霊園にて

 夏休みに入ったある日の夜。カチカチとテレビの上で音を鳴らす掛け時計は十一時過ぎを指している。

 ダイニングテーブルの上には、ラップがかかったままの夕食が一人分残ったままだった。


「歩弥、電話繋がった?」


「いや、ダメだ。呼び出し音はなってるけど出ない」


 今、この部屋の中にいるのは二人。私と歩弥だけだ。

 ここにいない百花と雛菊のうち、百花からは「夕食は外食するからいらない」と電話を貰っているので心配はしていない。

 一方の雛菊が、先ほどから音信不通な状態だ。どこにいるかもわからない。この夜遅くに小学生と言われても疑問が出ないような体格の女子高生が一人。心配にも程がある。

 そんなタイミングで、Tシャツにハーフパンツの百花が帰ってきた。


「ただいま」


「モモか! ヒナがどこにいるか知らないか!?」


「え、何、帰ってないの」


 雛菊が未だ帰っていないことを聞いて、百花は普段の無表情を露骨に崩した。私にはその表情から感情を正確に読み取ることはできなかった。

 しかし、様々な感情が入り混じったその中に、心配という感情は入っていないように思えた。


「あー……じゃあ私探してくるわ。雛の行きそうな場所、何となくわかるし」


「待って、私も行くから。流石にこの時間に一人っていうのは危ない」


「大丈夫なんだけど……まぁ、来たいなら来ればいいんじゃない?」


 投げやりな言い方ではあったが、今度はちゃんと僅かな心配というか、そんな感情を読み取れた。百花と話すには慣れが必要なのだ。

 正直言うと、百花のことはあまり心配していない。彼女は何かあっても自分で何とかしてしまいそうな、妙な信頼感がある。

 しかし、これから先同じようなことがあったときに、都合よく百花がいるとは限らない。私も、出来るだけ雛菊の行動範囲を知っておこうと思ったのだ。


「二人が行くなら私も……」


「いや、巴は残ってて」


「へっ? なんで?」


「誰か一人残ってた方が取りやすい動きもあるってこと」


 百花は歩弥にそれだけ告げると、さっさと部屋を出てしまう。


「えっと、なんか必要になったら呼ぶから! 部屋よろしく!」


 一応は納得した様子の歩弥を部屋に置いて、私も急いでその後を追った。

 普段はダラッとしている割に歩く速度は速く、寮の部屋を出て階段を下りている途中でようやく追いついた。

 猫背気味に歩く百花は欠伸交じりで、やはりまるで雛菊のことを心配していないように見えた。


「……雛菊のこと、心配じゃないの?」


「……まぁ、雛は合気道習ってたから、人間相手ならあんまり。それ以外に関しては……うーん、説明すんのメンドイなぁ……」


 出た、いつもの「メンドイ」である。

 緊急時でもなければ、百花は十秒以上かかる説明を拒む。本人曰く、自分では理解できてるのを他の人に理解できるようにまとめるのが面倒らしい。

 ちなみに、この「他の人に理解できるようにまとめる」という工程を省いて説明してもらったこともあるのだが、まるで理解できなかった。


「雛の場合、心配するべきはあっちの存在なんだけど、今持たせてる御守りが効かないようなやつだったら私が行ったところで焼け石に水だからなぁ……」


「御守りって、私が貰ったような?」


「あげたつもりないからね。貸してるだけ。それ、二万するから」


「うぇえ!?」


 そんな高いんですかこれ!? っていうかこれ二つ目だったはずなんですけど!?


