§4-2-8・電撃戦とは何だったのか? 〜をカネの面だけで考えてみる【戦争論】

§4-2-6〜§4-2-7の二話で戦争と国家を経済的な面から考えてみました。これの補足について述べたいと思います。


このコラムの基本として「戦争は儲からない」という結論を出しています。

そもそもの戦争の本質は「略奪による富の蓄積」なので、略奪を政治的人道的な理由からやめた現代においては戦争は「そもそもやる意味がない」のです。

反面、戦争は莫大な戦時債務を作り、また産業力を喪失するために再建に大変な困難を伴うという事、また1930年代後半からの日米の株価の推移から「戦時においては企業や国家が潤うことは特にない」という事例も提示しました。

これは「戦時」も長く続けは「日常」になるということで、経済活動の環境に対する適応力・柔軟性の高さの証明にはなっても「国全体が豊かになるような儲けになるわけではない」という内容でした。


特に戦勝国である米国でさえ、ダウ平均株価が1929年の世界大恐慌の水準を超えるまでに朝鮮戦争終結後までかかったという事実は意外なもので、戦前の米国GDPが約900億円相当のとき、最終的な戦費が3,200億円前後かかったということ(そしてこれはインフレによって減損した後の、敗戦国日本の実質的戦時債務総額・推定2000億円戦後を遥かに上回る金額)も提示し、「米国にあってさえ楽な戦争ではなかった」という事でもあります。


ただし例外もあり、第一次世界大戦の鈴木商店のような莫大な富を蓄積出来る場合もあるとは言いました。これを言わねば公平性を欠くというものです。とはいえ宝くじを引き当てる程度の確率と考えたほうがよく、その後、鈴木商店は破綻してテイジンなどの数多くの企業に再編成されていったことを考えると一発屋ワンヒット・ワンダーであることは否めませんし、大日本帝国に至っては消滅してしまったので、リスキーな賭けであることに変わりはありません。可能なら避けたほうが正解と言えそうです。


事実、その後の世界の流れは他国籍貿易を指向しています。これは植民地経営するよりも効率よく資源と市場を手に入れることが出来、植民地における自国軍の駐屯やインフラ整備などの費用負担から解放されただけでなく、当該地域における産業発展に対しては「対外投資」の形で関与することで、より低コストで利潤を得ることが出来るようになったからです。


勿論、これも一部不完全で、たとえばベネズエラのような国では左派ポピュリスト政権によって外国資本が強引に国有化される等の政治的リスクが内在し、これが時に権益確保のための小規模紛争にまで発展することもありますが、基本的には超大国同士は植民地獲得戦争や総力戦は極力避ける傾向にあります。


そもそも他国籍貿易には不文律があり「参加国は自由主義経済国家であり、同時に強固な軍事同盟を結んでいる」という『言外の言』があり、富裕国になった時に『手のひら返し』して侵略的な行動に出ない『信用』が求められた事もあります。ベネズエラはこの項目に該当しません。


中国共産党の指導部の皆さん、聞いてますかー (^p^)?



そしてなにより、80年代以降の米国の成長力を提示して、国富を増加させるのは『金融力』だということを証明しました。1970年代にニクソンショックという「米国が金本位制度を辞める」と突然言い出し、その結果として金本位制度に頼らない管理通貨制度に本格的に移行した80年代以後、世界経済が爆発的に成長したという内容でした。


特に米国は年平均2.6%前後の経済成長率を達成し、結果、2020年までの過去40年でおよそ六倍もの経済規模に拡大しました。そして20年度においてさえ米国は前年比で約200兆円ものGDPの増額があり(推定速報値で大体2,300兆円規模)、この成長は金融力によるもの(いわゆる貨幣乗数と呼ばれる、利子=国債という借金が遥かに多額のカネを生み出す効用)であることも実数で明示しました。


国債による効果が激的なことは日本においても同様です。非常に重要に思うので、一部、内容を重複して記述しますが、「租税収入はその時々の景気を色濃く反映する」です。

日本においては特に、所得税と法人税は好景気・不景気の影響をうけて増減します。なので2019年に強い反対があったにも関らず消費税を10%にUPしたのです。消費税は好不況に影響されにくい税制だからです。その事を踏まえて戦後日本を税収入(租税収入+国債等)で10年毎に見てみます。


 1951-60年 0.7→2兆円 (約3倍)  朝鮮戦争&高度経済成長

 1961-70年 2.5→8.5兆 (約3.4倍) ベトナム戦争&GDP世界第二位

◎1971-80年 10→44兆  (約4.4倍) 二度のオイルショック&不景気

 1981-90年 47→72兆  (約1.5倍) バブル期

 91-2010年 73→100兆  (約1.4倍) デフレ期



…実に不思議なことに、政府の歳入が爆増したのは1970年代の『オイルショック・不景気』の時なのです。この時の伸びは実に戦後復興期もしくは高度経済成長期以上です。この「不景気の時になんで税収入が伸びてるのか?」の理由こそが『国債』の増発による通貨膨張と成長インフレということでした。この時期、日本は米国などに対して多額の貿易黒字を出していたこともあり、黒字解消のために「政府が率先して赤字を作る」みたいな政策を本格的に採用し始めました。そこで、国債の発行量との比較も出します。


