後編
*
「なんだ、あれ」
「あれは確かに禁止区域になるわ」
嫌な予感というものは、往々にして的中するものである。
目の前には得体の知れない生き物がいた。
それは、志木王国との戦の時に見た大きな土くれ人形に似ていた。大きな岩がいくつも積み重なってできた、人間のように二足歩行する人形。体長は人間の三倍以上あった。横幅も大の男一人分ぐらいあっただろうか。魔法で動かす土くれ人形はとんでもなく強かった。おれの左手を容赦なく踏み潰し、金属の盾と共に破壊してくれた。
あれを操っている魔法使いを殺したおかげで
、なんとか国の安寧を保つことができたのだが、あれとは無闇に立ち向かってはいけないと学習させられた。
そんなものよりも、あの人形のような生物は強そうだった。形こそあの人形だが、青っぽいそれは魔力そのものでできているように感じる。まるでそれの本体は水でできているかの様だった。透明な型の中に水が入っているような見た目をしているが、中身の液体みたいなものは、おそらく魔力の塊だろう。木漏れ日が人形に当たって鈍く光っている。
ここは恐らく立ち入り禁止区域。奴が攻撃してきそうなそぶりはない。何故ならおれたちはただ少し離れた場所からそいつを眺めているだけだからだ。
「なあ、柚。本気か?」
「本気よ」
森林地区の中央部が立ち入り禁止なのは、騎士や特権階級のみが知っていること。その理由を知っているものとなると、本当に一握りだ。おれも知らない。
一般市民はそもそも森林地区の居住区より奥に入ることすら許されない。自然環境を守るためという建前でだ。
柚も薬師だが、居住区以北の森林地区は入れない。今回は森林地区の探索の許可を貰って入っているだけなのだ。
「あそこは禁域だ。近づけない」
「へえ。そんなことより、あれをどうにかするわよ」
「そんなことではない。それに、無理だろ。あれは勝てる相手ではない!」
無闇に戦えるような相手ではないのだ。奴の類似品である土くれ人形ですら、たったの数体で教王の騎士団をほぼ壊滅状態にしたのだ。なんとか生き残ったおれでさえ、利き手を失った。
「びっくり人間ならなんとかならないわけ?」
「おれは、あれに似た土くれ人形に腕をめちゃくちゃに破壊されている。お前がなんとかしてくれなきゃ腕は無くなっていただろうな」
「わたしは、あんたとならなんとかできると思うけど」
「あれを倒すのは無理な相談だ」
「倒さなくてもいいわ」
無茶苦茶なことを言ってくれる。倒さずにあそこを突破しろと。どちらかが囮になってその間にってことができるとは思えない。それだけとんでもない力を持っている。伝わってくるものが違う。
「転移の魔法を使えばいいのよ」
「は? 何を言って」
転移の魔法。場所を移動する魔法などとんでもない魔法だ。とんでもなく魔力の多い人間が唱えるならば別だが、普通の人間が簡単に出きるわけがない。
帰還の魔法は行き先が決まっているからそれなりに魔法を身につければ使えるが、自由に空間を移動するこの魔法はなかなか成功者が少ないのが実情だ。
少しでも発動の仕方を間違えば死に直結するし、大量の魔力を消費するので、体力が持つかどうかも分からない。
「もう一度言わせるわけ?」
「いや、そんなことないけど。あれは、そう簡単には使えないし、おれも柚もそんなの使ったら魔力切れで動けなく」
「そんなもの、二人で使えば何の問題もない。魔方陣は書いてきた。心配なら変なところがないか見てくれればいいわ。あんたは、何度か成功させているはずだから、分かるでしょ?」
はい、と言われ渡された紙には大きく魔方陣が書かれていた。よく書かれた魔方陣だった。魔力量の調整から位置情報から、恐ろしいほど完璧だった。
「なあ、これは」
「ああ。魔法書に書かれているものだと、無駄な魔力の流れがあったから、いろいろ変えたのよ。これだったら二人の魔力を大量に無駄にすることはないと思うわ」
「やりますか」
「そうきてこその、英雄様ね」
「角がたつな」
