百年桜

三池ゆず

前編

 これは、現か夢か。

「なんだ、これ」

 一つ言えること。

 それは、目の前の光景は、刺激が強すぎるということだ。



「へ?」

「へ? って反応、心外なんだけど」

「いや、へ? って言うよ。ひいらぎおじさんになんか吹き込まれた?」

「なによそれ! むかつく!」

 ここは、桜花教王国おうかきょうおうこくの外れにあるおれの家。目の前にいるのはゆず。近くに住む薬師の幼馴染みだ。茶色い髪に濃い青色の瞳は目を惹くが、それ以上に変人薬師、柊の娘として有名で、男が寄ってくるところを見たことがない。

「いやだって。桜がずっと咲いてんのなんてありっこないじゃんか!」

「そらくじらが本当にいるって信じてたあおいに言われたくないんだけど」

「そ、それは子どもの頃の話だろう?」

 また不機嫌そうに柚が唇を噛む。

 おれはとりあえず笑った。おそらくひきつった笑顔になっているのだろう。

 ああ、ムカつく。と柚は苛立ちをおれに隠す気はないらしい。いつものことだが、ここまで突飛な事を言っていておれに常識がない人間だと言わんばかりの目を向けないでほしいのだが。

 この世には桜というものがある。春になると薄紅色の小さな花をたくさんつける、美しい木のことだ。その花は散ってしまったら葉をつけるはずなのだ。しかし、例外というものがあるらしい。それが柚の言うずっと花が咲いている桜、「百年桜」である。

 百年桜のことは誰でも知っている。建国神話というものに出てきて、旅で傷ついたこの国の開祖、いつきを癒したとされているのだ。話をするし、美しい女性に姿を変えて現れたなどと、あまりに現実離れして書かれているこの物語を本気で信じる人間など大人にはいないだろうと思っていたが、どうやらそいう訳ではなかったらしい。

「あのさ、元々桜花のシンボルだったわけ、この桜がさ。それが史料に載ってるのは有名な話でしょ?」

「そうだけど、この国ができてもう五百年だろう。五百年前の史料なんてあってないようなものじゃないか。そもそも、建国神話じゃ美しい女性に姿を変えて現れたとか言っていて、現実味皆無じゃないか」

 柚が鼻で笑った。鼻で笑ってやりたいのはおれのほうだ。

「何言っているのよ。二百年前までの本には、この花びらを使った薬の作り方がたくさん残ってもいるわけ。ないなんて考える方が不自然よ。なんでこの花びらを使った薬が廃れたのか知らないけど」

 はあ、と溜息をつかれる。おれは何か変なことを言っただろうか。

「ほんと、万能薬ができるみたいだからね。あんたの動かない左腕もなんとかなるかもね。隻腕せきわんの英雄さん」

「その言い方やめてくれるか」

「20歳にして、志木しき王国おうこく侵攻を食い止めた代わりに左腕が動かなくなったんだもんねえ。ほんとかっこい」

「棒読みが突き刺さるんだが」




 桜花教王国は鎖国している。

 理由はよく知らないが、他国とのやりとりもほとんどない。幼い頃は外に出ることもできなくはなかったが、当時から教王騎士団だった父にはやめておけとしか言われなかった。

 この国は山地の中にある土壌豊かな国らしいということは知っているが、他国から見てこの国の土壌がいいということが本当なのかどうか分からない。

 まあ、鎖国体制のこの国で外に出ることなどできないから考えても無駄であるのだが。

「外に出たくて教王騎士になったのに、左腕が全く動かないんじゃねえ」

 こいつ。何を言っているのか。人が気にしていることを。

「それが桜となんの関係があるの?」

「外には出れなくても、冒険できるけどって言ったら?」

 一瞬だけ心が踊ってしまった自分がいた。苛立ちが吹っ飛ぶ。職務から離れて冒険ができる、だと。ただただ楽しいだけではないか。宮廷で見張りをするよりも、鍛練するよりもずっと楽しそうだ。

 と思ったが、そもそも非番の時間にそれができるわけもない。

「仕事があるからなあ」

「そんなの柊の名前を使えばいいでしょ? 宮廷薬師の守護も教会騎士の仕事でしょ?」

 万事解決。

 仕事より冒険の方が楽しいに決まっている。

「百年桜があるかどうか分からないけど、協力するよ!」

「あんた、相変わらず馬鹿ね」

「なんとでも言え。おれ、旅ができるならなんでもいいから」

「外に出て、そらくじら見たいんだもんね。今回は外には出ないけど」

「子どもの頃の話をいつまでもしないでほしいなあ」



 宮廷薬師、柊の名は本当に強烈である。役所で柚が父の命を受けと言った瞬間、外に出るかい。とも訊かれたが、今回は出ない旨を柚が即答した。

「なあ、外に出られるのなら」

「柊の名を使っても外に出るには申請やら罰則事項についての説明やらで大変なのよ。禁止されてることをやっちゃうと、余程の人間じゃない限り、国から追い出されちゃうみたいだし」

