エピソード0 金冠のレグルス
『基地損壊率四〇%。セクション八十四からセクション――まで――、』
鳴り響く警報が、深くに隠された特殊研究セクションにまで響いてくる。ノイズ混じりの女性の声。基地の自壊音が、混迷する戦闘の音が、あらゆる波長を乱しているのだ。
室内は薄暗く、とっくの昔に非常電源へと切り替わっていた。光っているのは、知性を持たない機械群の一部分だけだ。赤や黄色、そして緑。
『重力制御装置機能不全エリア――、』
火星の周回軌道上を一周するようにして展開する、戦略級環状要塞アルテミス。
人類史上最大の軍事基地。今のところ。ある人間の男、若き総司令ヒューバートが、その凄さを自慢気に話していたのを覚えている。そして彼の貴重な表情を引き出すアルテミスに、少し嫉妬した事も。今や敵の猛攻撃を受けて、穴だらけになっている。相討ち覚悟、というやつだったらしい。どうやらそれは、おおむね成功で、敵性生物の主力の気配は消えている。
アルテミスは死んでしまうのか。いや、それはあり得ない。一部の機械達には、自己修復機能が備わっている。竜と似たような仕組みだと、博士が言っていた。アルテミスは体が大きいので、治るまで時間がかかるだろう。完全に元通りとはいかないだろうが、穴が塞がれば大丈夫だ。
死んでしまうのは、いつだってか弱い人間達だ。
気分が重い。アルテミスは自分の中に住む知性体を、種別問わず大切な子どものように思っていた。知性体として未成熟な竜さえも。胸を痛めている竜は、特別な彼女のみだった。
竜には個としての人格がない。計算すれども自我は持たない、戦術級生体兵器。人間が肉体の延長線上に纏う、生物でもあり機械でもある巨大な鎧。それが竜。
巨大調整槽内に浮かぶ少女は、竜の人型端末だ。後方には彼女の本体である、漆黒の竜レグルスが拘束されている。つまり少女の名はレグルスだ。ゆえに彼女は、美しい少女の姿をしているだけの少女ではないもの、と言うのが正しい。世界でただ一体の、確立した人格を持つ、一般的な竜とは違う竜。レグルスは顔に絡む長い髪を、ゆっくりと、振りほどく。黄金色をした、緩やかな巻き毛。妖しく光る、人ならざる黄金の瞳。可憐な顔によく似合う、小振りの黒い角。同色の尾。
多くの配線で繋がれた、一糸纏わぬ姿。だが問題はない。竜は兵器ゆえに無性別で、生殖・繁殖に必要な機能の一切がない。臍はなく、瞬きすらもしない。代謝の仕組みも、一般的な有機生物とは違う。
『――セクションをパージまで二百四〇秒。該当区域のクルーは、マニュアルに従い速やかに避難してください――、』
アルテミスは人工的知性の続く限り、人を救う選択をし続けている。刻々と変わる状況の説明を、避難経路の誘導を、人間が最後の一人となるまでやめない。アルテミスはそういう風に、人間によって作られた。竜とは違う。竜は人間を乗せて戦うもので、基地は乗せた人間を守るものだ。そういう意味では、レグルスは竜としての本懐を果たせていない。ただの一度も、出撃をさせてもらえなかった。シミュレーションには飽き飽きしていた。
考えている間にも、事態は悪化している。敵性生物の大本命は食い止めたものの、残された小さな者達がまだ活動中だ。基地の中に侵入するものや、地上を目指すものまでいる。アルテミスの装備に守られてばかりだった地上の人間達が、どこまで踏ん張れるか分からない。レグルスは少女型端末機の口から、小さな泡を出した。溜め息の代わりだ。
敵性生物、通称『魔物』。正式名称をレグルスは忘れてしまった。いかんせん長すぎたので。異界粒子を引き出してエネルギー変換する技術、通称『魔法』に対して名づけられた。人間を見つけては食ってしまう特性を持ち、決して例外はない。そもそも、何のために人間を食うのかもよく分かっていない。魔法の使用痕跡に寄って来たとする説があるが、それが本当なら衝突は致し方ないと言える。魔法なくして、人類の発展と生息圏拡大はなかったのだから。
