しと並べられている。こいつらはいったいどんな悪行をしてこの世を去っていたのだろうか。出来ることなら世の為にも庚の家は断絶した方がいいとクロは真剣に思う。
その仏間には自分の写真も飾られていた。死んだ事になっているのでそれも当然といえば当然だ。これをさげるかどうか悩んだがそうはしなかった。これはこれで重要な意味を持つのだ。
すでに世間一般ではクロの存在が公になっている。死んだと思った跡取りは実は生きていて普通の生活をしてた。もう滅ぶまであと少しだったのにまた続くと知った世間の反応は凄まじいものだったが、クロはそんな事はどうでもいいと思っている。
そんなことよりも今日は人生の晴れ舞台だ。そんな事を考えて落ち込んでいる暇はない。決意を新たに今日が人生の再出発になるのだ。
あの時、美雨が考えた解決方法とは、自分が十六歳になったら結婚する事。結婚すれば法律にも引っかからないし何も問題はなくなる。最初クロは反対した。今が一番楽しい時期なのに何を馬鹿げた事を言っているんだと説教をしたが、美雨はまったくもって聞く耳を持たなかった。
幸せになろうとしているのに何が悪いと言われたら何も言い返せなかった。好きな人の幸せを願うのが最良ならばそれは言い換えれば自分もという事になる。お互いが想っているならどちらかが折れるしなく、折れたのはやはりクロの方だった。
庚だと知った時も、それがどうしたという感じで美雨はまったく気にしていなかった。知り合う前なら距離をおいただろうが、好きになったあとではどうしようもないというのが美雨の主張だ。それに関して責任をとれ、と脅されてクロはそれを承諾したのだった。
「……いいのか、本当に」
今ならまだ引き返せる気もするが、そんな事をしたら美雨は烈火のごとく怒り狂うだろう。それにクロ自身もこれは嬉しい申し出といえばそうだった。庚だと知って自分に好意を寄せてくれる人がこの先現れるとは到底思えないし、それこそ紫織に言われた言葉を思い出す。
「はぁ、俺ロリコンだったのか……」
認めたくはないが、口に出して言うとなんとも微妙な気持ちになる。しかし、ロリコンだと言われても構わない。それがどうしたと開き直るのが一番だ。好きになった人が偶然歳の離れた人だっただけだ。
たったそれだけの事。
「なんてな。よし、いくか」
気持ちを切り替えて部屋を出ようとした時、クロが扉を開けるよりも早く、先に扉は開かれた。這入って来たのはクロの父、庚組の当主である蒼源だった。
「準備は、出来たのか」
「あぁ、まぁな」
縁を切ると言い出したのは自分。普通の生活を諦めて戻ると言い出したのも自分。身勝手にもほどがあるが、蒼源は特に何も言わなかった。決してやさしい父親ではない。子供の頃に遊んでもらった記憶などないし、会話さえもほとんどなかったほどだ。
「とりあえず、結婚おめでとうとだけ言おうと思ってな」
「気持ち悪い」
強面の顔のはずなのにそこから優しさが滲みでていた。しかしそれも一瞬の事だった。次の瞬間には別人かと思うほど表情が変わっていた。
「お前、“どっち”だ?」
視線を外す事なく貫いた。その眼光は凄まじい。それこそ本当に視線だけで人を殺せそうなほどだ。
「どっちだ、とは大層な質問で。父親なのにわからねーの?」
「わからんな」
正直に言った。父親だからといって、自分の子の全てがわかる訳はない。
「クロだよ。それ以外にないだろ」
「“どっちの”クロだ、と聞いている」
まるでクロという人間が二人いるかのような言い草だ。
「さぁなぁ、正直、自分でもわからんよ。惚けている訳じゃなくてな。本当にわからんのだ。俺が兄だった気もするし、弟だった気もする。でも本人たちはどっちでも良かったんだと思う。まぁ確実に言えるのは三つ子の三番目、とかじゃねーから安心しなよ」
庚クロは双子だ。
産まれた瞬間に二人は引き離された。弟は庚の家に。兄は外の世界で庚とは関係なく育てられた。なぜそのような事をしたのかというと、それは替え玉に等しい。まったく同じ顔だから、もし仮に死んだとしても代えがきく。
二人はそれを理解していた。中学生ぐらいになると家には内緒でよく会うようになっていった。そこでお互いの話をよくしたのを覚えている。外の世界で生きるのはどんな気持ちだとか庚はどんな悪行をしているだとか些細な事まで色々と話した。
一番驚いたのは二人ともクロという名前だった事。血の繋がっている兄弟が自分と同じ名前と顔をしている。本当にすべて鏡に映したかのようだった。
ある日、弟のクロは自分も外の世界で生活をしたいと言い出した。入れ替わるのは簡単だ。しかし二人はそれをしなかった。そんな簡単なものではないと知っているからだ。もしそれをやるなら一日などではなく一生やらなければならない。完全に人生の交換をしなければならなかった。それが二人の決めたルール。
そして事件は起こった。
兄の方が交通事故で死んだのだ。それを知った弟のクロは悲しいだとかそういう感情の前にチャンスだと思った。そこで父に自分を死んだ事にして外の世界で生きると告げた。替え玉として選んだのは実の兄。そして弟はそのまま兄に成り代わって生きることにした。名前も顔も同じ。何も問題はなかった。罪悪感のカケラもない。もし仮に兄弟の立場が逆でも自分は文句を言わないだろう。自分が死んでしまったら、それを都合がいいように兄弟に利用してもらった方が嬉しい。
