第7話

子役になんかなりたくなかった~あるカウンセラーの逆転移~第七章


 僕はそれらを目にした。

“明日。もう明日だ。新幹線で行くとなるともう朝には発たなきゃいけない。志那は来るのか?来なかったら僕はどうしよう。十和田市の警察署に通報か。大体本当に志那は来るのか?

 僕はいろいろな事で頭を悩ませた。とにかく明日は早い。気持ちも動揺してる。寝よう。明日は思考がまともに働く状態で新幹線の中で考えよう。どうしようと時間は流れる。早くも遅くも。僕はミルクを飲んで、その晩は床に就いた。


 朝七時に目が覚め僕は駒沢大学までいつも通り、定期でバスに乗り、いつもどおり渋谷に向かった。しかしいつもと違って、渋谷からまた山手線に乗り換える。東京駅を目指して。東京駅に着くと、いろいろ考えごとをしたいので指定席の切符を購入した。夏休み前とはいえ、もし座れないことがあったらそれこそ苦痛だ。そわそわしながら解決するかも分からない問題を抱えて、ずっと立っていることは考えられなかった。

 僕は新幹線に乗り出発した。

 大宮、宇都宮、仙台。盛岡そして八戸、七戸十和田に着いた頃には午後三時を回っていた。そして計算通り、四時前には十和田市駅に着き、駅ビル内に入った。

 しかし僕は右手に腕時計をしなかった。駅ビル内のファーストフードコーナーの中を見回したが、右腕に時計をしている人などいなかった。僕は予てからの目的で志那を捜した。しかし店内は思ったよりも広い。大体駅ビル内にいないで、もうすでに着いていて、外で時間を潰しているとしたら。またサイトの人達と六時ぎりぎりに合流して止めに入れなかったとしたら。

 僕は考えた。考えながら荷物を持って、キョロキョロしていた。多分不審者と見られても不思議はないだろう。しかしこんな東北の果て青森で、不審者と思われたところで、僕の人生にさほど大きな影響は与えない。そう思った。

 僕はいったん駅ビルから出て、青森の新鮮な空気を吸った。建物こそあるものの、駅から田んぼが見えるほど、そこはのどかな町であった。こういう自然の中に囲まれて、少しでも

“自分て何てちっぽけな事で悩んでたんだろう。”

 そう思い直してくれる人がいたら。僕は駅前で木箱ごと売っている落ちリンゴと書かれているりんごを指さして、販売人に声をかけた。

「すいません。この落ちリンゴっていうのは?」

「お兄さん帰省?」

「えっ?」

「十和田の人なの?」

「いえちょっと遠くから」

「仙台の方とか?」

「まあそんなもんです。あのこの落ちリンゴは文字通りいったん地面に落ちたリンゴってことですか?」

「そうだよ。でも味は全然変わらないよ。よく熟しているからかえって甘い位。」

「ばら売りはしてないんですかねえ。一個百円とか」

「百円?五十円でいいよ」

「五十円?いいんですか?じゃあ一つ」

 僕は落ちリンゴというものを買い、服の端でリンゴの周りを拭き、そのまま、丸かじりをした。味は日本中に知れ渡るだけあって、確かに美味しかった。僕はもう一つの目的のためこの地元の人であろう販売人に尋ねた。

「あの。十和田という街にはやはり観光客は訪れるのですか?」

「そんだねえ。十和田は何も見るところはねえよ。十和田湖の方に行く人はいっぺいいんけど。」

「観光客は十和田湖まで行くのですね。ここから近いんですか?」

「近いって言ってもねえ。なんせバスで一時間以上あるってからさ。そったらすぐでもねえよ。」

「一時間……それでちょっとお尋ねしたいんですけど。この辺で、つまり十和田湖で物騒な事件とか起こることはありませんか?年に一回くらいなんか警察沙汰の。」

「物騒?特に聞いたことはねえけんども……おたくさん何やってる人?なんか気になることがあるなら一一〇番した方がいいよ。どうしたのよ?」

「いいえ。なんでもないんです。すいません。ありがとうございました」

 僕はいそいそその場を去った。仕方がないので駅ビルのファーストフードコーナーでクレープを食べホットコーヒーを飲むことにした。まだファーストフードコーナーに人はたくさんいるものの、右腕に時計をしている者は一人としていなかった。しかし先ほどに比べて若い人がたくさん目に付いた。さっきまでは腰の曲がった、農家であろう年寄りの人が結構占めていたのに。僕は落ち着きのないままただ待っていた。