『魔物』は、過酷な宇宙空間においても活発に活動し、自らの形を可変する不気味な生命体だ。意思の疎通が不可能で、そのくせ模倣は上手い。魔素を核で元素へ変換し、意のままに操る。神出鬼没の、不吉な肉塊達。対抗するには、彼らを利用するしかなかった。竜が人間と魔物を掛け合わせた存在だなど、あまり考えたくない。恐ろしさに震えた夜を、レグルスは思い出す。身体に満ちるナノマシンの制御がなければ、あのようになってしまうのかと。
『アテナ2との通信、断絶』
たくさんいた研究員達は、博士を残して散りぢりになってしまった。その博士も、腹部銃創が影響し、やれる事をやっている内に力尽きた。調整槽のコンソールの上へ、覆い被さるようにして。レグルスの処遇を巡って仲間達と揉めた末、致命傷を負わされたのだ。生命の尊厳がどうとか、人類の定義がどうとか、なんとか計画がどうとかいう話をしていた。
レグルスには、話の内容が難しくて理解できなかった。なんとなく、どちらの主張も正しいと思えた。だから博士と博士の味方をした部下達、博士に賛同できない部下達、どちらの味方にもなれなかった。彼らの仲を下手に知っていた分、争いの中で関係が終わってしまったのを哀れに思うばかりだった。
レグルスが感情を手に入れたのは博士達のおかげだったし、心がより豊かになるたび皆に喜ばれた。だが、彼女にはどうも分からなくなってきた。個としての高度な自律性を獲得する事は、必ずしもいい面ばかりではない。人間的な感情までも得てしまう。今レグルスは、何にも動じなかった頃に戻りたいとさえ思って。すぐに思い直した。捨ててしまうにはあまりに惜しい。今さら捨てられない。
博士は後頭部を向けたまま、沈黙している。これが生物の死だ。情報でしか知らなくても、レグルスには分かる。再び動き出す事はない。
知らない何かを教えてくれる事も、小言を言われる事も、笑顔を向けられる事も。
『アテナ3との通信断絶――、』
耳元で、こんこんと唸る機械音。時々微かな揺れと、遠くの轟音。巨大調整槽の中で、レグルスは考える。さっき逃げた研究員達は、どこまで逃げるつもりだろうか。基地の装備で逃げられる場所と言ったら、地上都市アテナ1から3のどれか。地上都市の人間達は、戦闘能力がない者がほとんどだ。生物としてあまりに弱い人間が、生き残れるか分からない。地上都市は、今頃酷い有り様になっているかもしれない。
ここに誰か来るだろうか。自分は、どうしたらいいだろうか。
「レグルス」
静かで、絞り出されるような声。いつの間にか一人の男が、秘密の研究室へ駆け込んで来ていた。基地の皆から総司令と呼ばれている男だ。髪は乱れ、息は切れて、足取りは危うい。目が会うなり、彼は少し眉尻を下げた。レグルスは黙って、寂しそうな顔を見つめる。
「ヒュー君」
数秒の後レグルスは、人間の言語に合わせた波長を送った。特殊な強化アクリル板越しに。竜は肺が必要ないので、呼吸するために口を使わない。液体の中でも、気にせず音を伝えられる。
「ヒュー君はやめろ」
総司令、は彼の役職名だ。竜の感覚では、部品名と同じようなものだった。アルテミス要塞という大きな体を、滞りなく動かすための。
「逃げないの?」
「私は司令だぞ。最後まで基地と一緒にいるのが仕事だ。それに、可愛いお嬢様が心配でね」
空元気を出して冗談を言う、人間の男。個体名ヒューバート。研究室外の人名など覚えきれないが、これはよく覚えている。レグルスという個体名を、彼がつけてくれたからだ。暇がある時はいつも、人間の話を聞かせてくれるからだ。時々こっそり、小さな菓子や玩具をくれるからだ。
