タスク

南雲遊火

タスク

「被験体267号の処分が決まった」

 遠く聞こえる男たちの声に、うとうとと眠りかけていたタスクはふと、目を覚ます。

「何故です! 267号は『熾天使回路セラフィム・サーキット』の、唯一の成功例ではありませんか!」

「……アレク皇子と、あのワタル=セレニタスに見られたのだ。あの場では「捕らえた下級妖魔」と取り繕ったが、あの男、なかなかに感が鋭い」

 忌々しそうに老齢の男の低い声が響く。

「女帝の耳に入るのも、時間の問題といえよう。ヤツが今から訪れるのも、十中八九それが理由だ! 我らがアベリオンに何をしているか知られたら、研究の援助や完成はおろか、我らの命の保証がない!」

 その前に、「証拠」を、処分するしかなかろう……。徐々に近づく声に、タスクは身体を強張らせ、男たちがやってくるであろう、鉄格子の向こう側を、ジッと見つめた。

 かくして、五人の白衣の男たちの姿が見えた、その時。

「誰だ!」

 男の一人が叫んだ。その視線は、自分とは別の方向へ向けられている。タスクは訝しみながらも、振り返って背後……牢の壁をみた。

 いつの間にか、一人の男が立っている。銀の髪に、同じ色の瞳。暗い色のローブを纏い、鮮やかな石の装飾で身を固めた、奇妙な男。

 タスクは身構え、そして手負いの獣のように低く唸る。もはや「人間」のカタチには見えない、いびつに変形した身体には、淡く輝く複雑な文様が浮かび、三対六枚の翼がビリビリと震え、彼の警戒心を、如実に表している。

「怯えなくていい。異界の幼な子よ。我は、そなたを助けにきた」

 男はタスクに優しく囁く、が、タスクにその声は届いていない。濃い茶に一滴、コバルト・ブルーを垂らしたような、不思議な色合いの瞳から涙が溢れたと同時に、タスクの身体が、バチバチと放電しはじめた。

 男は小さく舌打ちし、白衣の男たちに叫ぶ。

「……堕ちたものだなトリオ=アンダンテよ。……いや、耄碌したと、言った方がいいか?」

「……妖魔の王」

 その言葉に、ざわり……と、白衣の男たちがざわめく。言葉を発した先ほどの老齢の男が、忌々しそうに男を睨んでいた。妖魔の王と呼ばれた不可思議なその男も、負けじとばかりにギロリと睨み返す。

「貴様……ヒトの世に手出しをせぬ約束ではなかったか」

「あぁ、その通りだ。だが、ヒトの道を外した輩はその限りに有らず」

 何……と、言葉を飲むトリオに、妖魔の王は一歩近づき、おもむろに鉄格子をつかんだ。

「あえて言うことでもないとは思うのだが……「コレ」は、ユーロイバーストが目指したものではない。もちろん、貴様がユーロイバーストに並ぶことも、彼女に成り代わることもできぬ」

 ぐにゃり……と格子が溶けるように曲がり、ヒト一人が余裕で通れる空間ができあがる。「妖魔の王」が、いかなる人物か……よく知る男たちは思わず悲鳴をあげ、後ずさった。

「……我が義妹を、そしてヒトを、これ以上冒涜するな!」

 トリオの首を妖魔の王は掴んだ。我こそはと男たちが逃げようとするが、ふいに突然、複数の人影が現れ、男たちの進路を阻む。

 かくして、五体の干からびた死体が出来上がるまで、そう時間はかからず……。

「これで、よいか? ヴィルジェよ……」

 妖魔の王の小さなつぶやきを、聞いた「ヒト」は、いなかった。

 タスクを、のぞいて。


 ◆◇◆


 ……おはよう。タスク。気がついた?

 ん? オレ? オレは、ヴィルジェっていうの。肉体を持たない、魂だけの生命体。君の「知識」で言う、幽霊とか、お化けとか、そんな感じかな。

 あ、怖がらないで。……って言っても、無理か。……うん、ゴメンね。

 君を虐めた怖いヒトは、もういないよ。……ゴメン。君の存在に、気づけなかった。すぐに父上に頼んで行動を起こしてもらったけど……怖かったね。がんばったね……ゴメンね……。

 え? なんでそんなに謝るのかって? ……ホントだ。どうしてだろ……ゴメ……あ……。

 ……あはは。可笑しいね……。

 ……あのね。タスク。本題というか、お願いがあるの。

 この身体、君と、「共有」させて欲しい。

 ……あくまでも、所有権は君にある。化け物と一緒だなんて、気持ち悪いだけだろうけど。

 その代わり、奴らのせいで変質してしまった君の肉体を、できるだけ元の状態に戻してあげる。壊れてしまった君の魂と自我も、これ以上、壊れて消えてしまわないよう、オレが守ってあげる。

 だから……ね。

 ……いいの?  本当? ありがとう!

