§5-2-12・【最重要!】「金融抑圧」←全人類を死滅させる、「インフレ」という「悪魔」の力を使う最凶魔法【超重要!】

 こ、こんなの地獄や…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル 

 みんな死んでまうで…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


  ※     ※     ※


 このコラムの何処かで「第二次世界大戦は最大の戦勝国アメリカをしても苦しい戦いだった。多額の債務を背負ったために戦後、物価が四倍にも跳ね上がるインフレが発生した」とサラッと書いたことがあった(何処で書いたか失念しました。すみません…)。

 その「四倍ものインフレ」の内実がこの「金融抑圧」そのものだったのだ。この四倍ものインフレは偶然ではない。政府と中銀があらゆる手段を総動員して高インフレを生成し、その結果として国債の価値を消滅させるという意図に基づいてやった結果だった。


 1945年、米国は戦前のGDP約900億ドルに対して、実に3,000億ドル以上の戦時債務を背負った。この返済は連邦政府をしてもたやすいことではない。時期は米ソ冷戦。世界は資本主義vs共産主義の新時代に突入していた。この時、資本主義の牙城である米国で債務不履行から大恐慌が発生すれば、資本主義の敗北と全世界の共産主義化の危険性さえあった。米国の国家破綻は政治的に許されなかった。


 つまり米国債が大量に市場に出回り、その事で「国債の暴落=ドルの暴落」を招くことは政治的に許されないという厳しい状況にあったことを意味している。多額の債券を建てている米国にとっては、米ドルの信認を維持したまま「到底返せそうにない借金」を返済せねばならない二律背反した状況に追い込まれた。


 他方、生産財は戦時統制により戦争に直結する分野に資源が集中していた。これが戦後、解除されたのだが、だからといって直ぐに日常品が再生産されたわけではなかった。戦時から平時への供給サイドの切り替えには時間が必要だった。そのため生活物品を中心に深刻な物不足が続いた。インフレ圧力だ。ここに戦争に勝利したことによる個人消費性向の劇的な向上、つまり…


みんな、戦争の勝利に浮かれて財布のヒモが凄くゆるくなったヽ(^o^)丿

戦争忘れてバンバン遊ぶぞ!&子供つくるぞー( •̀ᄇ• ́)ﻭ✧

普段の日常を取り戻すんだー・:*+.\(( °ω° ))/.:+


…という旺盛な個人消費力が発生した。しかも戦争により多額の資産が米国内外から民間に流れた(政府は戦争のため借金したが)。このため莫大な資産が蓄積され、これが消費へと向かったからますますインフレが進んだ。おまけに欧州は戦争でボロボロ。殆どが焼けてしまったために、米国からの欧州などへの製品輸出が爆増した。これはマーシャル・プラン等によって米国が欧州各国にカネを貸付け、米国の信用供与(カネの支払いは米国政府がケツ持ちしてもOK…みたいな感じ)によって米国製品などを購入する…という「復興プラン」だったが、この輸出振興策により米国内の物価はさらに急上昇した。日用品の供給力が不完全な状態で、国内外に大量の需要が発生したからだ。


 結果、米国は凄まじい物価高インフレに襲われる。

 45-48年のわすが三年で消費者物価指数は35-50%以上になり、その後、朝鮮戦争時の数年の間、年平均15%以上のインフレに襲われた。酷い時にはこの数割増しにもなったようで、実際、インフレ率50%なら資産は1/3に、年平均15%以上のインフレ率では数年で資産は半分にまで暴落してしまう。つまり多額の戦時債務を抱えていたとしても「そのぐらい減る」ということだった。債務を減らしたい政府としては万々歳だ。しかし庶民はたまらない(涙


 しかし、この異常なインフレが作為的なものであったら…ಠ_ಠ;?

 もし債務を減らすためにインフレを作り出していたとしたら…ಠ_ಠ;??


