大雪の日に君と

平野 絵梨佳

大雪の日に君と

 学校からやっと帰宅。

 一面の銀世界。いくら二月とはいえ、この天気は異常気象だ。

 サナは重たくなった傘を、強めに振ってから閉じる。

 傘に積もっていた雪が、ばらばらと少し重たげに玄関先に落ちた。

 サナは、まずリビングに直行してエアコンの電源を入れると、着替えるために自分の部屋へ向かった。


 寒い。

 鞄を投げるように机に載せ、冷えきった部屋で素早く着替えを済ませる。今日は奥歯がガタガタと鳴りそうな寒さだ。

 今朝の天気予報では、寒波が襲来すると言っていた。

 大雪で喜ぶのは、子供くらいだろう。

 そんな事をぼんやりと考えながら、サナはそそくさとキッチンへ向かった。


 ピッとポットの湯を沸かし始める。

「寒い日はレモンティーにしよう!」

 サナはキッチンにある棚の中から、カップとティーバッグを取り出してテーブルに向かった。テーブルには、母親が出していったのか、クッキーが入っている缶がぽつんと置いてある。

「今日はクッキーか~。あ~お腹すいた~」

 サナがクッキー缶を開けようとした瞬間、プツンという小さな音とともに、静寂が訪れた。

「ん……⁉」

 サナは反射的に、ポットとエアコンのランプを確認する。

「ええっ! 待って! 停電⁉」

 停電するほどの大雪なのだろうかと、思わず視線を外へ向けた。雪はサナが帰ってきた時よりも、ずっと激しく降っていた。

「停電かぁ……」

 弱々しい声が、静かな部屋に吸い込まれた。外はまだ明るい時間だが、この時期はすぐに日が落ちてしまう。

 サナは暗い場所が苦手だ。

 幼い頃、壁の染みや柱の模様が人の顔に見えたりすることはよく聞く話だ。

 サナもそのタイプの子供だったので、高校生になった今でも、何となく暗闇は不気味だと感じてしまうのだ。

 ぶるりと体が小さく震える。サナは自分の部屋へ行き、しっかりと前を留めてコートを着た。

 いつまで停電が続くか分からない。

 サナは、明るいうちに宿題を済ませることにした。今日の宿題は少し多い。集中して進めていく。それらを全て片付ける頃には、もう部屋は暗くなりかけていた。

 まだ親が帰る時間ではない。

 暗闇で心細くなっていく気持ちを振り払うために、控えめだが鼻唄を歌い始める。

 そして、そろりそろりと、またリビングへと向かった。

 ソファーに座りながらテレビの電源ランプを見る。やはりまだ、停電は続いているようだ。

 一階のリビングは既に真っ暗だ。雪明かりでぼんやりと辺りが見える程度。

「そ、そうだ! 寝ちゃえば分かんないよね!」

 サナは親が帰ってくるまで寝ていようと、ソファーの上に寝転び、きつく目を閉じた。

 すると、何の前触れもなく、勝手口のドアがバンバンと遠慮なしに叩かれた。

 突然の出来事に、サナは飛び起きて勝手口の方を見て呟く。

「誰……?」

 少しの間――。

「おーい」

 すぐに、聞き覚えのある能天気そうな声が聞こえてきた。

 幼馴染みのリュウだ。

 サナは内心ホッとして返事をした。

「はーい! 今開けるよ~」

 足下に注意しながら、なるべく早足で勝手口へと向かう。

 リュウが訪ねてくるとは、いつ振りだろうか。かなり久し振りだ。

 勝手口のりガラスには、見慣れた仁王立ちのシルエット。

「は~い……っ!?」

 勝手口を開けた瞬間、サナはリュウの姿に驚いて声を上げた。

「うわー! ビックリしたー!」

 リュウは赤鬼の面を付けて、何やら袋もかかえて立っていた。

「何やってんの? あ、今日って節分だっけ?」

 面をぐいっと持ち上げたリュウは、いつもの調子で口を開いた。

「まぁな。サナちん、元気?」

「え、まあ、うん。っていうかさ、玄関からおいでよって言ってるじゃん」

