ひっくり返しの想い
スマホを手にとって、私はメッセージアプリを立ち上げる。
あなたの名前を選んで、そこで少し悩んで、悩んだままに私は「ねぇ」と一言だけの言葉を綴る。
数分後に、「どうしたの?」と返信が来る。
けれどそれまでに何を言えばいいのか決められなかった私は、それからさらに数分悩んで、だけどどうしても言葉が出てこなくて、「なんでもない」と返す。
伝えなくてもこの思いが伝わればいいのに、と思う。
誰もが「言わなきゃ伝わらない」と言う。だけど本当にそうなのかな、なんて私は思うのだ。
白があるなら黒があるように、伝えなきゃ伝わらない言葉の反対には、伝えなくても伝わる気持ちがあるんじゃないか、と。
同時に私は、それが自分の甘えであることも知っている。
どうしたって伝えようのない気持ちというものは確かに存在するけれど、それだってどうにかして表現しなければ伝えようがないのだと。
それができないのは、私が臆病だからなのだと。
「そっか」と、短い言葉が返ってくる。私はため息を吐く。そうしながら、今ため息を吐いたのはどんな気持ちが表れたものだろう、と考える。
安堵でため息を吐く人がいれば、落胆でため息を吐く人がいるように、気持ちというものはいつもどうしたって一様ではないもので。
だから今の私は、気持ちを表現できないことに落胆しているのかもしれないし、醜い自分の中身が外にあふれ出て行かなかったことに安堵しているのかもしれない。
何もかもが裏表で、それはあるいは簡単なあり様なのかもしれないけれど、同時に私にとってはこの上なく難しく思われてしまう。
その時、ふとスマホが震えて、見るとあなたから電話がかかって来ていた。
慌てて「通話」のボタンを押して、スマホを耳に当てる。
「どうしたの」
少しだけ震えた声で私が答えると、あなたは少し笑って、それから「なんでもないよ」と答える。
なんでもないよ、というその言葉もまた裏表で、本当に何もないのか、それとも本当は何か言うことがあるのか。けれど少ししてあなたは、「ちょっと声が聞きたくて」と口にして、その言葉に私は安堵する。
「すこしだけ電話、つないだままでいいかな」と、優しくあなたは口にする。「いいよ」と答えると、あなたは「ありがとう」と言う。
やがてスピーカーは、時々あなたが身動きするかすかな音だけを伝えるようになる。
今、あなたはどんな気持ちでいるのだろう、とふと思う。
もしかしたら、少し怖いのかもしれない、とそう思ってしまうのは、あなたの声が優しかったからだ。
優しさの反対には、臆病さがあるのだから。
そう教えてくれたのが、あなただったから。
初めてあなたと言葉を交わした時のことを思いだす。
隅っこで一人でいた私と、それを見つけてくれたあなた。
どうしたの、とあなたが聞いて、私が「こわい」と答えると、あなたは笑って、「それは君がやさしいからだよ」と、そんなことを言ってくれた。
それからだ。あなたが私の傍にいてくれるようになったのは。
スピーカーはまだ、無音を伝えてきていた。
その無音が、どこか張り詰めているようで、それでいて優しく包み込んでくれているみたいで。
そんな裏表の中で、ただ事実だけがそこにある。あなたがくれた言葉と、今あなたが電話の向こうにいるということと。
だから私は、ねぇ、とつぶやく。
どうしたの、と言葉が返ってくる。
それは、さっきと同じことの繰り返しで。
そうして私は少し考える。
あなたに伝えなければいけない想いがあるような気がして。
だけど言葉にしようとすれば、そのどれもが違うような気がして。
だから私は、結局今日も、「好き」とただ一言だけを口にする。
そうしながら考える。
今、私の考えていることはあなたに伝わっているのだろうか。
伝えなければ伝わらない言葉があるとするなら、伝えなくても伝わる気持ちがあってもいいじゃないかと思う。けれどそんな私の思いとは裏腹に、言葉にしなければ大体のことは伝わらない、と誰かが言う。
それは私にとっては残酷で、それでも確かな事実としてそこにあって。
けれど、電話の向こうであなたは、嬉しそうに「ありがとう」とそう口にして。
言葉にすれば、たったそれだけの短いやり取り。だけどその間できっと伝わったものもあるはずだ、と私は思う。
「好き」の裏にある複雑な思いを、「ありがとう」の一言で受け入れてもらえたのだ、と。
それは間違いなく臆病な私の甘えなのだけれど、同時にそれは、もたれかかるような私の甘えを、あなたが許してくれているからで。
そんな裏返しの事実が、私にはとても嬉しいことで。
だからきっと、明日も私は、あなたに「好き」と伝えるのだろう、と、
そんなことをふと、思った。
/
『伝えなければ伝わらない言葉があるとするなら、伝えなくても伝わる気持ちがあってもいいじゃないかと思う。それは間違いなく私が甘えている証拠なのだけれど、同時にそれを許してくれる人が傍にいるという証拠でもある。それが嬉しくて、私は精一杯の勇気を込めて、今日もただ「好き」の一言を綴る。』
140字コトノハ 九十九 那月 @997
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。140字コトノハの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます