愛なら私があげるから

音水薫

第1話


 雪が降っていた。

雪の降る音で目を覚ましたと言えばロマンチックだろうか。窓の外はすでに一面が白銀で、闇がいっそうそれを引き立てる。久しぶりに雪を見た感動を共有したくて、隣に眠る彼女を揺すって起こす。

「ほら見て、雪」

 彼女は恨めしそうに私を睨む。半目のまま起き上がり、私の腿に腹を乗せるようにして外を眺めた。

「こら、お腹を圧迫したら駄目でしょう」

 彼女は私に怒られた理由がわからなかったらしく、しばらくそのままの体勢でいた。しかし、思い出してからの動きは速く、慌てたように上体を起こす。

「うっかり忘れてたよ」

 照れ笑いを浮かべる彼女に怒る気力を無くしてしまう。張り詰めていた気が緩んだせいなのか、ただ自覚が足りないだけなのか。どちらにせよ私が彼女の一挙手一投足に注意を払わねばならないらしい。

 目が冴えたのか彼女は再び眠りにつかず、私の肩に頭を預け、手を繋ぐ。

 愛が欲しい。そう呟く彼女に答えるように、軽く口づけをする。


 彼の夢を応援するといって大学を辞め、働き出した彼女と一年ぶりに再会したのはバレンタインから一週間以上も過ぎた夜のことだった。

「子供ができた」

 戸惑いながらそれだけを言い、俯いてしまう。俳優の卵などろくな奴じゃないと散々言っていた私の忠告を無視した彼女を、知ったことかと追い返すこともできたのだけれど、悲痛な声で妊娠報告をする彼女に、私はわずかな期待を抱かずにはいられなかった。

「冷えるから中に入りなさい」

 特別暖房設備が整っているわけではないけれど、雪が降りそうな外よりはましだろう。

「ココアでも淹れるから座ってなさい」

 スイッチの入っていないコタツに彼女を押しこんでからキッチンに立つ。

「彼、いなくなっちゃった」

 壁を一枚挟んでも、彼女の声は聞こえてくる。

「そう」

 やっぱりね、などと彼女を傷つけてしまいそうな言葉しか浮かんでこない私は曖昧な返事でごまかすしかなかった。

 彼女はそのまま黙りこんでしまい、ほとんどのことがわからないままココアが出来あがってしまう。

「飲んで。温まるから」

 目の前に置かれたココアを眺める以上のことはしない彼女の正面に座ろうかと思ったものの、見つめられると話しづらいだろうから右隣に変更した。コタツは相変わらず冷たいままだった。

「なまでやりたいって言われたの」

「それでやらせたんだ」

「クリスマスプレゼントだって」

 馬鹿みたいな話だ。いや、事実馬鹿なのだろう。

「彼がいなくなったってのは?」

「バレンタインにチョコと一緒に報告したら連絡つかなくなっちゃった」

 本当に妊娠するとは思っていなかったのだろう。

 彼女が私の部屋で私とお茶を飲んでいる。むかし夢見た風景だけれど、こんな重い話がしたかったわけではない。

「クリスマスならまだ二カ月か」

 詳しくは知らないけれど、二か月ならまだ堕胎すことができるはずだ。

「手遅れになる前に、ね?」

 私が言わんとすることを察したのか、俯き口を閉じる。それからゆっくりと首を横に振る。

 わかっていたのだ、こうなることは。堕胎を選ぶのであれば私のもとにくることはなかっただろう。産みたいからこそ、味方をしてくれそうな私を訪ねてきたのだ。自分の親よりも私を、退学前に愚かにも彼女に告白した私の気持ちを利用しにきたのだ。それでも私はかまわない。

「一緒に暮らそう。その子を産んで、一緒に育てましょう」

 彼女は俯いていた顔を上げ、驚愕を隠さないまま私を見る。これがあなたの望んだ結果でしょう。

「いいの?」

「あなたの頼みだもの」

「わたしの稼ぎだけじゃきっと足りなくなるよ」

「私もバイトを増やすから」

 矢継ぎ早に飛んでくる質問に即答していく私に泣きつき、いつまでも抱き合った。


 愛し合ったその日から、彼女との同棲が始まった。

 数日過ごすうちに気がついたのだけれど、この部屋は二人で生活するには些か手狭で、子供が生まれれば尚更だろうから引っ越すことにした。

「2Lは欲しいかな」

「子供部屋もいるでしょ。3にしない?」

「就職もしないうちにそこまでのアパートは無理だって」

「わたしももっと働くのに」

「しばらくはおとなしくしてなさい」

 彼女はおかしそうに笑う。

「ほんとにお父さんみたいだね」

 不安がないわけではないけれど、明るい未来予想図を二人で描いている間はとても幸せだった。

 子供の名前はどうしようかなんてことも話した。

「わたしが訪ねてきた夜は雪が降っていたでしょう? 記念って言うわけじゃないけど、『ユキ』って名前がいいと思うな」

 あの日の夜と同じ調子で手を繋ぎ、甘えた声で提案する。

「寝ぼけててちゃんと見てないくせに」

 からかいながら彼女の頬をつつくと、ふくれっ面になって布団にもぐりこんでしまった。しばらくは謝っても口をきいてくれなくなった。


冬が明けてそろそろ妊娠も四カ月になるころ、借りたての部屋で彼女を待つ。あと一年ある大学生活もバイトのために潰れていくことだろう。彼女は人事異動でこちらにやってきた年上の幼馴染と遊んでいるらしく、せっかくの休みを私は一人で過ごしている。幼馴染が男であるということが不安ではあるけれど、息抜きくらいはさせてやらねばならないだろう。

「ただいま」

 帰って来た彼女は明るく、どうやらいい日になったことが容易に察せられた。

「楽しかった?」

「うん。それでね、実は……」

 もじもじとする彼女は次の台詞を言い淀む。

「幼馴染に告白されちゃった。一緒に暮さないかって言われてさ、それに応じようと思うんだ」

 応じる、とは。今は恋人がわたしじゃなかったのか。

「だって、女同士で結婚とか無理じゃん? 世間体とかもあるし、親に心配かけたくないし」

 ともに過ごした二カ月をなんでもなかったことのように言い、机に指で円を描きながら恥ずかしそうに話す。

「それに彼ね? わたしが妊娠してることを知った上で告白してくれたんだよ。惚れるなっていうほうが無理じゃん」

「子供は、お腹の子供はどうするのよ」

「堕胎すよ。彼のためだもん。堕胎せるよ」

 四か月も経てばかかる負担が大きい。堕胎すのは危険だ。

「それでも堕胎すの。いいでしょう?」

 彼女は私の顔を覗き込む。

「今度は、ちゃんと幸せになってよね」

「あなたも、いいひと見つけてね」

 偉そうに。一番先に知らせた「ともだち」が私だなんて、随分な皮肉だ。


 諦めることから始まった私の恋は、結局諦める以外の答えは出せなかった。

 大学に復帰した私は休日に彼女を見かけたことがあった。男と手を繋ぐ彼女のお腹はスッキリとしていたのに、片手は空いたままだった。

 あの日ききわけのいいふりをせずに素直でいられたら、何かが違っていたのだろうか。否、できるはずもない。好きな人の前では格好つけていたいもの。

「あ~あ、五年もすれば私の方が絶対にいいオトコなのにな」

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