付録:オーディンの一日

 〈早朝〉

 オーディンは起きると同時にフリズスキャルブに移動します。そこで数日前から戦争の雰囲気が立ち込めている小国の様子を確認するためです。今日もいまだに戦争が勃発していないことを確認すると、彼は自身の館グラズスヘイムへと戻り、妻フリッグと朝食を共にします。食事を食らい、角杯に入ったエールを飲み干すと、夫婦間で会話を交わします。しかし、オーディンは、彼とほぼ同等の知恵、洞察力を持つフリッグに気を許すことはできません。こうして、少々緊迫した朝の時間を過ごしていきます。


 〈朝〉 

 オーディン夫妻はフリズスキャルブを豪勢な門から飛び出すと、アースガルドの外れにあるビフレスト橋まで赴きます。彼はこの燃え盛る橋――毎朝朝会が開かれるウルザルブルンまでの道を、フリッグと共に辿らなければなりません。やれやれと彼が内心落胆していると、そこにちょうどトール夫妻がやって来るではありませんか。

「おお、トールにシフよ! 今日はいやに早起きではないか」

「ははっ、俺にしては珍しく、たまたま昨日は夜酒を控えたんだよ。そしたら気分はいいわ、こいつも酒臭くないと喜んでくれるわ、いいこと尽くしだな」

 こうして僥倖に恵まれたオーディンは、トールとウルザルブルンの法廷へ向かうことになり、フリッグはシフの金髪を褒めながら、彼らの後をついていきます。


「皆、よく聞いてくれ。昨今は厳冬が続いている。これはいよいよ“あの時”が近づいてきている証拠かもしれん。ここで今日、我らが行うべきことを決めておこうではないか」

 口を切ったのはもちろんオーディンです。そしてその後にフレイがこう続けます。

「ロキのことだが……」

 ロキという名が出た瞬間、その場が凍り付きました。それもそのはず、今や彼は最高神の息子を死へというやった殺神者です。最も縁起の悪い神名と言ってもいいでしょう。

「俺は、あいつを探し出して、もう一度説得してみるのが良いと思う」

「フレイ、何を言っているの!? ロキは私やあなたどころか、エーギルの宴会場にいたほぼすべての神に因縁をつけてきたじゃない」

 彼の妹であるフレイヤが猛反対すると、トールも彼女に加勢します。

「そうだ。まさか奴の愚行や狼藉、災禍の数々を忘れたわけではないな? 俺は今でも、あの時奴の頭を砕いてやらなかったことを後悔している」

「まあ待て。今はフレイが話をしておる。先ずはすべてを聞いてから反駁すればよい」

 オーディンの私情を排した適切な判断によって、フレイはもう一度発言する権利を得ることが出来ました。そしてヘルモーズに負けないくらい勇んで、こう言います。

「俺もそのことはよく覚えている。覚えているぞ! だが、思い出してくれ。この冬が始まったのは、奴がいなくなってからだ。そして、アースガルドの城壁や、グングニル、そして俺のスキーズブラズニルも、ロキがいなければ手に入らなかった神具だ。もし奴をもう一度俺たちの仲間にいれれば、最終戦争の時の戦力の足しになるだろう」

「……だが、もうロキはただの犯罪者でしかない――犯罪者は、その世界の終末では息子であるフェンリルやヨルムンガンドと共に攻め入って来るだろうな」

 ロキを目の敵にしているヘイムダルが、強烈な批判の態度を呈します。有事に備え、彼は最近とうとうギャラルホルンを常に持ち歩いています。その角笛を少しだけ揺らすと、まさに“その時”が来たかのように辺りが静まり返ります。

「この件は非常に繊細な問題だ。終末に関することは、誰しも話したいとは思わない。とは言え、絶対に必要なものだ。時間があるときに、ゆっくりと議論するがいいだろう」

 いつ何時も言葉に詰まることのないブラギが、荒波に突入するカツオドリのように鋭く発言します。するとオーディンとフリッグは顔を見合わせ、

「では、こうしましょう。この後私がフェンサリルにて、全女神を集めた緊急会議を開きます。そしてオーディンが明日、全ての神々をグラズスヘイムに集め、もう一度この議題について話し合います…………、では、次の議題に進みましょう」