 ……ねぇ、タスク。君のことを、もっとオレに教えて。もちろん、オレのことも、君に知って欲しい。

 ……じゃ、よろしく。相棒。


 ◆◇◆


 ワタルがそこに到着した時、既に遅し。

 施設の地下には、生気を残らず吸い取られ、まるでミイラのように乾燥し、干からびた死体が五つ。

 特徴的なその死体に、ワタルは警戒しながら奥へ進む。

 そして。

「……妖魔、か?」

 少年が一人、鏡の前に立っていた。それも、一糸纏わぬ素っ裸で。

「んー、こんな感じ? 変じゃないかな?」

 クセのある、背中まで伸びた黒に近い濃い茶髪が、少年がくるくると動くたびに揺れる。

 あまりの緊張感のなさに、ワタルは思わず気が緩みかけたが。

「ねぇ、ちゃんと「ヒト」に、見えるかな?」

 不意に少年に問われ、ふざけるな! と叫んだ。

「えー、オレは、至極真面目なんだけどなー」

 口を尖らせ、少年は一歩、ワタルに近づく。

 ワタルは腰に帯びた剣を抜き、少年に構えた。妖魔相手に通用する武器ではないが、それでも、ないよりはマシだ。

「貴様が、トリオ殿たちを「喰った」のか?」

「ううん。アレを食べたのは父上。だってさー、オレとタスクからしたらあいつら食べる価値ナシだけど、「あいつらのしたコト」考えたら、「何もナシ」ってのは、やっぱり胸糞わるいじゃん? でも、たぶんタスクも、あんなの不味くて食べたくないだろーし」

 タスク……? 訝しむワタルに、赤い目を細め、少年はにっこりと笑う。

「この体の持ち主。……それにね」

 突然、少年は地面を蹴り、ワタルに体当たりをした。予想外の行動と力にワタルは剣を落とし、しりもちをつく。

「嬉しいなぁ。そっちから来てくれるなんて」

 少年はワタルに覆いかぶさり、心の底から嬉しそうに笑う。

 そして、徐々に顔を近づけ。

「!!!」

 ワタルの唇に、自らの唇を重ねた。

 怒りと羞恥で顔が紅潮したのもつかの間、すぐに気分が悪くなり、徐々に目が回って、ワタルの意識は吹っ飛ぶ。

「実はずっと前から、「初めて」は、「貴方」と決めてたんだよねー」

 まー、だからといって、口移しで精気エナジー吸う必要は、ぜーんぜんなかったりするんだけど……ケラケラと笑う少年は、おもむろに、気を失ったワタルの頬に触れた。

 柔らかくて、そして温かい「生」の感覚が、自分にも「触覚」を通して伝わってくる。

「やっと、オレを見てくれた……お会いできて、嬉しいです。兄上」


 ◆◇◆


 あのね。タスク。オレの両親はね、元々は君と同じ「ヒト」なの。

 オレは昔から肉体を持つ「ヒト」が羨ましかった。ヒトに、なりたかったって言っても、過言じゃないよ。

 兄上はね、両親がヒトだった時に生まれたの。オレの、憧れの存在。

 気づかれなくても、あの人のそばに居たくて、時々、言いつけを破って、兄上の側で過ごしてた。

 兄上が君を見つけたあの日、オレもあの場に居たんだよ。

 ……うん、君には辛い日だったね。

 兄上の「言葉」、オレが謝る。事情を知らない者の発言だ。許して欲しい。

 あの人は……ううん。君を除いたこの世界中のヒトは、当事者を含め、「君が知り得るこれから起こる未来」を、まだ知らないんだ。

 君が、どこから来て、誰の血を引いて、どのように成長して……愚かで傲慢なあの連中に、何をされたか……残酷な偶然の重なりは、いずれ明らかになる時がきっと来るよ。

 ……だから、待とう。

 ……君の大好きな、「親友コルト」や、「アスカ」、「アスマ」と、再会できる、その時まで。

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