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怪我をしているとか、機能的に不便な部分がある訳ではない。ただ、左目だけが金色に変わっていた。竜にしか有り得ない色だ。素性を知らない人間が見たら、怖がらせてしまうだろう。
「眼帯でもつけた方がいいかな」
「結構冷静なんですね」
側に控えていた研究員が呟く。セドリックに注意していたのと同じ人物だ。
先ほどまで、ハロルドの入っていた古代機械を操作していた。
「ハロルドも図太くなってきたな。いや、もちろん、いい意味で……」
セドリックは後半言葉を濁す。確かに色々あったので、生半可な事では驚かなくなってきたところはある。ジーナに手鏡を返しながら、ハロルドは苦笑いをした。部屋の端で甲高い機械音が響いたのは、その時だ。
「お手柄でしたね、人間達よ」
自動扉から現れたのは、やたらと偉そうな態度の女だった。紫色の竜を着て同色の角と尾が生えた、竜の人型端末だ。薄紫色の髪を揺らし、堂々と足音を響かせ、真っ直ぐにこちらへ歩いて来た。どよめき出す研究員達を物ともせず。進行の邪魔になる者は、黄金の瞳で一瞥して下がらせる。
真竜デネブ。今回一時的に手を組んだだけの、竜帯からの使者だ。しかし彼女は、空中要塞プロメテスで厳重に監視されていたはずだった。どうやってここまで来たか知らないが、十中八九正規の方法ではない。ハロルドとミラは、警戒を露にして身構えた。誰も歓迎していなかろうが、彼女は意に介さない。ハロルドの顔を見て、口端を持ち上げる。
「特にあなた。ミラの体を奪おうとする不届き半人間野郎かと思っていましたが、なかなか根性あるじゃないですか。特別に誉めてあげます」
「はあ」
何の用かと思えば、圧倒的に上から労われた。肩透かしを食らってしまう。だが、平和な空気は長く続かなかった。真紅の欠片を渡すよう言ってくるので、抜けた気が再び締まる。やはり、こちらが真の狙いだ。
「安心してください。悪用するつもりはありませんよ。今はまだ技術が追いついてませんが、いつかの未来、どうにか修復できる日が来るかも。竜帯の研究所でなら可能です」
ハロルドはセドリックの顔を見る。彼はやれやれ、と言った風に首を横に振った。次にミラへ視線を向けると、静かに目配せをするのだった。恐らくデネブは、断られても素直に引き下がらない。アステラス号と艦員を盾にして、要求を遠そうとしているのだ。言うまでもなく、竜は強大な力を持っている。デネブが暴れて困るのは、アストラノーツ社側だけだ。ここは船内であり、多くの人間と自動人形が仕事をしている。
逡巡の後、ハロルドは観念した。あくまで今のところは、だが。それに、竜帯の方が技術力が上なのは本当だろう。ハロルドは大人しく、己の側にある物々しい小箱を差し出す。デネブは中にある真紅の欠片を確認し、満足げに喉を鳴らした。機嫌をよくした彼女は、人型端末の姿を消してどこかへと去る。危ないところだった。
胸を撫で下ろしたハロルド達だったが、やはりそう簡単に平和は続かない。一難去って、また一難。にわかに廊下が騒々しくなる。何かがこちらへ近づいて来るのだ。音からして全力で、おまけに異様な雄叫びまで上げて。入れ違いで現れたのは、カセイノアリッツだった。人間が部屋に入って来たというより、追尾ミサイルが着弾したような迫力だ。板状端末や荷物を小脇に抱えたまま、ずれた眼鏡を直す暇もなく、周囲の人間に叫び散らす。
「ちょっとちょっと、デネブちゃん来た?」
「もう去りましたが」
研究員の一人が言う。
「あいつ研究資料盗みやがったのよー!」
「何ですって?」
「カセイ、気持ちは分かるが、もうちょっと静かにしろ。怪我人がいるんだぞ」
「確認して確認。時既に遅し綺麗さっぱりすっからかんだから!」
落ち着かせようとしたセドリックの言葉は、まるで届いていない。カセイノアリッツは片手を忙しなく動かし、白衣のポケットから小型通信機械を取り出す。
「そうだ、バックアップ! プロメテスの特兵研!」
プロメテスの研究者からの通信では、カニスマヨル関連の資料が根こそぎなくなっていた、らしい。らしいと言うのも、カセイノアリッツの言動から予測するしかないからだ。荷物を放り出してハロルドに板状端末を押しつけた後、無言で頭を抱え、天を仰いだ。ハロルドはもちろんその場の誰も、かける言葉が見つからない。石のように動かないカセイノアリッツ。
かと思えば。
「私達の十数年がー! 人類の希望がー! 社長の覚悟がー!」
突然大騒ぎを再開し、猛烈な勢いで部屋を飛び出して行くのだった。遠くで論文書かせろー、などと聞こえたのを最後に、ようやく静かになる。
ハロルドは放心しながらも、押しつけられた板状端末に視線を落とす。これは古代の遺物であり、画像や映像をやり取りできる優れ物だ。何がなにやら分からないが、彼女がこれを渡してきた意味はすぐ知る事となった。既にどこかと繋がっているらしい。屋内のように見える。人混みと喧騒の中、よく知る人物の顔が驚いた顔をする。
「お前、ハロルドか!」
あちら側の板状端末を持っているのは、アミスだった。アミスの声を聞きつけ、仲間達が集まって来る。手前には顔見知りばかりだが、奥の殆どは知らない顔だ。アストラノーツ号の乗組員か、空中要塞プロメテスの関係者だろうか。料理長のサンデルや、A-1とA-2、スピカの契約者エリオットもいた。皆揃って小綺麗な格好をしている。