いつも身につけていた軍帽や外套はなく、軍服の損傷が目立つ。彼は赤く染まった右腕を、左手できつく掴んでいる。布で縛って軽く処置してあるが、やはり痛みはあるのだろう。指先から血が垂れるのを、黄金の瞳がとらえた。きっと、他にも怪我をしている。ヒューバートは調整槽前へと歩く途中で、動かない博士達を見つけた。現場の状態から理由に感づいた彼は、微かな声で二度ほど呻いた。ヒューバートは軍人ゆえに、それ以上取り乱す事はなかった。少なくとも、表面上は。すぐにそばの膝掛けを拾って、博士の背中にだけでもかけてやる。
竜は自動人形ではない。感覚機能で遠くの敵や音を捕捉できても、人体内部が損傷しているかどうかの確認はできない。心の傷は余計にだ。もどかしさを覚えたレグルスは、黄金の目を伏せた。同色の睫が、淡い影を落とす。
「契約する気になった?」
彼と会うたびに、毎回言っていた言葉だ。毎回自分の仕事ではないと断られるのだが。
「それは……私の」
「仕事じゃない。でも、かなりあるんでしょう? 並みの契約者よりずっと」
「何が」
「契約者適正」
「調べたのか」
ヒューバートは左腕を持ち上げ、やれやれと指先を額に当てる。
「最後までつれない事。ヒュー君と宙を駆けてみたかったのに。ヒュー君と一緒に、敵性生物ってやつをボコボコにしてみたかったのに」
レグルスはこれ見よがしに拗ねた顔をして、人型端末の身体を反らした。竜の調整槽は大きい。地球にあるという、水族館の水槽ほど大きい。もっとも竜は水族館を映像でしか見た事がないが、中の生物達に親近感を感じていた。液体の中で拘束されている竜と、側を浮遊している金髪金眼の美しい少女。配線で繋がれているので、自由気ままには動けない。思い切りぐるぐる泳ぎ回れる魚の方がましだ。
勢いよく姿勢を戻して、強化アクリル板に顔を寄せると、長い髪がふわりと躍る。いつの間にか、警報は聞こえなくなっていた。アルテミスのよく通る声も。代わりにヒューバートの顔が近くなっている。
「勝ったんじゃないの?」
「勝ったけど、これは負けたな」
「矛盾。言っている意味が分からない」
「後先考えず全てを結集して……何とか一回、司令塔を追い返せただけって事だよ」
「近くへ行っても?」
ヒューバートは黙っていた。だが間近にある瞳が、分かりやすく思考を語る。この点だけでも、彼は自分に心を許しているのだとレグルスは分かる。なのに、なぜ契約をしてくれないのか。
人生の最後に、レグルスに捕食されるのが嫌なのだろうか。レグルスの見た目が幼いから、ひとつになるのは気が進まないのだろうか。他の人型端末が十五歳くらいなのに比べ、さらに数歳幼いと言われている。レグルスは一向に構わないのだが。自分が気に入っている人間だから、腹に入れたいと考えるのは当然の摂理だ。これが竜の習性だ。
「最終調整は博士がやってくれたよ」
レグルスは一切の、余計な事を言わないでおいた。ただ、ヒューバートの俯き顔を眺める。彼は博士に気を遣いながら、コンソールを操作し始めていた。レグルスを拘束しているコードの全てを外すためにだ。作業は数秒で済んだ。難しい部分や権限が必要な部分は、博士がほとんどやっておいてくれていた。
操作が終わるとヒューバートは、近くにあった椅子を引き寄せて、雑に腰を下ろした。それから手足を放り出して、疲れた顔で動かなくなる。レグルスは上へ向かって泳ぎ、液体から顔を出す。
空気の匂いは久しぶりだ。体が重く感じるのは、長い髪が大量の水分を含んでいるせいだろう。レグルスは階段を下りる前に、濡れた髪を絞る。ついでに体の最低限のカ所を、竜外殻で隠しておく。外に出る時は隠した方がいい部分があると、何人もの人間に注意された。理由はよく分からない。よく分からないがいつも通りそうして、レグルスは階段を降り始める。