「その余程の人間って」

「あのクソ柊みたいに、国が鎖をつけてでも捕まえておきたい人間ってこと」

「ああ、なるほど」

 それならば、この国を捨ててしまって外に出ていってしまいたい。そんなこと言ってしまったら、柚が私の所有物がとか、やっぱり馬鹿ねえとか言いそうではあるが。いや、出て生きていけるとも思えないのだが。

「さって。行くわよ」

「行くわよって今から?」

「当たり前じゃない」

「ま、まだ、心の準備が!」

「知らないわよ! 剣術以外なんもできないあんたなんだから心の準備がどうのとかないでしょ?」

 さすが柚。おれの心を平気な顔をして踏みにじる。

 幼馴染みだからいいと思われているのか。それとも、みんなに向かってこうなのか。

 前者であると信じたい。



 森林地区はおれも柚も住んでいる場所だが、なにせ広いものだから、この森の深くがどうなっているのか、おれは知らない。そもそも深部は許可がなければ入ってはいけないし、場所によっては立ち入り禁止の場所もある。騎士団では危険区域であるからとは言われているものの、実際そこに何があるのか知っている人間を見たことがない。

 家の近くならしょっちゅう柚に付き合わされていたこともあり、土地勘があるのだが。

「あんた、なにやってんの」

「木に小刀で傷をつけて、帰路が分かるようにしているんだ」

「はあ? やめなさいよ。余計な傷をつけるなんて最悪」

 だって、帰れなくなったら困るじゃんかと言いそうになったが、やめた。どうせ傷口からどうのと言われてしまう。

 柚は薬師。自称植物学者の柊おじさんの影響か、植物に関しての知識が豊富だ。しかし、帰るための道標をつけるのは旅の基本だ。

 …………と本で読んだ。

「ごめん」

「分かればいいのよ」

「ただ、」

「ただ、何よ」

 睨み付けてくるように柚がおれを見てくる。そんなに害悪みたいなことをおれはやっているわけではないはずなのだが。

「帰り道をどうやって確保すればいいかなって思ってさ」

 柚にため息を吐かれる。何が言いたいのだ。

「帰還の魔法を使えばいいじゃない。あんたみたいなびっくり人間なら簡単でしょ?」

「ああ、そうか」

 はあ。帰りまで歩けたなら冒険らしくて楽しいと思ったのだが、柚に言ったらきっと、あんたらしい幼稚な考えね、とでも言われそうだ。

「なんか不満?」

「いや、魔力切れ起こしたら困るしさ」

「あんたみたいなびっくり人間がそうそう魔力切れなんてしないだろうし、この付近に生息している生物は攻撃性の高いものはそうそういないわ」

 攻撃性の高いものがいないのだったら、なぜおれを呼んだんだ。柚だってその辺の騎士なら簡単に倒してしまうほどの魔法を使えるのだ。これでは物語の騎士の姿とは全く違いすぎる。

「なあ、柚」

「ああ、あんたには護衛兼荷物持ちっていう大切な役割があるの。つまらないなんて言わせないわ」

 それは護衛兼荷物持ちではなくて、荷物持ち(護衛の役割を添えて)とかそういうものだろう。

「何、不満そうな顔をして! 荷物持ち兼護衛ではないのよ?」

「へ?」

 嫌な予感しかしないが、この桜花内でそんな駆除に困るような生物などいないと思う。というより、いないのだ。

 そんな危険生物がいるならば、騎士団が把握していないなどあり得ない。

「どういうつもりで言っているんだ?」

「え? 私はあんたの強大な力が必要だと思ったから頼ったまでよ。その辺の騎士を何人もつけるより、あんたといた方が何億倍も安全だもの」

「なあ、どうして」

 足が止まる。嫌な予感しかしない。こいつはとんでもないことをしようとしているのではないだろうか。それも、己の好奇心の為に。

 おれは騎士だ。それなりに力をつけてきた。おれと対等に戦う奴などあまりいないことも自覚をしている。

 しかし、二年前と違い、おれの左腕は全く機能しない。なんとか騎士として働けるが、二年前のおれのように動くことは不可能だ。

「隻腕の騎士さんにしか、護衛を頼めないと思ったのよ」

「何を根拠に」

「冒険って言葉にすぐ飛びつく馬鹿で強い人間なんて、あんたしかいないじゃない。それに」

「それに?」

「突然使われなくなったのには何か理由があるはずよ。その理由が何故なのか分からない。場所は森林地区の中央部。騎士たちだって近づかない。そこには何かがある。一人で行くには危険すぎるわ」

 こいつは、危険な目に遭ってでも好奇心を優先するのか。

 まあ、そんなことはいつもか。おれも体調が悪い時、怪我をしたとき、そして、戦争になった時に実験台にされていた。まあ、実験台にされていたはずなのに、とんでもない目に遭ったことはないのだが。

「そんなに、百年桜を見たいのか?」

「ええ。最強の薬になるんだもの。そんな素材が突然使われなくなった理由も知りたいし」

「お前、もしかして、とんでもない魔物が潜んでいるかもしれない、とでも思っているんじゃあ」

「ま、可能性としてね」

 柚は顔色一つ変えない。そして、前に足を踏み出す。

 そういうことか。嫌な予感は当たらなければいいだけのことだ。

 あ、当たるはずなど、ない。

 はあ。嫌な予感しかしない。

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