第五章 「金利」←国家破綻の元凶であるのと同時に、国家隆盛の原動力(強い

§5-1…2020年(←新コロの年)くらいまでのテロン極東方面の「世界経済のカナリア」を例にして「金利」で考えてみる

§5-1-1・【朗報】国家債務1,200兆円の日本国民の実質負担額:「せいぜい一年に増税5万円。その半分でもOKなんじゃね?」の話し・・・2200年から振り返る、2020年の日本の姿

 第三章・第四章の二つの章を使って、『国家の究極の破滅形態』について述べてみた。長い文章で申し訳ありませんでした。お疲れ様です・・・m(_ _)m

 そこで1945年からの日本の戦後復興の歩みを解釈した拙文・第33話の内容を加味して、2200年の地球の動きをもう一度考えてみる。すると、


・債務は各国・旧地球連邦(もしくは国連)の発行した戦時国債、民間企業の戦争協力事業の焦げ付き、他国や金融業への融資保証の支払いなど多岐に渉る莫大な内容。

・これらの巨額な債務は、実のところ戦後の超インフレによって無くなった。

・金融機関から債務が消えて失くなり、金融機関の統廃合によって資本の再蓄積がなされ、またインフレが終熄していくにつれて復興事業が軌道に乗り始める。

・庶民生活は保有資産の消滅とインフレによって大打撃を受けた。特に富裕層と中間層は打撃が大きい。


・・・という、単純に「超インフレで債務が消滅し、銀行が立て直れば経済は自律的に安定する。あとは復興需要に支えられて持続的な成長インフレ期に突入する」という金融負債の整理という問題に行き着く。つまり『宇宙戦艦ヤマト2199』とは単に『金融の問題』、ただそれだけだった。


 パターンは二つあった。エネルギー資源さえ無かった1つめの2200年は『預金税』という全人類からの収奪による、主に金融関係への公的資金の投入とスーパーインフレ、そしてインフレと増税への対策である超緊縮財政策により、全人類が死にかけた。もう一つの2200年は国家・銀行・各種金融業が総崩れとなり、共倒れの形で他の全ての産業が資金不足によって破滅。結果、全地球人の銀行預金・仕事・各国国家機能も殆ど消失という『資産の全滅』+ハイパーインフレによる債務の自然消滅の果てに堕ちるところまで墜ちきった後、ようやく生き残った銀行を中心に自律的な産業の復興へと至るという道筋だった。

 2200年の地球から読み解ける教訓は以下の項目。


・債務はインフレによってしか消滅しない。

・金融機関の正常化が必須。

・一般市民は大打撃を受けた。

 損失は主に『金融債券資産の消失』『インフレ』『失業』。

 結果、貧富の格差が縮小するという『所得の再分配』が起こる。


 結局、国家債務がなくなるということは『超インフレ』と『国民の犠牲』の二つが必要ということだった。

 そこでこれを踏まえた上で、2200年から2020年くらいの日本の姿を振り返って考えてみる。

 要するに『現在の日本は2200年のような破滅的な結果にはならない』だ。また『してもいけない』。そのために出来ることを考えるのが真の愛国者だ。我々のことだ・・・。


  ※     ※     ※


 日本は対GDP比200%以上の債務を抱え込んでしまった。確かにこれは戦時中の1944年の比率と同じとされている。なので『同じくらいに危ない』という話しをよく聞く。日本の戦後がどれほど悲惨であったかは第三章で延々と述べた。なので「ああなる」という人もいる。

 他方、楽観的な人も多い。こちらは大体、四つくらいの主張があって「そもそも債務ではないのだから心配ない」「輪転機で紙幣を増発すれば問題解決」「国債の95%が日本国内で消費されてるから大丈夫」「日本は資産があるから大丈夫」・・・という意見だ。

 なので、この双方の見方を検討してみる。


 まず楽観論を確認する。なぜなら楽観論者には筆者らマネタリストっぽい御仁ごじんが多いからだ。激しく論駁ろんばくしたくない『同志』である一方、やはり楽観的過ぎるきらいがあるので、一応、課題を見直してみる。要するに、筆者としては「筆者の側に回ってくれ」を期待しての反対意見だと思ってもらっていい。


  ※     ※     ※


 まず「債務でないから心配ない」に対しては「返済義務があり、利払いが必要な証書は全て債務」だから『心配すべき』事柄だ。

 これを放棄することは管理通貨制度における最も重要な通貨への『信頼』が根底から揺らぐ。利払いをゲットするために民間人はカネを払って国債を買ったのに、ある日突然、「もうやめた」と言い出す『徳政令』みたいな理屈は通らない。これでは『資産』としての価値がなくなる。