「あなたの考えを当ててあげるね。……カニスマヨル達は諦めてない。最後まで戦うつもりなんだ」
「カニスマヨルと言うか、ハバラキ大尉達だな。それは」
「そろそろ軍紀とか守ってる場合じゃないぞ、加勢しに行こう。そう思って、あなたはここに来た。でも、レグルスの顔を見た瞬間、弱気になってしまった。やっぱりやめたいかも」
「よくそこまで……ああ、思念派受容体か。感情の単純な方向性しか分からないはずだが」
レグルスは一段一段降りるのが面倒になり、思いきって彼の目の前へ飛び降りる。人間がやると危険な動作も、竜なら平気なのだ。
「推理は簡単だよ。付き合い長いもの」
「やはり君は、複雑な感情を持ちすぎた」
「平気。万が一怖くなったら、歌でも歌って気を紛らわすから」
「無理だよ」
「何がしたいの? 大丈夫。わたしには分かってる。無理だと思ってるのはわたしじゃなくて、あなた」
そう言いながらレグルスは、ヒューバートへ小さな身体を預ける。彼は拒否しなかった。しかし微かに震えているのが、服の上からでも分かる。生物としての危機感、というやつだ。人型端末だけでも人間以上の戦闘力を持つ。もちろんレグルスは、彼を殺したい訳ではない。これからレグルスが何をするのか、ヒューバートは理解している。今までの自分ではないものに変わる恐怖、死ぬかもしれないほどの肉体的な負担。人間にとって、どちらも大きい。分かった上で、受け入れようとしている。
「怖がらないで」
レグルスは慎重に、腕の傷口へと爪を立てる。ヒューバートが短く、押し殺した悲鳴を上げた。
「痛い?」
「やるなら一息にやってくれ。注射は苦手なんだ」
ヒューバートは強がって笑うが、ひきつった顔になっている。それもそのはず、今からやるのは平凡な注射ではない。ナノマシンが含まれる竜の血液を、人体に送り込む作業だ。本来ならば全身に麻酔をして、医師監督の元で行わなければならない。覚醒状態の人体に直接送り込むなど、前代未聞のはずだ。しかし医者はいない。博士も助手も死んだ。敵は迫っている。やるしかない。
レグルスは加減をしながら、強く人間を抱き締める。このか弱い生物が、自分のせいで消えてしまわない事を祈った。人間は空いている方の腕を、小さな竜の体に回した。ここでは絶対に死なないと、お前を一人にしないと、誓うように。
「我は竜、小さな冠を戴く者。お前に剣を授ける者……。名をレグルス。お願いヒューバート。このレグルスの血に、耐えて」
総司令、と呼ぶ声で、レグルスは目を開ける。いつの間にか、司令室の椅子で物思いに耽ってしまったらしい。抱き締めていた大きな縫いぐるみから顔を上げると、目の前にはデネブの顔があった。
どうやら呆れている。地上任務を与えていた紫電竜が、帰投報告に来たのだ。デネブは帰ってすぐに、総司令室へと向かった。再起動モードでもないのに、何回呼んでも起きないので困っていた。そんなところだろう。レグルスは不思議な形状の縫いぐるみを、丁寧に机の上に座らせた。
これをくれた親友は、確か『クマちゃん』と言っていたが、レグルスはクマを図鑑でしか見た事がない。もっとも、本物のクマなんて誰も知らなかった。本当は恐ろしい生物らしいのだが、大きいしふかふかなので気に入っている。恐ろしいと言っても、竜よりは弱いはずだ。多分。
それはともかく。
「ごめん寝てた」
「次に呼んでも動かなかったら、いったん帰ろうかなと思ってましたよ」
デネブは机の上に、小さな容器を置いた。彼女の報告通りなら、現在の人間が作った装置だ。中に赤い欠片が浮いている。レグルスは容器を落とさないよう、両手で慎重に持ち上げた。