「もしかして前ダメにしちゃったやつも……」


「あれも同じやつ」


「……今度バイト代から」


「いいよめんどくさい。物理的な破損じゃなければ請求しないから」


 気にするなら甘いもん奢って、と、百花は私の一歩先を歩きながらお道化て言った。


「……それで、雛菊に渡してるのってどのくらいのやつなの?」


「値段? 効果?」


「効果で」


「今和泉が持ってるやつが虫除けスプレーだとすると、キャンプファイヤーって感じ」


 ビックリするくらい効果が違った。効果が違ったのはすごく伝わってくるけど具体的な効果は一切想像つかない感じだ。

 そんな、与太みたいな話をしながら寮を出た私たちは、百花に先導されるままに寮を出てすぐの通りを歩き始め、学校を挟んで向こう側の霊園へ入っていった。


「……とても入りたくないんだけど、本当にここにいるの?」


「十中八九くらい」


 百花は一切の躊躇なしにずんずんと中へ入っていく。私は躊躇いながらも、その後を追って霊園へと入ることにした。

 ちなみにだが、門はとっくに閉まっている。百花が入ったのは、どこだそこと思うような茂みの中に開いていたフェンスの穴だった。

 茂みは左右にかき分けることでギリギリ奥にフェンスの穴が見える程度のもので、先に百花が入っていくのを見ていなかったらそこに入り口があることに気が付かなかっただろう。

 ガリガリと枝に引っかかりながらも中へ入ると、目の前には見渡す限りの墓石の群れが広がっている。百花は私が無様にもフェンスから抜け出したのを見届けて奥へと歩いていく。