戦後から1965年までは日本は国債は発行しないことにしていました。戦前の反省や国債発行を国際的に禁止されていた等の理由からです。そこで国債発行前の時期を『収支均衡型』、1965-70年を便宜上『初期国債増発期』とし、その後の国債刷りまくり期を『積極財政期』として考えます。すると…


・収支均衡期 1951→64年 歳入 0.7→3.4兆円 (約4.9倍) 国債発行ゼロ


・初期増発期 1965→70年 歳入 3.8→8.5兆円 (約2.24倍) 

  →国債発行量の単年租税収入との比 0.2→0.34兆円 (国債残高2.8兆円)


・積極財政期 1971→10年 歳入 10→100兆円 (約10倍)

  →国債発行量の単年租税収入との比 1.1→42兆円 (国債残高約594兆円)



このデータを整理します。

初期増発期は1966年(0.66兆)、67年(0.7兆円)、68年(0.46兆円)、69年(0.41兆円)…とかなりバラバラです。政府歳入との割合では5%〜最大14%程度でした。つまり『借金の割合』がこのくらいということです。


この後の積極財政期には額も割合も爆増し30-50%にもなりました。

特に21世紀の民主党政権時は5割を超える程ひどいものでしたが、それ以前の自民などの政権時も40-50%を『政府の借金(=国債)』で賄っていたので「民主だけが悪いとも言えない」です。また、その後を受けた安倍政権時には経済回復があり、歳入に占める租税収入割合は増加(=国債の割合が減った)しました。


加えて、投資には経験則として『投資効果=新規投資額 /(新規投資額+既存の投資額)』があるために、特に初期投資に関しては大きな効用が見込めます(←逆に言えば、投資は時系列的に効用が劣化する)。

このため、田中角栄政権等でも国債に基づいた大規模な公共投資が70年代のインフレ成長を支え(そのため、この時代は物価高にみんな悩まされたものの)、この時の通貨膨張によって庶民に広くお金が行き渡り、結果として80年代の狂乱のバブル時代を迎えたのです。


このバブルこそが、国債を使った本来の通貨膨張策の効用です。事実、バブル期は可処分所得の増額比において中間所得層〜下層所得層により多くの富が行き渡ったとされた「庶民の成金バブル」そのものになりましたが、「国債を上手く使えばこうなる」という模範例と言えるでしょう。


確かに当時は「国債を増発したので(国債の)金利が急上昇した」という、財務省畑の人間にとっては心臓が凍りつくような財政危機…俗に『ロクイチ国債』などと呼ばれる状況に陥ったのも確かです。国債の金利が12-15%前後にまで上昇したのです。


このままだと財政破綻する… ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


…という恐怖は、おそらく今でも財務省や日銀の新人研修の時などに説教されているのかもしれません。ただし現在は当時と違い、管理通貨制度に完全に移行した事や他国籍金融取引が進み、国債の消化に関しても世界規模の市場に成長した(=余力が大きい)事、日本だけでなく世界各国で短期長期国債市場や各種証券・債権・先物などの市場が整備され成熟した事などがあり、金利は徐々に低下し、同時に金融緩和によるインフレ成長の恩恵の方が大きい時代になりました(今後はともかくとしても…)。


このことからも、大規模な戦争をするよりも平時に金融資産を増やすことの方が国富を増加させるという事が言えます。「戦争は儲からない」ということです。よって、戦争反対とまでは言わないものの、メリットが無いので辞めたほうが良い…とは思います。


しかし、それでも戦争する事になったら…(๑¯ω¯๑)?


ここでも重要な経験則が存在しています。「国家総力戦に移行した場合、GDPの勝る国が勝つ」という鉄則です。戦争そのものが膨大な消費と債務を必要とする消費活動である以上、経済と切り離すこと…特にカネ(や債権)と切り離す事は出来ません。これを踏まえて、第二次大戦時の各国のGDPを見てみます。


ここで使う資料は実際のGDPの実数ではなく、各年の各国通貨を購買力平価と物価変動率とを用いた1990 年の共通ドルに換算した数字を使います。以前、潜水艦無制限作戦云々〜の話数の時に使った『世界経済の成長史』のデータです。とはいえこの数字は90年台の米国ドル購買力平価で換算したものなので今の時代には合わず(現在の米ドルインフレ率を勘案して最初から全部計算し直さなきゃ駄目という話)、そのままこの数字を使うわけにはいかないのですが、データとしては信頼されている数字ですので使うことにします。よって此処で重要なのは数値ではなく、実際の国力差を知ることですので、より肌感覚に近いこちらの数字の方を出します。そこで1940年時の各国の値を見てみます(単位は100万ドル)。


米国 930,828 (日本の約4.6倍)

ソ連 430,314 (日本の約2.1倍)

英国 315,691 (日本の約1.6倍)

独国 242,844 (日本の約1.2倍)

日本 201,766

仏国 164,164 (日本の約0.8倍)

伊国 152,025 (日本の約0.75倍)



