花の枝をくぐる

「いたっ」


 わたしがそう声を上げると、佳代は一瞬ぽかんとした顔をして、それから状況を理解したのか、堰を切ったようにして笑いだす。

 その様子が、わたしにはどうも面白くない。


「ちょっと佳代、そんなに笑わなくてもいいじゃん」

「いや、だって、歩きながら木に頭ぶつけるって、そんな古典的な」


 わたしの抗議もどこ吹く風、と言った様子で、佳代はあはは、という笑い声を止めない。わたしはますます面白くなくなって、佳代から顔をそむけてしまう。


「ごめんごめん、怒らないでって」


 すると佳代は、ちょっと焦ったように謝ってくる。

 もう、と口に出しつつ、また佳代の方を見ると、佳代はまだ笑顔のまま、目元に浮かんだ涙を拭っているところだった。

 そんな、涙が出るほど面白かったのか、と、また文句を言いたくなるけれど、いちいちヘソを曲げてばかりもいられない。せめての抵抗、と、わたしは目の前に再び現れた木の枝を、おおげさにかがんで避ける。


 それから。


「……ねぇ、佳代」


 抑えていた言葉が出てこようとする、その感じに耐えかねて、わたしはつい口を開く。佳代は、どうしたの、と問うように首を傾げる。


「佳代は、不安じゃないの?」


 すると佳代は、


「うん、ぜんっぜん」


 と、ごくごく当たり前のことのようにしてそう言った。


「だって、ちゃんと勉強してきたもん。試験だって、ある程度予想通りの問題だったし。千紗だってそうだったでしょ?」


 一緒に勉強したんだから、と言う意図を、言外に滲ませる佳代。

 それに、そうだね、と言葉を返しながらも、素直に頷くことができなくて、わたしは俯いてしまう。


 わたしだって、そんなに心配することはない、ってわかっている。

 解けなかった問題がない、とは言えないけれど、それでも大体は自信をもって答えられた。最後の模試だってA判定だった。だから多分受かっていると、それは自分でも思っているのだ。


 だけど、やっぱり不安で仕方がない。自信満々で書いた答えが間違っている、なんてことは受験勉強をする中で何度もあって、だから今だって、SNSを開いて、受けた大学の名前を検索欄に打ち込んで、他の人たちの反応に一喜一憂せざるを得ない。というか、そうでもなければ、枝に頭をぶつける、なんて間抜けなことはしない。


「あーあ、わたしも佳代みたいに能天気だったらよかったのにな」

「あ、千紗、ちょっとそれどういう意味?」


 ぼつりと呟くと、佳代は腹を立てた様子でわたしに抗議してくる。「何よ」とわたしは、その佳代の顔を見つめ返す。

 そして、ふと、二人して笑う。


「ねぇ、佳代」

「なぁに」


 今度は少し間延びした声を返す佳代。

 少し迷って、それから。


「……一緒に、同じ大学、いけるといいね」


 ぽつりと、そう口にした。


 佳代が、珍しいものでも見るように、わたしの顔を覗き込む。それから。


「あたっ」


 短く悲鳴を上げる。注意がそれた拍子に、低く垂れている木の枝に頭をぶつけたのだ。

 おでこを押さえる佳代の様子に、わたしはさっきの仕返しとばかりに、思いっきり笑ってやる。「笑うなー!」と佳代が抗議して、そしてまた、わたしたちは笑い合う。

 その瞬間に、少しだけ不安がなくなったような気がして。


 こんな日々がずっと続けばいいな、なんて、わたしはふと思う。

 思えばわたしの不安は、ずっとそんな思いと共にある。


 この先もずっと、佳代と一緒にいたくて。

 だからわたしは、どちらかだけがいない未来を、ひどく恐れてしまう。


 ちょっとだけ立ち止まって、すぐそばまで垂れてきている枝に、折らないように気をつけながら、そっと触れる。

 その先に、今はまだ小さいままの蕾が、けれど確かについているのが見えて。


 わたしの中に、そこではじめて、不安とは別の、ちょっとした希望が顔を出す。


「ねぇ佳代――」


 その希望を口にしかけて、止める。

 振り返って、佳代の目を見つめる。少しだけ先に進んだところで、名前を呼ばれた佳代が、不思議そうな顔をしている。


「……なんでもない」


 わたしがそう言うと、佳代は「なんだよー」と不満げに頬を膨らませる。そのまま、後ろ向きに歩き出して、そしてまた枝に頭をぶつけて、「いったー……」と声を上げる。

 その様子にまた笑って。それからわたしは、歩いてきた道の方を振り向く。

 そこには、今はまだ裸のままの、だけど確かに小さな蕾が宿っている枝が、幾重にも連なっている。


 いつ、咲くんだろう。わたしはそんなことを考える。

 それから、入学式の時に、まだ残っていればいいな、と思う。


 いつかの未来。

 受験の帰りに通った道を、今度は行く道として歩けるようになる日が、来るのかもしれない。


「千紗ー? 置いてくよー?」

「あ、ごめん、今行くから」


 佳代にそう答えながら、その不安一つない表情を見て。そして、かもしれない、が、きっと来る、に変わるのを感じる。

 きっと、大丈夫だ、佳代と一緒なら。


 一月と少し先。

 この道を逆に辿りながら、満開に開いた花がついた枝の下を、佳代と二人で、笑いながらくぐって歩いていく。

 そんな風景をなぞっていくことが、今の私には楽しみでならなかった。



                  /


『木の枝に頭をぶつけたわたしを見て、あなたは愉快そうに笑う。なんの不安もなさそうなその表情に少しだけ腹をたてながら、今度はちゃんと枝の下をくぐる。こんな時間がこれからも続けばいいな、と思いながら、今度は反対側から、あなたと花の枝の下を通っていくことができればいいな、と思う。』


 

 

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