まどろむコンクリート
しゃくさんしん
白いシャツ
【あらすじ】隣の部屋に越してきた若い夫婦に、少女は初心な憧れを抱く。
少女は、今から行ったってどうせ遅刻だと思うと、変に落ち着いてしまった。お母さんの、はやく行きなさいと急かす声も、どこかおかしくて、聞き流してしまう。ふとした思いつきで、制服にアイロンをかけて、それから髪を丁寧にととのえて、家を出た。
団地の階段や踊り場が、やけに暗く見える。踊り場からのぞく春の空が、透けるように明るいからだ。
少女は鼻歌を口ずさみながら、階段をおりていった。
団地を出て、てくてくと歩く。空気が、日だまりにぽうっと暖かい。
微睡むようにほっこりしてくる体と、慌てなくていいという解放感で、少女は気持ちが良くなってきた。顔をあげて、光の匂いをかぐように、深く息を吸う。
すると、四階の、自分の家の隣のベランダに、人が見えた。この春から暮らしはじめた若い夫婦の、奥さんだ。むこうは少女に気付いていないようで、洗濯物をほすのにはげんでいる。
少女は、ふと、恥ずかしくなった。昨夜も、薄い壁越しに、あの奥さんの、声を聞いたからだった。
普段は話していても、顔も体も、表情も、人の妻だと信じられないような幼さなのに、なまめかしい声だった。壁を挟んで、囁くようにしか聞こえてこないせいでもあったのだろうか。
14の少女には、その声は、美しい世界からの木漏れ日だった。結婚にも、あんな声のある夜にも、漠然とあこがれる年頃だ。
ベランダの奥さんに、少女のほうが恥ずかしがるのも、へんだが、彼女は胸の内にはにかんで、なぜか、たじろぐように立ち止まってしまった。
薄青のキャミソールを着ている奥さんは、未熟な体の線が見えるからか、いつにもましてあどけない。洗濯物をほす姿も、ままごとみたいで微笑ましい。
少女は、ほされている色んなものから、一枚のワイシャツに眼をとめた。
冴えるような純白だった。
空の綺麗な青とか、陽光を受けて明るんでいる団地の壁の灰色のなかで、シャツの白さが、ひときわ眩い。
それは形から、少女には、男ものに見えた。旦那さんのものだろうかと思った。奥さんも、時には羽織ったりするのだろうかとも思った。二人の匂いを底に秘めて、今は、洗いたての爽やかな香りがするんだろう。
明るいベランダで、白いシャツが静かに光っている、その清らかな光景を、少女は、手の届かないようなあこがれの想いで眺めた。
少女は、しばらくそうしてから、学校に行かなくちゃいけないと思い出して、また歩き出した。
そして、足取りは途中から、スキップになった。まだ、シャツの眩さが、心に鮮やかだ。
少女は、体が、生き生きとしてくるようだった。
まどろむコンクリート しゃくさんしん @tanibayashi
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