 また「紙幣を増発すればよい」は全くの論外で、通貨供給量の増加は拙文の第11話・第12話のようなやり方しかない。なので正しくは「市場が国債を購入してくれる間だけ、紙幣は増発できる」が正解だ。よって債務発行量には限界がある。「インフレは債務を消滅させる」の意味でも正しくない。債務を減らすのはインフレしかないが、債務のための無制限全面インフレは主客が逆の話しであって、輪転機を回しまくった第一次世界大戦直後のドイツが1兆倍のハイパーインフレを招いた事を忘れるべきではない。


 あと「国債の95%が日本国内に滞留している」に関しても、「日本国債が資産だから」保有し続けているのであって愛国心から保有している訳ではない。金融機関は日本政府に信頼を寄せており、利子がつくから購入してるに過ぎず、暴落すれば日本人投資家でも日本国債を売る。また日本国内の債権者に対して支払い不能になった場合でも日本国はデフォルトを起こすのだ。何より、戦前の日本の債務だって返却対象は99%が日本人であったことを忘れるべきでもない。


 最後に「日本は資産があるから大丈夫」は、結局、国債という債務を消滅させるには国民の犠牲が必要で、そのために「日本にある資産を売却して、売買益を債務の返済に当てる」の意味に過ぎない。「根抵当が沢山ある」と言っただけのことだ。結局は『公益資産』もしくは『私有財産』という国家の財産の売却が必要となる。無傷ではいられないからだ。大丈夫ばないのだ。


 つまり楽観論者の意見は『全部ダメ』ということになる。

 では次に悲観論者に対する意見を述べる。こちらも『全部ダメ』に相当する。日本は破滅するという人に『ああはならない』とする反駁は以下のようになる。


  ※     ※     ※


 そもそも2020年代の日本の債務は、戦争によって発生したものではないという事だ。

 戦後日本は間違いなく平和の恩恵を最も享受した国の一つだ。国債は国富の増大に使われた。ダム・河川改修工事・防潮堤・港湾施設などの国民を守る施設への公共投資を始めとして、国内の経済活性のために使われた。当然、上下水道の整備から道路整備など、およそ公共体におけるあらゆる造作物が含まれる。空で撃ち落とされたり、海底に沈んだ財産ではない。戦争という消費のための出費ではなく、国家経済の増強と資本財の整備に使われたものだ。債務の分だけ日本国に投資がなされた・・・と考えるべきだ。


 サービス財も同じだ。典型的に予算を喰う『厄介者やっかいもの』として医療費と社会福祉費が上げられる。

「どうせ死ぬヤツに、なんでカネ使うのか?」に対しては、医療費は医師・看護婦や医療従事者の生活費・運営費に充当され、また医薬品を始めとした医療サービス業の市場拡大に貢献しているから、が答えだ。社会福祉も同じだ。老人や社会的弱者・身体障害者を救済することで、その分野の市場が広がる。


 どちらも、その真の意味は「社会的弱者が社会参加できるようにサポートすれば、彼等の労働が税金の形で国家に還付され、彼等の日々の生活によって付随する国内市場の拡大が期待できる」ということだ。これには生活保護も含まれる。

 生活保護の本質もまた「僅かな国家からの投資で、国内市場から取り残された人々を再吸収し、市場拡大に貢献させるとともに社会参加によって税・年金・社会保障費の各負担を担わせる」が目的だ。この『社会参加』とは、半ば強制的にでも社会に引きずり出して働かせるという事の婉曲えんきょく用法だ。そもそも日本国憲法において『労働・教育・納税』は国民の義務とされている。ニートは憲法違反なのだ。


 よって各種福祉政策はムダではない。ムダがあるとしても制度上の非効率であって、ヤメて良いワケではない。福祉政策は所得の再分配を行い、同時に国民に安心感を与える。社会の安定・秩序維持という目に見えない投資効果もあるのだ。


 そしてこれらを可能にしているのが国債だ。国債という資産を(政府から借金することで)国民の資産、それも『国債+利子』だけでなく、付随するサービスの恩恵を受けてきたのだ。なにより『国家の生産力の増強に寄与してきた』。これのおかげで『日本は多数の資産を保有することが出来た』のだ。日本の国力は、国力増加のために振り向けられ、そのためのガソリン役を国債が果たしてきたということだ。