 普通、ここまで物価高になると対インフレ政策を採るのが普通だ。通常は政策金利(公定歩合)を上げる。政策金利とは短期国債の金利であり、金利を上げれば銀行などがカネを貸す時、より高金利を要求し、企業にとって負担となるので借手が減って金融引き締め→インフレ撲滅の効果が期待できるからだ。


 そして長期金利に関しては、新規に発行する時に金利が付いているから、基本的にはこの金利のままだ。しかし何年か経つとその分の金利分やインフレ率分だけ「価値が減損している」ので、この中古国債は「流通市場」という別の債券市場があり、ここで損失分を計算して実際の売買価格が決定される。説明が長くなるので今は省くが「流通市場における国債は、価値が下がれば金利は上がり、国債が安定して評価されている間は金利は下がる」という逆相関の関係になる。まとめると、


短期国債の金利 →政策金利(中銀が物価や景気を見て柔軟に対処決定する)


長期国債の金利

 →新発国債はその時に決まる(固定金利をつけて売る)

 →中古の国債は流通市場での売買動向で決まる(国債が高いと金利は安い。国債が安いと金利が高い)


…なので、この時の米国は発生した高インフレに合わせて政策金利を上げたり、公開市場操作で長期国債を売却してカネを回収する等のインフレ対策をすべきだった。


しかし、実際には「全くやってない」←仰天 (゚д゚)!?


 48年までの政策金利はインフレ率50%にもなっていたのに1.5%前後、朝鮮戦争時の年率15%以上のインフレが続いた時でさえ1.75%に据え置かれた。それだけでなく長期国債の金利もまた当初は2.5%に据え置かれた。これは国債価格支持政争とも呼ばれ、連邦政府とFRBの双方で、高インフレの悪影響と多額の戦時債務の負担軽減(金利が上がれば3000億ドル以上の国債の支払い負担が増える)の間で揺れながらも、結局、長期金利は2.75%程度に政策的に抑圧された。1990年代には長期国債は10%以上にもなることは普通だった事を考えれば、これは異常な程の低金利と言えた。


 この結果、10年と経たない間に物価が4倍にも急騰したとされている。つまりインフレを抑圧せず、「インフレ率 > 国債の金利」の状況を作為的に維持し続け、多額の戦時債務の抹消を行ったのである。単純すぎるかもしれないが、発生したインフレ率が本当に400%だとしたら、3000億ドルの債務もほぼゼロ(数億ドル)にまで圧殺された計算になる。戦時債務など消えて無くなったことだろう。


 これが金融抑圧のやり方だった…(゚д゚)!

 激しいインフレによる通貨の価値の暴落を利用し、国債という通貨(資産)の圧殺を図ったのだ!


 米国政府は助かった。ということは、この逆の事も発生していたはずだ。米国市民は高インフレで生活苦に喘いでいたはずだし、国債を保有していた企業は多額の損失を出したはずだ。投資家も黙っているはずはなかった。しかしそういった話は(大声では)聞こえてこない。

 戦争に勝利したことで米国民がラリってたのかもしれないし、意図的に「悲惨な現実」を伝承しなかったのかもしれない。勝利は美談のみで記憶したいものだからだ。本来は都市貧困者(特に黒人など)が多数いたはずだが、戦後インフレは同時に所得の爆増ももたらしたので「好景気」としか映らなかったのかもしれない。戦後バブルだ。


 特に戦後のベビーブームは大きな役割を果たしたと思われる(←精度の高い資料が見つからなかったので概略でのみ説明)。不動産は現在でも重要な景気動向指数で、高額物件なだけでなくローン金利も高い。特にインフレ期なら金利が高いだけでなく、「借りる側も借りやすい」。前ページで述べたように「借金(債券)はインフレに弱い」からだ。カネは瞬時に蒸発するが、家はずーっと残り続ける「財産」だからだ。


 しかも個々の販売価格が高いだけでなく支払いローン金利も高いことと相まってインフレ要因となる。販売量が増え、不動産価格が高止まりする事は資産価格の上昇という、これまたインフレ要因となるだけでなく租税収入の増加をもたらす。これが大量に販売出来ればインフレはますます昂進する。不動産バブルであり、景気に大きな影響を与える。事実、この後米国では1980年代にS&L、2008年にリーマンショックという二度の不動産バブルで死にかける。戦後、国家のGDPを超える程の負債を抱えた不動産バブルはこの他には日本の80年代のバブルくらいしかない。不動産はそのくらい物価を押し上げる力となるのだ。


 そしてこの時期、戦地から帰ってきた若者を中心に住宅販売が進んだ。この際、支払い能力に限界のある彼らに対し、連邦住宅抵当公庫ファニー・メイは「民間金融機関に対する住宅ローン債権の保障業務」という、いわば「ケツ持ち」をすることで銀行による融資の増大を助けた。「白人夫婦が郊外に家を買って、自動車で都心に通勤する」という夢のようなイメージで描かれる「幸せなベビーブーマー世代」は、実際はこの地獄のようなインフレ政策・「金融抑圧の時代の産物」でもあったのだ(爆笑)。

