首輪学園(仮)
すぎ
首輪学園(仮)
この小説は人を物として見る描写。女性を差別するような発言。及び、正常な人にとって不快になるような表現が多数含まれます。
それらに対する批判は甘んじて受けますが、「気分が悪くなった」等の読者様側の損害については責任を負いかねますので、お読み下さる際はその旨をどうかご留意くださいませ。
「ここだ」
一通の官製ハガキを手に、不動美咲はとある施設の前で、この場所こそが自分の目的地なのかを確認していた。
最寄りのバス停は一日一往復のみ。その場所へは更にそこから一時間ほど歩かねばならない。まわりを見渡せば、鬱蒼と茂る森林と自分が上ってきた砂利道しかない。そんな場所に、学校のような二階建ての大きな建造物が建っているのは異様と言っていい。
美咲がこんな所へ来たのは、両親の作った借金が原因だ。親戚が事業に失敗し行方不明になり、連帯保証人になっていた両親に多額の借金が降りかかる。その額を聞かされ、まるでドラマのようだとその時は嘲ったが、引っ越しても引っ越しても追ってくる取り立て屋にそうも言っていられなくなった。
四度目の引っ越しをしたときのことだ。資金が底を突き、もう引っ越すことは出来そうもない。今度取り立て屋に見つかればそこで終わりだ。そんな時、震えていた一家に一通の手紙が届いた。
そこには、二年間自分たちの"学園"で教育を受ければ利息分は払うということ、その二年間は対価として月収百万円で雇う形とすること、そして二年の後は最低年収二千万の就職先を用意できること。大まかに言って以上の三点が仰々しい文体で書かれていた。
甘い汁には毒があるというのはよく言ったもので、見るからに胡散臭い。そして教育とは、おそらくはそういうことなのだろう。
美咲はすぐに電話を掛けると言った。これ以上疲弊した両親の姿を見るのは嫌であったし、何より自分が犠牲になれば両親は今の状態から脱出できる。しかし、両親は当然の事ながら泣いて止めてくれと懇願した。こんな文面を見せられてその上で了承すれば、それは娘を売ったも同然だ。そんなこと出来ようはずもない。
しかし、美咲がこの場所に来ているという事は、両親の制止を振り切ってここへ来たという事だろう。
「すみません、連絡していた不動ですが」
「ああ、聞いております。念のため葉書を拝見しますので、出していただけますか?」
受付にいた中年の男性に葉書を見せると、一度頷いた後、後を付いてくるように美咲に行った。
中は普通の学校のようだ。廊下があり、教室に入るドアがある。最も、教室側に全く窓が無く、中の様子をうかがい知ることは出来なかったが。
やがて前を歩いていた男性は一つの教室に入った。美咲もその後に続いて中に入ると、既に三人の女の子が座っていた。一様に美咲の方を向き、彼女に注目する。しかし、興味を失ったのか数秒の後に皆俯いてしまった。
美咲は理解した。この子達もまた、自分と同じような境遇なのだろうと。向こうで俯いている幼い顔立ちの子は震えてさえいる。
空気が重く、美咲も同じように俯いていると、学校という場所には場違いなハイヒールのコツ、コツ、という音が聞こえてきた。やがてその音は美咲達の居る教室の前で止まり、そして教室の扉を開けた。
入ってきたのは長身で、胸元を大きく開いた扇情的なデザインの服に身を包んだ美女。威圧的な口調で話し始める。
「ようこそ、我が学園へ。まずは歓迎の印に、お前らにこれをプレゼントする」
女性がパチン、と指を鳴らすと、後ろに控えていた先程の案内係をしていた男性が側に寄ってきて、彼女の首に何かを嵌め、ガチャリという金属音を響かせた。男性は他の二人にも同じように何かを首に嵌める。
美咲は自分の首に嵌められたそれを触ってみる。革製であると思われるそれは、血液のような赤色をしており、そして自分の喉の当たりに金属の輪が付いている。これは、やはり――
「お前らにはこれからそれを、首輪をして生活して貰う」
「そ、そんなことできませんわ!」
「静かに座ってろ」
高貴そうな少女が向こうで悲鳴のような声を上げ立ち上がった。しかし、女性のドスのきいた声が部屋に響き、それに気押された少女は渋々と言った感じで席に座る。
「私の仕事は、お前らに人間としての価値を与えることだ」
女性は静かに言う。
「いいか、お前らは直接的ではないにせよ借金まみれの身だ。そんな人間に価値など無い、むしろマイナスだ」
少女達の、ごくり、という唾を飲む音が聞こえた。しかし、先程の少女は我慢ならなかったのか、声を震わせながら再び叫んだ。
「あ、貴方達にわたくしの価値なんて決められるものではありませんわ! 自分の価値は自分で決めますし、分かっています!」
「人間の価値というのは、他人に評価されることであり、自分で価値を決められるものではない」
「わたくしは勉学も出来ますし、運動も出来ます! この世代の人間ならば、充分に価値のある人間であると自負しております!」
「普通の人生を送っていれば、の話だ。お前らは借金まみれ。さっきも言ったがマイナスだ。若者には将来性を買って勉学や運動をさせるが、お前らはそんなこと言ってる余裕はない」
「ぐっ……!」
「勉強、仕事、運動。そんなことはどうでもいい。大事なのは、自分以外の人間にとって有益であるかどうかだ」
女性はそう言いきると、二の句を言えない少女がふんっ、と喉を鳴らして座った。女性はそれをつまらなそうに見やり、そして怯えたような表情で座る少女達を見回す。
「今日からお前ら四人で行動して貰う。常に一緒に行動するように」
はい、という声は聞こえない。雰囲気に飲まれて何も言うことが出来ないのだ。
「まずはこの学校がどういうところなのか、知っておいて貰おうか」
後に付いてこい、という女性の後について、立ち上がった少女達が歩き出す。
コツ、コツ、という音が廊下に響き、少女達がそれに続く。やがて女性は一つの教室の前で立ち止まり、そのドアを開けた。
