第2話~海の歌姫の物語~
あれからまたしばらく経った。明瀬図書館。なんだか不思議な場所だった。とてもリアルなのに、少し現実離れしたような。あそこは一体何だったのだろうか。でも、不思議ではあったが、決して嫌な感じはしなかった。……もう一度行ってみようか。心が惹かれるとは、こういうことなのだろうか。そんなことを思いながら、栞を握りしめてから枕の下に入れ、寝ることにした。
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「やあ、いらっしゃい。久しぶりだね。…キョロキョロと周りを見回して、一体どうしたんだい?ん?不思議な感じがするって?まあ、ここは少し変わった場所にあるからね。そのせいで不思議に感じるのかもしれない。何処にあるのかは…今はまだ秘密。いずれ教えてあげるよ。君がもう少し、ここに馴染んでから、かな。ところで、今日はどんな物語が読みたい?選んでご覧?そう。好きに選んでいいんだ。ふと目についたものでもいいし、題名で選んでもいい。……おや、今日はそれにするのかい?それは、ある海の歌姫の物語だね──」
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幼い頃から、歌うことが好きだった。新しい歌を教えてもらっては何度も歌い、覚えてはまた教えてもらってを繰り返していた。悲しい時だって、歌うことで心が安らぎ、楽しい気分になった。
ある日、お母様が私を呼び出してこう言った。
「いいですか。これから先、貴女は決して海の上で歌ってはなりません」
「何故です、お母様。お母様だって、私が歌うことが好きなことはご存知でしょう?それなのに、何故歌うことを禁止なさるのですか」
「海の中でなら構いません。ですが、海の上は駄目なのです」
「ですから、何故?」
「……」
お母様がこの時、少し困ったような、悲しんだような、複雑な顔をしたことを、今でも鮮明に覚えている。そして、少しの沈黙の後、お母様がまた口を開いた。
「そうですね…そろそろ伝えなくてはなりませんね。驚かず、口を挟まずに聞いてくださいね」
「はい」
「貴女の歌には…力があるのです。聞いた人間を引き寄せてしまう力が。貴女が海の上で歌っている時に、もし近くを人間たちの船が通ってしまったら、船を沈めてしまうこともありえるのです」
「そんな……」
「今まではまだ貴女が幼く、力が弱かったから良かった。ですが、成長して、次第に力が強まっていってしまっている以上、そのような悲劇を起こさない為に、禁止せざるを得ないのです。分かってくれますね?」
「はい……」
お母様の所から退出して自室に戻ってからも、頭の中は混乱したままだった。
(私の歌が、人を傷つけてしまうこともある……?私は、ただ歌うことが好きなだけなのに……。…駄目だ、頭の中がぐるぐるして、何も考えられない。そうだ、歌えば、楽になれるかもしれない。こうやって気分が沈んだ時は、いつも歌っていたじゃない)
──でも、今日ばかりは、どれだけ歌っても心が晴れることは無かった。
それから、長い年月が経った。あの後少ししてからお母様が病に侵され亡くなってしまったけれど、お母様との約束は、ずっと守っていた。……しかし、それは簡単なことではなかった。私はしばしば海上に出て人間たちが通って行くのを遠くから眺めていたのだが、年を重ねるにつれ、人間たちを見ると歌いたい衝動に駆られるようになったのだ。その衝動はだんだんと強くなっているように感じた。
(どうして……。歌ってはいけないと、頭では分かっているのに…歌いたいという気持ちが治まらない。自分が分からない…怖い……)
それからは、あまり海の上に行かないようになった。何かの間違いで、歌ってしまうようなことがあったら……。そう考えると、恐ろしくて堪らなかった。
