§4-2-8の補足になります…m(_ _)m

§4-2-8・電撃戦とは何だったのか? 〜をカネの面だけで考えてみる【戦争論】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884987864/episodes/16816700426222937811

…の補足内容がこちらですm(_ _)m


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【補足】
近年、ソ連時代における歴史的資料の掘り起こしが日々進んでいて、興味深い内容がいくつも出てくるようになりました。そのなかの一つに、1940年年末から41年年始の一週間に、ソ連においてスターリンを交えて対ドイツ戦のシミュレーション演習が行われたという話があります。

ポーランド戦・フランス戦におけるドイツの電撃戦を受けて、対独戦の対策を演繹する事が目的だったようです。この時、問題になったのがそれまでのソ連軍の教範(ドクトリン・マニュアル)で、確かにかなりの問題がありました。まさに「攻勢一本槍」の硬直した戦略で、戦闘は常に敵国領で行い、自国領土内は寸土たりとも奪われないこととか、全戦線で全面浸透作戦を展開するという、なかなか現実的でない内容が含まれていた事でした。無論、このドクトリンに従ってソ連軍は装甲車両五万両、航空機一万機以上とされる莫大な戦力整備を行っていたのですが、果たしてこの旧来のドクトリンがドイツの電撃戦に対処出来るのかで論争が起きたようです。

守旧派のパブロフらに対し、ノモンハン事件などで知見を得て、特に初戦において頑強な守備を固める関東軍に対して大打撃を受けた戦訓を持つジューコフなどが「当初は遅退防御戦略に切り替え、敵の消耗を待って反撃にでるべき」という『自国内に敵を引き入れて叩く派』との対立が出たそうです。
無論、ジューコフらの新戦略はドイツに領土を奪われるというものであり、革命戦争時に外国軍の干渉を受けていた古い世代の軍人には受け入れがたかったようですが、ソ芬戦争などで侵攻軍のソ連軍が手ひどく撃退された事にスターリン自身も不安を感じたらしく、今回のシミュレーション演習の運びになったということです。

結果は劇的なもので、ドイツ領内(分割したポーランド領の西側)への先制侵略攻撃はドイツ軍の遅退防御戦術により程なく侵攻軍のソ連軍が潰滅。その後、ドイツ軍による大規模反攻により領土の多くが奪われました。
反面、当初は防衛に徹する『遅退防御派』は領土を奪われはするものの、十分計画された防御戦闘を繰り返せばスターリンライン前後で押し止める事が出来、その後ドイツ領内に逆侵攻が可能ということを示しました。

スターリンの前でこの敗北を受けたパブロフたちは粛清されるのではという不安もあってうろたえたということですが、何故か結論は出ず、玉虫色のまま持ち越しになったようです。大粛清の悪影響で軍組織がズタズタになっている状況での戦略の大転換には多大な時間と困難が伴うでしょうし、軍内外での政治的闘争や派閥争い等も影響していたかもしれません。
ただし「戦時には速やかに生産設備をウラルの東側まで移設し、ドイツ侵攻軍から守る事」だけは決定事項となりました。東方への疎開という事です。このための準備と計画が策定されることになりました。


そう考えると、史実との辻褄も確かに合います。独ソ戦開戦時、ソ連軍があれほど国境ギリギリに大兵力をおいていたのも、命令によっては防御も侵攻も可能とするためだったかもしれません。無論、実際には逆で、中途半端なドクトリンは破綻するだけですし、攻勢においては高度な組織運用と補給兵站線の確保が求められ、防御においてはよく計画された縦深配置が必要ですが、そのどちらにも符号しません。よって初戦で大打撃をうけたのも納得です。
また産業基盤の大規模疎開という『偉業』も、当初から計画されていなければあそこまで徹底して出来た筈がなく、大祖国戦争を勝利に導いた事実を考えると『偉い!』と褒めるしかないでしょう。

ドクトリンは戦時に幾度か書き換えられるのですが、さしあたりこの時の論争の結果も出ました。ドイツ中央軍の大攻勢の矢面に立たされた前述のパブロフはスタフカからの反撃命令を真に受けて兵力を次々と投入しては各個に撃破される…を繰り返した後、ミンスク方面の大損害の責任を問われて銃殺刑になっています。ジューコフに関してはご存知のとおりです。

これらの内容は通説とはやや異なるために本文には組み込みませんでした。間違いや勘違い等もあるかもしれませんので、むしろ、詳しい方のご意見を伺いたいと思っています。

とはいえ、初期にドイツの電撃戦により次々と領土とソ連軍を消失していくのを目の当たりにして、スターリンはスタフカで将軍たちに狂ったように喚き散らし、ジューコフは泣いて発狂した…とかいう悲惨きわまりない話もきいたことあるんですけどね(^m^)

…見てみたかったですね(爆死

2件のコメント

  • ……日本の総力戦研究所が、開戦直前に対米戦をシミュレートしたら「緒戦は勝てるが長期戦に移行すると国力がもたずに4年で敗北」と、ほぼ実際の戦争と同じ結果に終わったって話を読んだことがあります。

    それを聞いた東條英機は「戦なんてのは計画通りには行かないモンだ。黙ってろ」(大意)と言ったとかなんとか……。
  • 結城様、いつもありがとうございます…m(_ _)m

    …ということは、当時の日本は冷静に分析が出来ていた、ということだと思います。東條が阿呆だ…というのは簡単ですが、当時の戦況はドイツがモスクワの全面に電撃戦で押し寄せていた時期でもあり、実際、ソ連によるモスクワ反攻は真珠湾攻撃当日だったので、「ドイツ、本当にソ連を殺るんじゃねーのか?…(゚A゚;)ゴクリ」と思えたとしても不思議ではありません。
    我々は結果を知っているので、後から色々と分析して正しいと思える結論を出せるのですが、当時、現場での判断は難しいものがあったでしょう。しかしそれでも「日本は負ける」という正しい分析が出来ていたという冷徹な知性があって、戦後の日本の復活があったと考えるべきでしょうね。

    戦争は一発勝負のバクチの要素も大きく、個々の戦闘では大負けすることも結構あります。それでも最期はGDPの優る方が勝つ事は変わりなく、これは米国の南北戦争が好例で、総生産力で一桁大きい北部連合が個々の戦闘で派手に負けまくったにも関わらず、最期は南軍に勝利したという事に似ています。チャンセラーズビルの戦いのように滅多負けしても結局は物量で押し切れるということです。とはいえ、最期は勝てるとしても犠牲が大きすぎるので、やはり「戦争はやらないほうがいいのではないか?」…という結論になりそうです。

    カネをかけずに勝てる戦争ばかりだったら、やってもいいんですけどねぇ…(。ŏ﹏ŏ)?
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