 十分、二十分、三十分待ちもう五時半になった。途端ずっと先程から自分の隣に座っていた若い女性が左腕の時計を外した。彼女は自分の時計を眺め、ふうっと溜息をついてその時計を右にはめようとした。慣れない左手でその時計をはめ、そしてまた何事もなかったかのように頬杖をついた。

“いた。一人現れた。確かにサイトの計画は決行している。”

と、思った瞬間前方にいた若い男女も左手の時計を外し、右手にはめた。側にいる女性も太った男性ももう皆すでに来ていたんだ。皆右腕に時計をはめても、駅ビル内では誰も気にかける者も現れなかった。そのはずだ。俺達にしか分からない印だ。穏やかそうな老婆が腰を曲げて買い物用のシルバーカーを押しながら歩き、ファーストフードコーナーの店員も淡々とクレープを焼き、どのショップの店員も何事もなさそうに、仕事をしている。しかし目印の意味を知っている僕にとっては、そこは異様な風景にしか思えなかった。皆ひっそりと、死へと向かう印をつけて。

 僕は次々と右腕に時計をはめる人間達に囲まれてしまった。


 そのとき僕ははっきり目にした。

 

 丁度このオープン作りの一Fのファーストフードコーナーからはっきり見える二Fのアクセサリー売り場で。長い髪、スマートで華奢な手足。そう。何度も見たあの後ろ姿。それもスクリーンの中ではなく、今現実にはっきりと。何年ぶりだろう。

 ああそしてこちらを振り向く。

“志那だ。”

 僕は慌ててエスカレーターの方に向かった。志那は左手の時計を外そうとしながらエスカレーターの方へ向かっている。

 二Fにいる彼女はもうエスカレーターの目の前だ。降りてくる前に右腕にでもされたら皆に気付かれてしまう。まだ角度的に皆に気付かれていないものの、僕が上がっていく前に彼女がエスカレーターに乗ってしまう。僕はひたすら走った。間に合わない。こののどかな駅ビルで一人エスカレーターの昇りを大股で走って行った。途端志那がこちらに一瞥を投げ、そのおかげで右手の腕時計をはめそこなって、時計を落とした。

“やった間に合った。”志那はしゃがみ腕時計を手に取りそこを僕は近付いて行った。彼女の顔を正面から見ることが出来た。やはり絶世の美人だ。今現役の売れっ子モデルに少しも劣らない程、劣るどころか、久しぶりに本物の美人の女優を見た気分だ。一時のブームで上がってくるグラビアアイドルとは違って。第一格が違う。日本に一人存在するかしないかの超美人だった。しかしその容姿は美人過ぎて、何か不幸を連想させてしまうようでもあった。例えば自殺観光ツアーのような。

 僕は時間がないので単刀直入だが、名前を確かめた。知っていても、

「志那だろ。」

 向うは少しびっくりしたようだったが、すぐに笑顔を作り、

「ああ。よく似てるって言われるんです。すいません。急いでるんで」

 その慣れた処世術は僕の心を痛めさせる何かがあった。志那の健気、強く生きていた痕跡が窺えた。彼女は立ち去ろうとした。僕を“何この人”とでも見るような眼で。しかし僕は“志那ちゃん?”とも“志那さんですか?”とも訊かず“志那だろ。”とそう訊いたことで、彼女は何か怪訝そうな顔をしていた。よっぽどデリカシーのない田舎者に声をかけられたかまた何かあるいは……彼女はそのあるいはで頭の中で引っ掛かっているようにも見えた。しかし躊躇っている時間がない。彼女は歩きだし、僕は彼女の肩を掴んではっきりと、

「待てよ。志那。話がある」

 今度、彼女は笑顔を見せず、むしろ苛立っているように、

「誰あんた?」

 そう言った。

「覚えていないかもしれないけど、僕は君と仕事をしたことがある。『大人にはまだ早い』の番組で名前は渡邊。名前だけじゃ思い出せないだろうけど」

「大人にはまだ早いの番組で?」

 彼女は先程より真剣は顔で、少なくとも少しは取り合ってくれるようだった。しばらく彼女は眉を八の字にして考え、そして、

「ひょっとして豆?」

「そう。思い出してくれた。その通り。本名は渡邊。あだ名は確かに豆だ。思い出してくれただけでも光栄だよ」

 彼女は開き直ったような態度でこう言った。

「それで何あんた。私に用?まさか東北の果てまで来て私に古い説教でもしに来たの。悪いけどお引き取り願える?あんたは邪魔よ。豆」

「豆か。まあそのあだ名じゃ全然堪えないよ。僕の中学のときのあだ名はブーロックだからね。君みたいに売れっ子じゃなくても苦労はあるさ。仕事のない元子役のレッテルを貼られて」