 ベビーブーマーはある意味幸せだった。家や多数の耐久財に囲まれた生活をおくれたことは「豊かさ」を生活実感として得られたことだろう。しかも自分は赤ちゃんだったのだから、親が体験したインフレ地獄の事など知るわけもないのだから…。


 同時期、英国や日本などは、戦争の勝敗に関係なく戦後のインフレと貧困に困窮し少なからず激しい反政府暴動や共産主義者による扇動や社会騒乱があったが、「豊かさ」に囲まれて行った米国だけは反共でまとまった。やはり戦争で民間(特に企業に)多額の資産が積み上がっていたからだろう。なにしろ全世界の金の3/4は米国に流れたのだから(←これは政府の債務とはまた別の話し)。


 多額の戦時国債を抱えていたこの時期はまた、民間には多額の資本が流入していたのも事実であり、インフレによって消費と生産の拡大が続き、国債よりも遥かに利回りのよい民間投資が爆増した事で穴埋めしていったようである。この逆が戦後の英国で、生産力と国内市場が復活しなかったために実に1960年代まで不景気が続いた。もともと資本と技術と生産力と国内市場のある国が採用できる国債管理政策だったのだ。金持ちの借金すりつぶし策のようなものである。


 より重要なのは、当時は現在と違いケインジアン的な政策が主の時代だった。よって現在のような金融政策(金融緩和策など)の有効性は軽んじられており、財政政策が第一とされていた。現在はこの逆で金融政策のあとで財政政策を実施すべきとされている。よって低金利による国債管理政策(債務抑圧)か、高金利に対する金融政策(インフレ抑圧)かという選択肢の場合、政策的判断により前者が選択されたということだった。「民間の死」である。



  ※     ※     ※



○民間の死…┌(_Д_┌ )┐


 ここで重要なことがある。

 国債保有者(主に金融機関など)はどうしたのか?…だ。


 FRBと連邦政府は多額の国債(戦時債務)を圧倒的なインフレで抹消しにかかった。その結果、わずか10年と経たずにほぼ全てを消滅させた。しかし重要なことがある。「インフレ>国債の金利」を使って国債の価値を徹底的に減損させた「金融抑圧」だが、国債は同時に「民間の資産」でもあったはずだ。国債の引き受け手は米国の民間だったはずだ。


 ならこの時、彼ら国債保有者は「即死」したはずだ…(눈‸눈)?

 彼らを取り巻く環境はどうだったのだろうか?


 国債購入者は主に米国金融機関などだった。彼らはこの危機に際し、当然のように長期国債を売りにかかった。莫大な損害を避けるためだった。これは日本などでよく言われている「国債は日本人が買っているから安心」という俗説が「全くのデタラメ」であることの証左だ。インフレや通貨暴落により国債が暴落した時、金融機関は損失を避けるために「自国債を売る」のだ。愛国心など「ない」。


 大量の国債の売却は同時に国債価格の暴落と金利の急騰、そして米ドルの暴落を招く。結果、国家破綻に至るだろう。しかし前述のように国際政治力学からも米ドルの暴落は許されることではなかった。またインフレ対策は公開市場操作等によって「国債を市場に放出し、カネを回収する事」だったが、ただてさえ暴落するほど国債が売り出されてるのに、インフレ対策で国債を更に放出することは出来ない相談だった。


 てか、そもそもそんな気さえなかったのである…( ̄▽ ̄;)


 FRBはこの時、米ドル暴落阻止と多額の債務抹殺のために、通常の対インフレ操作の逆・「国債を大量に購入し続けた」のである。市場に溢れた国債を、大損を覚悟で買い続けた。

 このため大量の国債がFRBに回収されていき、市場からは国債が消えていったので国債価格は維持された。この結果、米ドル暴落も阻止された。金利もおよそ2.5%前後まで下がり、この水準を維持し続けるために延々と買い続けた。インフレ時の通貨供給量の増加という「ますますインフレ」になる異常な操作だが、この結果として債務が激減したのだ。


 しかし国内外の戦後復興需要が大きかったために企業の資金需要は旺盛で、この資金放出はむしろ歓迎された。この時期の民間銀行の貸出総額は1945年末の260億ドルから二年後の1947年末には380億ドル、1948年末には415億ドルにまで膨れ上がっていた。まさに「激烈なインフレ成長の時代」でもあったのだ。