 こうして神々の法廷は進んでくのです。


 〈昼〉

 見張っていた二つの小国が、ついに戦争を始めたのを確認すると、オーディンはフォールクヴァングに行き、フレイヤを呼び出します。フレイヤはオーディンを自らの館に招き入れ、事情を聴きます。そして、オーディンが勇猛な戦士の多い方の国を負かしたいというので、彼女もしぶしぶその意見に賛成します。

「でも、やっぱり不公平じゃありませんこと? その勇士は活かしておいてもいいのではないのですか」

「分かっとらんな。彼らは戦死して、ヴァルハラに訪れることを深く願っている。それと今度口を出したら、その首にぶら下がっているものをドヴェルグたちに返してやるからな」

 ブリーシンガ・メンを奪うと脅されては、フレイヤももう何も言うことが出来ません。オーディンはスレイプニルに乗って、フレイヤは鷹の羽衣を着てミッドガルドへと下っていくのでした。


 〈夕〉

 新しくヴァルハラに来たエインヘリヤルを、オーディンと古参の兵士たちが手厚くもてなします。新参者はみな鎧で出来た椅子や槍で出来た壁に驚いていたものの、セーフリームニルの余りの美味しさにそんなことはどうでもよくなっていました。

 主人であるオーディンは、ゲリとフレキに猪の肉を与えながら、自分は強い酒を舌の上で転がします。そうしながらも、フギンとムニンが集めてきた情報を聞いて、知見を深めていきます。ただ、そのような万物の父の威厳溢れる姿は、エインヘリヤルが招待されるごとに増築された長机の最も下座の方にすわる新参者には全く見えていないようです。


 〈夜〉

 オーディンは海の下のセックヴァヴェックにいました。というのも、その館に住むサーガとの晩酌が、彼にとっての数少ない癒しの時間だからです。フリッグとは違い、高度な考えを持つ代わりに主人をもてなす秘訣を心得えている彼女は、悩みを聴きながら適宜エールを注いでくれます。

 彼としては、もっと気の置けないサーガと共に時間を過ごしたかったのですが、今夜は明日の会議に備えなければなりません。別れの言葉を数言交わして、オーディンは助言を訊きに行くのでした。


 〈深夜〉

 フリズスキャルブの位置する同名の広場。その隣にある石造の小さな聖堂に、オーディンは入っていきます。

「何の用だ」

「明日、私はすべての神々を集めた会議を開く。議題は、“世界の終末”を軸にしたものだ。そこでロキを連れ戻すか、そうでないかを決める」

「そうか……。ロキについての評価は、実に様々だ。全ての神を集めるのであれば、自然収斂は難しい……」

 首だけのミーミルが、オーディンに助言を授けます。時間をかければどんなに難解な問題でも解決策を見つけ出す彼の頭脳が、今夜も光りを放つことでしょう。

こうして、オーディンは神々の長としての威厳を保ち続ける生活を、ラグナロクまで続けていくのです。



―――――――――

 北欧神話を調べていくと、オーディンは毎日のように何をしていたとか、神々は朝に何をするとかいった情報に巡り合うことが多々ありました。そこで、最高神オーディンに注目し、その一日を想像してみるというコンセプトで書いてみました。時期設定は、読んでもらって分かったと思いますが、かなり後の方です。ロキが隠居して、ラグナロクの兆候が見え隠れしていた……。そんな設定です。

 ヴァルハラ宮やフリズスキャルブ、ウルザルブルンの法廷など、多くを神話の中から引っ張り出してきましたが、ミーミルの首が安置されている場所はわからなかったので、石造りのこじんまりとした聖堂という設定を自分で作っておきました。余り馴染めてない気もしますが、ここはお許しください。


 ……余談ですが、”殺神者”って、アリでしょうかね。字面は結構気に入っているのですが。

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北欧神話体系 凪常サツキ @sa-na-e

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