こんなものを見せつけられて、無理だとは言えない。
魔方陣に力を込める。ふ、と体が軽くなった気がした。
*
目の前にあったのは桜の木だった。
思わず絶句した。これが、柚が言っていた、百年桜。
見上げても先が分からないぐらい、高い樹にはらはらと散る桜の花びら。秋の空は澄んでいて、とても美しい。
鬱蒼とした森の中で、この桜はまるで王者のように君臨していた。
周りには樹が一本も生えていない。地面に草はたくさん生えているが、それも木の真下になると一本も生えていない。
「柚」
「やはり、存在したわ」
柚は大きな桜を触る。
そして、顔を歪めた。
「おい」
急いで駆け寄って、柚の肩に触る。
『何故、私の花びらをすべて採ろうとする。私の肌をすべてむこうとする。何故、私を痛め付ける』
そう聞こえたと思ったら、目の前にはたくさんの人が見えた。さっきまでは柚と二人しかいなかったのに、何故だ。
とりあえずわけの分かる状況でないことは確かだが、そんな混乱しきったおれをよそに目の前に奇妙な状況は続く。
木肌が所々剥がされ、ほとんど花びらはない。さっき見た桜とはまるで様子が違いすぎる。悲痛な叫びも無視され、群がっている人間は木肌を剥がし、花びらを大量に抜き取り、つぼみをとるために枝を折る。
突然だった。樹の目の前にさっきの青い人形が現れた。そして、人間を襲う。助けなければ。持っていた剣を抜こうとしたが、できなかった。それどころか、自分の体のはずなのに、言うことを全く聞こうとしない。
何もできないまま見ていたら、人間の死体が山を作っていた。戦争で何度も見せつけられた光景ではあるが、慣れるものではない。
死体の山を作った人形は気が付いたら消えていた。そして死体の山も。
目の前にいるのは、樹を眺めている柚だけだ。
絶句した。今見た光景はなんだったのだろうか。この樹の記憶か。まさか。古い樹には精霊が宿ると聞いたことがあるが、それが今の幻覚を見せたのだろうか。
「おそらく、二百年前の事件ね」
「お前、もしかして知っていて」
「文献から想定はしていたわ。こんなに悲惨だとは思ってもいなかったけれど」
柚は落ちている桜を拾う。
「百年桜の精霊様。落ちた花びらを少しだけお分けください。聖域を犯したことどうぞお許しください」
柚が桜に向かってお辞儀をする。おれも慌てて頭を下げた。
「さ、目的は済んだわ。帰るわよ」
「あ、ああ」
「葵、帰還の魔法をお願い。さっきの転移の魔法でほとんど魔力を使ってしまったの」
「分かった」
*
あれから数日。仕事はいつも通り退屈だった。あの死体の山をもう一度見たいとは全く思わないが、戦にでもならなければこんなに暇な仕事もそうない気がする。まあ、暇をしていられることはいいことであるのだが。
そんな暇な日々を送っているおれの目の前に、ぼさぼさの髪の柚が現れた。それも不敵な笑みを浮かべている。格好までなんだか変だ。少なくとも余所行きの格好はしていない。
この見た目は危険人物の香りしかしない。よくこんなところを歩いていて捕まらないな、と感心してしまう。
「見つけたわ」
「え」
「王宮から許可は取ったわ。行くわよ」
そう言って柚はおれの動かない左腕を引っ張る。げ。髪の毛にふけがたくさんある。こいつはいつ湯浴みをした。そもそも今まで何をしていたんだ。
嫌な予感しかしないおれをよそに、柚は自分の家に引っ張る。抵抗しようものなら、魔法で叩きのめされそうな気しかしない。魔法に関してはおれよりも柚のほうが得意だ。逃げようものなら、今回も何が待っているか分からない。
「ふっふっふ」
そう言っておれに見せつけてきたのは、桜色をした液体の入った小瓶だった。
「これを飲んで」
「な、なんでだよ」
「三日後には分かるわ」
なんだそれ、と言ってはみたがこれはきっと二百年前にすたれた薬の何かだろう。ううう。変な薬でなければいいのだが。
柚に手渡された薬を飲みこむ。体が熱い。左手が痛い。痛い? 感覚が全くうないはずの左腕が痛い。おかしい。気持ち悪い。