「いや~、昔からの癖ってやつ?」

「まー、いいけどさ、寒いから上がんなよ」

「お邪魔しまーす」

 リュウとは子供の頃によく遊んでいた。おやつの時間になると、サナの母親がいつも勝手口から二人を呼んでいた。そのせいか、彼は今になっても勝手口から入ってくるのだ。

「ちょっと待ってろ~」

 リュウは勝手口から家に入ると、持っていた袋を床に置き、ごそごそと色々取り出して見せた。

「これ懐中電灯な、ペンライトも綺麗だろぉ? そ~れ~か~ら~、じゃーん!」

 リュウが楽しげに小袋を取り出して、サナの目の前で振った。

「節分の豆……?」

「ご名答!」

 すると、リュウが豪快に豆の袋を開けた。勢い余って、二、三粒が床に転げ落ちる。

「え? ちょっと、え? 今やるの? ここで? 豆まきを? 何で??」

 サナの質問に、リュウはニッと笑って返した。

「え? だって停電中って暇じゃね?」

「いやいやいやいや、え? 何でここでやんの? 自分ちでやったらいいんじゃないの??」

 すると、リュウはサナの肩を軽く叩きながら言った。

「一人じゃつまんねーだろうが」

 そう言って、リュウは少しずつ色が変わっていくペンライトを付けて、少し格好をつけるように持ち直した。

「安心しろ、片付けまでが節分だから」

 サナは訳が分からないまま、リュウに従うことにした。


 リュウはますを使わずに、袋から豆を放り投げていく。

 静かなキッチンやリビングに、ばらばらと音が散らばった。

「福は内~♪」

「ふ、福は内……」

(鬼のお面を付けてる人が豆まきするっておかしいんだけど、分かっててやってるんだよね? 突っ込んだ方が良いのかな)

 リュウはとても楽しそうに叫びながら投げる。

「ほら! もっと声出せよ! そんな声じゃ福なんか来ないぜ?」

 リュウがサナの背中を軽く叩いた。

 ペンライトと懐中電灯を二刀流のように持っているサナは、豆を投げることは出来ないが、思い切って声を張ってみる。

「オッケー! さあ、次は二階だ」

 そう言いながら、リュウは廊下や階段にも豆を投げていった。

 何だろう、この展開は。

 サナは何とも言えない微妙な心持ちのまま、リュウのあとに続いた。

「久し振りだな、お前の部屋も」

「そうだね」

 無論、幼馴染みであるリュウは、サナの部屋に何度も入ったことがある。

 そのせいか、二人ともお互いの部屋を出入りすることに抵抗がない。

「変わんねーな」

「私、そんなに模様替えしないからね」

「ああ、まあ、俺もしないか。ははっ」

 部屋の中は真っ暗だ。懐中電灯が無ければ、とても居られないだろう。

 雪明かりだけが、静かに浮かび上がって見える。

 ふと、サナは自分の気持ちが落ち着いている事に気が付いた。

 あんなにも落ち着かなかったのに、リュウが来ただけで、こんなにも安心するものなのだろうか。

 サナは前に立っているリュウを盗み見た。

(あれ? また背が伸びたかも……)

 サナの部屋にも、ばらばらと豆の音が響く。

 すると突然、サナが左手に持っていたペンライトが、すっと消えてしまった。電池切れだろうか。

 リュウが気付いて振り返る。

「あれ? ちょっと貸してみ?」

 言いながら、赤鬼の面を頭の上にずらした。

 サナはペンライトをリュウに渡し、彼が持っていた豆の袋を受け取った。そしてリュウの手元を、懐中電灯の灯りで照らす。

 意外にもすらりとした指、綺麗で器用そうな手だ。リュウの手を、こんなにもまじまじと見たのは初めてかもしれない。無意識に、サナの視線がリュウの顔へと向かう。

 昔から変わらないサラサラの短髪、涼しげな眼差し。鼻は高くもなく低くもない。唇は薄めで品良くむすばれている。リュウは驚くほどのイケメンではないが、そこそこ整った顔をしている。