留意点が2つあります。まず中国ですが、この年度のデータが存在していません。しかし1930年時に384,280百万ドル(1930年の日本の約3.3倍)ほどあり、その後のデータでも1968年に至るまで中国に対して一度もGDPで勝ったことはないので、おそらく40年時も日本よりも大きかったと考えるのが妥当と思われます。

これは、日本が個々の戦闘局面では殆ど勝利を収めていたにも関らず、結局、中国を完全征服することが出来なかったという事実に符号します。この図で言うならば日本の上に中国が来るだろう…ということです。


もう一つはフランスの落ち込みで、日本よりも劣っています。これは1929年以後、大日本帝国がいち早く帝国国債の増発や産業強化策などを打ち出したのに対し、左右対立によりダラディエとレオン・ブルム(初の人民戦線内閣)がコロコロと政権をたらい回しにする等の政治危機の時代を迎えて経済再構築が遅れたことが主因です。特に日独は軍需産業などを中心にソ連の五カ年計画に準じた『公共投資』という、本格的なケインジアン的財政支出策が奏功したものとされています。


  ※     ※     ※


こうやって見ると、なるほど枢軸国(日独伊)が戦争で敗けたのもよく判るというものです。単純合算するまでもなく、個々の国同士の戦闘を見てみると、勝者と敗者の差は常にGDPにおいて「勝った国 > 敗けた国」です。太平洋戦争がそうであり、独ソ戦がそうでした。


ところが不思議な事があります。ドイツによる1940年5月10から始まった対仏戦(西方戦役・Westfeldzuge)です。

この戦いはドイツ電撃戦の精華とされ、ドイツ軍が英仏連合軍を僅か一ヶ月で殲滅し、ダンケルクから叩き出した戦争で、第一次大戦時には四年かけても不可能だったことを、装甲戦力を使った機動戦で華麗に始末した戦いでした。ただし、筆者は軍人ではないので実際の戦闘の推移等についての詳述は避けます。


しかし気になるのは「GDPで劣る国が勝る国に勝つことはない」はずなのに「ドイツは英仏連合軍に勝利した」という事実です。


あれ…ಠ_ಠ;??

ドイツGDP < 英仏両国のGDP合算 (←対独で約2倍)


これではドイツが英仏連合軍に勝てるはずはないのですが…ಠ_ಠ;

しかし現実はドイツが勝っちゃいました。


ならこれが『電撃戦』の本質なのです…m(_ _)m

つまり電撃戦の真の意味は「GDP合算値で勝る英仏を、個々に切り離して、独>仏の状態を作り出し、劣っているフランスを殲滅した」ということだったのです。


英仏連合が政治的に統一され、戦時物資や人員、そして資金等で一元的かつ合理的に運用される前に…つまり英仏が『一つの連合国』として戦時遂行能力を獲得する前に、英仏を切り裂いて劣弱国のフランスを始末した…と考えるべきなのです。


そう考えるとドイツが英国やソ連に勝てなかった理由が分かります。ドイツGDPは、英ソ両国に比べて常に劣位にあったからです。ドイツもそれは十分判っていたので、Uボートによる対英無制限潜水艦作戦を実施し、英国のGDPを直接、削ぎにかかったのです。失敗しましたが…。

それどころがドイツが西方戦役時、フランスよりも先に英国を始末しようとしていたら、GDPでは『ドイツ < 英国』なのでフランス撃滅にさえ失敗していたという結末になっていたことでしょう。


他方、独ソ戦の結論も見えました。「ナニをやってもドイツに勝ち目はない」…これ一択です。

僅かな可能性として存在していたのは、当時のソ連の一次二次産業は主にソ連西部地域(現ウクライナやベラルーシ)に集中していたので、この地域をソ連から切り落とせれば勝てる…はずでしたが、独ソ戦開戦早々にソ連の方が工業生産設備をウラルの東側へと大挙して移設させたために、この可能性がなくなりました。社会主義者なのに、経済については国家社会主義よりも精通していたと考えるべきでしょう。


結論として、「電撃戦というのは戦略機動を駆使して、GDPにおいて『自国 > 敵国』の環境を作り出す」のが全てであり、相手がソ連のようにGDPにおいて平時・戦時(侵略した後)においても常にドイツを優越していたような相手には『通用しない』手段だったのです。


これは今後の戦争史においても通用します。大規模国家間紛争においては『電撃戦は弱者が強者を倒す魔法などではなく、GDPの優劣を活かせる環境を作り出す軍事的オペレーション』に過ぎないということでした。貧乏国は基本的には何をやっても勝てないのです…涙


平時における経済力の増進こそが、戦時においても決定要因となるという内容でした。戦争に強い国は戦時ではなく、平時の経済力が強い…21世紀以後はそういう時代です。そして戦争は戦場ではなく、銃後の敵国経済力の殲滅が正しいということでもありました…。



 ※     ※     ※


【内容補足】

こちらに1940年末時に当時のソビエトで起こったとされる興味深いエピソードについて補足の形でUPいたしました。


https://kakuyomu.jp/users/magmag_folder/news/16816700426223666154


よろしければご参照ください…m(_ _)m

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