「……なんでこんな入り口知ってんの」


「企業秘密」


 あ、説明がめんどいんだ。

 置いて行かれることはないだろうけど、早くいかないと雛菊が心配なので、早々に百花の後を追いかけた。


「そういえば、雛菊と百花って仲いいけど、やっぱり幼馴染なの?」


「んー……幼馴染の定義にもよるけど。小2の時に私のいた山奥の小学校に雛が転校してきた」


 少なくとも私の定義だと、二人は幼馴染だったようだ。


「どういう経緯で仲良くなったの?」


「……小4の時にちょっとあってね」


 あれ、話してくれるんだ。メンドイってはぐらかされると思ってた。

 意外そうにしている私を無視して、百花は二人の馴れ初めを語り始めた。




◆◇◆




 えっと、とりあえず背景から話そうか。

 当時、私は既に両親が離婚してて、父親に引き取られて父方の祖父母の家に住んでた。山奥の田舎だよ。

 小2の頃、雛が転校してきた。建前は色々あったらしいけど、実のところ転校の理由は精神療養だって盗み聞きで聞いた。

 当時は、今よりもはっきり見えてたらしいよ。それを幻覚だのなんだのって結論付けられて、その結果なんじゃない? 母親もノイローゼっぽかったし。

 んで、結局雛の両親が自殺。心中に巻き込まれかけた雛をうちで引き取ることになった。田舎なんて皆親戚みたいなもんだったからね。子供は貴重だったし。


 とはいえ、当時は特別仲が良かったわけじゃないよ。あの頃はまだ、雛も普通だったし。

 ん? あぁ、昔は雛もあんな無表情じゃなくて、むしろよく笑う子だったんだよ。私は昔からこんなんだけど、この頃は霊感もなかった。

 それが変わったのも、私たちの距離が近くなったのも、私がそういうのを見るようになったのも、全部小4の頃の私に切っ掛けがある。


 私も当時は今よりだいぶアホだったからさ、テンションだけで色々やったの。そのうちの一つが一人百物語。

 文字通りだよ。夏の新月の夜に爺ちゃんの家の部屋で、ろうそく百本と青い服用意して。頑張って百話集めてさ。

 と言っても、子供が集めた情報だから、正しいやり方なんて知らなかった。文机も鏡もない。ただつけたろうそくを話が終わるごとに消すだけ。

 五本ずつつけておいて、話終わったら一本消して一本つける。そんなやり方。脱水にならないように水も用意して。


 そんで、一人でネタ帳捲りながら百話話した。でも、何故かついたままのろうそくが一本残ってるんだよ。

 百本しか用意してなくて、順々につけたろうそくが。新品じゃなくなったやつは横にのけておいたから、間違えてつけることもないはずなのに。

 物語の数も番号がふってあって間違えてないはず。疑問に思ってたら、目の前から声がしてさ。


「まだ一話残ってるよ」


 って聞こえた。それまで苦しいくらいに暑かったのが嘘みたいに寒くなって、直後ろうそくが消えて私も意識を失った。

 そんな状況の私を見つけたのが雛だったらしくてさ。それはもうヤバかったらしい。興奮状態で手がつけられなかったらしい。

 私から離れようとしなくて、遠ざけようとしたらすごい暴れたんだって。


 この時私、その一人百物語が原因でガッツリヤバい呪いにかかってたらしくて、本当にヤバいの? が憑いてたらしいのさ。神職の親戚曰く命に関わるようなやつ。

 実際、頭はガンガン殴られてるみたいに痛かったし、身体を動かそうとすると全身の関節が錆びついたみたいになってるし、常に吐き気がすごかったしね。

 その親戚にすぐに祓っては貰ったんだけど、残りかすだけでもキツいしそれを目印に悪いのが寄ってくるからって、一番いい御守りをただでくれたよ。他のやつはお金払ってるけど。


 それでまぁ、私は霊感が芽生える程度で済んだ。え? 髪? あぁ、そうだね。これもそのくらいの頃から色抜け始めてたね。関係あるのかな。

 問題は、そのヤバいやつを直接見ちゃったらしい雛。例えるなら、遮光板なしで太陽見た感じ。霊感が焼ききれちゃったっていう感じ。

 霊感は弱くなったんだけど、問題はそこじゃなくて、なんていうのかな、私は雛本人じゃないからうまく説明できないんだけど、こう、強烈に惹かれた、っていうのかな。

 一種の中毒症状って言うべきか、 絵を描き始めたのがその頃だよ。元々は、霊的なものを描くために始めたんだって。

 性格も内向的になって、私以外とはほとんど喋らなくなった。この辺りは多分霊の影響だけじゃなくて、元々の本人の性質ってのもあると思うけど。


 私も最初は責任感で仲良くしてたけど、今はまぁ、それなりに楽しくやってるよ。




◆◇◆




「まぁ、そんなこともあったから、雛がああなったのはほとんど私の責任なわけ。私がバカやってなくてもいつかはああなったかもしれないけどね」


 語り終えた百花の表情はいつも通りの無表情で、何を考えているかわからない。だから私も、それを聞いてどういう反応を返せばいいかわからなかった。

 墓石に挟まれた細い道を二人で歩く。生温い風が草木をざわめかせる音が、百花との間の静寂をかき消した。

 霊園の突き当たり、墓石の群れの最後尾へと辿り着いた。縁石が小道の終わりを告げており、その向こう側に、別の世界のように鬱蒼とした竹林が覗いていた。


「この先」


「こ、この先って……ちょっと!?」


 百花は躊躇いを知らない。ガサガサと竹の葉をかき分けて百花は竹林の中へと入っていく。

 私は躊躇った。そりゃあ当然躊躇った。だって整備された霊園の小道と違ってそこから先はがっつり土。土と落ち葉。私の足元はサンダル。咄嗟に履いてきたサンダル。


「置いてくよ」


「あ、待って!」


 少しずつ緑に紛れつつあった百花の背中を慌てて追いかける。

 竹林に入ってしばらく歩いただけで、既に方向感覚が狂い始めている。これは気のせいなんだろうか、それとも、この竹林にいるものの特性なんだろうか。

 そう思うと、この空間自体が不気味に思えてくる。私は本当にここから出られるのだろうか。無意識のうちに、持っている御守りを強く握っていた。


「左側見ないでね。今見るとついてくるから」


 何がいるんですか!? 何がついてくるんですか!? 危うく見るとこでしたけど!?