 軽くまとめてみる。米国は債務を削減する時に、インフレによって資産が目減りすることに着目し、民間の資産である(戦時)長期国債を抹消しにかかった。ただし米ソ冷戦という時代背景からドル暴落は許されない状況だった。つまり国債が民間市場で大量に売却されたり(=国債が市場に大量に出回る。多すぎ状態)すると…


連邦長期国債価格暴落→国債の金利暴騰→連邦政府支払能力の限界突破

→米国連邦政府破綻危機懸念→米ドル暴落→ソ連大勝利( •̀ᄇ• ́)ﻭ✧


ウラー!スターリン!━━━━(゚∀゚)━━━━!!


…になりかねないので、「長期国債は抹消したい。でもドル暴落は避けねばならない」の二律背反の問題を、限られた連邦予算の中でどうするかという問題だった。採用されたのは「金融抑圧」で、戦時体制から民需中心の通常の需給バランス構築までの間に発生した国内外の物資不足を起点とした物価高を利用した。


---

通常のインフレ対策は…

→短期国債の金利である政策金利の引き上げ・公開市場操作による国債売り(=カネ回収)・準備預金率の引き上げ(=カネ回収)・増税…など


---

これに対して金融抑圧では、多額の政府債務(=国債)を抹消するためにインフレを使うためにカネ余りの状況を作り出す必要があるために…


・政策金利は下げ圧力 →インフレは抑制されない。

・公開市場操作では国債購入(買いオペ) →カネ放出による更なるインフレ。

 →市場からは国債が「消える」ために暴落は阻止される(=ドル暴落阻止)



…といった一連の「国債価格維持政策」が行われる。それはインフレ発生時、金利を(低く)コントロールして債務を抹消していくというやり方だった。これが金融抑圧の本質であり、高インフレを許容する事で多額の債務を減らすという政策だ。インフレの抑圧を放棄し、公開市場操作によって長期国債をFRBが買い入れる事で金利を下げ(+他の政策も当然採用される)、この事でドル暴落を防ぎつつ同時に「インフレ率>国債の金利」の状態を意図的に維持する諸政策の事であり、中銀と政府が結託すれば債務抑圧は可能であるという実例だ。庶民がインフレで泣くだけのことだ。民間の屍によって債務抹消を試みることに変わりはない。


 ただし現在では金融抑圧はやりにくい。そこでよりマイルドな形での金融操作(イールドカーブのコントロール)が採用される。実はこれこそが日銀がやっていた事であり「インフレ率2%」の真意だったのである。これは世界で最初に大規模に試みられた先進的な手法でもあった。


 日銀が多額の国債を購入することで、市場の国債の総量を減らして国債の価格を維持(=金利の暴騰を阻止する)し、日本円の暴落をも阻止するのと同時に通貨供給量が増えてインフレを促進。政策金利に相当する短期金利もマイナス金利を設定することで、理論上は貸出増加→インフレ成長が促進される環境が整備されるはずであり(←流動性のワナに注意)、主力の長期国債の枚数が爆増してその負担に耐えられずに国家破綻…という顛末も避けられる。


 特に「金利の期間構造」という考え方があり、2%の金利のついた主力国債10年モノを100枚買うくらいならば、たとえば3%というより金利の高い超長期国債50枚+1%の短期金利50枚…というように長期と短期購入枚数=カネを振り分ける…という理屈がある。これを日銀が政策的に誘導することで、主力国債に債務が集中する(=国家破綻しやすくなる)のを回避でき、実際、よくやっている。この時、マイナス金利の短期国債なら政府の負担も実に少ない。


アベノミクスの問題点は唯一、早すぎる増税によりインフレが発生しなかったことだった…(:_;)

庶民「カネもらった」→遊ぶぞヽ(^o^)丿 …から始まる需要過多 →貿易赤字覚悟の国内経済成長 →バブル(可能なら)…になるべきだった。ここまでいかないのならば大規模金融緩和は意味がなかった。


ケチは嫌われんのよね、どこの世界でも…(  ̄ー ̄)y-~~



  ※     ※     ※

【補足】

こちらの方に補足データをUPしました…m(_ _)m

https://kakuyomu.jp/users/magmag_folder/news/16817139555841739166


合わせてご覧ください(^^)/



           【 このセクション終了 】

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