中では阿鼻叫喚の声で満たされていた。泣き叫ぶ者、何事かをわめき散らす者、獣のように唸ることしかできない者。いずれも、人間の所行とは思えないほどの地獄絵図。甲高い少女達の声が狭い教室の中で反響している。そんな中に、無垢な少女達四人が呆然と立っていた。
他の少女達は絶句していたが、美咲だけは冷静であった。いきなりで面食らったが、これくらいのことは契約を飲んだときから覚悟している。よく見てみると、少女達の表情は皆、快感に緩んでいる。自分もいずれこうなってしまうのかと、美咲は身震いした
「どうだったか?」
「どうだったか? ではありませんわ!」
教室に戻ってもう一度席に座るように言った女性だったが、息つく間もなく先程叫んだ少女が、また女性に噛みつく。
「あんなことをわたくし達にさせるつもりですの!? そんな事聞いておりません!!」
激高し立ち上がった少女が、女性に掴みかかるような勢いで叫ぶ。
しかし、少女の勢いはそこまでだった。「いッ!?」という悲鳴のような声を上げると、力無くその場に座り込んでしまった。
「お前達の首輪には我々の手元にあるスイッチでいつでも電流が流れるようになっている。注意するんだな」
ぺたん、と座り込んでしまった少女が忌々しげに女性を見つめる。しかし、女性はその視線をあえて流さず、手元の資料に目をやりながら、さらに挑戦的な視線を上から被せるように睨み付けた。
「鎌ヶ谷初、鎌ヶ谷鉄鋼社長の一人娘。社長令嬢として大切に育てられていたが、経営不振と幹部の汚職事件で会社が経営破綻、か。やはり、お前は自分の置かれた状況が見えていない」
女性は後ろに控えていた男性に合図を送ると、鎌ヶ谷初と呼ばれた少女に手錠を掛け、更に首輪にリードを通し、そのリードを引きずってどこかへ連れて行ってしまった。少女も抵抗しようとするものの、先程の電流がまだ聞いているのか、力が入りそうもない。
「お前らにも見せておこう。ここでの罰がどういうものなのかをな」
「付いてこい」と女性に言われ、残された少女達はどうすることも出来ずただ女性の言われるがままに付いていくしかなかった。
この後少女達は地獄を見ることになる。
□
□
汚れた体を洗っておいてやるように、と女性に言われ、言われるがままに気絶して白目を剥いている鎌ヶ谷初と呼ばれた少女の体を洗ってやった。洗う前の彼女からは、何とも生臭い匂いがした。
自分以外にもここで"飼われる"人間がいるということにまず安堵した美咲だったが、まざまざと"自分たちがどうなるか"を見せつけられ、自分の境遇に心の中で嘆いた。
「あー、こんなとこまで来て制服着なきゃいけないなんてなー」
後ろから声がしたので振り返ってみると、短髪で快活そうな印象の少女がぴらぴらとスカートで中を仰いでいた。
何処にでもあるセーラー服に、腿当たりまでしかない短いスカート。それをひらひらさせているのだから、当然中身が見えてしまう。美咲が顔を隠す直前に見たのは、まるで撃ち出されたビームのような直線的ストライプ入った水色しましまのぱんつだった。
「は、はしたないですよ!」
「別にいいじゃねえか。これからもっとヒドいことさせられるんだろーし」
「……っ」
美咲が、今は二段ベッドで寝ている鎌ヶ谷初と呼ばれていた少女をちらりと見て、顔を俯かせた。
校舎とは離れた所にあった寮のような建物の中に四人はいた。通された部屋は四畳半ほどの広さで、そこに二段ベッドが二組あり、その間は横幅五十センチほどの通路になっている。他は、入り口付近に共同で使うちゃぶ台が一つと座布団が四つ。キッチンはないが、料理は食堂があり、共同で食べることになっていた。
閑話休題。快活そうな少女が、美咲の様子を見てばつが悪そうに苦笑した。
「ああ、悪かった。不謹慎だったな」
「……いえ」
「アタシは元山香。こうなっちまったんだ、お互い仲良くしようや」
「わ、私は不動美咲です。よろしくお願いします」
二人の間に握手が交わされる。親愛の握手ではないが、これから頑張っていこうという意味を込めて、美咲は香に微笑んだ。香もそれに応え、猫のような悪戯っぽい瞳を細め、ニッと笑ってはにかんだ。
「でだ、そっちの自己紹介もして欲しいんだけどさ」
そう言って香が見つめる先には、ベッドの布団に潜ってこちらの様子をうかがうように見ている少女が居た。
「あー、そうやってても何にもならないし、とっとと出てきて欲しいんだけど」
「そういう言い方しちゃ怯えちゃうよ。お名前は?」
香をやんわりと注意し、努めて優しい口調で少女に自己紹介を促す。
すると、布団から目だけが出ていた状態だったのが首まで出され、まだ幼い顔立ちの少女はおずおずと口を開いた。
「ま、松戸みのりです」
「みのりちゃんね。よろしく」
「よ、よろしくお願いしますっ」
「ん、よろしく」
「ひっ」
美咲には舌っ足らずながらもきちんと返答したのだが、香へは怯えの表情を見せて再び布団の中に隠れてしまった。こんな所であんな事をやらされると分かったのだから、怯えてしまうのも仕方ないだろう。
そんなみのりの様子に、苦虫を噛み潰したような表情で「あー……」と呟く香に、美咲は苦笑で答えを返す。それきり部屋の中に沈黙が訪れた。
と、気絶してベッドに寝かされている鎌ヶ谷初が軽く身じろぎをして、布団の衣擦れの音が部屋に音を作った。意識も戻りかけているらしく、閉じられていた目が軽く開きかけている。
「う、ううん……」
「だ、大丈夫ですか?」
「……ここは」
「寮のような場所みたいです」
「そうですか……。わたくしはあの後意識を失って……」
「アタシがここまでおぶってきたんだ」
「それは、お手数をおかけしました」
香に礼を言って起きあがろうとする初だが、まだ意識がはっきりとしないのか、美咲の体を借りて何とか起きあがれるといった状態だ。
それから数分が経ち、初も自分がどのような状況に置かれているか理解してきたのだろう。両手を顔に当ててしゃくり始め、しまいにはその手の間から水滴が零れ始めた。
「わたくし、初めてでしたのに……っ!」