 私は百花の袖を掴み、背中に顔を押し付けるようにしながら、百花の後を歩く。「歩きにくい」という苦情はガン無視だ。

 そんな状態で数分歩き続け、ようやく百花の足が止まった。しかし、百花は何も言わない。


「も、百花……? 雛菊いたの……?」


「いたけど、ちょっと待ってて」


 そう声を返した百花の顔は、無表情ではなかった。

 いや、ある種無表情ではあるのだろう。喜怒哀楽やそれに連なる感情から現れ出る表情の中で最も当てはまるものを選ぶなら、やはり無表情という表現が相応しい。

 しかし、私がその表情の源泉となっている感情を察するならば、恐らくそれは「執着」とか、そういうものだと思った。


 その視線の先を見る。そこには、岩に腰かけた雛菊の姿があった。

 視線を虚空に固定し、一心不乱に鉛筆を、茶色い表紙のスケッチブックへと走らせている。その視線の先に何がいるのか、何が見えているのか、私にはわからない。

 しかし、その表情は、私が見たこともないような、そして雛菊が今まで一度も見せたことのないような、無邪気な満面の笑みだった。


 恐らく、これが、百花の言う事件の起こる前の雛菊の笑顔なのだろう。私の背中に、冷凍庫のなかに入れられたような悪寒が走る。

 私が感じ取ったそれが、正しく二人の関係を表しているかはわからない。むしろ、そうでないことを祈りたい。

 もし当たっているとしたら、この二人の、この世ならざるものの絵を描くことに執着している雛菊と、そんな雛菊がこの状況でのみ見せるかつての笑顔に執着している百花の関係は、ひどく歪だ。

 私の表情は、どうなっているだろうか。友人たちに見せられるように上手く取り繕えているだろうか。

 やがて、雛菊は鉛筆を止めてスケッチブックを閉じる。ゆっくりとこっちを振り向いた時、表情はいつもの無表情へと戻っていた。


「終わった?」


「終わった」


「じゃあ帰ろう」


 雛菊とひどく淡白な会話を交わす百花の表情も、普段のダルそうなものに戻っている。二人は一度私へと視線を向け、行くぞと目で伝えてから元来た道を戻り始めた。


「あっ、ちょっと待って、歩弥に見つかったって報告しないと」


 私はスマホを取り出して、電話帳から歩弥の番号を呼び出して発信する。

 しかし、無機質なコール音のあとに聞こえてきたのは、感情の籠っていない録音された「おかけになった電話は、現在電波の届かないところにいるか、電源が入っていないため、お繋ぎすることができません」という音声だった。


 その事実に顔を顰めながらスマホから顔をあげると、百花も雛菊もそこからいなくなっていた。


 反射的に浮かんだ「置いていかれた」という思考を否定する。あの二人はたまに心ない言葉をかけたりもするが、最低限の気遣いはある。

 それに、百花は何故か、ことこの世ならざるものに関わるとき、私をかなり気にしてくれている。

 となると、自然、こう考える。囚われたのは、私なのだと。


 後ろから、しゃりん、という鈴の音が聞こえた時、私は振り向かずに元来たはずの道へと走っていた。


 これは、ダメだ。見てはいけないものだ。私の中の本能がそう告げる。

 運動不足も明日の筋肉痛も横っ腹の痛みも気にせずに全力で逃げる。しかしそれでも、しゃりん、しゃりんという音は、一定の距離を保って、いや、むしろ少しずつ近づいてきていた。