アミス、ライノ、レイチ、スーニヤ、エリテンシア。華やかで、希望があり、眩しい光に包まれた世界。
「みんな、どうしたんだよ。かしこまった格好して」
ハロルドは仲間達に向かって、ぎこちない笑顔を見せる。皆がいる。あの戦いを生き残って、今もこうして生きている。ハロルドの側にも、セドリックやジーナ、カセイノアリッツ達がいる。だが、ダルクロッサだけがいない。竜の仮面を被り、黒い高級スーツを着た紳士が。胡散臭くて心優しく、強く気高い赤銅色の竜が。いざいなくなってしまうと、心の空虚な部分を自覚する。寂しい気持ちをすぐには拭えなかったし、当分それでいいと考えていた。今はまだ、見ない振りをしないでおきたい。
しばしの沈黙の後、口を開いたのはライノだった。ダルクロッサの執事兼秘書を勤めていた、あの人物だ。
「ハロルドさん、落ち着いて聞いてください。今、我々がいるのは、戦勝祝賀会の前日祭会場……と言ったところでしょうか」
「何言ってるんですか。だって、カニスマヨルは、」
「分かっています。ですが、物事の真実を理解できるのは、直接関わりを持っていたほんの一握りの人間だけなのです。現に世間は湧いています。恐ろしい邪竜から空中要塞プロメテスを守り抜いた、と」
「突然そんな事言われても」
「特にあなたはカニスマヨル戦の切り札だったという事で、英雄扱いされていますよ」
ハロルドは困惑した。確かにカニスマヨルの所業は、世間的に許される事ではない。罪もない人々を食い荒らし、聖国の一部を破壊したのは大罪だと、ハロルドとて理解している。
だがカニスマヨルは、相反する自分自身に長年苦しんでもいた。自らを殺してでも決着をつけようと奮闘していた。彼の苦悶と尽力を知っていて、どうして単なる邪竜と呼べるだろうか。ハロルドは、アミスの顔を見る。金髪碧眼の整った顔が、晴れない気持ちを抱えているのは自分達も同じなのだと訴えてくる。
「下手な冒険物語よりベタな話だろう。誰も信じないだろうが、だからと言って公にできる話じゃない。事実をそのまま公表したら、確実に世界が混乱する」
アミスは声を抑えて言った。それきり言葉に迷ってしまった彼の代わりに、ライノが続ける。
「プロメテス公爵も、胸を痛めておられます。こうするしかなかったのです。複雑でしょうが、今は巷と話を合わせてください。社長の愛した世界のためです」
「……分かりました。ライノさんがそう言うなら」
ハロルドは全ての言葉を呑み込んで、その言葉だけを絞り出した。横から画面を覗き込んでいたミラが、ダルクロッサの結婚指輪のついたネックレスをかけてくれる。そして、タオル越しに肩を抱いた。
確かにそうだ。言える訳がない。この世界に自我を持った竜が出現していて、正体を隠し人間に紛れて暮らしていた、などと。その竜が一連の事件を引き起こしたと知れれば、どんな噂や憶測が出現するか分からない。真実を知っている者は、胸に秘めておくしかないのだ。
「あーあ。おじさんも、世間のお気楽お祭りムードに便乗して、嫁さんと仲直りしちゃおっかなー」
重苦しい空気に耐えかねたか、レイチがおどけた語調で喋り出す。何故自ら矛先が向くような言動をするのか、ハロルドにはよく分からなかった。この一瞬後、場の空気が少し緩んだのは確かだったが。器用なのか不器用なのか分からない。
「まだ行ってなかったのか。全くしょうがないおっさんだな! 早く行け。さっさと行け。解決するまで戻って来るな」
案の定、アミスがレイチを追い払う動作をした。
「そうよそうよ! ちゃんと謝りなさいよ!」
「報道陣は我々が引き受けておきますから。頑張って!」
第一騎竜小隊の仲間達に容赦なく押し出され、レイチはあれよと言う間に画面から消えて行った。そんなー、という声が人混みの奥から聞こえたが、気のせいだったかもしれない。
「とにかく、しっかり休んでおけよ。これから善良なるプロメテス市民達に、僕達以上に絡まれまくる事になるんだからな」
また後で、とつけ加え、忙しなく通信は切れた。アミスらしい言い方だ。
ハロルドは、真っ暗になった画面を見つめながら考える。傷を癒して事態が一段落したら、旅に出るのもいい。子どもとして、親の仕事を継ぐ事も少し考えた。だが、責任を持って多くの人を率いる仕事は、独りですごしてばかりだったハロルドにとって荷が重い。他にもっと適任がいるだろう。それにハロルドの翼は、まだ果てなき空を求めていた。
世界の事をもっと知りたい。竜帯にも行ってみたい。聖国の下層にいた頃は想像もつかなかったような、色々な経験をもっとしたい。いつかの未来カニスマヨルが目覚めた時、山ほどの土産話ができるほどに。
皆は寂しがるだろうが、ここで縁が切れてしまうとは思っていない。たまには戻って来る予定だし、呼ばれたら遠くにいても駆けつけて、何度でも仲間を助けたいと考えている。ミラも賛成してくれるだろう。
視界の端で、群青色の髪が揺れる。横を向けば、ミラがハロルドの顔を覗き込んでいた。
どちらからともなく、二人は微笑み合う。彼女の黄金色の瞳は、こう言っている。自分もさっき、全く同じ事を考えていた、と。
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