人形

人形

 とあるアンティーク店に、一つのフランス人形がありました。白い陶器で出来たそれはとても美しく、恐ろしいほど精巧で上等なものでした。

 しかし、その人形には一つだけ欠点がありました。彼女の瞳です。

 それはエメラルドがそのままはめ込まれたかのような、美しいみどり色。なのに死んでいるかのごとく冷たく、見るものすべての希望を根こそぎ奪い取ってしまうような、そんな瞳でした。

 そのせいでしょうか。人々はこの人形のことを「怖い」とか「呪われている」などとささやき、誰一人近づくことすらしませんでした。

 人形は長い間売れ残ったままで、ずっとガラスケースに閉じ込められていました。


 そんなある日、一人の少年がこのお店の前を通りかかりました。

 少年は人形をちらりと見ただけで立ち去ってしまいましたが、人形は一瞬でたちまち恋に落ちてしまいました。


 ――その日から人形の瞳には生気が宿り、宝石のように輝き始めました。

 今まで人形に近寄ることのなかった客たちは一転、そのあまりの美しさに心惹かれ、「その人形を売ってくれ!」と口々に訴えるようになりました。

 一晩で、彼女は人気者になったのです。

 それでも人形は頑として他の誰かのものになることを拒否し、恋したあの少年が再びやってくるのをずっと待ち続けていました。

 しかし、あれ以来少年が店にやってくることは一度もありませんでした。


 少年のことが気になって仕方のない人形は、物知りな店主に尋ねてみました。

 店主は人形の話を聞き終えると、ちょっとだけ悲しそうな顔で人形の髪を撫でました。そして、こう彼女に言ったのです。

「おそらく彼は、さすらいの旅人だ。今頃は遠いところにいるだろう。旅人は一度訪れた場所には二度と戻らないという。お前にはつらいことかもしれないけれど……もう、彼に会うことはできないよ」

 店主の言葉に大きなショックを受けた人形はその日、一晩泣き明かしました。


 次の日、美しいフランス人形はアンティーク店から忽然と姿を消しました。

 人形に心奪われた者たちは皆、その知らせを聞いて愕然とし、どうして突然いなくなってしまったのかと口々に店主に尋ねます。

 しかし店主は黙って柔らかく微笑むだけで、決して誰にも口を開こうとはしませんでした。


    ◆◆◆


「――あの子は、自分の思うとおりに行動をしただけさ。私は今、あの子がどこかで幸せに過ごしていると確信しているよ」

 美しいフランス人形が姿を消してから、数年後。

 店主の友人であり、人形のファンでもあった紳士が真相を尋ねると、店主はキセルを片手にそう語った。

 紳士は怪訝そうな顔つきで再び尋ねた。

「でも、あの子はお前の大事な箱入り娘だったんだろう」

「もちろんさ」

「だったら、どうして止めなかったんだい」

「私に止める権利などないさ」

 店主は愉快そうに笑いながらキセルを置いた。

「どうして?」

 紳士は全く訳が分からないというように首をかしげる。

「だって……」

 店主はそこで言葉を切った。

 おもむろに窓の外へ目をやると、太陽のまぶしさに一瞬目を細める。やがてゆっくりと紳士に向き直り、いっそ爽やかと言っていいほどの笑顔でこう続けた。

「あの子にはちゃんと、あの子のための人生が用意されているんだ。それを私が止める権利など、どこにあるというのだね?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人形 @shion1327

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