「柚、水」
「あと少し我慢して」
*
それから三日。おれはうなされ続けたらしい。この三日間の記憶がない。三日経っていたことが理解できたのは、ついさっき柚から謝罪されたからだ。こんなに副作用が強い薬とは思わなかった、と。
何の実験だったんだ。体を起こそうとするが、柚に止められた。まだ体が重い気がするが、そこまで重病な感じではない。体を起こしても大丈夫だと思うのだが。
「ねえ。質問に答えてほしいの」
と柚が言ったら、突然柚が左手を握った。温かい。握られた感触も分かる。強く握られているようで痛く感じるぐらいだ。反射で握り返してしまう。
「痛みは感じる?」
「ああ、まあ」
「次。これを持ち上げて」
左手の上に乗っけられたのは、きのこ。まさか。と思って握ってみる。左手はすんなりとおれの言うことを聞いてくれた。柚が言ったように持ち上げることもできる。
「左腕に変な痛みや違和感は」
「特に」
わけが分からない。おれの左手が動く。あのぐちゃぐちゃになってしまった腕が形を取り戻すだけでも驚きだというのに、動かないはずの左手が動いている。
「なあ、柚。何をしたんだ」
「神経の修復」
柚は涼しい顔をしていた。
「あの薬は」
「百年桜の花びらを使った神経修復薬。あんたに大きな負担がかかるのは分かっていた。でも、あんた元々左利きでしょう? この二年、左手使えないの辛そうだったから」
「お前、その為に寝る間も惜しんで研究してたのか?」
「寝る時間が惜しく感じるのはいつものことよ。今回は特別高度な技術が必要だったからつい、没頭していただけ」
柚の視線が逸れた。
冒険に出る前にこのことを言ってくれればよかったのに。柚に無理などしてほしくなかった。別に左手がなくても生きていける。
「それに、戦の傷があんたの心を痛めつけてることぐらい分かるわ。だから、目に見えるところの古傷をなくしたかった」
「そんなことの為に無理しようとするなよ」
「わたしは、自分のしたいことをしただけ」
柚は俺に背を向けた。表情は見えないが、声も体も震えている。
柚には気が付かれていたのか。早く戦を終わらせたくて戦っていたことも。仲間が死ぬのを見るのも、敵を殺さなければいけないことを嫌がっていたこたも。そして、戦のことを思い出したくないことも。
「葵」
「なんだよ」
「仕事は三日後からしてもいいわ。ただし、私がいいって言うまで、五日に一度うちに来ること。それから異変を感じたら、すぐにうちに来ること。分かったわね。今日もうちで休んでいって」
「お、おう」
「それから、百年桜のことは他言無用でお願いするわ。腕が動くようになった理由は、よく分からないと答えて。私も絶対に言わない」
「なんで」
「葵なら分かるでしょ。この薬を広めてはいけないことぐらい」
あの桜は、死にかけた。
自分の生のためにあの人形を作りだし、見張らせている。
もし、桜から有益なものが採れると知ったらどうなるか。きっと今のこの国なら、あの人形の討伐班を編成するだろう。それでできるのは、騎士たちの死体の山と、動かなくなった人形。そして、ぼろぼろになっていく桜だ。
柚は植物のことを大切に思っている。あの桜がもっと長く生きていられる様にしたいのだろう。おれだってこの桜のせいで人の血が流れるところを見たくない。
もう一度左手を見る。ぐっと握ると幼い頃を思い出す。母から筆を左手で持つ度に叱られていた。剣は両手で持って一生懸命父と稽古をしていた。そして傷を作っては柚に薬をつけてもらっていた。
柚は、おれの為だけに、危険だと分かっていて旅に誘って薬を作った。いつもの彼女なら桜の花びらを採らないと思っていたのだが。
「ありがとう柚」
左手を取り戻してくれて。
「お礼はお金で返してね」
前言撤回。腹立つ。
百年桜 三池ゆず @mnmnmo
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