約束~紫苑の記憶
@tabizo
約束~紫苑の記憶 【Promise~Memory of Sion】
年明けに降り出した雪が窓の外を静かに舞い、街の灯りが夜の闇に小さくまたたいている。小さなワンルームマンションの一室。
俺は缶ビールを片手にテレビの画面をただぼーっと眺めていた。
テーブルの上には、何かを打ちかけたままのパソコン。その横には古びた紙片がひとつ。これは年末に実家に帰った時に自分の古い私物を整理していて見つけたものだ。
(こんなものをとっていたんだな…)
心で呟きながら、紙を広げる。子供の字で短い言葉が書かれている。
“おおきくなったら、けっこんしようね”
俺の心の中にある記憶が一気に当時の風景を呼び覚ます。
一面のれんげ畑の中で、幼なじみの女の子が一枚の紙を俺に手渡す。
恥ずかしげにうつむく少女。読んだ俺は照れ笑いしながら頷く。
誰しもが経験あるだろう、よくある子供の頃の約束―。
“子供の頃の約束なんてあてにならない―”
そんなことはわかっている。
それを信じていたわけではないけど、俺は今も独身だ。
むしろこの思い出はいいものではなく、俺の忘れたい過去として記憶の奥へと押しやっていた悲しい思い出だった。
あることがきっかけでその娘と距離を置くことになり、修復できないまま俺が引っ越し、それっきり。原因は俺にあり、自業自得なのだが、あの娘の悲しそうな目が心を締め付け罪悪感から逃げるように記憶を封印していたのだった。
(今頃どうしているだろうな…)
ただ俺の記憶から今の今までその子の存在は消えていた。
というか消していたと言った方がいい。
(名前…なんだっけ?顔もうっすらとしか思い出せない)
でも何故かそのことが気になっていた。
過去のどこかに置いてきたこの悲しい記憶の重い扉が偶然にも開いて、決着をつけろと言われている感じがしていた。
窓の外の雪は次第に激しくなり、夜はただ更けていった―
☆☆☆
いつもどおりの忙しい日常が始まったある日の週末、俺は昔住んでいた場所に行ってみることにした。
駅を降りて記憶をたどりながら歩いていく。街の風景は見事に変貌し、初めて来た場所のようにさえ思えた。周りの田んぼや畑だった場所にはマンションが建ち、工場だった場所が別の店に変わっていたり、時間の流れを感じながら自宅のあった住宅地まで来た。住んでいた場所の建物は古くなっていたけど昔のままだった。この家の向かいにあの娘は住んでいた。登校は集団登校で一緒だったけど、帰りも待ち合わせをして一緒に寄り道しながら帰った。お互いの家にもよく遊びに行った。ほんと二人でよく遊んだ。気が合ったのかほとんどケンカもせず一緒にいた。
でも、ある時を境に疎遠になってしまった。
『アツアツやな~。ヒューヒュー』
『いつも女とばかり遊びやがって、いっそのこと女になってしまえ!』
二人でいつも一緒にいることをクラスのみんなに囃し立てられ、多感な小学校の低学年だったこともあり俺はむきになってあの娘を避けるようになった。
話しかえられても内心とは裏腹に無視し続けた。
そして決定的な出来事として、あの娘がいじめられた時に助けずに見捨ててしまった。それ以来向こうも俺を無視するようになった。
結局、関係を修復できないでいるうちに親の転勤で引っ越すことになり、完全に機会を失ってしまった。子供心にこのことがすごく悔やまれ、しばらくはずっと落ち込んでいた。次第にそのことは心のどこかで忘れたい記憶になり、あの娘のことは次第に忘れていった。
今、その事を再び思い出し、切ない気分になった。俺はその娘の住んでいた家の方に歩いて、表札を見た。記憶のない名前がそこにあった。とっくに引っ越してしまっているのだろう。まぁ、もしまだ住んでいたとしても今更どうするつもりもなかったが。残念な気持ちとホッとした気持ちが入り混じり、俺は空を見上げた。
あの当時と同じ、旅客機が大きな音を立てて上空を通過していった。
俺は、ゆっくりとあのれんげ畑のあった場所へと向かった。
☆☆☆
れんげ畑のあった場所は、今は綺麗に整備された公園になっていた。