そう言って、体を預けていた美咲にがばっと抱きついた。堪えきれなくなったのだろう。初は声を上げて泣き始めた。
その間、美咲は黙ってされるがままにしていた。先程、女性に食ってかかった少女と同一人物とは思えない様に、美咲はいけないと理解しながらも同情し、そして自分も同じ境遇であるということに気づき、初を強く抱きしめ返した。
それから数分経って落ち着いたのか、初は美咲に謝った後、皆に自己紹介をした。何か吹っ切ったような表情をしつつ、仲間に心配を掛けないようにしているのだろう。その挑戦的な微笑には影が見て取れた。
「酷い目に遭いましたわ。まさかあんなことをされるなんて……」
「何だと思ってたんだ?」
香が言う。
「いえ、特殊部隊か何かに入れさせられるのかと……」
「んなわけあるかよ……」
男子ではなく少女が集められている時点でそういうことなのだと気づくだろうと美咲も思ったが、お嬢様だから仕方ないのだろう。
的はずれな初の言動に美咲がくすりと笑い、それにつられて香も豪快に笑い、おとなしくしていたみのりでさえも少し微笑みの表情を浮かべていた。
「な、なんですの? わたくしそんなにおかしい――」
「"教育"の時間だ。私に付いてこい」
無機質な、まるで物を扱うかのような口調で女性の声が突然響いた。
「いいか? お前らは生きているのではない。生かされているのだ。私達の"教育"の結果、価値が出るであろうという将来性を見込まれてな。そのことを忘れるな」
振り返ってそう呟いた女性の背中を、少女達はただ睨み付けることしかできなかった。
□
□
今日も長かった。ここに来てから一ヶ月ほどが経ったが、まだ慣れそうもない。痕も残っているし、とシャワーを浴びているため全裸である美咲は、自分の躰を鏡に写す。
まだ成長途上の躰に刻み込まされた傷は深い。表面では胸の周りに付いている赤い跡が一番目立ったが、やはり堪えているのは心の方だ。二年という期間を設定されながらも終わりの見えない日常に、心は早くも軋んだ音を上げている。
シャワーの水滴に混じって少女の瞳から水滴がこぼれ落ちたように見えた。いけないいけないと、蛇口を捻ってシャワーを止め、ぶるぶると犬のように頭を振った。首輪が付いているから本当に犬だな、と美咲は一人自嘲していた。
バスタオルを手に長いシャワーから出てきた美咲は、一人の少女が居ないことに気づく。
「あれ、初ちゃんは?」
「また脱走を試みて失敗。そんで懲罰房行き。これで四回目だ」
もうこんな所には居られないと、何度も何度も脱走を試みるのだ。その度に、自分たちが行っているメニューとは別に厳しい、いわば罰を与えられる。それにも関わらずこうしてまた脱走をしようとするのは、やはり家族と一緒に過ごしたいからなのだろう。
と、ここで美咲は一つのことに気づく。自分の場合、何もかもを承知して――予想以上に酷かったが――来たのにも関わらず、何故初は脱走未遂を繰り返し続けるのだろうか。自分の予想以上に酷いことをされたので逃げたくなったのだろうか。しかし、"教育"の際は相変わらず強気で、女性などに食ってかかっている。心が折れて逃げ出したいと思っているとは到底思えなかった。
いくら考えても分からない美咲は、大分親しくなった香に聞いてみることにした。
「私達って自分の意志でここに来たのよね。何で今更脱走なんかするんだろ」
「は? お前自分の意志でここに来たのか?」
心底驚いたように香が言う。
そこで驚かれるとは思っていなかった美咲も香の言うことに驚きを隠せない。
「え、届かなかった? 私の所には『ここへ来ませんか?』って葉書が来たんだけど……」
「アタシは強制だったよ。親も何も知らないみたいだった」
「おかしいなあ。借金が減るみたいな話は聞いた?」
「それも連れてこられる途中で聞いた。ま、貰えるんだからそりゃ貰うけどさ」
少なくとも、香と美咲がこの学園に来るまでの経緯は違っているということになる。
美咲は念のため、もう一人の少女にも聞いてみた。
「みのりちゃんは?」
「……黒い服の男の人に連れてこられた」
やはり自分の意志でここに来たのは美咲だけで、他の二人は強制的に連れてこられた。二人がそうなのだから、何度も脱走を試みていることから考えて、初も強制的にここに連れてこられたと考えられるだろう。
何故か美咲だけが、ここにやってきた経緯が違うのだ。それはどうでもいい些細なことなのかも知れないが、美咲はかなり引っかかっていた。
最終的な判断は別にして、ここに来ないという選択肢も美咲の中にはあったのだ。そして、ここの施設にとって見れば、明らかに合法とは言えないこの学園――大物政治家が背後にいることは間違いなかったが――なのにも関わらず、こういった学園が存在することを、まだ入所していない人間に知らせてしまっていることになる。これで美咲が施設に入らずに、その情報をテレビ局に売ったりするなどの考えは持たなかったのだろうか。こんなネタならば、借金全額にはほど遠いものの、かなりの大金となるはずだ。
美咲が押し問答をしてうんうんと唸っていると、突然部屋のドアが開いた。入ってきたのは例の女性だ。
「お前ら、鎌ヶ谷初がまた脱走しようとしたのは知っているな?」
「は、はい」
「もう四度目だ。こちらとしてもそろそろ止めて貰いたい。そこで、お前らを見せしめに使うことになった」
「なっ!?」
香の表情が驚愕に染まる。美咲とみのりも、次の言葉を待つように息を呑む。
「どういうことだよ!」
「お前が脱走すれば、お前の仲間が傷つけられるということを教えてやるんだ」
四六時中一緒にいるのだ。仲良くならない方が可笑しいというもの。四人は早々に打ち解け、一日の終わりに話し込むこともしばしばになっていた。
それを利用して抑止力にする。反吐の出る話だと美咲は思ったが、あれで感情に脆い初のことだ。効果はありそうだと、まるで人ごとのように考えていた。