 御守りを握りしめ、息を弾ませながら走りにくいサンダルでひたすらに走り続ける。それなのに、竹林の終わりが一向に見えてこない。

 行きの時はこんなに竹林が暗いなんて気がつかなかった。月明かりすら届かず、少し先を見ることすら難しい。

 体力は限界が近づいているが、鈴の音もまた、確かに接近してきている。背後から、微かに腐臭がする。思わず吐きそうになるのをグッとこらえて正面を向く。


 前方から吹いてくる風がざわざわと嗤うように葉を揺らす。

 後ろから聞こえてくる鈴の音だけじゃない。りーん、りーんと、周囲の空気を揺らすように、何か透き通った音が竹林全体に響いている。

 先ほどまで全身から汗が噴き出すほどに暑かったはずなのに、今は生温い不快な空気へと塗り替わっている。まるで、世界そのものが変わってしまったかのような、そんな感覚。


 逃げて逃げて、先へと足を踏み出そうとしたその時、地面につくはずの足が空を切った。

 身体が前方へと傾き、声を出して驚く暇すらなく、斜めになった地面を転がり落ちていく。全身を強く打ち付け、サンダルはどこかへと飛んで行った。

 上下左右がわからなくなる。首が変な方向へ曲がりそうになる。痛みが全身を支配する。危うく腕が折れそうになる。視界に火花が散る。

 ガリガリと地面を引っかかりながら、回転は止まり今度は滑り落ちる私の身体を、一瞬何とか止めようとして、その方が被害が大きくなると思い当たり抵抗するのを止めた。

 終着点でお尻を打って、現在地を見失いながらもギリギリ死ぬことはなかったということを知る。


 しゃりん、しゃりんと、鈴の音が上から聞こえてくる。りーんりーんという音が壁面に反射して鼓膜を震わせる。

 上を向きたくなくて、ひたすらに地面を見てその場をやり過ごそうと息を殺した。上から降ってくる光は、時折何かに遮られたように暗くなる。


 寒い。半袖と半ズボンで露出した素肌に、どこからともなく湧いてきた寒気が突き刺さる。恐怖からか寒気からか歯の根が合わない。

 直後、いや、時間感覚がなくなり、それが数十分後なのか数秒後なのかわからないけど、とにかくそれよりも後。

 スマホが、鳴った。


 肩が跳ねる。転がった時にだろうか、地面に落ちている私のスマホの画面は、番号を非通知にしている何者からか電話がかかってきていることを示している。

 何故だかはわからないけど、明らかに怪しいそれに対して、私は取らなきゃいけないではなく、取りたいと感じた。

 落ちているスマホに手を伸ばす。その手を、転がり落ちてきた崖を背にしているはずの後ろ側から、何者かに掴まれた。

 心臓が口から吐き出しそうになるほどの驚悸に襲われる。血管が圧迫されて、指先が冷たくなるほどの強さで私の手は後ろへと引かれている。

 そのはずなのに、私の力で抵抗するなんて無理なはずなのに、私の手は一向に後ろへと引っ張られることはなかった。それどころか、徐々に、スマホへと手が近づいている。

 真後ろからあの、しゃりん、という鈴の音が聞こえる。りーん、りーんと耳鳴りのように耳のすぐ隣で鳴り響く。

 激しくなり始めた鈴の音を振り切る様に、私はスマホを掴み、表示されていた応答ボタンに触れた。


 その直後、スマホのスピーカーから、高らかな犬の遠吠えが鳴り渡った。


 それと同時に、周囲の寒気が、鈴の音が、気配が、どこか遠くの方へと遠のいていった。

 何か、「繋がった」という不思議な安心感に包まれる。それを自覚したと同時に強烈な眠気に襲われた私は、抵抗することなくその眠気に身を任せ、意識を手放した。




◆◇◆




「……ル……チル! 起きろチル!」


「な゜あぁぁ!?」


 かけられた声で意識は急速に覚醒し、その拍子に奇妙な叫び声が喉の奥から零れ出た。

 目を開けば目の前にはよく見知った間抜けな顔。いや、どちらがと問われれば、今の私の方が確実に間抜けなのだが。


「あ、歩弥……どうして……」