「これ、カー君? またまた、ずいぶん変わり果てたねえ」
カニスマヨルは、ここへ顔を出す度に変わっていった。姿形も、背丈も、外見年齢も。彼がそうありたいと望んだのか、何かを為そうとしていたら自然とそうなったのかは分からない。
レグルスは、彼のする話が好きだった。地上の人間達の話、自動人形の話、再形成されている文化や慣習の話、歪ながらも再発展しつつある技術の話。お土産を持ってきてくれた事もあった。お洒落な形の酒瓶、かわいいクマのぬいぐるみ。誰かが描いた、想像上の楽園の絵。何だか分からない植物の種。レグルスは、その全てを司令室に飾っていた。
「大変だったね……」
答えはないと分かっていたが、レグルスは欠片に話しかける。カニスマヨルは結局、身も心もボロボロになってしまい、次第に基地に寄りつかなくなった。迷惑がかかると思ったのだろうか。原因は不明で、治療法が特になく、発作で暴れる事もしばしばあったのだから。最後には、核のひと欠片しか戻って来なかった。眠りにつく直前まで、とても苦しかっただろう。当事者でないレグルスも想像ができる。
「でも、何か楽しそうでもあったよね」
「楽しそう、ですか……」
デネブは複雑な表情を浮かべる。彼女もずいぶんと、感情豊かになった。今こうして、彼女自身の姿まで手に入れている。レグルスが笑みを深めると、ますます困惑した顔になった。
「よし。フォーマルハウト」
レグルスは小さな指を弾くと、部下の名を呼んだ。最近これにハマっているのだ。
「お呼びですか?」
中性的な声と共に現れたのは、中性的な体を持つ長身の人間。の姿をした、竜の人型端末だ。金の瞳に真っ直ぐな銀の長髪、青銀色の角と尾。清潔な白衣を羽織っており、体の周囲には沢山の小さな星が浮いている。名はフォーマルハウトだ。
自動ドアに反応はなく、ノックもブザーもなかった。満足げに目を閉じていたレグルスだったが、気がつくなりたちまち眉を寄せた。
「やだなあ、もう。ちゃんとドアから入って来てよ」
「上司が指パッチンするならば、部下は眼前にワープして来るべき、ではなかろうか」
フォーマルハウトは、自分にぶつかりそうになる星を軽く手で払いながら言う。小さな星々は竜体にも付属している装備で、自分ではどうしようもないらしい。いざと言う時役に立つので、彼にとっては完全に邪魔なものではない。
「そ……そうかも。人類のロマンってやつだ、それ」
レグルスはたちまち納得した。大昔に見た冒険映画を思い出したのだ。しかしデネブは、別のところに納得していないらしい。短い溜め息をつき、不満げに片手を腰へと当てる。
「何度も言いますけど、我々は竜ですよ。人間のように振る舞う事に何の意味が?」
どこから説明したものか。長い話になるし、ある程度デネブが納得できるようにする必要もある。レグルスは言葉に迷った。先に返事をしたのは、フォーマルハウトだ。
「面白いぞ。人間のやる、研究というやつは」
「無様ですね、フォーマルハウト。下等生物の真似をして喜んでいるとは」
「僕は真の知性に溢れる真竜故に、思考回路単細胞生物の的外れな挑発には乗らない」
「よし。表に行きましょうか。その変な星さえなかったら、あなたなんてボコボコですよ。ボッコボコ」
「僕の星はなくならないが?」
「はいはい、喧嘩しないでね」
微笑みながら手を打つレグルスだった。血の気が多い竜ばかりで困る。総司令の顔を見た二人は、それ以上喧嘩を続けられなくなる。なにせ目が笑っていない。フォーマルハウトはひとつ咳払いをして、仕切り直しを試みた。
「して、デネブよ。指定のものは手に入ったか?」
「例の研究資料、ですよね。もちろんです」