隣では諦めたように香が唇を噛んで悔しそうにしている。その横では、これまでにないほどに異常な震え方をしている、松戸みのりその人がいた。
「お、お仕置き?」
「そうだお仕置きだ」
「い、痛いのやだっ」
お仕置き、という単語にみのりは妙に反応しているようだった。何かトラウマでもあるのだろうかと美咲が思ったときには、いきなり押し入ってきた男達にガスのようなものを部屋に噴射され、やがて意識が無くなっていった。
首輪に何か紐のような物が通される感覚がしたのを最後に、美咲の意識は完全に闇に染まった。
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体がだるい。当たり前だ。あんな事を日常的にしていれば、自然と体は重くなる。
今日は休養日と言うことで、この学園の外部に干渉することは出来ないものの、そこそこに自由な時間が許されていた。新聞を読む者やテレビを見る者、トランプをしたりする者も少数ながら居た。しかし、ここにいる少女達にとっては遊んでいる暇があったら心と体を休めたいという者がほとんどで、事実、美咲達の部屋でも元山香と松戸みのりはベッドから出てこずに、そのまま惰眠を貪っていた。
不動美咲はというと、「何もしないというのは我慢なりませんわ!」という久我山初に付き合わされ、オセロなどという前時代的遊技をやるはめになっていた。
「……寝かせてよ」
不満たらたらで美咲が言う。
「いいではありませんか。別に何をするというわけでもないのですし」
「……だから寝てたいんだって。はい、角四つ目」
「んなっ!?」
「もういい加減諦めなよ」
「ぐぅっ……。あ、あっと手が滑りましたわ!」
わざとらしくオセロの板をひっくり返す初に、美咲はもう四回目である彼女に対して呆れの入ったため息を吐いた。
「疲れてるんだから、接待プレイなんてゴメンだからね」
「な、なんで接待プレイなんかされなくてはならないんですの!? こちらから願い下げですわ!」
「じゃあ終わらないでしょ……」
「うだうだ言ってないでもう一回やりますわよ! 早くぶちまけたのを拾ってちょうだい!」
負け続けているのが悔しくて何度もやらされているのはこっちなのに、と美咲は思ったが口にはしなかった。面倒なことになるに決まっているからである。
美咲は渋々ながらも散乱しているオセロを一つ二つと拾う。鬱憤がたまっているらしく相当豪快に散らばっている。一つは香が寝ているベッドの舌にまで入り込んでしまっているようだ。
手を伸ばしてそれを取ろうとすると、美咲の手に探している物とは違う感触がした。紙のような、それでいてつるつると滑るもの。それを掴んで眼前に持ってくると、それはどうやら写真のようだった。
「あれ、写真? それにこれ、香さんの弟さんかな」
「本当ですわね。まったく、わたくしが写真を持って行こうとしたときには駄目だって言われましたのに、なんでこの人だけ」
ぐちぐちと文句を言う初に苦笑しつつ写真を見てみると、そこには仲が良さそうに寄り添う男女が一組。男勝りなその性格からは想像も付かないほど柔らかい微笑みを浮かべる香と、その隣で恥ずかしそうに苦笑している男の子だ。どことなく顔つきが似ていることから、姉弟であることが想像できる。
「あんまり見るのは悪いよ。戻しておこう」
美咲はそう言って、元あった場所に写真を戻す。こっそり見たことを気付かれないよう、なるべく元の場所に近いところになるように置いた。
戻し終わって正面を向くと、まだ連敗記録を更新するつもりなのか、オセロを初期配置に並べている初の姿があった。
その姿に、美咲は苦笑しながらも付き合うことに決めた。彼女の雰囲気が今にも折れそうだったからだ。何かをしていないと自分であると感じられない、まるで抜け殻のように感じてしまうのだろう。美咲にもその気持ちは理解できた。
「何ニヤニヤ笑ってますのよ。気持ち悪い」
「気持ち悪いは酷いんじゃないかな」
黒を置いて白を一つ裏返し、初は「ふんっ」とそっぽを向いた。
心配しているのが雰囲気でバレてしまったのだろう。その仕草が照れ隠しであることは分かっている。少しの付き合いだが、彼女が極度の照れ屋なのはすぐに分かったことだ。
しかし、初の微笑ましい様子をいつまでも見ているわけにはいかない。このままでは会話が切れてしまうと感じた美咲は、何気ない話題で話しかけてみた。
「そういえば、写真を持ってるのが羨ましいって言ってたけど、なんで?」
そんな大した話題を振ったつもりではなかったのだが、予想に反して初は下を向いてしまっている。マズった、と美咲はすぐに直感した。
「あ、別に言いたくないんなら言わなくても――」
「貴方から振ったのだから聞きなさい」
そう言いながら、初は一つ黒を置く。
「わたくしが最後に見たお父様とお母様は、酷く疲れ切った顔をしていましたわ。資金繰りに奔走していたのですから、当たり前です」
そして、白を一つひっくり返し、それを黒にした。
「ですから、会社が上手くいっていた頃の元気なお父様とお母様の写真を持ち込んで、心の励みにしようと思っていたのです」
今度は美咲の番だ。何度も失敗をして学んだのだろう。かなり考えられて置かれている。美咲は一つひっくり返すので精一杯だった。
初の番になる。しかし、いつになっても初の次の手は置かれることがなかった。彼女の手が震えて、体が震えて。顔は俯き、そこからは水滴が垂れようとしていた。
「今まで雇ってやってたのはこちらだというのに……ッ! 」
自分の親の会社が潰れるのはショックだったろう。しかし、彼女にとってショックだったのは、潰れた後に誰も助けてくれなかったことだった。
たまに遊んでくれた秘書のお姉さんも居ない、ホームパーティーに来た重役さんも居ない、親しかった友達も居ない、誰も彼も、両親が何も鴨を棄ててしまったのを境に、誰も居なくなった。
「人間の価値はお金でしかないのかと、その時は思いましたわ。しかし」
初は顔を地面に向けながら続ける。