実はこの場所を訪れるのは初めてではなかった。高校を卒業したばかりの頃、偶然近くまで来たことがあり、懐かしくて立ち寄ったことがあった。その時からこの公園はある。ベンチに腰掛け花壇の花を眺める。名前は知らないが薄紫の色の花がたくさん咲いていて風に揺れていた。あの時もこの花が咲いていたような気がする。
俺は持ってきていたデジタル一眼レフのシャッターを切る。
ブログに掲載するためだ。俺は今、ブログをやっていて趣味の写真を不定期でUPしているのだ。主には飛行機や乗り物の写真が多いが、風景写真も気にいったものだけUPしていた。この公園の風景をなぜか載せたくなって写真を何枚か撮って、俺はこの場所をあとにした。
休日が終わり、再び慌しい日常が始まった。しばらくなんの変化もない今までどおりの日々が続いたが、少し変化が起きた。
俺のブログ―ただ写真ばかりを載せているありきたりな内容で、訪問者はしても誰もコメントをしてくれる人はいなかった。俺もそれが当たり前のように思っていて気にもせず、自己満足の中で更新を続けていた。
ある日、そのブログにコメントをしてくれた人がいたのだ。
“あの写真の公園、とても懐かしくて思わずコメントしてしまいました。昔この近くに住んでいたもので、この公園には大切な思い出があるのです”
コメントの主は『十五夜草』と名乗っていた。男性のようでもあり、女性っぽくもある。性別はどちらでもいい、自分の写真に関心を持ってもらえたことが単純に嬉しかった。
それを境に俺のブログで写真をUPするたびに『十五夜草』さんはコメントしてくれるようになった。どうやらたまたま私の風景の写真が目にとまり、気に入ってくれてたまに訪問してくれていたようだ。そして公園の写真を見てコメントしてくれたようだ。話の流れからもしや…とか想像してみるが流石にそんな偶然は有り得ない。でもどこかにその途方もない想像が当たってくれていることを願う自分がいた。
『十五夜草』さんとは気が合い、記事以外のことも話すようになっていった。
何度もブログ上のやり取りがあり、気心が知れた私たちは一度会おうということになった。ブログ上の会話の中で『十五夜草』さんが女性だということだけはわかった。でも女性に年齢を聞くわけにもいかず、年齢はわからずじまいだった。
そして迎えた会う日の当日、淡い期待を持ちながら俺は待ち合わせ場所に急いだ。
☆☆☆
待ち合わせあわせ場所はあの公園。彼女―『十五夜草』さんが指定してきた。
予定時間より少し早く着いた俺はあたりを見回した。
公園にいるのはこぎれいな身なりの男性ひとりだけ。どうやら待ち合わせをしているようだ。
(こんな公園で待ち合わせするなんて、他にはないだろうな―オカマちゃんだったのか…。俺とした事が、情けない。)
動揺を隠せない俺。舞い上がっていた自分が恥ずかしい。
(さて、どうするべきか。声を掛けずにこのまま帰るか…一応挨拶だけして早々に引き上げるか)
俺にはそういう趣味はない、でも約束をすっぽかすのも人としてどうかと思う。相手がどんなつもりでいるかわからないが一応会うのが礼儀だろうと思い直し、男性に歩み寄る俺。勇気を出して声を掛ける。
「あの、十五夜草さんで―」
俺が言い終わらないうちに知らない女性が男性と俺との間に入ってきた。
「遅いやん」
「ごめ~ん。車が混んでて」
待ち合わせをしていたカップルのようだった。
「あの…何か?」
男性が女性越しに聞いてくる。
「いえ、人違いでした…すいません」
(恥かしい、めちゃくちゃ恥ずかしい)
相手がオカマちゃんでなくてよかったと胸をなでおろすも、その様子をみてクスクス笑う女性がいた。
「すいません。ちょっと可笑しかったもので…。あ、遅れてごめんなさい」
女性が声を掛けてきた。年齢は俺と同じくらいかそれより少し若いくらいか。
綺麗というよりは可愛らしい感じの女性だった。
「あ、あれ…どうも、十五夜草さん…ですか?」
俺は焦りながら聞き返した。
「そうです。こんにちは十五夜草こと中西 由香です。」
彼女は明るく答えた。
「は、はじめまして安田 宏幸です」
俺はあわてて挨拶した。
まじまじと俺の顔を見ていた彼女から意外な言葉が返ってきた。
「やっぱり―」
俺はなんのことかわからず、彼女を見つめた。
(あ!思い出した…幼なじみのあの娘の名前は由香、苗字は中西だった)
「もしかして…」