 次に借金の仕方が違う。戦時中は主に中央銀行が帝国国債を引き受け、通貨をバラまいた。拙文・第11話〜第12話の内容だ。結果、戦時中からインフレは進行し、価格統制令を複数回に渡って出し、強力に推進したものの物価高は続いていた。戦後の莫大な債務はコレに起因する所が大きい。しかし現在は違う。公開市場操作という市場の信任を得ての政策運用費の取得だ。ムリを承知で狂ったように紙幣を増発しているワケではないのだ。

 特に21世紀になって以後、一度たりともインフレになったことさえない。超大規模金融緩和策の安倍政権でさえ、せいぜいインフレ率1%超が関の山で、過去20年に渡ってデフレというインフレの逆状態だった。債務が爆増していたにも関らずである。


 また管理通貨制度の成熟度合いも全然違う。現在は充実した金融市場が存在し、金融商品も金融技術の向上が著しい。手段も多い。リーマン・ショックのようにデリバティブで大問題を起こすことがあるのも事実だが、金融技術が国債や債券市場の安定に寄与している。そして日本はこの市場におけるメインプレーヤーなのだ。孤立していた第二次大戦時の帝国とは根本的に違う。


 それに戦後の日本と2020年の日本とは根本的な社会構造が違う。現在は産業基盤が残っているし、金融資本もかなり潤沢にある。よく『換金性のある資産が少ない』というが、逆に為替や商品市場の変動に左右されにくいとも言える。金塊のように乱高下の激しい資産でもない。日本の資本状況については拙文・『第二章 日本が国債を発行し続ける理由〜インフレ・デフレと通貨と国債の関係について』に譲るが、何もない焼け野原から債務を精算しなければならなかった戦後日本とは状況が違うのだ。


 たとえて云うならば、多額の借金をした一家が焼け出されてローンだけが残ったというのが戦後の日本であるならば、現在の日本は「豪華なキャンピングカー買った、ボートとトレーラーも買った。キャンピングカー用の電子レンジ・クーラー・IHクッカー・ベッド・テレビとかの家電買った。ガソリンも買った。全部ツケで買った。結果、山のようなローンが残ってたのをキャンプ場でようやく気づいた!」に近い。しかも「でもまずはBBQの肉喰ってから。ちなみに今日のお肉はオーストラリア産」・・・まだ、このくらいノンキだ。

 つまり前提となる条件が全く違う。現在の日本は強靱で、当時とは基礎力が違い、置かれた状況が違いすぎるのだ。単純な比較は意味を持たない。


 なにより国家債務は、全額を一気に返済すべきものでも『ない』のだ。

 返済期日もしくは利払日に、その支払いに必要なカネがあればそれで良いワケで、しかも支払い総額は基本的に一年365日に分割されている。国債の償還期限にしろ、利払にしろ、償還日もしくは支払日に払えばよい、という割り切りだ。

 たとえていうならば、銀行から巨額の借り入れをしていて、「どう考えても返せない」ものの、利払いだけはシッカリやる・・・という個人事業主に似ていなくもない。会社や個人資産が根抵当に入っていればだが、利払いだけキッチリやっとけばまずはOKだ。


 また国債は『買い直し』して貰えることも結構ある。コレはとても重要なことだ。償還期限の後で、新発債をまた購入するということだ。

 その場合、実質、日本国という『企業』に対する株式と同じものだとも言える。この件に関しては拙文・第18話でも触れたし、この延長上として国債を株式化して市場で売買することも出来るはずだと何度か述べた。何度も買い直して貰えればもはや債務ではなく、永久債もしくは(利払いが必要にはなるが)債務でさえなくなる。返金しなくていいからだ。



 さらに、現在の国家債務は『全額返済する必要はない』ということも重要だ。

 世界各国の国家債務が大体、平均すると対GDP費で100%程度・・・というならば、要するに「日本も国家債務を半分に減らすだけでよい」ということも言える。だとしたら、減らすべき債務総額は500兆円前後ということになる。

 そして一般的に「現在の国の借金は国民一人あたり約800万円」というのが本当だとしたら、「半分の400万円分を、皆さんの人生80年で分割増税(=年に5万円分の増税に相当)させてください」だったら?