「ここでは、そうでないことを教えられました。人間の価値は千差万別で、それぞれに役割があると。でもやっぱり、悲しいものは悲しい」
そう言うと、初は真っ赤になった瞳を美咲に向けながら、形の崩れた微笑みを浮かべた。
「そう考えると、ここに居るのは良いことなのかも知れません。"教育"の時間は、何もかも忘れられますから」
「……」
美咲は黙りこくってしまった。何をどう言っていいか分からない。彼女の絶望は想像するに難くないが、彼女のそれをどう言って反応してあげればいいのか、さっぱりと分からなかった。
慰めの言葉を言えばいいのか、それとも「私が居るから大丈夫」などと柄でもないことを言えばいいのか。思春期の少女には重すぎる内容に、美咲はどうしていいか分からなくなっていた。
「ここって、言うほど悪くないところだと思うんです」
ふいに声がした。まだ舌っ足らずなその声は、先程まで寝ていたはずの松戸みのりである。今もタオルケットを膝にかけ、二段ベッドの下段で女の子座りをしている。寝起きらしく、髪はボサボサのままだ。
「外から見れば酷い場所なんだろうと思います。でも、私には人が自分たちの都合で他人の価値を決めてしまう外の世界の方が、怖い」
みのりがぽつりと零すように言う。その声音一つ一つには実感がこもっており、幼いながらも波乱の人生を送ってきたことがそこから容易に推測できた。
「わたし、両親から虐待されてたんです」
そう呟きながら、もみあげを掴んで持ち上げる。そこには生々しい傷跡が残されていた。
「お母さんにとってわたしは邪魔だったんです。わたしは前のお父さんとの子供でしたから」
その言葉だけで、美咲はこの少女に何が起こっていたのかを理解した。初も息を呑んでいる。
「意味もなく叩かれました、殴られました、蹴られました、首も絞められました」
涙はこぼしていないものの、美咲にはその背中には黒い影が張り付いているように思えた。
「でも、それに比べたら、ここでの生活は悪くありません。香さんも、初さんも、勿論美咲さんも。みんな、わたしによくしてくれますし」
そう言って、僅かばかりみのりの目が細められる。一瞬嬉しい気持ちになった美咲だったが、すぐに悲しい気持ちに変わる。彼女の微笑みが、こんな閉鎖的な空間の中で、それもただルームメイトとして普通に接していただけのなのに、ここまで感謝されたのだ。
みのりも言ったが、借金取りに追われた経験を持つ美咲には、外の世界はやはり怖い物のように思えてしまうのだった。
「"教育"も、最近は慣れてきたせいか、男の人に囲まれて、求められると『自分を必要としてくれてる』って気持ちになって、頑張れちゃうんです。前はただ邪魔な存在として疎まれてるだけでしたから」
「みのりちゃん……」
「自分でもいけないことだって分かってるんですけどね」
そう言って、みのりはもう一度笑みを見せた。その笑みは酷く自虐的な笑みで、美咲の心を凍り付かせるのには充分だった。オセロは進んでいなかったが、現時点で優勢なのは黒であった。
その夜、美咲はなかなか寝付けなかった。二人の語った内容がかなり衝撃的だったからである。
自慢をするわけではないが、自分の境遇にもかなり酷いものがあると思っていたが、彼女たちの境遇は自分を軽く越えていた。
自分には、お金以外の何もかもがあった。自分のことを心配してくれる両親や友人がいた。しかし彼女たちには、お金だけでなくそれらさえも欠けているのだ。
美咲は、もう一度両親と共に普通の生活を送りたいと思っている。しかし、彼女たちはここも存外に悪くないと言い出す始末だ。これでは、向こうの思う壷である。
(みんなで元の世界に帰らなくちゃ。その為には、もっと私がしっかりしないと)
そう決意して、この日はもう寝ることにした。その後はすぐに寝付くことが出来た。
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鎌ヶ谷初の通算五度目の脱走も未遂に終わり、兼ねてからの公言通り美咲達も同じように"お仕置き"を受けるはめになった。しかし、当事者の鎌ヶ谷初への"お仕置き"は執行されず、この後改めて行われることになっていた。無論、初への見せしめのためである。見せしめは二度目なので、効果が出ているかは疑問であったが。
臀部に残った軽い火傷の跡が、激しさを増す"教育"の現状を教えてくれる。美咲はシャワーを浴び始めても、しばらくは頭を洗ったり体を洗ったり出来なかった。
体が痛いはずなのに、痛くない。むしろ、それによって心が痛い。美咲がシャワーから出るまでの時間は、ルームメイトの中では一番掛かっていた。
シャワーから出ると、先程まで一緒に"教育"を受けていた二人、元山香と鎌ヶ谷初が何やら言い合いをしているようだった。罵っているのは香で、罵られているのは初のようである。その間では松戸みのりが二人の顔を交互に見ながらあわあわとやっていた。美咲がシャワーから上がったのを見ると、助けを呼ぶような視線を送ってくる。
二度目ともなれば怒るのも当然か、と美咲は思った。とりあえずは間に入り、喧嘩を収めようとしたその時だ。香の口からとんでもない言葉が発せられた。
「おい初。お前、まさかわざと捕まってるんじゃないよな?」
「え、そ、そうなの……?」
「な、何を仰っているんですの? そんなことあるわけないじゃありませんか」
香のこの言葉は、喧嘩を収めるだけでは済まされないだけの物種であった。
香が言っていることが真実ならば、美咲たちをも売って自分の快楽に酔いしれていたことになる。通常の"教育"とは違い、懲罰的な意味合いを持つ"お仕置き"とでは、その内容も違ってくるのだ。
狼狽しながらも心外だというように初は叫んだが、あくまでも冷静に、かつ問いつめるように香は初に言う。
「アタシ達がやられてる時のお前の表情をアタシは見たんだよ。お前の目は、期待しているような目つきだったさ」