俺が言いかけると被せるように彼女が言った。
「やっと思い出してくれましたか。久しぶりだね」
「何十年ぶりかなぁ、小学校の時以来だもんなぁ…」
俺は感激しながら言うと彼女は首を振った。
「それから後に会ってるじゃない?覚えてない?」
俺は必死に記憶をまた辿りはじめたが、思い出せない。
見かねた彼女が助け舟を出す。
「ほら、高校生ぐらいの時、ここで会ってるよ。私たち」
「えっ?!」
(高校卒業前にこの公園に来たことはあるけど…あっ)
あの時、懐かしげにベンチに座っていた時に見知らぬ女性から声を掛けられたっけ。あの時は「地元の方ですか?」というようなことを聞かれ、道を尋ねられてると思い、「いいえ。昔住んでいただけで、この辺りは詳しくないんです」と答えた気がする。あの時の女性が由香だったのか。大人びて見えたのでずっと年上の女性だと思っていた。
「まぁ、私もあの時は名乗れずにいたけどね」
あまりのことに彼女の顔を見たまま俺は固まっていた。
「どうして…どうしてあの時、声を掛けてくれなかったの…かな?」
彼女は小さくため息をつきながら空を見上げて言った。
「なんだかさぁ、少し寂しかったんだよね。あの時は私はすぐにヒロ君だとわかったのに、私のことに気づいてないみたいだったし」
俺が何か言おうとするのを遮るように彼女は続けた。
「それにさ、恥ずかしいでしょ?私だけいつまでも過去に縛られていたのに、相手はそんなこと全く忘れて、記憶の片隅にもなかったら。はぁ?誰ですか?とか言われたらもう耐えれそうもなかったし」
俺はまた後ろめたい気持ちになってうつむいた。
「とりあえず座りましょ」
彼女に言われて、並んでベンチに腰掛けた。
視界一面に薄紫の花が咲いている。あの時と同じだ。
「この花、何と言う花か知ってる?」
彼女が不意に聞いてきた。
「いや」
俺はそれだけ答えると彼女は続けた。
「この花は紫苑(シオン)というのよ。菊科の植物で十五夜草ともいうの。
私はこの花が好きで、引っ越す前まではよくこの公園に来て眺めていたの」
俺は黙って花を見て頷いていた。
「変な別れ方しちゃったから、心の奥でずっとひかかってたのよね。だからいつか会えたらちゃんと話したいと思っていたの。来るわけない人を求めてよくあの公園に行ってたのに、実際に会ったら何も言えなかった…」
彼女が真剣な顔になって言った。
「でもね、ブログのあの写真を見た時、運命的なものを感じて…勇気を出して声を掛けてよかった」
「俺もあの時のことがずっと気になっていて、謝りたかったけど機会を失ってしまったので、いつの間にか消したい記憶になっていて、記憶を封印してしまっていた。あのときは本当にごめん、子供だったけど子供過ぎた。そして気づかずにごめん。」
もっといろいろ言いたかったけど、いろんな想いが溢れ出てきて、それだけ言うのがやっとだった。
「ありがとう…私もごめんなさい。あの時引っ越すと知らなかったから、話したそうにしてたヒロ君に気づいていたけど無視してた。私なりの意地があったのよね。でも急にいなくなられて文句も言えなくて、ただ悲しくて。」
彼女が目に涙を浮かべながら言った。
わだかまりが解けるとお互い話したいことはたくさんあった。
俺たちは近くのファミレスに場所を移して二人で昔話に花を咲かせた。
☆☆☆
再会してみて改めて思ったが、彼女といるとなんかホッする。どこか感性が似ているところもあるのだろうけど一緒にいて唯一楽しいと思える女性だった。
今まで女性と付き合ったことがないわけではない。友人の紹介で3年間だけ付き合った女性がいる。3年目のクリスマスに向こうから別れを切り出された。
“正直なところ将来、二人でいて楽しい自分が想像できない”と言われた。
つまり一緒にいてもつまらないということだった。正直ショックだったが、以前にも告白して“あなたは真面目で誠実そうだけど面白みがないから、付き合えない”という理由で断られたことがあり、またかという感じだった。それ以来、自分に自信が持てず、結婚も半ば諦めていた。
彼女も結婚を意識した男性は何人かいるようだったが、うまくいかなかったらしい。俺は何度か会ううちに彼女との結婚を意識しはじめた。
