うん、そんな気はした

「これ。これも、そうです。この石に触れていると、違う言葉もわかるんです」

「…そこから?!」


 薬師くすしの仕事を覚える前に、言語の壁が立ちはだかっていた。

 頭を抱えかけた有朱ありすの手を、シルラがごく自然に取る。青い石を手渡された格好だ。


「…もらって、いいの?」

「あ、その前に、一度ここに置きますね。―――、―――。―――?」


 シルラが青い石をテーブルに置き、二言三言何か喋ったようだったが、その言葉は有朱の耳をすり抜けていった。

 いつだったかに耳にした、インド僧の読経どきょうに似たような響き、とちらりと思い。

 つまりヒンドゥー語になるの? アラビア? それとも…インドの仏僧って何語喋るんだ、経典はサンスクリット? と、中途半端な知識が脳を走り回る。


 青ざめた有朱に慌てて、シルラが青い石を押し付けてきた。


「言葉が通じないかと思ってあらかじめ用意していたんですが、やはり別の言語なんですね。これは、少し作るには時間がかかるのでなるべく肌身離さないようにしてください」

「…どのくらい? 作るのにかかる時間って」

「大きい方がより多言語をかいせるので、なるべき大きなものを用意したんですが…これで三年程度です」


 思った以上に長かったのか、その程度で済むのかと思うべきなのか。そういえばそもそもの予想をしてなかったなあと、有朱は眉間をんだ。


「ちなみにこれ、文字は…っていうか文字はあるのここ? 口伝くでん文化だったりする?」

 

 日本で言えば古事記が成立する前は語り継がれていた頃だし、芸能の世界では未だにほとんどそうだというし、明治頃に破壊されるまではアイヌ文化も文字を持たず口伝だったはずだ。


「文字も…ほら、ちゃんと。文書なら、宮城で見ることもできますよ。あ、ただ…その石では、文字の翻訳までは…」

「うん、そんな気はした」


 青いでこぼことした石を握りしめて、有朱はかろうじて溜息を呑み込んだ。溜息をつくと幸せが逃げる、と、祖母に度々たびたび注意されたことを思い出す。


 喋り言葉と文字と、薬師、でなくてもいいが何かしらの手に職。どれから優先して学ぶべきなのか。

 小中高大学と、勉強は分野でのむらはあったもののさほど嫌いではなかったが、のんびりゆるゆると適当に、が基本で、実のところ受験勉強すらそれほど熱心にはせず、そのままで行けるところを選んだくらいだ。


 つまり、有朱はあまり勉強の仕方というものがわかっていない。


「あ、あの、文字は、それほど使うわけではないので、知らなくても目立ちませんよ?」

「あー…識字率結構低いのか…。でもなあ、書き残さずに覚えられる自信ないなあ…メモ取る分には日本語でいいのか」

「ニホンゴ?」


 ほとんど独り言だったが、シルラがびくりと反応したのは判った。何にだろうと見るが、そっと視線を外された。

 しかし、かと思えば、ちらちらとこちらを窺ってくる。

 そわそわとしているシルラが何か話す気配もなく、まあいいかと考えを切り替える。


 とりあえず、石を失くしたり壊したりしなければ、との前提はあるが、言語関係は追々おいおいでいいのかもしれない。

 となれば、仕事を教えてもらいつつ、こちらの習俗なり決まりなりを教わって、気になった文字はその都度つど訊いてメモを取る、暇な時にでも石を少し離して雑踏に耳を傾ける、とでもすればいいだろうか。

 大雑把ではあるが、ある程度見通しがつけたことで安堵する。

 あとは、あまり女性の地位が低い世界だったり、有朱の常識が大規模に常識はずれな世界でなければ助かるのだが。


 考え込んでぼんやりと遠くを見ていた目をシルラに戻すと、やはりそわそわとしたままだった。


「…何か?」

「あっ。いえっ、あのっ…いえやはり…」

「否応なくこちらにお世話になるわけだし、お互い、溜めこまない方がいいような気がしますけど? 私も多分、あれこれ好き勝手言わせてもらいますし」


 かなり図々しく言い切ったのだが、シルラはそこに反応することはなく、その上にまだしばらく悩んだ挙句にようやく、口を開いた。

 ちらりと上目遣いなのが、妙にかわいいのが少ししゃくさわる。


「ニホンゴというのは、あなたの世界の言葉、で合っていますか…?」

「うん。私がいた国での言葉だけど」

「幾つもあるんですか?!」

「え…うん。私は他は英語と中国語がほんのちょっとわかるくらいでしかないけど」


 地球規模では、もう使われていないものをはぶいても数十はあるのではないか。

 目を輝かせ、今にも少女漫画の主人公のようにうっとりと手を組みそうなシルラにいくらかひきつつ、耳学問ばかりのあやふやさに情けなくなってくる。


 しかし、何か妙なスイッチが入った気がする。


「そのニホンゴ、エーゴやチューゴクゴも、そちらの世界のこと、いろいろと教えてもらえませんか!」

「い、いいけど…なんで?」

「知らないことを知りたい、それは、根源的な欲求でしょう!?」

「あー…」


 うん、知識オタクか。

 有朱はひっそりと納得して、もしかして勇者じゃなくて単に違う世界の人を召喚してみたかっただけなのではなかろうかと、今度はこらえきれず溜息を落とした。

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勇者を召喚したかった。 来条 恵夢 @raijyou

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