初の表情が憤怒に染まる。そこまで言われて黙っていられるほど良い子ちゃんではない。反論しようと香に詰め寄ったが、香の鋭い睨みに何も言うことが出来ず、ぐぐっ、という音が口の中で漏れただけだった。
それを香は見届けると、更に彼女は言葉を続ける。
「半分は本当に逃げ出そうとして居るんだろう。だが残りの半分は、捕まってお仕置きされるのを期待してるんじゃないのか? まあ、無意識なら何も言えないけどね」
「な、何を証拠に……ッ!」
「逃げ出せれば儲けもので、お仕置きされるのもそれはそれで、とかな」
「ですから、証拠はあるのですかっ!!」
「じゃあ、スカートを捲ってみろ」
初の体がピタリと止まった。何かに怯えているような顔になる。しかし、美咲とみのりはその真意が分からず、ただぽかんとしているだけだ。
「な、なにを……?」
「なあ、スカートを捲ればお前が期待しているのかどうか分かるはずだ」
「うっ! う、うう……」
じゅくり、という湿り気のある音がどこからかしたような気がした。それとほぼ同時に、初の足が段々と震え始める。まるで秘密を知られることを恐れるように。
「捲らないのならアタシが見てやる」
「や、やめっ」
「何だよ、期待してたわけじゃないってんなら見てもいいだろ」
香が初のスカートに手を掛け、勢いよくめくり上げる。そこにははっきりとした期待の色があった。これでは、文句を言うことも出来ないだろう。
それを見た途端、香の表情がにまぁ、と意地の悪い笑みに変わった。
「ふふふ、これはどういうことかなあ?」
「うう……」
「色々と鬱憤もあるしな。アタシからもちょっと"お仕置き"してやりたいんだが」
「な、何を……」
「"お仕置き"なんだ。やることは決まっているだろう?」
「ひっ……!」
香の手がスカートの中にまで伸びようとしていた時、我慢の限界に来ていた美咲が叫んだ。
「香さん! これ以上はやめてください!」
普段あまり自己主張の少ない美咲の大声に、皆時間が止まったように動かない。
やがて、香が初に伸ばしていた手を引っ込め、頭を掻きながら謝罪し始める。
「……すまん。いや、ちょっと頭に血が上りすぎた。ごめんな」
事態はこれで穏便に集束するだろう。美咲が安堵のため息を吐いたとき、事件は起こった。
「い、いいのですわ。わたくしが悪いのですから、別に、あなた方が満足されるまで、な、嬲ればいいのです」
「お、お前……」
「う、初さんっ!?」
「……っ」
絶句する三人を尻目に、頬を朱に染めた初は、自らスカートをたくし上げてそう言うのだった。
□
□
初の痴態を目の当たりにしたあの日以来、美咲は色々と警戒するようになっていた。心が壊れ掛かってきていると、最近思うようになったのだ。
堕とされる、という表現が一番しっくりくるだろうか。ここで行われる"教育"に体が順応し始めようとしているのを、それ以来自覚するようになっている。
すぐに初に飛びかかっていった香もそうであるし、何だかんだ言って美咲自身もそれに加わってしまい、挙げ句の果てに四人全員で及んでしまったのだから始末に負えない。
一日が終わり、後は就寝するだけである。明日からも今日と同じく疲労の溜まる毎日が待っている。少しでも体を休めなければ。
考え事をするのを止め、本格的に睡眠に入ろうとしたその時だった。下の方、香のベッドの方で何か物音がする。上段の向かいのベッドで寝ていた初もそろっと起きだし、美咲に視線を送ってくる。
「はぁ……」
くぐもっていて、尚かつ艶のある声が香のベッドから響いていた。寝付きの良いみのりは寝てしまっていたが、まだうとうとしている段階であった美咲と初は、その声に驚きながらもアイコンタクトを交わし合った。
お互いに上段が根城であり、その間は五十センチほどしかなく、お互いが体を伸ばせば充分に内緒話が可能である。美咲と初は同時に頷くと、体を寄せ合い小声で会話を始めた。
「これは、アレですわよね」
「そう、だね」
二人はもう一度下を確認する。そこには静かに寝息を立てるみのりと、忙しなくガサゴソと動く香の姿があった。
「で、手に持ってるのは……」
「写真、ってことは……」
「まさか……」
それが何かを理解したのは二人同時だった。それはアレで、しかも弟の写真で――
美咲と初は何かいけないものを見てしまった時のように、慌てて自分のベッドに潜り込んだ。恥ずかしくてお互いの顔を見ていることが出来なかったのだ。
それっきり二人は視線を合わせることが無くそのまま朝を迎え、何事もなかったかのように翌日も過ごした。
香に対して若干挙動不審気味だったかと、今日という日を振り返って美咲はベッドの中で反省会をした。どれもこれも昨晩にあんなものを見てしまったのが悪いのだから、自業自得と言えば自業自得であるが。
そんな時、下のベッドから件の香から声がした。何か自分に話したいことがあるらしい。昨晩のアレを見てしまったことがバレたのかと、美咲は冷や汗を掻きながら第一声を待つ。
「お前さ、あいつらの言う人間の価値についてどう思うよ」
「……なに、急に」
「いや、眠れないからちょっと話そうと思ってさ」
自分が考えていたことではないと分かり、ホッとした美咲だった。
しかしこれは真面目な話題だ。いい加減に返答するのも失礼だと思い直し、美咲は顔をぺちぺちと叩いた。
「あいつらの言ってることや、やってることは無茶苦茶だ。アタシらをここに縛り付けておく方便のようにも聞こえる」
美咲はそれに同調しようと口を開いたが、「けどな」と、香の言葉に遮られ、何も言えず告知を噤んだ。
「ある側面から見ればあいつらの言っていることは正しいのかも知れない。最近そう思うようになってきた」
「……」
美咲は黙りこくった。
暴論ではあり、屁理屈でもあるが、あの女性の言葉に何の反論も出来ないと言うことは、一応の理屈は通っていると言うことなのだろう。それに、みのりが言っていたように、外の世界のねじ曲がった社会の方が、人間の価値について誰もが自分の尺度で何もかもを決めてしまっていた節があった。それは、みのりの話を聞いたときに理解できたし、同時に怖いとも思った。
