その男は……

大木 奈夢

第1話  その男は……

 その男は、自分が誰かに似ているなどということを、それまでは考えても見ませんでした。


 ところが昭和50年頃、バイト先で10歳ほど歳上のお姉さんに「三浦友和に似ているね」と言われたことで、自分が有名人の誰に似ているかということを大いに意識するようになりました。


 三浦友和は当時、山口百恵との共演で人気絶頂にあった大スターです。その大スターに似ていると言われたことで、まるで自分の容姿を誉められたかのように思い舞い上がってしまったのです。


 それはその男が二十歳位の時でした。


 実際は、どこがどう似ているなどと具体的に言われた訳ではありません。恐らく、年令が近いことと中肉中背であること、強いて言うならばあまりお喋りではなく落ち着いた雰囲気というところが、似ているといえばそう言えなくもないという程度のことだったのでしょう。


 その後20年近くその男は自分は三浦友和に似ているのだと思い込み、人にもそう言い続けていました。


 しかし20年も経ってしまうと、時の流れとは恐ろしいもので、流石にどう見繕っても似ているとは言えなくなってしまいました。


 その頃男は髪の毛が薄くなってきたこともあって、全体的にかなり短髪にしていました。当然、本家である三浦友和の髪の毛はふさふさのままです。


 男が短髪にすると、三十代にコンタクトを諦めてかけ始めた四角い眼鏡が合わなくなっていました。そこで少しふっくらとした顔に合わせて、丸縁眼鏡に変えることにしました。


 その男はかなり面倒くさがり屋で、4・5日間髭剃りをサボって無精髭を生やすことがよくあります。するとある人から「なんかジャン・レノに似ているんじゃないの?」と言われました。

 言わずと知れたフランスの個性派名俳優です。(国籍は違うのかもしれませんが……)


「じゃないの?」というのは「そうかも知れないが、そうでないかも知れない」という裏のニュアンスも含まれます。しかし言われた当人は、そこまでの裏読みはできませんでした。

 勿論、男が天高く舞い上がってしまったことは言うまでもありません。

 豚もおだてりゃ木に登る。あまりにも高く登ってしまった為に、降りることができなくなってしまいました。


 それから約20年、男はずっと「俺はジャン・レノに似ている」と称してきました。


 しかし時の流れは無情です。いえ残酷とさえ言えます。

 20年で髪の毛は更に薄くなり、いくら厚顔無恥な男でもとても「ジャン・レノ」と称することはできなくなりました。


 こめかみ部分が大きく後退し、額の中央部分は産毛のような髪の毛がうっすらと残っている状態です。

 

 男はもう、有名人に似ていると称することを諦めようと思いました。


 ある日テレビを観ていると娘が

「この人パパにソックリ」と言いました。


 今まで男は、有名人に似ていると言われることに喜びを感じていました。しかし今回は素直に喜べませんでした。


 有名人には違いありません。人気もあります。好感度もかなり高いはずです。でも似ているとは言われたくなかったのです。


 多分、自分がコンプレックスの感じている部分を強調されているように感じたのでしょう。


 その男は自分の娘を凝視しながら、「いくらなんでも『ジャン・レノ』から『鶴瓶』はないだろう」と呟いていました。

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その男は…… 大木 奈夢 @ooki-nayume

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