エピローグ さよならは言わない
「今日の紅茶はおいしいですね」
「本当ですね」
季節は冬に変わり、草も花も生き物たちも、次の春が来るまで、また生まれてくる新しい命のために大地の下で、冬が通り過ぎるのを、じっと待っているのだ。
「そう・・・エリード兄さんも・・・」
改めて女王に就任したアリサは、マラーナだけを自分の部屋に招き入れて、安らかな午後を、女二人で静かに楽しんでいた。
「エリード様のご冥福をお祈りいたします。」
「気を使わなくていいのよ、マラーナ。あなたたちをあの夜、襲ったのは、エリード兄さんの息のかかった者たちなのよ」
マラーナは、自分が死んだかもしれないあの夜のことは忘れて、自らの野心によって滅びたエリードの冥福を祈っていた。
「いえ。もしかしたら、あの日、私たちは死ぬべきだったのかもしれません」
「マラーナ・・・」
「リスクが、野心も少なく、魔王を倒した後、田舎でひっそりと暮らしていれば」
「でも・・・私は彼を好きになってしまった時期もあった・・・前途が明るい青年を間近で見て私も野心の光にやられてしまった・・・卑しい女の一人です・・・」
「アリサ・・・・」
ここには、被害者もいたし、加害者もいた。みなが被害者であり、この狂乱に荷担した、加害者でもあった。
「・・・でも・・・安心しました・・・」
マラーナは、紅茶を一口飲むと、アリサをみつめた。
「何がですか・・?」
アリサは、マラーナが微笑んでいる理由を知りたかった。
「あなたは、もう大丈夫。きっと、この世界で初めての・・・最初で最高の女王になる・・・」
マラーナは確信を持って、アリサに、自分の言葉のボールを投げた。昔、彼女と城のパーティですれ違ったときは、マラーナはアリサに対して良い印象を持っていなかった。世の中を知らない、贅沢三昧で努力も挫折も味わったことのないわがままな姫という印象が拭えなかった。それは確かに下級市民出身のマラーナの中にある多少のやっかみや偏見もあっただろう。だが、今の彼女は、過去のそれではなかった。王としての気品、オーラ、そして挫折と苦労と悲しみを乗り越えた風格が、全身に漂っていた。
「ありがとう。でも、もの凄いプレッシャーだわ。私には政治のことは、未だによくわからないし、またこの世界は男性社会で、私よりも年上の人の使い方もこれから知らなくてはいけない。父ラダムと当分比べられるわ」
笑いながらも、アリサの目は、まっすぐマラーナをとらえていた。
「ハーグ政務官だっけ・・・?あの人は素晴らしい人よ。野心もなく謙虚で誠実だから・・国内政治は彼に任せれば・・それにサイロンさんだって軍務は彼に任せればいいし・・・とにかくあの二人がいれば、アリサはただ座っていればいいのよ」
「ちょっとまって」
アリサがマラーナの会話に、割って入った。
「二人って・・あなたたちの役職も、もうすでに決めてあるんだけど?」
アリサは、当然、マラーナとリードも女王に就任した自分を、下から助けてくれるものだと思ってた。
「えっ・・・?私たちは役職に就かないわよ・・・・?」
マラーナは、驚いた顔をするアリサに、平気な顔でそう言った。
「ええっ?!」
新騎士団長のポストと秘書兼アドバイザーとしてのポストは、アリサがリードとマラーナのためにハーグに無理を言って作ってもらったポストだ。
「どうするの!?私は、誰に愚痴・・いや相談すればいいのよ!」
アリサは、涙目になって、それを隠すために机に顔を伏せた。その上からマラーナの優しい言葉が覆い被さる。
「アリサ・・・ごめん・・・息子と話して決めたことなの・・・」
マラーナが、アリサの肩に優しく手を置いた。
「どうして・・・?あなたたちに・・私はいてほしいのに・・」
「・・・私たちは・・・あなたたちの側にいないほうがいい・・・特に息子は・・・ね・・」
「・・・・・・・・・・」
「あなたもわかるでしょう?・・・アリサ・・・息子を夫と同じ道に行かせたくないの・・・」
「・・・・・・・・・だから・・・城から出る・・・」
「本当の危機がまた起きたときは、私たちを呼んで。すぐに駆けつけるから」
「ありがとう・・・マラーナ」
「もういくわね。息子が待っているから。紅茶美味しかったわ・・・」