「最近じゃ、"教育"の時間が苦痛じゃなくなってきやがった。こんなんじゃ、初のこと怒れねえよな」
呟くように、そして自嘲するように香が言う。
これは自分も最近感じていることだが、自分たちがここでの生活というか、自分たちに対する扱いを受け入れているような気がするのだ。自分では拒絶しているつもりなのに、無意識の心が勝手に反応する。香はそのことを言っているのだろうと美咲は理解した。
「アタシのこと必要としてくれるって考えると、なんか参っちまうんだよな」
薄く笑いながら、香は続ける。
「弟がそうだったんだ。世話のかかる奴でな、しょっちゅうアタシに頼ってくる。その結果あいつの笑顔を見ると、もっと尽くしてやりたいと思うんだよ」
弟の話が挙がり、見ていたことがバレたのかと思い焦る美咲だったが、すぐに香の言葉は続けられ、内心安堵してふぅ、と息をつく。
「アタシは自分の価値なんて考えたこともなかった。でも、私は他人に何かをしてあげるのが嬉しい。それで相手が喜んで貰えれば、なお嬉しい。自分の価値ってそこにあるんじゃないかなあ、って、今は思ってる」
普段の快活な少女からは考えられない、優しい声音で香は独白していた。
美咲はそれに対して何も言うことが出来なかった。自分はここを早く出たいという思いだけで、この酷い環境の中で自分というもののあり方を見つめ直そうとする香を、心が壊れ掛かっているなどと心にもない言葉で形容していた。自分が酷く情けなくなった。
この"学園"の中で外の世界の常識は通用しない。そんな中で、何が正しくて何が間違っているのか。今までの常識が壊された今だからこそ見つめ直す必要があるのではないかと、詩を詠うように話す香の声を聞きながら美咲は感じていた。
「変なこと言って悪かったな。おやすみ」
心の中で問答していた美咲を寝てしまったと勘違いした香は、それきり何も喋ることはなかった。
美咲はその晩、布団の中でずっと考えていた。人間の価値とは何か、そして、自分の価値とは何だ、と。自分は何のために産まれ、何のために生きて、何のために死ぬのか。
そもそも自分は、他人に必要とされている人間だったのだろうか。あの女性が言っていることを鵜呑みにするならば、他人に必要とされてこそ人間は価値のあるものだという。
ここに来るまでの自分は、誰かの役に立つような人間だったろうか。あれこれと思い出してみても、いつも率先して何かをやろうということのない美咲には、咄嗟に何かを思いつくことは出来ない。強いて言えば、両親と共に頑張ったことだろうか。あの頃の生活は誰か一人でも欠ければやっていけなかったろう。
そこで、あれほど心配してくれた両親の顔が、少しぼんやりしていることに気が付いた。美咲は狼狽した。あれほど大切に想っていた両親の顔に霞が掛かっているのだ。
(何かが変わろうとしている……?)
自分の感覚が、価値観が、それら曖昧なもの全てが少しだが変わったような、そんな気がした。何がどう変わったなどという具体的なことは言えないが、自分の中の何かが、それもごく小さいところで変わろうとしていることは確かだった。
(……考えててもしょうがないや)
自分でもよく分からないものをいくら考えてもどうにもならないと割り切った美咲は、それきり考えることを止めた。
(そんなことよりも、お父さんとお母さんの顔を思い出さなくっちゃ)
美咲は余計な考えを排除するようにそれだけを考えながら目を瞑り、やがて睡魔に負け、眠りについた。
両親の顔はやはり、思い出すことができなかった。
□
朝日が地平線から昇り、今日も"学園"の一日が始まる。
ミニスカートにセーラー服。普通の学生と何ら代わらない服装に身を包み、四人の少女が準備をする。しかし、それだけだ。鞄などは準備しない。用意するのは自分自身、それだけだ。
全ての準備が終わった頃、ガチャリという音で部屋のドアが開かれた。ノックはない。
「時間だぞ。外に出ろ」
女性が威圧的な声音で言った。
「今日は激しいメニューだからな。覚悟しておくように」
「……痛いのやだ」
みのりがぽつりと、両手で体を抱えながら零した。
「前に"お仕置き"を受けたとき、痛いだけだったか? 激しいと言ってもあのくらいだ」
「……ううん。お義父さんやお母さんに"お仕置き"されたときよりも痛くなかったし、少し気持ちよかった……気がする」
驚愕の表情を浮かべた美咲がみのりを振り向いた。
見れば、その表情は期待に満ちているような、それでいて恥じらいがあるような。幼い外見のみのりには不似合いな色気を纏っていた。
「ああ、なんでだか分からないけど、アタシもこれからのことを考えると、震えが止まらないよ」
「わたくしもこれから何をされるのかと思うと……あぁ」
香と初も同様だ。困ったような嬉しいような、そんな悩ましげで大人の艶やかさを持った表情であった。
美咲は呆然とすることしかできない。他の三人がとても遠くに行ってしまったような、そんな感覚。
始まってしまった。今までの全てが終わり、音を立てて崩れていく。始まりは唐突にやってきて、美咲の全てを奪っていった。他でもない、三人の少女達によって。
「ちょ、ちょっとみんな!?」
美咲の叫びなど耳に入らないといったように、三人は廊下へ出て行ってしまう。
その表情は、今から行われる宴に狂喜しているようであった。その表情は、文字通り狂った笑顔と呼ぶに相応しい。
「さあ、これからが本番だ」
最後に残った美咲に、女性が無機質な声で言った。美咲の体に、寒気と悪寒が同時に押し寄せた。
□
□
美咲は思わず目を逸らした。あまりの惨状に直視することが出来なかったからだ。
意を決して指の間から覗き見ると、ガラスの向こうでは、いたいけな少女達の狂宴が繰り広げられている。声は聞こえないが、三人の顔は誰もが歓喜に震えて赤く上気し、表情も緩みきっている。