 一年間に増税5万でOK・・・


・・・現在のような長期国債の金利が0.01%のままであれば、この金額の増税で債務は消せるのだ。少なくとも他の国と同じ程度の財政健全化が図られる。逆に言えば「なんでそんなに騒いでいるの?」という程度のことにさえ思えてくる。

 なにより長期国債の利率は1%前後にならない限り、そもそも債務など減りはじめる訳もない。通常は3%以上だ。実際、そうしているのがアメリカだ。

 アメリカが過去40年に渡って貿易・財政赤字を出しまくっているにも関らず世界最強国家であり続けるのは、国債の利回り(利子率)が日本などに比べて『桁外れ』に高いから 〜債務がその分、減少しまくっているから・・・と言えなくもないのだ。それでいて、スナック菓子の値段は日本の1/3程度、家の値段は1/5以下だ。強靱な経済下にある国家の『管理されたインフレ』の恩恵がこれだ。


 日本に戻して考えてみる。この『年平均5万の負担』ということだが、現在、生涯労働賃金に関して言えば、正規雇用者で約2-2.5億円、非正規雇用者でも1-1.5億円と言われている。この生涯賃金における『-400万円』ということだ。しかもいまの計算は一人あたりで割った『人頭税』だ。

 そこでこれを累進課税制度にすれば貧乏人の負担は減るし、金持ちも財布が痛まない程度に負担してもらえる。っていうか、それはやるべき&やるに決まってる。より公平な税負担をお願いしたいだけなのだから。


 しかし個人だけが負担するのは納得出来ない。特に非正規雇用者を激増させた企業側には責任はないのか? という当然の話しにもなってくる。そこで企業に課税する。対象は『内部留保金』だ。企業は労働者にも株主にも還元しないカネ〜内部留保金を大量に抱え込んでいる。2017年度で約420兆円だ。これだけ全部吐き出させれば、国家債務はチャラになりそうな程だ。「ウチの社長はあくどい」と誰もが思っているが、まあ、そのとおりだった。


 ただし内部留保金は大半が現金ではない。現金はそのごく一部だ。大抵は設備投資や海外M&Aなどで得た固定資産だったり、株式などの債券だったりだ。そして海外投資は拙文・第15話で述べた『一次所得』の源泉だ。なので、全額吐き出させるべきでもない。そもそも内部留保金に関しては法人税を払った後の『残り』であって、現金で残っているとしても『会社が万が一の時』の内部留保分と考えるべきなので、ここに課税するのは二重課税という論も多い。アメリカでも内部留保金課税は存在しているが、内部留保金が発生した場合に課税する単年度課税だ。


 なので内部留保金をふんだくるやり方は内部留保金に対する課税ではなく、もっと直接的な『対企業増税』がいい。今現在、内部留保金に当たるものを400兆円も企業は持っているのは事実だ。つまり『企業は余力がある』ということだ。この余力分から、少しいただく・・・で良いではないか?

 だとすると、個人の負担額はずっと減らせる。貧乏人は年に一万円くらい。金持ちはひと桁上くらい。ただし毎年課税。企業はもっと短期的に増税させてもらう。個人・法人の費用負担をシッカリ計算することと、人口減がどのくらいの打撃になるか・国債の利払いがどのくらい増えるか?or減るか? ・・・をよくよく算定しなくてはならないが、実のところ、この国の債務負担はこの程度ということだ。


 これがつまり『戦後と状況が違う』ということだ。

 2020年の日本は『潤沢に持っている』のだ。たしかに何をやるにしても、国家債務を減らすためには国民の犠牲が必要だ。しかし、よく計算してみれば『毎年5万の増税』でなんとかなるということが判ったはずだ。ダメージがあっても致命傷にはならない。これが『なぜ日本は絶対に破滅しないのか?』の理由なのだ。いまの日本はこのくらいの国力を持っているのだ。

 金持ちの借金は、痛手があっても死ぬほどではない・・・ということなのだ。持ってる国は違うのだ。


  ※     ※     ※


 2200年のような究極の債務と、2020年前後の日本の国家債務とは、本質的に全てが違う。最大の違いは『2020年の方は打つ手がある』という違いだ。2200年のような木端微塵では、打つ手がほぼない。日本は確かに悪いが、世界は実のところ、もっと悪い。いまの日本には『抜本的な解決策をとるか?』それとも『出来るだけ犠牲を少なくするか?』の選択肢があるのだ。


 そこで、これらを踏まえた上で、現在の日本の状態を検証してみようと思う。2200年からの、2013年以降の日本の動きを調べてみる、という作業だ。

。。。m(_ _)m

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