 黙っていればモテただろう。

 リュウがペンライトの蓋を開けて、中の電池をくるくると回した。

「これでたまに復活することがあるんだよなー」

「あ、分かる~」

 サナがリュウの手元を覗くと、リュウの動きが止まる。

 サナは不思議に思い、視線をリュウへ向けた。

「っ……!?」

「……」


 二人の距離が、近い――


 視線が重なった瞬間、目の前のリュウが、今までに見たことのない表情に変わる。

(え、何、これ――)

 リュウの涼しげな眼差しが、真っ直ぐにサナを捕らえて放さない。

 サナは自分の鼓動が高鳴るのを感じた。

 こんなリュウを、サナは知らない。

 いつも元気で無邪気に笑うリュウしか、知らない。

「リ、リュウ……?」

 リュウは無表情のまま、ペンライトを自分の顔の下へ持っていき、カチリと電源を入れた。

 下からの灯りでリュウの雰囲気が、誰もが知る〝あの〟感じになる。

(な、何だよ、ビックリした~)

「ほらな、復活しただろ?」

 復活を果たしたペンライトを見ると、灯りは少し弱々しく感じた。またすぐに消えてしまうだろう。

 サナはペンライトを受け取ると、やっぱ消えそうだねと苦笑しながら、その電源を切った。

「さーて、じゃあ、掃除すっか。ほうきあるよな? 行こうぜ」

 普段と変わらない調子で言うリュウに背中を押されながら、サナは転ばないように部屋を出た。


「よし! こんなもんか?」

「そうだね」

 箒を取りに行ったあと、二人で協力しながら豆を集めた。

 二階から下りてきて、最終ポイントにしていたキッチンまで片付けが終わった。ちり取りの豆をゴミ袋に入れ、袋の口を縛る。

「う~、終わったね~」

 サナはぐうっと伸びをしながら言って、目の前に居るリュウを見た。

「おう! さて、お次は~」

「え? まだなんかやるの?」

 そう言ってリュウの様子をうかがおうとした時、ポットからカーッと音がした。保温機能が働き始めた音だと気付く。

「あ、戻った!」

 サナは急いで電気とエアコンをつけた。リビング全体が、一瞬目が痛くなるほどに明るくなる。

「やっと戻ったなー。良かった良かった」

 そう言うと、リュウはペンライトと懐中電灯を袋にしまい、勝手口の方へと歩き出した。

「あれ? なんかするんじゃなかったの?」

 サナが呼び止めるように言うと、リュウは振り返って言った。

「だってもう、大丈夫だろ?」

「え……?」

 リュウの言葉に、サナはハッとする。

 リュウが突然ここに来た理由って――

「え、あ……、えっと……」

 サナが答えに困っていると、リュウはニッと笑った。

 見慣れているはずの笑顔に、サナはどきりとする。

「んじゃ、達者でな!」

 リュウが靴を引っ掛けるようにして履く。そして外へ出るため、勝手口のドアノブに手を掛けた。

「リュウ!」

「ん?」

 リュウが振り返る。その表情は穏やかだ。

「またね」

 サナは平静を装いつつ言った。

「おう! またすぐに来てやるぜ。十四日頃にでもな」

 十四日……?


 そうか、二月十四日か。


「オッケー、今年も待ってるね」

 サナが答えると、リュウはまたニッと笑う。自分が出た後、しっかり鍵をかけるようにサナに言うと、はずし忘れていた面を掴みながら家を出ていった。

 サナは目を閉じて、リュウの足音に神経を集中させる。

 サクサクと雪を踏みしめる音。少しずつ小さくなっていくその音が、何故だか少し寂しくさせる。

 この気持ちは何だろう。

 サナは、先程のリュウとの出来事を、一つ一つ思い出した。



 了




 ここまでお読み下さった方、ありがとうございました。

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大雪の日に君と 平野 絵梨佳 @hanetani_yui

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