美咲には全てが見えるものの、三つ並んだそれぞれの部屋はマジックミラーになっており、各々の表情は確認できない。しかし、そんなことはもう気になっていないらしく、誰もが目の前のことに集中している。まるで、肉を貪り食らう獣のようだ。
「普通の人間なら顔が熱くなるだけの量の薬を盛ってやるだけで、これだ」
三人は待ちきれないといった様子で、身ぐるみ一つ付けないまま男たちの方へとすり寄っている。
そんな見るに堪えない様子に、美咲は三人から目を逸らした。しかし、横で座っている女性が「きちんと見ろ」と命令する。仕方なく美咲はそれに従った。
三人からは、沸き上がる色気がこれでもかと放出されているように美咲には見えた。幼い体つきのみのりさえもである。"学園"の側にとって見れば、長く苦しい"教育"の賜物と言うべきであろうか。
「高みの見物をする気分はどうだ?」
「……最悪です」
問いかけてくる女性に、美咲は嫌悪感を隠そうともせずに返事する。
眼前で乱れている少女達は、皆ここまで苦楽を共にしてきた一種の同志である。それがいとも簡単に堕ちてしまい、仕方のないことだと頭では理解していたものの、感情では裏切られたという思いが少なからずあった。
相変わらず狂宴は続き、隣で満足そうに笑んで座る女性が初の居る部屋を指さしながら言う。
「鎌ヶ谷は、今まで人の上ばかりに立ってきた。だから、見下されて、蔑まれて、罵られる、自分を支配されるという未知の感覚が快感になってしまっているんだろう」
もっともっとと、甘く激しい声を大きく叫びながら、ガチガチに拘束された初が体をよじっていた。
「元山は、どうやら母性本能が強すぎて、親しい間柄の人間に求められて壊されたいという願望があったようだ。写真の持ち込みを見逃したのも、あいつを煽るためだ」
しきりに弟の名前を叫びながら、目隠しをされた香が膝を突いてよがっていた。
「松戸は、家族から日常的に虐待を受けていた。その時はただ『痛い』だけだったが、ここでやることは『痛いけれども気持ちがいい』ということを教えられ、あとはあの通りだ」
艶やかな声で絶叫しながら、赤く晴れ上がった肌に、赤い蝋燭が――
「もうやめてください!! もう見せないで……!!」
あまりの惨状に美咲は目をぎゅっと瞑り、手で耳を強く塞いだ。しかし甲高い嬌声は耳を塞いでいても、嫌でも入ってくる。
「どうだ? 私はあいつらの心の奥底に眠るものを引き出してやり、それを人間としての価値になるように"教えてやっている"だけだ」
あくまで冷酷な声音で女性が告げる。
「お前達が居た世界では、他人に合わせられる人間こそ価値があったのだろう? なら、いいではないか」
「でも、でも……ッ!」
「快感を得られ、それでいて人間としての価値をもらえる。これのどこが不満だと言うんだ?」
女性は自嘲に似た笑みを浮かべ、
「仕事が出来る奴は価値があるのか、それとも締まりのいい奴に価値があるのか。私見を言わせて貰えば、それはどちらもイコールだ」
そして表情は一切変えずに、
「仕事が出来ると会社から喜ばれ、人間としての価値があるのか。それとも簡単に股を開く娼婦だから、人間としての価値がないのか。そんなものを人間たち自分自身が判断しようなど、おこがましいにも程があると私は思うがな」
まるで吐き捨てるように言った。それは独り言なのか、それとも跪いて震えている美咲に向けられたものなのかは分からない。
しかし、何が起こっても変わることがなかった表情が、この時だけは少しだけ悲しげなものであると、顔を上げて女性の表情を見た美咲は感じていた。
冷めたような、まるでこの世の全てに絶望したような、そんな表情。光を失ったその瞳の先には、何が写っているのだろう。
「お前は不幸な少女だ。親の借金でこんな所にまで来させられ、人間として扱われいるが、実際は言ってみれば男どもの慰みものだ。それに、仲間だと思っていた奴らは皆堕ちてしまった。お前はついてなかった。ただそれだけなんだよ」
美咲の髪を梳きながら、女性が言う。今度は一転、今までに聞いたこともないような優しい声音で。
「さあ、行ってこい。お前にそれ以外の選択肢など無いのだから」
女性が指さしたその先には誰も居ない部屋があった。そこにぞろぞろと男達が集まり始めている。
美咲は震える足を引きずりながら、その場所へと向かっていく。まるで首輪に引きずられるように、ゆっくりと、ゆっくりと。彼女の付けている首輪にはリードなど付いていないというのに。
やがてしばらくすると、美咲は嬌声を響かせて悶え始めた。今まで見せていた理性的な表情など露ほども感じさせず、他の三人と同様に獣のような形相で喜悦の声を上げている。
「……やはりな。こいつは自分が不幸であることに酔い、そしてそれが快感になる。そうでなければ、こんな葉書一枚でのこのこと来ないだろうさ」
女性はこれから始まろうとしている美咲の様子を見ながら、彼女が持参した葉書をひらひらと揺らす。
「二年後に我々が用意する就職先を選ばなくとも構いません、か。今まで蹴った奴など一人もいないというのにな」
葉書に記された一文を読み上げながら、女性が一人ごちた。
体に染みついた感覚はなかなか離れない。快感であれば尚更だ。その快感を体が覚えてしまい、意識の外でそれを求め続ける。ちょうど麻薬がいい例だ。
少女達は今、自分を解放するという快感に酔いしれている。深い傷を負わされ、永遠に消えない傷跡を自身の体に刻みつけながら。
「現に、私も」
そう言って、もう一度四人に顔を向けながら、はん、と自嘲する。
「人には何かしらの価値があり、その価値は千差万別。だというのに」
女性は四人に背を向けながら、ドアノブに手を掛ける。そして、動きが止まる。
「世の中というのは、何ともねじ曲がったものだな」
ドアの閉まる音を最後に女性は居なくなった。後ろを振り返ることもせずに。
首輪学園(仮) すぎ @kafunsugi
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