「何よ。それで同じ子役だから、お前の気持ちが分かる。だから俺の説教を聴けって?」

「正直君の気持が完全に分かる訳じゃない。テレビを離れた後の苦労は知っているけど、君について分からないことばかりだ。だから君と話がしたい。僕は君がテレビに出ていたときも、テレビから姿を消した後も、君のビデオを何度も観た。テープが擦り切れるほど。DVDプレーヤーが定着した頃、君はテレビに出なくなっていたからね。彼女は一人も作らなかった。いつも君のことを引きづっていた。だから僕の人生の大半は君が支配している。そうなると君が馬鹿なサイトで馬鹿な真似をするのを黙って見過ごしている訳にはいかないんだ。君の問題は僕の問題でもあるんだ。その逆は然りではなくとも。」

「私……」

 志那は少ししおらしい表情になって、

「私確かに渡邊君のことは覚えているわよ。とっても優しい人だってことも。でもあなたと私は違う。あなたの問題はあなたの問題。私の問題は私の問題。私もいろいろ悩んで考えたの。考えた末、ここに辿り着いたの。決心というよりはむしろ自然に。だから私が一番求めていることは、今の私にとっての、一番の親切は、私の邪魔をしないで欲しいの。それだけ。放っておいて欲しいの。分かる?」

「分からなくもないな」

「分かるのなら放っておいてそれでいいでしょ」

「僕は君が何を考えているのか。何がそこまで君を追い詰めたのか。それを知りたいんだ」

「それって興味本位じゃなくて?」

「興味本位じゃない。すべてを捧げる様な気持で」

 志那は少し呆然としていた。

「呆れた。あなた普通のファンとちょっと違うわね。本気で私に恋してるでしょ?」

「うん。そうだね。本気で恋してる」

「あなたなんとなく違うの。普通のファンと。好きな時に私の写真を見て、また新しいアイドルが出たら、そっちの方に行っちゃって。アイドルへの片思いだから、何の煩わしさも面倒臭さもなく、純粋に顔が可愛くて好きだとか、そういう人がほとんどなの。私の中から翳りや暗さを見いだしたら、お高い美人の悩みだ。俺の出る幕はないって、途端尻込みする。それが世間てものなの。少なくとも私はそういう人としか出会わなかったわ。でもあなたの言葉、嬉しかったわ。女を口説くには、最高の口説き文句ね。ありがとう。気持ちは嬉しいわ。本当よ」

「今からでも遅くない」

「もう私の中ではタイムオーバーくらいよ」

「そうだ。僕は今カウンセラーの仕事をしているんだ。今までの勉強と経験を生かし、全身全霊の力で君の話を傾聴する。夜が明けるまで」

「あなた、カウンセラー?」

「そう、カウンセラー。一応。今はここへ来るため、休職している。君を追いかけてきた」

「本当呆れた。私のために?」

 志那は先程より悩んでいる様子で、

「でも私決めたし。もういろんなことに疲れたし」

 志那は女々しい子供のようにそう言った。そしてまた、

「でももしあなたが、私と一緒に、このサイトに参加してくれたら、私あなたと一晩ずっと話をしていてもいいわ。あなたが右腕に時計をはめる勇気があるならの話だけど」

 彼女はつんとした表情でそう言った。

「それはできない」

「できないなら……」

「じゃあこう言うのはどうだ。君と一晩話がしたい。二人で十和田湖に行こう。君の決心が変わらないのなら、僕は君と一緒に心中しよう。もし少しでも立ち直ってくれるのなら、戻ってきてくれ。生きていく世界に。血の流れる人間として。サイトとは別行動で」

「駄目よ。あなたはカウンセラーとしての立派な仕事があるんでしょ。明るい未来が確立されてるじゃない」

「でも君を死なせてしまう未来なんて、明るい未来とは言えない。先程にも言ったように、僕の人生の大半は、僕の青春のほとんどは君が支配しているんだ。僕は死ぬ覚悟で君と二人で十和田湖に行く。だから君の話を聞かせてくれ」

「本気?」僕は肯いた。

「分かったわ。もっと早くから、あなたのような人と出会えてたら、私の人生もちょっとは変わっていたでしょうね。結果は見えてるけど、行くわ。二人で。あなたと心中する。いいでしょ」

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子役になんかなりたくなかった~あるカウンセラーの逆転移~ @keneese1976

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