デネブはチップを、片手で投げて寄越す。フォーマルハウトは難なく片手で受け取った。丁寧に扱え、と小言を忘れない。デネブは全く気にするそぶりを見せなかった。レグルスが思うに、資料の重要さを全然分かっていない。運んでいる途中でうっかり壊されなくて、本当によかった。
「しかし、拍子抜けです。プロメテスが本当に、見てみぬふりをしてくれるとは。もう少し気合い入れて、私を追いかけてくれてもよかったんですけど。一体どんな取引をしたんです?」
デネブらしい言い草に、レグルスは苦笑した。
「もう少し大人になったら、教えてあげるね。ごめんね」
「そうだぞデネブ。子どもはもう寝ろ」
「私はもう子どもじゃありません! 用が終わったので帰ります!」
デネブは声を荒らげると、姿を消してしまう。いつも通りの展開だった。真竜になりたてなのを弄られて、拗ねているだけだ。定番の行動として、後でアルテミスのところへ愚痴りに行く、もある。とはいえ、意地悪でやっているのではない。実際デネブは未熟なところがあるため、重要な話の仲間に入れてやる事ができない。彼女には悪いが、もう少し世界を見る時間が必要だ。
彼女は嫌がるかもしれないが、真竜でも人間と契約する意義はあるだろう。レグルスはそう考えている。
フォーマルハウトは両手を伸ばし、欠片の入った装置を持ち上げた。知的好奇心に溢れた黄金の瞳は、赤い欠片を見つめている。カニスマヨルの核は、ただ静かに浮いているのみだ。
「僕も地上へ行ってみたくなった」
「やっぱり、ミラが気になる?」
「カニスマヨルから分かたれた核と、カノープスの肉を持つ竜だ。しかも人型端末を二体持っている。研究者として、気にならない方がおかしい」
「今はもう少し、そっとしておいてあげようよ」
「……ああ」
一拍置いてカノープスは同意した。装置を持って、 真っ直ぐに自動ドアへ向かう。
「予定通り、復元に取りかかろう。何年かかるか分からないがな」
去り際に振り返り、フォーマルハウトは口角を持ち上げた。レグルスが頷いた後、ゆるやかに扉は閉まる。そうして総司令室には、再び静寂が訪れた。
レグルスは一人残された。次の仕事をする前に、少し休憩しようと思い立つ。
給湯器の前へ立つと、マグカップに適量の粉コーヒーを溶く。油脂からなる粉ミルクと、粉の人工甘味料もたっぷり入れる。レグルスは総司令なので、このような贅沢がいつだってできる。この程度の事が、贅沢になってしまった。人間がたくさんいた頃は、手頃すぎるほど手頃な嗜好品だったのだが。
静かに滅びゆく文明を予感しながら、帰投した僅かな者達と、ここでコーヒーを飲んだ。最後の写真がここにある。人間達が老いすぎる前にと、人間達からの提案で撮ったものだ。人間達と、自動人形、竜の人型端末、皆で写った写真。物理的に色褪せるたびに印刷し直しているので、色合いははっきりしている。写真立ての角度を、レグルスは調整する。そして数秒間、知性体達の顔を見つめた。
レグルスは気を取り直して、大きな椅子に戻った。椅子ごと身体を回転させ、背後の壁に対峙する。司令室には特性上、多種多様なモニターが配備されていた。大地の様子を見られるものの内、特に大きな数枚を起動する。
分厚い雲に覆われた火星表面が、迫力をもってレグルスの前に映し出された。影が落ちている部分は深い灰色、影の外は明るい灰色。雲の中でキラキラと光る魔素粒子が印象的だ。とある一隻の飛空艦が、悠然と雲海を進んで行く。それを金の瞳に映しながら、レグルスは甘いコーヒーを啜る。ヒューバート達と共に守った大地は、今日も変わらず美しい。
竜星のミラ 政木朝義 @masa-asa
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