「いやぁ、待ってろって言われたけど、やっぱ心配になって来ちゃったんだよ。そしたらチルがこんなとこで寝てるからさ」


 そう言われ、私は周囲を見回す。そこは竹林でも、ましてや穴のそこや崖の下でもない、見渡す限り墓の群れが連なっている、霊園のど真ん中だった。

 私はそんな霊園の真ん中で、罰当たりなことに墓石を背もたれに寝こけていたらしい。


「ほら、早くヒナを捜しに行くぞ」


 歩弥のそんな声に、雛菊ならもう見つけている。そう返そうとして、ふと本当に見つけているのかという疑問に行き当たった。

 すべて私が見た夢だったのではないか。そんな考えが頭の中をちらついたその時、霊園の向こう側から、百花と雛菊が歩いてきた。


「モモ! ヒナは見つかったんだな!」


「ん。帰るよ」


 百花は短く答え、雛菊の手を引いて霊園の出口へと歩いていく。

 歩弥は私の手をとって立ち上がるのを助けると、百花たちの後を追って走っていった。

 結局、夢だったのか、夢ではなかったのか。そんな考えを振り切って、三人の後を追おうと足を踏み出し、気づいた。

 私のサンダルが、確かに片方なくなっていることに。


 夢では、なかった。それを知って、私は百花たちが来た方向を振り返る。きっと、もうあのサンダルは回収できないだろう。

 だって、この霊園の先に、竹林なんてないはずなのだから。

 あそこに足を踏み入れたときは忘れていた。いや、きっと意識させてもらえなかった。あそこには、竹林なんてない。実際、私の目の先、霊園を仕切るフェンスの向こう側には、住宅の壁が立ち塞がっている。


 ボーッと考えかけて、置いていかれているという事実を思い出し、急いで三人を追いかけた。

 何故か歩弥が雛菊をおんぶしており、その少し後ろを百花が歩いているのが見えた。


「……巴、置いてきて正解だったな」


 私が百花に並ぶと、百花はふと呟くようにそう言った。


「なにかわかった風に言ってるけど、結局導いうことなの?」


「私にもわからないことは多いけど、わかることだけ言うと、巴は特殊なんだよ」


 私の疑問に対して、百花はまた、メンドイとも言わずに説明してくれる。


「私は霊感をラジオに例えている。私や雛菊は聞けるチャンネルの振れ幅が広い。だから、その分この世ならざるものの波長を拾いやすい。和泉も、狭いなりにチャンネルの振れ幅があるから、ふとした拍子に波長を拾う」


 でも、と、百花は続ける。


「巴は極端に振れ幅が狭い。いや、ないと言ってもいい。現実世界の波長しか受信しない。だから、巴からこの世ならざるものは見えないし、この世ならざるものからもまた、巴は見えない。最初から巴を連れていっていたら、きっとあの竹林には入れなかった」


 霊媒体質なユタの子孫のあの娘の真逆だと、百花は鼻で笑う。

 私は、それで確信した。あの時、竹林で私を助けてくれた電話の主は、歩弥なのだろうと。


「ねぇ、歩弥に犬って、なにか関係あったりする?」


「……それはこっちから聞こうと思ってた。あいつ、犬が守護霊に憑いてる。巴が霊に疎いのは、あの犬が護ってるからだよ。なにか心当たりはない?」


 そう聞かれて、私は咄嗟に歩弥が昔飼っていた老犬を思い出した。そう言えば、よく遠吠えをして怒られていた記憶がある。

 あれはもしかして、歩弥を、私たちを護ってくれていたのだろうか。


「……勝手に納得したみたいだけど。まぁいいや」


 一人ずつ、フェンスの穴を抜けて道路へと出ていく。あとは帰って用を済ませて早く寝よう。

 疲れがドッと出た私は、だから気のせいだと思うことにした。


 今潜ったフェンスの向こう側から、しゃりん、という、鈴の音が聞こえたことは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女学生怪奇譚 仙託びゟ @r-100-hyakkin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