あの家には、いたくなかった。というのが建前だ。
「ふん、まぁよかろう」
深くは聞かずに蒼源は部屋を出て行った。それと入れ替わりで美雨が這入って来た。
「あぁ、いたいた。準備できたの?」
「ん? あぁ大体できたな」
結婚の話になったとき、美雨は言った。
私は庚の名前になるのが嬉しいと。今までクロは庚の名前が嫌で嫌で仕方がなかった。常に捨てたい、名前から逃げていた。しかし、美雨はそれが堪らなく嬉しいと言う。そんな事を言われたら、まぁ悪くないのかもしれないと少し思った。
結婚式には過去世話になった知り合いをよんだ。華恋の氷室や美神、水月の社長。そこに紫織の名前がないのが悔やまれる。自分が庚の若頭と告げた時の顔はとても見ものだった。腹を抱えて笑ったのを覚えている。結婚式にはどんな用事があろうとキャンセルしてまで必ず来るようにと伝えた。もし来なかったら、と脅してまで来るように説得をしたが、笑いながら言ったので、まぁ冗談と思ってくれるはずだがその笑顔が逆に恐ろしかったかもしれないと後々気が付いた。
「最後にもう一度聞くが――」
「聞かなくてよろしい」
「……さいですか」
「今度は私が聞く番。あのさ――」
下から見上げる視線は目の前にいる自分を見ていない。
「クロはどこ?」
そう聞かれたクロは笑うのを我慢できなかった。
「なに、笑ってんの?」
「いや、なんか大きな勘違いをしてるみたいだから」
「勘違い? じゃないと思ってるんだけど?」
「いーや、勘違いだね」
「私は正直、死んだはずのもう一人のクロがまだ生きていると思っている。私を助けてくれたのはもう一人のクロだと思ってる。そして今のあなたももう一人のクロだと思っている」
美雨の表情は真剣そのもので冗談で言っているようには見えない。逆にそれがまたおかしく思えてくる。心配なのはわかるので引っ張らずにネタばらしをクロはする。
「もう一人のクロは確実に死んでるよ。そして俺が多重人格とかそういうのでもない」
その言葉が本当なのか見極めるように美雨はクロの瞳をのぞき込んでいる。
「じゃ、どうゆうカラクリ? 明らかに雰囲気とか顔つきが違うんだけど」
普通の人から見れば一緒に見えるが美雨から見ると全然違うらしい。
「カラクリときたか。カラクリもなにも、ただ演じてるだけだよ」
「演じてる?」
「そうそう。もう一人のクロは俺の憧れだった。力も心も強かった。頭はいいしすべて俺の理想だった。だから俺が自分じゃどうしようもなくなった時、あいつならこうするだろうと考えて、あいつになりきって行動してたんだ。だから本当にあいつの人格が入ってるとか二重人格とか実は生きてるとかそういう事は絶対にない」
ただの演技。そう自分が思い込むことによって力を借りていた。一種の自己催眠みたいなものだろう。弱い自分を隠すために演じた。
美雨はそれでも信じていないような真っ白な視線を送ってくる。そして一言。
「役者になれるんじゃない?」
「一人しか演じれないから無理」
それから二人は一度クロのアパートへと向かった。引っ越しも終わってここには何も残っていない。何もない部屋を見ると急に寂しく感じた。
「何やってんの?」
気が付くとクロは部屋のド真ん中で大の字に寝ていた。
「うん? うん、物思いにふけてみた」
今日結婚する。今まで苛烈な人生だったのは間違いがない。これまで抗ってきた人生を思い返すと色々な事があった。しかしそれは所詮過去の事で終わった事だ。
それらは、もう終わった。
どうしようもないほど過去の産物になった。
それでいいと思える。
「なんか混乱させてごめんな?」
「まぁびっくりはしたよね」
「ごめんな」
「埋め合わせが楽しみっ」
「……努力しよう」
これはどんな無理難題を言われるか先が思いやられる。真実を知って離れていこうとしないだけでもクロはありがたいと思った。それだけの事をしたと思っている。汚い部分は見せたくない。
しかし、今までやってきた事は間違いではなかったみたいだ。理由はいうまでもなく、今現在隣に美雨がいるからだ。
「唱えよ。心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを超えたものなり。悟りはその時かなうだろう。すべてはこの真言に成就する――」
うん、今がその瞬間なのだろうと実感できる。
美雨はクロの横に同じように寝転がってみた。静寂の耳鳴りが聞こえてくる。
幸せだと実感できる。
「こんな幸せでいいのか、って思ってるでしょ?」
「まぁな。こんなハッピーエンドが待っていようとは夢にも思わなかった」
それを聞いて美雨は屈託のない笑顔でこう言う。
「何言ってんのよ。これで終わりじゃないよ。ここから始まるんだからハッピーエンドじゃなくて、ハッピースタートよ」
それを聞いてクロは、あぁその通りだと思い、幸せを噛みしめながら静かに目を閉じたのだった。
終わり
抗い人 夜行 @mujunkairo
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