しかし、ある日のこと。幼い妹が、海の上に連れていってとせがみだした。本当は他の者に供をさせようと思っていたが、妹があんまり私とがいいと騒ぐものだから、結局私が連れていくことになってしまった。仕方がないので、妹が遠くへ行き過ぎないように気を付けつつ、出来るだけ目を伏せて、何も見ないようにしていたのだが……。
「みて、おねえさま!」
その声につられて、つい見てしまった。青く広い海原に漂う、一隻の大きな船を。その上で、眩しいほどの笑顔で周りを見渡す、一人の青年を。
「……っ!」
その瞬間、胸が激しく痛みだした。頭がクラクラして、視界が霞む。無意識の内に、歌わなければという衝動に駆られる。その衝動を必死に抑え込む。苦しい……。辛い……。
「おねえさま?…っ!おねえさま!」
妹の声が遠くなっていき、そのまま私は意識を失った。
「ん……」
「おねえさま?」
「あれ、ここは……」
「おねえさまのおへやだよ。よかった!めがさめたんだね!」
(そうか……。あの時、気を失って……)
「おねえさまがきゅうにたおれたから、わたしビックリしたんだよ!」
「貴女がここまで連れてきてくれたの?」
「う~んとね、おうちのまえまではがんばってひっぱってきて、そこからはおとなのひとにおねがいした!」
「そう。ありがとうね」
そう言って妹の頭を撫でると、妹は少しくすぐったそうに笑った。
妹が部屋を出て行ってから、私は、一人物思いに沈んでいた。
(あの青年を見たとき、今までで一番強い衝動が沸き上がってきた。自分でも制御しきれないような、強い衝動。本当に、私はどうなってしまったのだろう……)
いくら考えても、答えが出ることは無かった。とにかくもう二度と海の上に上がることは止めよう、と固く誓ったのだった。
しかし、それから毎日、ふとした時にあの青年のことが頭に浮かぶようになった。そしてその度に、あの胸の痛みが起こった。日に日に、青年のことを考える時間が増えた。日に日に、胸の痛みは強まっていった──
一体、あれからどれ位の時間が経ったのだろう。……私にはもう分からない。私の中の衝動に誘われるまま、私は海の上へと向かった。
海の上は、綺麗な快晴だった。陽射しが少し眩しかった。私は、必死になって辺りを見渡した。あの青年の姿を探し求めた。そして見つけた。あの日と同じ船を。あの日と同じ笑顔の青年を。
……胸が痛い。いたい……
口から歌が溢れ出す。
止められない。もう、止まらない。
ああ、なんて心地がよいのだろう。歌が、海原に響き渡る。ねえ、聴いて。私の歌を。そして、おいで?私の所に──
──彼女が歌うと、途端に空が暗くなり、海が荒れ始めた。そして、一際大きな波が来たとき、船は遂に転覆してしまった。青年は海に投げ出され、為す術もなく沈んでゆく。彼女はそんな青年を見つけると、青年の元へ泳いでいき、その身体を抱き締める。すると二人の周りが淡い光に包まれた。その光の中で、彼女は微笑み、口を開いた。
「 」
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「どうだった?結局彼女は力を使ってしまったわけだ。母親は知っていたんだよ。力が暴走すると、一人の人間に、異常なまでに恋い焦がれてしまうことを。その人間を引き寄せ、触れた時、彼女の力は全て失われ、生きていくことさえ出来なくなることを。だから、約束させたんだね。力を使ってはいけない、と。彼女は、約束を破ってしまったけれど。君なら、どうしたかな?母親との約束を、守れたと思う?……断言出来るのかい?絶対に、守れるって。ふふ、じっくり悩むといいさ。ところで、彼女の最期の言葉。なんて言ったんだと思う?『ありがとう』?『ごめんなさい』?一体彼女は、最期に何を想って、何を伝えようとしたんだろうね……?
おや、もうこんな時間。さあ、もうお帰り。そして、じっくり考えてご覧。きっと答えは見つからないけれど。見つからない答えを想い続けて、恋い焦がれる苦しみを、味わってご覧?」
明瀬図書館 睦月尊 @mutsukimikoto
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