※最終話までのネタバレを含みます。
このお話の上手い部分はいくつもあるのですが、回収する伏線としない伏線の取捨選択の上手さが特に際立つように思います。
読んでいるとかなり早い段階で、主人公の「少年」の出自について、たぶんそうなのだろうなという伏線がしかれています。実際に私は、最終的にはこれが回収されて、エヴァンジェリンと幸せになるのだろうな、という幾つもの意味で甘い予想を立てていました。
しかし、結果としてはこの伏線は回収されませんでした。物語はそれよりも重要な主題へと収束していったのです。
この収束のさせ方が秀逸で、少年の周りにいる少女たちや女性たちは、最終的に私と同じ甘い予想を立てて少年と接します。それが本当かどうかは確定しないけれど、そうだったらなんて素敵なお話だろうと、綺麗な物語を幻視しています。
そんな中で、ただエヴァンジェリンだけが、主従や生まれの高貴さとは関係なく、ただ少年として傍にあることが重要という態度でいるのです。
とても見事な風呂敷の畳み方でした。
少年の出自は謎のまま、物語は閉じられました。私は、きっとあの伏線はそうだったのだろうと、今でも少し思っています。悔しいので。
けれど、私の読みが正しかろうと間違っていようと、どちらの物語がこの先に待っていたとしても、きっと少年とエヴァンジェリンは共にあるのだろうと、そう確信しています。
ふわりとした着地点からは思いもよらない大きな納得感は、まさにこの作者さんにしてやられたのだと思います。
素敵なお話でした。ありがとうございます。
入ってはいけない秘密の部屋があって、そこを覗き見しているような背徳感。
ひとことで言うならそうなります。秘密の部屋。もしそんなものがあったら覗きますよね。中に広がっているのはきっと知らない光景で、でも想像のつく部分もあったりします。扉の向こう、漂ってくるのは甘い匂いと、あとおしゃべりに興じる女の子たちの声。
もっとも、これはあくまで例えですから、本当はお部屋どころかお屋敷なのですけれど。
これは拾われた少年のお話です。少年が、大きなお屋敷に暮らすお嬢さまに拾われて、その恩に報いるためメイドとしてご奉仕する物語。身も蓋もなく言うのであれば、いわゆる『男の娘』もの、みたいな感じになるのでしょう。確かにそういう面白さもあります。好きな人であればその通り満足できるはず。
ただ、それだけではない、という言い方でいいのかどうかわかりませんが。
この少年、あるいは周囲の人々も、どうにも少し不思議なところがあるのです。
彼は女中装束を身に纏い、お屋敷のメイドとして、つまり建前上の少女として過ごしているはずなのですけれど。作中の登場人物のほぼ大半が、彼が「建前上の」少女であることを知っています。そのうえでそれが自然なことであるかのように物語が進んで、彼の周囲だけでなく彼自身もそれを当然のことのように受け止め、まあただひとり例外はいるのですけれど(後述します)、とにかくその感覚が実に奇妙で、読ませます。
最初に背徳感と書きましたが、このお話自体にそういう後ろめたい重苦しさのようなものはたぶんありません。柔らかで、ただ甘くて優しいお話で、そういう「一切背徳感を感じないところ」に、かえって背徳感を覚えてしまうようなこの謎の倒錯。自然に、心地よく進む物語の中、その違和が心のどこかにうっすら引っかかり続ける感じで、まるで何か見てはいけないものを見ているような、そんな気持ちにさせられてしまうのです。
甘く匂い立つような文章の魔力でしょうか。あるいはあえて曖昧にぼかされたまま進む、いくつかの設定の力でしょうか。物語世界の価値観はどこか不思議で、なんだか癖になるような甘美さがあって、でもそんな中で異彩を放つのが、ただひとりの例外であるところのエヴァンジェリンお嬢さまです。彼女と主人公の関係は奇妙で、でも同時に思春期年代の恋愛感情のような甘酸っぱさもあって、物語の中から一箇所ぴょこんと飛び出たみたいなそれが、でもだからこそしっかりと軸として働いているこの感じ。
不思議です。引き込まれます。個人的に一番好きなのはやっぱり主人公の少年で、先程『男の娘』と書きましたけれど、でもどちらかといえば私は彼のことを、『男の子であり同時に女の子でもある何か』として読みました(現実的な設定の話でなく、描かれ方として)。
おそらくは中性的であろう彼の容姿は、未分化かつ不安定な十代の性をそのまま投影したかのような存在に思えて、でも本来なら危うくいつ破裂するかわからないほど脆いはずのそれを、この世界はいともたやすく、当たり前のように優しく包んでしまいます。
つまるところ。やっぱり中性的かつ蠱惑的な美少年って最高ですよねえろくて、と、いやすみませんだってしょうがないじゃないですかそういうの好きなんだもの。まあそんな個人的な性癖はどうでもよくて、いや実のところそこまでどうでもよくないというか、ありました。秘密の部屋。開けてはいけない秘密の扉は、どうやら読む人の心の中にあるみたいです。
鍵はかかっていません。ただそっと、押し開くだけ。ぜひ覗いてみてください。そこにあるいけないお話は、でもとてもとてもお面白いお話だと思うので。
(1-05 エヴァンジェリン(2)まで読了)
まず最初に断っておくと、本作を読んで「あっ、なんかエロい」とか「道を踏み外しちゃうかも」とか「なんかに目覚めそう」みたいなことをあなたが考えた場合、それは作者が変態なのではなくてあなたが変態なのである、ということを先にお伝えしたいと思います。
冒頭から淡々と、それでいて情感豊かな文体で描かれるアンビエントな世界観に引き込まれました。
現状は館の中の描写のみにとどまっていますが、今後の展開で広がっていく作者の思い描く世界がどのように広がっていくのか、興味がつきません。
余談ですが、筆者のレビュー(拙作もレビューしていただきました。ありがとうございます)のノリと本作との乖離が著しく、レビューを辿って来た方は「これ同じ人が書いてんのか」という驚愕を覚えることうけあいです。
1-05 エヴァンジェリン(2)までのネタバレと本編の考察を含みますのでお気をつけください。
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本編の紹介文に記されているところの「少年」という二文字を見落としてしまったら、しばらくは主人公の性別を判別することに苦労するだろう。作者は容赦なく主人公の少年からその出自、記憶、しまいには性別すら奪い去った。
「髪の毛を売って稼いだお金は、
使うこともできず大人たちに奪われ、」
この冒頭の二行で、いきなり少年が性的倒錯を経験していることを示して以降、あらゆる場面で少年が少女として過ごすことが暗黙のうちに決まっているかのような局面が続く。少年は、一人称であるところの「僕」を捨て切れていないことからも、心を完全に少女側にシフトしているわけではない。一方、桃色のチョーカーは、主従関係を明示すると共に女性という性別に縛り付けることの暗示としても機能している。
今のところ、記憶の腕輪にまつわるエピソードはほとんど紹介されていない。しかしながら、これもまた過去に秘めた謎とリンクして少年を縛り付けるメタファーとしての役割を与えられている。
注目すべき点としては、ここまでの話の中で、唯一この約束事に縛られていないのがエヴァンジェリンのみであるという点が挙げられる(少年自身ですら、己の役割を受け入れきってしまっている)。
表面上は穏やかに過ぎていく少年の第二の人生の舞台とも言うべき館での生活が描かれているが、その危うい均衡がもたらす緊張感こそが、この作品の味わい深い点とも言えるだろう。