映画を見たり、日帰りで観光に行ったりしていたのだが、お互いに正式に付き合おうとは言っていない。あくまでも親しい友人というスタンスから抜け出せていない。二人で出かけてもデートのようでデートではない壁を感じていた。
ある時、俺は彼女に切り出した。
「俺たち、正式に付き合わないか?」
彼女は一瞬驚いたような表情をみせ、静かに口を開いた。
「それはダメ。付き合うのは無理」
恐れていた返事だった。彼女もどこか俺から“面白くない男”を感じていたのだろう。一緒にいて安らぎを覚えていたのは俺の方だけだったのだ。
「そうか…」
俺は悲しげに目を伏せた。
「違うのよ。ヒロ君といる時は楽しいんだけど、訳あって付き合うことはできないの…」
彼女は慌てて言う。
「私は“呪われた女”なのよ」
「…??」
俺にはその言葉の意味が理解できなかった。
「そんな説明では全然納得できない。どういうことか…詳しく訳を聞かせてくれないか?」
俺は頼み込むように彼女に言った。
彼女は観念したように話はじめた。
「実は―私が付き合った男性は何故だかみんな不幸なことが起きるの」
あまりの話に俺は黙ったまま聞いていた。
「そして、結婚の約束をした途端、みんな不慮の事故とか病気で突然、亡くなってしまうの…」
俺は否定した。
「そんなのただの偶然じゃないか。なんの科学的根拠もないし」
彼女は首を振る。
「5人もよ…5人ともそんな偶然が?呪われているとしか考えられない」
俺はそれでも否定した。
「そんなこと有り得ない。俺は大丈夫だから」
彼女は黙ったきり、首を縦に振ることはなかった。
もしかして俺を傷つけないように気をつかって無理やり断る理由を作り出しているのかもと思いそれ以上、俺は何も言わなかった。
何も言わない二人の中でだた時間だけが過ぎていった。
ふぃに彼女が口を開く。
「できれば、このままの関係で一緒にいたい。ヒロ君に他に好きな人が出来るまででいい。身勝手な条件だとわかってる。私たちは絶対に付き合わないし、結婚もしない…この約束が出来るならどうか、このまま…」
最後の言葉は涙で声にならなかった。
俺は黙って強く頷く。
(それでもいいから彼女と、由香と一緒にいたい!)
それを見た彼女にわずかながら安堵の表情が戻った。
色づき始めた山々が季節の移ろいを感じさせるある日の午後、悲しくも優しい約束が、二人を運命の波の中に引き込んでいった。
☆☆☆
それから5年が過ぎ、俺の隣には今も由香がいる。
俺は赤ん坊をあやしながら、写真立てに目をやる。
そこにはウェディングドレスを着た由香と俺が写っている。
“大人の約束の方が、あてにならない―”
そう心で呟いた俺は料理を作っている由香の方をみて微笑んだ。
あれからやはり中途半端な関係に耐えられなくなった俺は何度となくプロポーズをしていた。どうして首を縦に振らなかった彼女が、俺のある一言で了承してくれた。
あれはちょうど2年前になるか。
俺は胸に秘策を抱えて、彼女を呼び出した。もちろん結婚をOKしてもらうためだ。
「二人の将来のことなんだけど…」
俺が切り出すとまたかというような表情で彼女が言う。
「その件だったら何度も言ってるでしょ。私はヒロ君に死んで欲しくない」
俺はニヤリと笑いながら話を続ける。
「由香は確か婚約したら相手はすぐ死んじゃうって言ったよな?でも俺は今までピンピンしてるし、全然大丈夫だけど。」
きょとんとした表情の彼女。
「それは私が結婚の申込を断って…」
彼女の言葉を遮るように俺は言う。
「もうしてるよ婚約。覚えてないかな、あの時何十年も前にれんげ畑で―」
ハッした表情を見せる彼女。
「だからもう大丈夫なんだよ。そんな不幸なジンクス気にすることはないんだ」
あの時見せた彼女の笑顔は最高だった。
「呪いもすでに時効が成立しているみたいだな」
ふざけてそう言った俺に彼女は笑いながら言った。
「何それ?でも、ありかも」
俺は窓の外に目をやる。
家の小さな庭に薄紫の花が風に揺れている。
あとで調べてわかったんだが彼女が好きな紫苑の花言葉には、
“君を忘れない”
という意味もあるそうだ。
完
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