マラーナは、涙目のアリサに短く挨拶をすると、アリサの部屋を一人出て行った。アリサの部屋の前では、サイロンと、ハーグ政務官が気難しい顔をして立っていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「お気をつけて・・・・」
サイロンが、マラーナに声をかけた。
「ありがとうございます。あなたのおかげでここまでこれました。今度は、アリサさんのために、その命を捧げてください。私たちとは、ここまでです」
サイロンは、黙ってマラーナに頭を下げた。この謙虚さえあれば、サイロンは大丈夫だと、マラーナは声もなく、思った。
「マラーナ様、いつでも戻ってきてくださいね。アリサ様は対等のご友人が必要です」
「ありがとう。ハーグさん。あなたもアリサ様の愚痴を聞いてあげてください。何かありましたら、マルス村に手紙を書いてください。旅の途中で必ずそこであなたの手紙を読みますから」
「ありがとうございます」
ハーグ政務官は、必ずアリサ王女の暴走を止めてくれるだろう。彼女が独裁者や魔王になることはない。ハーグもマラーナに頭を下げた。マラーナはそんな二人に頭を下げて最後の挨拶をし、城の外側にある門をでた。
「・・・・・・そう言えば・・・私がこの城を出て行くのも・・二度もだったな・・」
あの時は、目の前には絶望しかなかった。リスクに捨てられ、お腹にいた息子と二人、行く宛てもお金もなく、自殺しようかと思っていた。だが、そんなマラーナを救ったのは、自分のお腹を必死で蹴ってくる、小さな命だった。
『そうか・・・お前は・・・生きたいのね・・・ごめんね・・・』
その日から、マラーナは子供と二人で、生きていく決意をした。子供が大きくなるにつれ、かつて、愛した夫が持っていた力の存在を知ったマラーナは、その息子の才能を愛しつつ、息子が暴走しないように躾を止めないようにしようと思った。噂で元夫が魔王になったという知らせが届いたとき、マラーナは運命を感じた。
『彼を止められるのは、息子しかいない・・・』
そのマラーナの勘は、あたった。そして無事、二人、また自分の家に帰ろうとしていた。
「おまたせ」
息子のリードは、元魔王である祖父と二人で、マラーナを待っていた。
「遅い!」
リードは、祖父との共通の会話がないようで、ずっと黙って下を向いていたようであった。
「ごめんね」
マラーナは、短く言葉を切ると、リードの頭をなで、遅くなった非を詫びた。
「おじいちゃんと話すことは、あんまりないようだな」
祖父は、下を向いているリードを、少しからかった。初めて会う年上の肉親と、どんな会話をしていいかわからないリードは、まだ精神的に子供であった。
「これからどうするんですか?私たちは、城を離れて家に戻ります。」
マラーナは、義理の父の行く末を、他人行儀な言葉で推察した。
「私も家に帰るよ。誰も待っていない家だが、ここにいて、煙たがられるよりマシだよ。俺もまた・・魔王だったからな・・」
祖父は、もう、かつての魔王の目はしていなかった。マラーナは、彼と戦ったあのころを思い出さないようにしていた。
「お元気で。すいません。ずっと休まれていたのにあなたを天国から、再び呼び戻してしまって」
マラーナは、死んだ祖父を自分の魔法で蘇生したことを謝った。
「いや・・・こっちこそ地獄から呼び戻してくれてありがとう。私は生きている間、ろくなことをしなかった。その罪滅ぼしを、これからの短い人生の中で、やるつもりだ。リード、お前は俺たちのようになるなよ・・・」
祖父は笑いながら、リードの頭をなでた。
「・・・・・・・・・・・」
リードは何もいわず、照れくさそうに、祖父から視線の照準をはずす。
「それじゃあ、さようなら」
「ああ・・・気をつけて・・・」
祖父とはマラーナたちは、別々の道を歩いていった。リードはマラーナと一緒に歩きながら、時折(ときおり)祖父の方向に顔を向けた。
「・・・・・・・・・・」
祖父の小さな背中が、どんどん小さくなっていった。そしてリードは、その背中が見えなくなるまで、目で追い続けていった。
おしまい
勇者だった僕へ そして 魔王になった僕へ 三上 真一 @ark2982
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